039 『エ・ペスペル』を散策

 二時間ほどの鑑賞会の後、モモンガはパンドラズ・アクターをナザリック地下大墳墓に帰還させた。

 一度現地に行けば転移魔法での帰還は対処されていない限り可能となる。

 転移阻害の有無も確認出来たので改めて現地調査をおこなう。

 人間の都市『エ・ペスペル』は人間以外の姿が全く無い。

 多種多様な種族が入り混じるユグドラシルとは違うようだ。

 人間種には『山小人ドワーフ』と『森妖精エルフ』も含まれる。

 今のところそれらの種族の姿も見当たらない。ほぼ人間のみ。

 ゲームの世界では人間以外も少人数ながらどの町にも居たものだ。

 一種族だけだと慎重に行動せざるを得ない。

「……まずは商店街から行こうか」

「はい」

 素直な褐色肌の娘『ルプスレギナ』と共に移動を開始する。

 ここまで一年は過ぎたのではないかと錯覚しそうになった。

 通りを歩く人間の髪の毛は黒と金が多く、赤などの色は殆ど居ない。

 キャラクターエディットでは自由に色んな色にする事が出来るものだが、ここではデフォルトが多いように見える。

 もちろん、プレイヤーではなく現地の人間特有のものかもしれないけれど。

 数万人規模のプレイヤーが居たのだから何人か居てくれないと不安になる。

 自分たちだけ転移したわけではあるまい、と。

 時間軸のズレもあるから各都市に割り当てられた人数が思っていたよりも少なかったり、極端に多かったりとかたよっている事もありえる。


 ◆ ● ◆


 事前に見つけておいた商店街はとても賑やかだった。

 物資が枯渇した貧相な世界だとそれはそれで不安になるが。

 何の襲撃イベントも起きないのは異世界ファンタジーではありえない。

 事件を切望するのは不謹慎だとは分かっているけれど。

 平和が一番。本来はそうであってしかるべきだ。

「資金が不安だから買い物は控えるが……。ルプスレギナ、事前に文字を書き留めておけ」

かしこまりました」

 まず何をすればいいのか。

 一番の近道は冒険者登録をすること。

 あるいは役所に行って戸籍登録をする。

 異邦人は自分達の物を売って資金源にするらしいが、何が売れるのかは実際に交渉して確認するしかない。

 現地の人間達が話している言葉は『日本語』として聞き取れている。分からないのは現地の文字だ。

 勝手に翻訳されているのは『お約束』ではあるけれど、変な気持ちだった。

 原因を探るのに相当な時間がかかりそうだが、それは今必要ではないので頭の片隅においておく。

 カルネ国の時もそうだが、変な名称に聞こえるのはここでも健在だ。

 どうも排泄物の名称で果物が売られている気がするのだが、改めて聞きなおすと普通の名前になっている。

 妙な『既視感デジャ・ヴュ』が思考を鈍らせる。

 何度も聞きなおすと不審がられるので、対応はルプスレギナに任せた。

 アンデッドなのに疲れているのかな、と思わないでもない。

 睡眠不要の身体なので精神的には相当な負担がかかっている気がする。

 ちゃんと眠りたい。そう思わないでもない。

 店の商品の次は飲食店を覗いてみる。

 満員ではないが賑やかな様子にモモンガは満足する。

「現地に人間が居る。それが確認出来た」

 しかも彼らは地球人と遜色ない。

 異世界だからと気付かなかったが、彼らは立派な宇宙人ではないのか。

 いわゆる『知的生命体』で言葉は日本語。それは自動翻訳の弊害かもしれないけれど。

 あるいは全てがプレイヤーか、だ。

 仮にプレイヤーだとしても飲み食いはしない、本来ならば。出来るフリなのか、動きが柔軟すぎて判断できない。後ギルドランク九位にまで昇り詰めたメンバーを知らないプレイヤーが多いのはありえる事なのか。知人交渉相手などが居てもおかしくない気がするから警戒しているわけだが。

