第3話

「敵船発見!三時方向!」

 高らかな、張り詰めた声が船に響き渡り、礼拝室の天井――甲板が、にわかに騒がしくなる。

「…初仕事は、ちょっと大変なことになりそうだな」

「え、えっと…」

「とにかく甲板に行こう、私が指示を出す」

「は、はい!」

 返答を聞くが早いか、ロカは飛ぶように礼拝室を飛び出して、甲板に駆けていった。

 それを追って甲板に向けて駆け出そうとしたリエルに向かって、後ろから声がかかる。

「りえるー」

「う、うん?」

 立ち止まり振り返ったリエルに、

「ふぁいと」

 アリシアの激励が飛んだ。

「…うん!」

 その言葉に背中を押されるように、リエルは甲板へ駆け出した。


 甲板上は、先程までゆったりと過ごしていた少女達が、慌ただしく駆け回っていた。

 左側の大砲は天を向き、いつその口から咆哮を上げてもおかしくない。

 あちこちから、戦闘用意の声が飛び交う。

「総員配置に急げ!甲板要員は甲板上の余計なものを早くしまって!」

「砲戦担当、火薬と砲弾を右舷に集中!左舷側には最低限だけ置いて誘爆に気をつけて!」

「修理班は工具と材料持って下層に控えてー!すぐ動けるように!」

 戦闘前の喧騒にリエルが気圧されていると、

「リエル、早く上に!」

 頭上からロカの大きな声がする。

「あ、は、はい!」

 慌ててリエルが階段を駆け上がり、先程「着船」した甲板に戻る。

 上甲板でも大砲の準備や道具の移動で、少女達があちこちを走り回っていた。

 階段を上がったリエルは、その少女達に行く手を阻まれ、進めなくなった。

「え、あ、あ…」

 すぐにロカが駆け寄り、リエルの手を引く。

「こっちに」

 ロカに引きずられるように、リエルは船の生命線――操舵輪の場所までたどり着いた。

 操舵輪を握るポーラの顔は、先程のおちゃらけた雰囲気とは一変し、眉を寄せ、鋭い眼差しで周囲を見渡している。

 ロカがポーラに視線を送る。

「ポーラ、どう?」

「こっちの追い風。向こうは総帆張ってうちより遅いから、先に仕掛けられるよ」

「わかった」

 ポーラから一通りの情報を聞いた後、ロカはリエルに向き直った。

「リエル、君はポーラの護衛をしてくれ」

 ロカからの指示に、リエルは戸惑う。

「わ、私が…?」

「あまり難しく考えるな。単にポーラの横にいて、もし敵が来たら――」

 ロカが、リエルの腰に差された剣を鞘から抜き、

「これで戦うんだ、いいな?」

「う…」

 リエルは、ただ気圧されるようにその剣を受け取る。

 その緊張や戸惑いを感じ取ったのか、ロカはリエルの右肩をぽん、と叩き、

「大丈夫、そうならないように、皆も私も全力を尽くす」

 軽く微笑んだ後、ロカは下甲板へ駆けていった。

 リエルは、ポーラと共に操舵輪の場所に残された。

「……」

 リエルが呆然と立ち尽くしていると、背後からポーラの声がかかった。

「大丈夫、ロカの言った通り、ここに敵が来ることはないよ」

「え…?」

 言っていることが飲み込めず、リエルが疑問符を噴出させていると、マストの天頂から、見張員の大声が響いた。

「射程圏内ー!九時方向、距離いっせーん!」

 リエルが左の海を見る。

 そこには、海賊旗を上げた船が一隻見えた。

 ローゼスとほぼ同じような形をして、おそらくは同じくらいの大きさであろうガレオン船。

「見たことない旗…新興海賊団かな」

ポーラの言葉と自分の目で見た海賊旗に、リエルの身体がこわばった。

「海賊と、戦う…」

 自分の両親を殺した海賊と戦う。

 自分を殺しそうになった海賊と戦う。

 剣を持つ手が、わずかに震えていた。


「距離九百五十!」

 見張員の声とともに、ロカのものではない、誰かの大きな声が響く。

「セーカー砲用意!」

 甲板上に並んだ細身の大砲達が手摺りから身を乗り出し、その口を海賊船に向けた。

 その矛先は真っ直ぐ敵船に向き、その咆哮を発さんと今か今かと待ち構えてる。

 各砲には二人ずつ少女がつき、一人は砲身を抑え、もう一人は火のついた縄を握っている。

 さらにその後ろには、各砲一人ずつ少女が並び、次にその砲へ詰められる砲弾と火薬を抱えて、出番を待っていた。

「距離九百!」

 更に近づき、見かけの船体が大きくなってきた敵の海賊船に、

「角度、四十!」

 甲板上に並んだ砲たちが、獲物を見つけた蛇のように、鎌首を上げる。

「点火用意!」

 火の縄を持った少女達が、大砲の上部に開いた口に火縄を近づける。


「打てぇ!」

 号令と共に火縄が点火口に差し入れられ、敵船を睨んでいた砲口から、火煙と共に砲弾が放たれた。

 一斉に火を吹いた砲の轟音が、甲板上を駆け抜け、リエルに襲いかかった。

「うわっ!」

 リエルの身体は音圧と空圧に押し倒され、甲板の床に叩きつけられた。

 轟音と共に発射された砲弾は、空中を走り、敵艦に向かう。

 その砲弾が敵船に着弾するか付近の海面に落ちるかする前に、

「次弾装填急げ!」

 既に甲板上では次の砲弾が準備され、砲弾を放った口に火薬と砲弾が次々に込められていく。

