極上の食べ物

 深水の夫とその妹は可愛らしいものを「憎ったらしい」と表現するのだが、彼らの祖母おマサさんは赤ん坊を見ると、さらにもう一つの表現を用いていたらしい。


 それは「刺身みてぇ。食っちまいてぇ」である。


 その喩えは必ず刺身だったという。

 赤ちゃんの肌の瑞々しさ、もっちり具合を表現するのに、大福だとかマシュマロ、羽二重餅ならよく登場する。しかし、何故に刺身なのだ。いや、私も脳内に住むとはいえ、猫のはしくれ、刺身は好きである。だが、人間の赤ん坊の肌を褒めるのにわざわざ刺身を思い浮かべない。


 夫は言う。


「ばあちゃんにとって、これ以上ないっていう極上の食べ物は刺身だったんだよ」


 それを聞いた深水は考えた。

 自分にとって極上の食べ物とはなんだろう。


 これがまた答えがでないのだ。

 好物が多すぎて一つに絞れない。いつから自分はこんなに博愛主義者になったんだというくらい、まんべんなく好物たちに愛を注いでいる。

 もしおマサさんが生きていれば「なにを煮え切らないこと言ってんだ」と叱られるのだろうか。


 深水は、とっておきの食べ物がある人は可愛らしいと思っている。なんだか個性があるし、自分の好きなものにひたむきな気がして微笑ましい。


 なにより、その食べ物を見ると、つい顔を思い出すというのは、なんだかいいものだ。わかりやすくいえばどら焼きでドラえもん、ラーメンで小池さんだろうか。目玉焼きで伊丹十三というパターンもある。

 深水の場合、海苔を見るたびに、海苔が大好物だった愛猫タマを思い出す。


 食べ物を目にしたとき、ふと思い出して微笑んでしまう。そんな瞬間をくれる誰かにとっての極上の食べ物が、深水は好きだと思うのだ。


 もし、自分が「これが一番」というものを見つけられたら、いつか誰かがふとした瞬間に偲んでくれるだろうか。

 そう思ってはみても、食べ物の煩悩は根深いらしい。食いしん坊の深水に極上の食べ物を決めろというのは。猫に好きな魚の種類を決めろと迫るようなものなのだ。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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