 誰か適当に殺してみる、という手が浮かんだがいきなり騒動を起こすのは得策ではない。

 向こうから襲ってきた時は返り討ちにすればいいだけだ。

 後は彼らの強さだ。

 自分達はレベル100だが、ここに居る人間達は100を超えていることもあるかもしれない。

 大型アップデートで200レベル帯になりました、とか。

 無い事は無いが、その手のアナウンスはモモンガ達は受け取っていない。


 次に向かったのは宿屋だ。

 通りを行き交う人間に話しかければちゃんと返答してくれる。それも全く同じ言葉ではなく、一人ひとり違っていた。

 テンプレートが適用されていないともいえる。

 全く同じであればゲーム的だ。

 宿屋の前にまず他の見知らぬ建物の扉を開けようとしてみた。

 普通なら無関係の建物は背景と同様でどうにもならない。だが、結果は鍵がかかっていない建物の扉は開いた。

 はた目からは怪しい人間が何かしているように見えると思うけれど。

 一番安い宿の場所を教えてもらったが見事な汚さだ。

 リアルを超えて実写。

 当たり前の事かもしれないけれど、感心した。

「こんな汚い所に入るんですか!?」

 と、ルプスレギナは鼻を摘んで驚いていた。

 人狼ワーウルフの彼女の鼻には耐えられない臭いのようだ。

「飛び込んで世界を知る事は大事だ。お前は仮面でも被っていろ。それ程の悪臭とは思えないが……。耐えられないか?」

「うー、汗臭いというか……。掃除が行き届いていない部屋って感じっす」

「なら大丈夫だ。それが普通のファンタジーだ」

 開けて死体だらけで腐敗臭に包まれていれば大問題だが。

 悪臭如きでは動じない『死の支配者オーバーロード』は宿屋の扉を開ける。

 扉は木製でドアノブもセキュリティーのパスワード入力も必要としない質素なもの。

 中世ヨーロッパ風なのに近代機械があるとも思えないが、あればあったで驚きだ。

 ギイィ、という軋む音は哀愁を感じさせる。

「………」

 入ってすぐに中に居た人間の視線を受ける。

 柄の悪そうななモブキャラ達。

 そうそう、これでいいんだよ、とモモンガ嬉しくなった。

 愛想の無い店内。

 屈強な店主が陣取る汚い宿屋。


 良かった。普通のファンタジーだ。


 心の底からそう思った。

 理由の無い安心感というものかも。

 今までの不安に満ちた世界が払拭されるようだ。

 一歩踏み出せば床を踏み抜きそうな脆さを感じさせる。

 仮に穴が開いててもモモンガ達の行動にさしたる障害にはなりえない。

「宿を取りたい。いくらになるのか?」

 二メートル近い背丈はあるのではないか、と思わせる筋肉質な男性の店主はぶっきらぼうにモモンガを覗き込む。

 仮面を被っているので表情を読まれる事は絶対にない。あと、骸骨だ。

 幾多の戦いを経験した歴戦の元冒険者風とも言えなくは無い風貌の店主は鼻を鳴らす。

「二人かい?」

 正確には六人くらい居るけれど二人だと答えた。

 不可視化は外で待機してもらうとして、狭い店内に影の悪魔シャドウ・デーモン達を入れても仕方がない。

 ふと、横に顔を向けると赤い髪の冒険者が居た。

 見覚えが無いので他人だと思われる。それでルプスレギナが髪を見せても大丈夫かもしれないと思った。だが、すぐに見せて怪しまれてはいけないので隠したままにしておく。

「今は大部屋しか空いてないが相部屋でいいか? 一日六銅貨だ」

 貨幣の単位は六銅貨と銅貨六枚は同じだ。当然、銀貨と金貨も同様である。

「ああ、構わない」

 個室に二人も入っては狭くなるかもしれない。あと、一応、ルプスレギナは年若い娘だ。それなりに気を使ってしまう。NPCノン・プレイヤー・キャラクターだけど。

「追加料金として二銅貨。食事付きなら更に二銅貨だ」

 飲食不要なのとルプスレギナが現地の料理に難色を示すので食事なしを選んだ。ただ追加料金とは何なのか分からなかったが部屋の確認を優先させる為に尋ねなかった。

 どうせ、大して利用しないので。

 銀貨一枚を提示し、銅貨十二枚を受け取る。

 物価はまだ良く分からないが、予想では恐ろしく格安の宿屋に感じた。それだけ汚いか、サービスが無いか、だ。

 ルプスレギナが嫌がっているところを見れば程度が知れる。

 セバスやユリを連れて来たら店内の掃除を強要しそうだ。

 鍵を受け取り、指定された部屋に向かう。

 外側は石造りだったが、中は殆どが木造。あと、朽ちかけている気もする。

 先ほどからギシギシとあちこちから木のきしむ音が聞こえるので。

 詳しくは聞かなかったが宿泊費が一人三銅貨という事なのか。それとも追加とは人数分の手間賃なのか、部屋ごとの料金なのか。詳しい説明を求めないのは良くないと思った。

 余計な説明を求めて事態が混乱するのを避ける為だったけれど、やはり聞いておくべきだったかな、と少しだけ後悔する。

 つい『そんな事も分からないのか』という言葉が脳裏に響いてしまったせいだ。

 言わなくても分かるだろう、とか余計な幻聴が判断を誤らせている。

 神経質だからか、変な被害妄想が良く聞こえてしまう。これはしっかりと反省しなければならない。単に見栄を気にしているとも言えるけれど。

