風呂を出る猫

 湯船に浸かるとき、ふわりと浮く体に「はあ」と声を漏らし、心まで軽くなった気がする人は幸せなのかもしれない。


 深水にだって時々は、湯船にぶくぶくと沈んでしまいそうなほど、心が重いときがある。


 煩悩や心配事、不安が湯気のように飛んで行ってしまえばいいのにと思っても、なかなかそうはいかないこともある。

 私は深水の脳内に住む猫なので、他の人がどうなのかはわからないが、人間とはかくも面倒な生き物だ。


 涙が湯船に溶ける日もあるかもしれない。

 そもそも浴槽にお湯を張ろうという気にもなれない夜もあるかもしれない。


 けれど、世間ではお風呂嫌いの多い猫の私が言うのも変な話ではあるが、そういうときこそ、湯船に浸かって欲しいものだ。

 棘だらけの日常、社会、学校から帰ったとき、生まれたときと同じ、無防備な素っ裸になれるのはお風呂のときくらいなものだ。

 裸の心と向き合うも良し、湯煙で隠してしまうも良し。栓を抜いてお湯を捨てるように、すべて流してしまうのも良いではないか。


 心をあたためるつもりで湯船に浸かり、深水は今日もあれこれとりとめもないことを考える。


 あと何回、彼女と共に風呂を泳げるのだろう。先のことはわからない。猫には過去も未来もない。今を生きるだけだ。


 さあ、今宵も湯けむりを尻尾で払おうではないか。明日が来ることに感謝できるまで、心に積もった穢れを洗い流したら、口元に笑みを浮かべて風呂を出ようではないか。


 猫が湯ざめをする前に。

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猫が湯ざめをする前に 深水千世 @fukamifromestar

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