私の値段は24円

夏みかん

しゅんしゅんと薬缶がなる頃、家出した。

あれは冬場だったと思う。


とにかく家は普通の家庭で、他所から見ればとても恵まれていたと思う。

しかし、こういった家庭にこそ、他からの恨みつらみ、僻みや妬みは集まりやすいもので、単純だった私はすぐその手中に落ちてしまった。


祖母が、すぐ便乗して私相手に少しの憂さ晴らしをするのだ。


やれ、近所のババアが出てきては、祖母に耳打ちする。

「あの子は親がいなくなったら、きっと没落しますよ、今だけ今だけ」

祖母は「そうそう」と信じられないことに笑って請負い、その後私に「夏!2階の洗濯物入れてきなさいよ!雨に濡れたら敵わんわ!」などとひどい言葉をぶつける。


私は最初、聞き流していた。そう務めていた。


しかし目の前で喧嘩する油断した母と父や、へそを曲げた祖母が頑として言うことを聞かなくなったり、母がやたら切れていたりするのを見ていると、こうふつふつと湧いてくるものがあり、私はその夜、石をソフトボールの要領でそのババアの家に投げ込んだ。


ガシャーン、ギャー!


私はそのままとんずらこいた。

天誅と書いた紙で丸めた石をあちらこちら、恨みのある家に投げ込んでは走り回り、電車に乗ってとなり町へと逃げ、スマホは家においたまま、財布と通帳だけ持って前から目をつけていた民宿へと逃げ込み、ぬくぬくとしたその六畳間の和室で年が明けるまで寝倒した。


1月1日から、すぐ隣の新聞社に行き、「雇って下さい」とお願いして、正月から新聞を配り歩いた。

女の子だからと言われたが、「いいえ構いません」と言って家に連絡を取ることは絶対にせず、早朝新聞を配って昼は寝て、夜はドラッグストアで品出しをした。

社員旅行などあるけど、と言われたが、「私は事情があって働いてるだけです」と発言し、意外と同情されて、「まあ頑張んなさいよ」と応援を受け、とりあえず月16万稼いだ。


とりあえず、家のワーキャー言う環境から逃れられたのが一番良かった。

もう誰にも文句を言われない。言わせない。


家族の不必要に揉めるさまを見ているのが嫌だった。何も知らないくせに口ばかり達者で横槍を平気で入れ、揉め事を作る周りも嫌だった。


あの環境が、何より嫌だった。


ふと入っていた銭湯で、「住み込み募集」とあるのを見て、「履歴書は無いですが、信頼ならあります」と店長二人に来てもらい、番頭のおばさんに話をつけてもらった。

それから、一件の人様の家での共同生活が始まった。


まずこの家は、まだアナログテレビで、HDDだけは揃えていて、息子の正さんが文を書くのにノートパソコンが置かれている。

犬のウメキチは三本足で、昔車に引かれたのを父親の筒路さんが助けたらしい。雑種のウメキチは筒路さんによく懐き、私にも心を開いた。

実家で買っていたヨメ子を思い出す。あの子元気だろうか。

おばさんは主に番頭をしていて、私に掃除など教えてくれたが、「あんたね、やっぱり家に帰ったほうが良いわよ、こんな家、なんにもならないんだから」と言ってわざと朝ごはんのみ、昼と夜は出さなかった。


私はコロッケ24円と100円コーヒーを銭湯で買って大学生の正さんにお金を払いながら、「この金正さんのポケットマネーになるんだろうな」と正さんがファッショナブルなマフラーを閃かせながら「ありがとう、コロッケ星人」とカッコつけて笑うのを見て思った。


そのままトレードで正さんはフルーツ牛乳を買い、彼女の素子さんと出かけて行ってしまう。

「年末にも帰りゃしねえよ、あいつぁ」

筒路さんが笑ってそう言いながら、私を囲んでおばさんと三人、午後のお茶を飲みながらほっとため息を吐いた。

梅干しの入ったお茶が美味い。祖母の漬けた梅は今年は美味しかったろうか、と思い出した。


さて、風呂のタイルをごしごし擦っていると、私がスーパー賢者タイムと呼ぶ時間になり、朝日がサーッと天井際の窓から入ってきた。


壁の富士山を照らし、青いタイルをぴかぴかと光らせる。

私はなんとなく神棚にお祈りしながら、おばさんも一緒に手を合わせていることに気がついた。

外に出れば筒路さんがバイクに乗り、「それじゃ、行ってきます!」と元気に言って友達のところへ出かけていく。

イギリスの国旗がプリントされたヘルメットを被った筒路さんはイカス。


父と母と、朝に祖母が仏さんの水を替えるのを待ちながら雑談してご飯を食べたのを思い出し、「母さん達元気にしてるかな」と思った。


さて、ある日、彼らは来た。

見慣れた車がやってきた、と思ったら、「夏!」と窓から母が叫び、「ほんまや、夏や!」とお祖母ちゃんが飛び出してきて、車に引かれかけたがそれも無視して「夏!」と私に抱きついた。

おばさんが出てきて、ぺこぺこしながら父と話をしている。


正さんが、ひゅーうと口笛を吹いた。

「ジ・エンドだね、コロッケ星人」

私の買ったコロッケが、手の中でパックごとめきゃっと潰れた。祖母の包容はそれほどに力強かった。


それから、なぜだか親子揃って風呂に入り、「どうしても連れて帰ります」と言い張る母におばさんは涙腺緩みっぱなしで、「ええ、どうぞどうぞ」と私の荷物をまとめた。


何一つ、思い通りになることは無かった。

しいて言うなら、コロッケ24円だけか、私の買えたものは。


「ここであんたと飲むさあ」


正さんが言った。


「コーヒー牛乳も、今思えば味だったよ」


彼女の素子さんに腕を引かれながら。


さて、帰ってくると、自分の部屋が広く感じた。

「あんたの家やさかい、あんたの好きにせえ」

そう言って、祖母が1万円くれたが、いや24円あれば足りる、と私は言った。


24円、それが私の値段である。

幸せを買うには、十分な値段である。

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私の値段は24円 夏みかん @hiropon8n

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