 その砲口に火薬と砲弾が差し入れられ、再びその牙が敵船に向けられた直後、

「着弾!」

 見張員の居る場所とは違う場所から声が聞こえた。

 ようやく起き上がったリエルが見た先では、いくつかの水柱に囲まれ、船体や帆、そして幾人かの船員が吹き飛ばされている敵海賊船の姿があった。

 それを確認するが早いか、

「打てぇ!」

 更に次の砲弾が放たれ、再び甲板上を轟音と空振が駆けた。

 二度目の衝撃に、リエルは手摺りに捕まりなんとかやり過ごし、操舵輪を操るポーラの近くまでへろへろと戻ってきた

 そんなリエルに、

「誰でも最初はそんなもんよねー」

 ポーラが気の抜けた声で励ました。

「た、大砲って、すごいんですね…」

「着弾!」

「打てぇ!」

「ひゃうっ」

「っと…まぁ、これでも長い距離を打つのが優先だから、大したことじゃないけどねー」

「え?」

 ポーラの言葉に、また疑問符を吹き出したリエル。

 その疑問符をかき消すかのように、

「距離六百!」

 再び見張員の声が降り注いだ。

「カルバリン砲準備!」

 距離に呼応するかのように新しい砲の用意が指示されたが、特に甲板上で変わった動きは見られなかった。

 セーカー砲、と言われていた大砲たちと少女たちは、まだペースを落とさず撃ち続けている。

「あの、カルバリン砲?って…」

「ああ、カルバリンは…」

「てぇー!」

 下甲板に開いた階段の下――船体の中から大きな声が聞こえた。

 その瞬間、セーカー砲の音より大きな轟音が船体を揺らし、一瞬船が右舷側に傾いた。

「うわああぁ!?」

 手摺りに捕まっていたリエルはその音と振動に床から跳ね上げられ、床に崩れ落ちた。

 しりもちをついて痛がるリエルの横で、ポーラが傾いた船体をコントロールするために操舵輪を細かく左右に回している。

「う、ううぅ…」

「…っよっと。ほら、大丈夫かい、リエル?」

「な、なんとか…今のが、カルバリン?ですか?」

「そゆこと。重いから下に置いてあるんだよ」

「てぇー!」

 また下から轟音と振動が突き上げてくる。

「ひぃ」

「っととと……ほらリエル立って。もう勝負つきそうだから」

「へ?」

 へろへろと立ち上がったリエルが敵海賊船を見た。

 そこに居たのは、海賊船――というより、海賊船「だった残骸」のようなものだった。

 幾数十発の砲弾に晒された船はそこらじゅうに着弾の穴が空き、三本あったマストは全て折られ、所々から何かに引火したのか黒煙が立ち上っている。

 甲板上に見えていた海賊と思しき人間の姿はもうほぼ見えず、物陰に隠れる者、狂ったように海へ身を投げる者、天に祈りを捧ぐ者、自ら首を斬り落とす者、そして「人間だったもの」が甲板上に転がっていた。

「あんなに…」

 リエルはその惨状と、その惨状を「自分が乗っている船」が作り出したことに、驚きのような、恐怖のような、複雑な声を絞り出した。

「今日は風上を取れたからねぇー、カンペキカンペキー」

 一方ポーラの声は、大分いつものおちゃらけた、気の抜けたような声色だった。

「いやぁー、今日は完全勝利だねぇ!晩酌が美味しくなるよ!」

「まだ勝ったわけじゃない。ほぼ勝ちが決まっているだけ」

 ポーラがほぼ決まった勝利に酔いしれているところに、下の甲板からロカが戻ってきた。

「まだ終わってないから、ちゃんと操船して」

「へーへー」

 舵を片手で適当にいじっているポーラに釘を刺すと、手摺りにつかまって生まれたての子鹿のようになっているリエルに声をかけた。

「どうだい、初めての戦闘は」

「え、えっと…なんか、色々、その…すごい、としか」

「ん、まぁみんな最初はそんな感想になるから」

「てぇー!」

 また船の下から号令と轟音が、そして振動が伝わってくる。

 さすがのリエルも吹っ飛んだり転んだりはしなくなっていた。

「後はあっちに乗り込んで、奴らの持ってる金目のものを取って終わりだから」

「ねーロカ!今日の晩ご飯は肉パにしない?勝利祝いとリエルの歓迎会ってことでさ!」

「ポーラはそこでちゃっかりリエルの歓迎会を入れてくるところが小賢しいし、まだ勝ってない」

「えー、いいじゃんたまにはパーっとさー」

「そこは今回の戦利品次第よ。じゃあ、リエル」

「は、はい」

 まだ手摺りに捕まっているリエルに対して、

「戦闘が落ち着いたら、甲板の下に行って掃除の手伝いをしてきて。マリーナって人を探せば教えてくれるから」

「わ、わかりまし…た」

「うん」

 その時、見張員からまた声が上がった。

「敵艦が白旗を上げた!降伏したよー!」

 その宣言に、甲板上から、船の中から、少女たちの高らかな歓声がこだました。

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Gosick Pirates 幸風咲良 @satikaze1

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