2:鳥籠の住人 4

「何だと?」

 朝食の席でのことだ。

 シャムシャは顔をしかめた。思い切り不機嫌な声を出してしまった。

 ライルは一度溜息をついてから繰り返した。

「俺たちだけでは負担が大きすぎるんだ」

 そんな言葉は聞きたくなかった。

 何が負担だと言うのだろう。それも彼らだけでは抱え切れないほど大きな負担とはいったいどういうことか。

 シャムシャの相手がか。

 シャムシャも分かっていなかったわけではない。自分は大勢の女官たちにかしずかれ白軍の武官たちに守られて育った身で、自分一人では着替えさえままならない。しかも蒼い髪の『蒼き太陽』だ。たとえお飾りといえどアルヤ王国国王であり、アルヤの民にとっては神に等しい存在である。その世話をたった三人で回そうという方がどうかしている。

 それでも、こういう言い方をされると、どうしても、自分の我慢が足りないことを指摘されたように感じてしまう。シャムシャの言動が重いと言われているように思えてしまうのだ。自分の人格が彼らに迷惑をかけていると言われているように聞こえる。

 重くないわけがない。頑固で我を通そうとするわりにはひとの顔色は窺う。周りの人間に振り回される分感情の起伏は激しい。まして今は宮殿の片隅に閉じ込められ本当の名を名乗ることも許されない生活にんで周りに当たり散らしている。周りからすれば面倒で厄介で手を焼く相手だろう。

 分かっているからこそ、腹が立つ。

「ナジュムが三日実家に戻るだけでいろんなことがまわらない、だから――」

「適当なことを言うな」

 米で作られたパンを乱暴に引きちぎり、口に運んでから言う。

「言い訳にも程があるだろう。ふだんから働いていないナジュムがいなかったからとて何が滞る?」

 「ですよね~」と言ったルムアを睨みつけたあと、ライルは「俺の睡眠時間が減った」と答えた。シャムシャは「ああそう」と切り捨てるように応じた。

「寝ればよかったのに」

「セターレスがいつ何時何を仕掛けてくるか分からないんだぞ」

「対外的には白軍がいる。私自身一通りの護身術は身につけている」

 ライルが言いたいのはそういうことではないだろう。

 はっきり言ってほしい、中途半端な態度を取られては歯がゆくて気持ちが悪い、と思う自分と、そんな風には言わないでほしい、何も気づかずに黙って自分の傍にいてほしい、と思う自分が、胸の中で喧嘩する。自然と熱くなってくる。たかぶる感情で手が震える。

「私に疲れたならそう言え」

 ライルもルムアも、食事をしていた手を止めた。二人とも目を丸くした。

「そんなことは一度も――」

「余計な気を回すな鬱陶しい」

 「言いたいなら言え」と吐き出すように言う自分にもう一人の自分がやめてほしいと叫ぶ。

「ナジュムも帰ってきたらしいが私にはまだ顔を見せていない。あいつのことだから一抜けしたのだろう? むしろ、気紛れな奴がよくここまで――」

「シャムシャ!」

 ライルの一喝が響いた。ルムアが肩を震わせた。シャムシャもまた手を止めた。

「それ以上言うのは俺が許さないからな」

 まさかライルがここで声を荒げるとは思ってもみなかった。

「俺のことを言うのは好きにしろ。だがルムアやナジュムのことを言うのは許さない。二人がどれだけの覚悟をもってお前に仕えていると思っている? 特にナジュムは完全に好意だけで来ているんだあの事件の時フォルザーニー卿は完全に中立の態度を貫いていた。にもかかわらずあいつは今お前側についてわざわざ命を危険に晒している。その意味をよく考えろ」

 シャムシャはしばらくの間ライルと睨み合っていた。

 ここまで説教をされなければならない。

 それもこれも髪が蒼いせいだ。

 不満ばかりが腹の中で渦巻く。はち切れそうになる。

 とにかく腹が立つ。

 もう一人で生きていきたい。誰にもとやかく言われたくない。

 こんな世界は要らない。

 ややして、ルムアがおそるおそる「シャムシャさま」と声を掛けてきた。

「うるさい!!」

 怒鳴りつつ、右腕で食卓の上の皿を払った。茶の碗が転がり、熱い茶の湯がシャムシャの腕を濡らした。湯気を浮かべていた汁物も卓上から落ち、シャムシャの服、腿の辺りを汚す。

