7:ただそれだけの行為が難しい 3

 窓から庭を見下ろしつつ、ハヴァースは一人腕を組んで唸った。

 何が、とは言えないが、とにかく何か良くないことが起こっている気がする。

 今朝、セターレスが訪ねてこなかった。また、今日はまだ一度も自分の食事が運ばれてきていない。

 ここ数日セターレスが忙しなく活動していた。その結果が今日に出ているに違いない。

 嫌な予感がした。

 セターレスは何か失敗したのかもしれない。

 身内争いをしている場合ではない。今のアルヤ王国は動揺している。早く国内を固めて諸外国への対応策を練らねばならない。

 でも、その焦り以上に――セターレスの身に何かあったのだとしたら、

「セターレス……」

 嫌だった。

 こんな時、ハヴァースは、セターレスを連れて国外逃亡でもすればよかったのか、と思う。

 セターレスがこだわっているのはアルヤ王国ではなく自分だ。もしも自分がチュルカ平原のような空白地帯に自分たちの王国を新たに創ろうと言ったら、セターレスはきっとついてきただろう。その方が自分もアルヤ王国にいるより自由だったはずだ。

 だが自分にはそれを選べない。

 アルヤ王国が好きだ。アルヤ王国を守りたい。どこにも負けない強いアルヤ王国をつくりたい。アルヤ王国を大陸一の大国に育て上げたい。アルヤ王国の百万の民にいい思いをさせてやりたい。

 アルヤ王国を誰にも譲りたくない。

 セターレスはいい子だ。頭も良く体力もあり、何より自分の仕事に対して真面目だ。ただ、気性が激しすぎる。自分が上から押さえつけて制御するのは彼のためでもあるのだ。しかし自分は今ここから出ることができない。セターレスが外でやり過ぎてしまった時今の自分が彼を庇ってやることはできない。

 たった一人の弟だ。父も母も同じくする唯一の存在だ。この世で一番の理解者だ。セターレスが自分を必要としているのと同様に自分もセターレスを失ったら人生のほとんどを手放さざるを得なくなる。

 戸を叩く音がした。ハヴァースは顔を上げ、戸に向かって「セータ?」と声をかけた。

 戸が開いて、中に入ってきたのは、裁判大臣のエスファーニー家当主と新しく議会大臣代理として宮殿に現れた若きフォルザーニー家当主だった。

 ハヴァースは目を丸くした。

「セターレス殿下はそんなに頻繁にここを訪問なさっているのか? ここに来るには二大臣の許可が要るはずだが」

 裁判大臣の目が光った。自分たちが彼らの許可なく会っていることが知られた――それは重罪だ。

「なぜ……貴殿がここに……」

 焦る気持ちを抑えて問うたハヴァースに、裁判大臣は一枚の紙を無造作に突きつけた。

 そこに書かれていた文章の見出しを見て、ハヴァースは両目を見開いた。

 裁判大臣のエスファーニー卿自身の手で、はっきりと書かれていた――死刑執行に関する告辞だ。

「どうして急に」

 ハヴァースは今まで感情をあまり表に出さないように努めてきた。感情の変化は弱みにつながる、それは王である者にあったらよくない。だから今言葉に動揺が表れてしまったことを感じて慌てて口を閉ざした。まずい。自分は王なのだから動揺などしてはいけない。王の動揺は国の混乱につながる。

 本音を言えば叫び出したかった。怒鳴り散らして喚きたかった。なぜ急に、セターレスが差し止めていたはずだ、死刑の執行には王の代理であるセターレスの許可がいるのにどうして、セターレスに何かしたのか。

 裁判大臣は、そんなハヴァースに、答えを提示した。

「今日付けでセターレス殿下には宰相及び摂政から離任していただいた。王が罷免なさったのだ」

 王が罷免した――この場合の王とは誰だ。

「王はセターレス殿下を不敬罪で立件なさろうとしている。今身柄を拘束するために手配している」

 両大臣の後ろに控えていた、目の辺りだけに穴を開けた黒い布で頭部を覆っている男たちが動き出した。

「であるからして、セターレス殿下が今ここに現れて貴方を救うということは不可能だ」

 もう終わりだ。セターレスを待てない。

 今度は自分からセターレスを救いに行かなければならない。

 ハヴァースは硬い寝台へ走った。掛け布団を剥ぎ取った。

 そこにもしもの場合に備えてとセターレスが置いていった剣が置かれていた。

 その剣の柄を取り鞘から引き抜いた。

「やはりか」

 こうなることを分かっていた様子で、大臣と大臣代理が一歩さがる。黒服の男たちの間から「殿下」という悲鳴に似た声が上がる。

 剣の使い方は知っている。忘れるわけがない。王は殺されてはならないのだ。王は我が身を守るために剣を使えなければならないのだ。

 斬りかかろうとした、次の時だ。

 黒服の男たちの間から、星のように煌めく光が走り出てきた。

 金属音がした。ハヴァースの振った剣を誰かの剣が受けたのだ。

「往生際が悪いのは美しくありませんね」

 剣を構え、ハヴァースの剣を受けている、煌めく金髪の男――ナジュムが、笑いながら言った。

 ハヴァースは剣を薙いで持ち直そうとした。

 ハヴァースは忘れていた。自分は三年間この部屋に閉じ込められていたのだ。

 剣が、重かった。体も、重かった。

「……っ」

 ナジュムの方が何倍も速かった。

 ナジュムの剣がハヴァースの剣を叩き落した。ハヴァースの喉元へ動いた。

 ハヴァースは動かなかった。動けなかった。

 今動いたら殺される。

 まだ死ねない。

 死にたくない。志半ばで止まりたくない。自分が死ぬ時はアルヤ王国の繁栄の後でなければならない。

 エスファーニー卿が手を叩き、隣のハーディへ「貴殿の弟君は素晴らしいな」と告げた。ハーディは「おそれ入ります」と言いつつ、黒服の男たちを一瞥した。

 黒服の男たちがようやく動き出し、ハヴァースの両手を拘束した。

 ハヴァースは蒼い顔で「馬鹿な」と呟いたきり何もしなかった。

 ナジュムが涼しげな顔で剣を納め、「やれやれ」と言って振り向いた。

 ちょうどその時だった。

 廊下の奥から若い白軍兵士が走ってきた。

「閣下ッ!」

 彼はエスファーニー卿の目の前に辿り着いてすぐ荒い息のままひざまずいた。

「どうした」

「申し上げますッ」

 空気が張り詰めた。

「セターレス殿下が陛下に謀反ですッ! ラシード将軍閣下に対して剣を抜き、傍におわしたライル殿が応じられましたッ」

「とうとうか」

 エスファーニー卿がそう言って舌を打った、次の時、

「ライルっ」

 ナジュムが走り出した。彼は裁判大臣と兄を置いて廊下の奥に消えていってしまった。

「若いということは良いことだな、ハーディ殿。貴殿もよろしかったら走って向かわれよ、私はもう老いて足腰が悪いのだ」

「いえいえ、自分は妻子持ちで体が重いのです。閣下さえよろしかったら、一緒に向かわせていただけないでしょうか」

「うむ、そうだな。私も息子の晴れ舞台を最終幕だけでも見届けたいものだ」

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