 悔しい。

 ライルが立ち上がって「こらっ」と怒鳴った。ルムアも悲鳴を上げた。

「私一人を悪者にして! 私がどれほどのことを我慢していると思っている!?」

「シャムシャ」

「私が聞き分けの良いイイコだったらこんなことはなかったのか!? 残念だがそんなことはないからな! この状況は私の髪が蒼い限り続くんだ」

 「私だって何も感じていないわけじゃないのに」と叫ぶ声は誰にも届いていない気がする。

「あの時助けてくれなかった奴がよくもそんな偉そうな態度を」

「たいへんっ、火傷なさいますっ」

「父上やエスファーニーの頑固親父に私を明け渡したくせに」

「何を言って――」

「でも私が何を考えているかなんてどうでもいいんだろう、お前らが大事なのは『蒼き太陽』であって私ではないんだから」

「そんなことは――」

「好きにすればいい、人を増やそうが減らそうがお前らの勝手だ、私には選択権はないんだ」

「俺たちはお前のためを思って――」

「お前はいつも俺たちと言うよな、まるでお前がお前らの代表者みたいだ。おかげでお前らが徒党を組んで私を叩いているように聞こえるぞ」

「分かった。俺はお前のことを第一に考えている――これで満足か?」

「本当にそうだったらお前は三年前に私を連れてチュルカの草原まで逃げるべきだったんだ、そうしなかったということはお前にとっての私はそこまでするほどのものでもないということなんだ」

 ライルが、溜息を、ついた。

「お前が俺のことをそんな風に思っているなら、俺にはもう何も言えない」

 シャムシャは動きを止めた。黙って目を丸くした。

「勝手にしろ」

 胸の奥が冷えた。

「俺はもうさがる。あとでナジュムかラシードが例の者を連れてくるから、気に入らないなら直接辞めさせろ」

 ライルはそれだけ言い捨てると、食事も途中のまま、シャムシャやルムアの次の言葉を待たずに、出入り口の方へ向かって歩き出した。振り返ることなく部屋を後にしてしまった。

 シャムシャは肩を落とした。

 これは、本気で怒っている。

 またやってしまった。こういうことの積み重ねが彼の負担になっているのだ――自分の言動が重いのだ。自分で自分に打ちのめされてしまった。

 ルムアが立ち上がって、シャムシャへ駆け寄って「早くお召し替えを」と言った。

「ルムア」

 ぽつりと名を呼ぶ。ルムアが「はい?」と小首を傾げる。

「お前も、私を負担に思っている?」

「へっ?」

「お前も、私に疲れたか?」

 ルムアは首を横に振った。それに安堵した。おかげで言葉が滑らかになった。

「『蒼き太陽』というものはいったい何なんだろうな。私は王とは名ばかりでお前たちに何の恩恵も与えられない。むしろ癇癪を起こして迷惑をかけてばかりだ。私は本当に髪が蒼いだけのただのわがままなお姫様なんだ。いったい、何が尊くて、何が素晴らしくて、何が良くて、『蒼き太陽』なんだろう。お前たちを疲れさせるだけの……、負担になるだけの私が」

 苦笑しつつも明るい声で答える。

「ルムアはそんなことちーっとも思ってないですよぅ。ただ本当にシャムシャさまが心配なだけです。三人がちょっと離れた隙にシャムシャさまに何かあったら、って。もう一人や二人は、ってルムアは思うですよ」

 「さぁお脱ぎになって」とルムアが言う。シャムシャは眉間に皺を寄せたまま頷いた。

 ルムアがシャムシャから蒼い衣装を引き剥がした。

「ライルさまだって……、まあ、ライルさまはチュルカの殿方ですから、考え方が武骨で乙女心というものをまったくご理解されないです」

 「ご結婚できそうにありませんねぇ、もう二十歳になられたのに」と言ったルムアの言葉に、シャムシャはようやく笑った。ルムアもシャムシャの笑顔を見て安心したのか笑みを返してきた。

 だが、次の時、シャムシャは、自分の目から涙が一粒零れ落ちたのを感じた。

「それでも、ライルが好きだった」

 ルムアもまた悲しい顔をした。

「ライルさまも、きっとシャムシャさまが大切ですよ。あんなことおっしゃってましたけど、昼食にはまた戻ってこられるに違いないです」

「あいつのあれは、責任感とか罪悪感だ」

「そんなに後ろ向きにお考えにならないでくださいませませ! 殿方はみんなどこかしら不器用なものですから、あんまり、ね?」

「そうだな」

 言いつつ、シャムシャは腕を伸ばした。ルムアの華奢な体を抱き寄せた。

「男なんか嫌いだ。お前さえ傍にいてくれればいい」

 ルムアは少しばかり驚いた顔をしたが、そのうち、シャムシャの汚れた衣装を抱えたまま、シャムシャの裸の肩に頭を乗せた。そしてひとつ溜息をついた。

 シャムシャもまた、ルムアの肩に顔を埋めた。

「シャムシャさま……」

 しばらくの間二人で黙って抱き締め合っていた。

 こうしていると自分たちが世界で二人きりになってしまったかのようだ。

 実際そうなのかもしれない。この世にシャムシャを無条件で愛してくれるきょうだいはもはやルムアしかいなくなってしまった。ルムアがいなくなったら、シャムシャはきっと独りになる。

 この世界はあまりにも静かで寂しい。

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