「よくこれで店として機能しているな」

 だからこその格安物件だ。だが、壊れた場合はどうするのか。

「……モモンガ様、ここに泊まるんですか?」

「部屋の中を見て判断する。一応、滞在拠点は必要だからな」

 ここに泊まっている、という証拠を残す為にも。

 目撃者が居ないと後々、面倒ごとに巻き込まれた時、言い訳がしにくくなる。

 目的地の大部屋は今は誰もいないようだった。というか扉に鍵が無くて驚いた。

「……ま、窓を開けていいっすか? この臭いはちょっと……」

「一気に開けるなよ。中のものが飛んでいくかもしれないからな」

「はい」

 空気の入れ替えは大事だ。

 後で何か言われては困るので少しだけ空間を作るように命令しておく。

 そして、寝床に顔を向けると死体安置所に来たのではないかと錯覚しそうになるほど酷い有様が見えた。

 何年も放置されたような茶色い掛布団は空気が抜けように平べったくなっていた。

 そのベッドの下に横幅がニメートルほど。高さは五十センチメートルに満たないくらいの棺桶の様な宝箱があり、他のベッドにも同様のものがあった。

 渡された鍵はこの宝箱のものだった。見るからに頑丈そうな錠前だが、鍵が壊れないか心配になる印象を受けた。

 貴重品などの手荷物を入れる為のアイテムと思われる。

 例え鍵が壊れても錠前を壊すのはおそらく容易いと思われる。もちろん店主に黙って破壊すれば騒ぎなるのは想像に難くない。

 正直に言えば開けたくない。宝というか汚物が詰まっている気がしたので。

 実際に汚物とか死体が入っていれば宿屋として問題があるけれど。

「……格安に相応しいのは分かった。一旦、窓を閉めろ」

「は、はい」

「とにかく、確認は済んだ。外に出ようか」

 あまり長時間居てはルプスレギナの体調に関わるのではないかと思った。

 実際には信仰系魔法詠唱者マジック・キャスターでもあるので体調不良ごときでは動じないけれど、気分の問題だ。


 外に出て深呼吸するルプスレギナ。

 命令でもない限り、格安宿には泊まらないと思う、絶対に。

「高級宿ならお前の鼻も嫌がらないと思うが……。資金不足だからな。序盤はこんなものだ」

「も、申し訳ありません」

 モモンガは手を振る。

「良い。次は……冒険者組合だったな。ルプスレギナ。今の内に行ってみたい場所とかあるか?」

「た、高いところっすかね。街を一望してみたいです」

「……不可視化してこっそりとおこなうならいいぞ」

 入れ替わりが起きた場合は『伝言メッセージ』で確認するのが今は有効的だ。

 例え同一存在だとしても勝手に接続して来る事は無い、筈だ。

 根拠は無いが未だに敵方から連絡が来ないので。

 ルプスレギナに騒ぎを起こさないように厳命した後は一人で冒険者組合に向かう事になった。

 従者が居ないように見えるが不可視化したシモベの存在はちゃんと把握している。

 赤い髪の娘を連れている方がより目立つ筈だ。

 資金は渡していないので勝手な買い食いも無い。盗み食いの場合はバレなければいいけれど。

 少し心配になってきたけれど、気にしてばかりでは前に進められない。

「よし。では、行くか」

 自分に活を入れて一歩を踏み出す。

 エ・ペスペルの中は広大で壁に囲まれている事を忘れさせるほどの規模があった。

 確かに遠くに高い壁が見えるが景観にはそれほど影響していない。

 格差社会の世界のはずなので賑やかなところがあれば暗い部分もある筈だ。

 そんな事を考えながらたどり着いた先には四階建ての建物があった。

 コンクリート建築がおもで木造建築は見当たらなかったが、村よりは近代化している。

 地面はあまり舗装されていないようで凸凹でこぼこ気味だった。

 自転車や自動車などは無く、乗り物は馬車くらいか。

 飛行動物の姿は見当たらない。

「目印があっても分からないな、そういえば」

 文字の対応表を持ってきたかなと、懐に手を入れてメモ用紙を探す。

 現地の言葉は日本語と英語の両方に対応している事は分かっている。

 後は文字を変換して読み解くだけだ。

「……冒険者組合所、で、合っているな」

 文字は分からないが言葉が通じる世界というのもおかしなものだ。

 識字率の問題もあるけれど、何故会話だけ可能なのか。

 不思議なものだと思いつつ扉を開ける。


 ◆ ● ◆


 冒険者組合は昔はモンスター退治が多くあったが今は荷物運びのような『何でも屋』のような仕事が多いらしい。

 ランク分けされていて昇進するごとに危険度が増し、報酬も上がっていく。

 現在の冒険者登録数は一時期の激減により減ったようだが、今も高いランクの冒険者が仕事を求めて訪れていた。

 仕事より意見交換の場として使っている事が多いのかもしれない。

 モモンガが入った事で一時的に視線が集中するがすぐに自分達の話しに戻る。

 あまり注目されても困るけれど。

 数人でチームを組むのが基本なのか、一人だけで居る冒険者が見当たらない。

「………」

 仮面を付けてフードを頭から被った怪しい魔法使いの登場に動じないところは異世界ファンタジーらしいのかもしれない。

 一人だけ浮いた格好だと思われて笑いものにされるよりはマシだ。

 どの冒険者も顔は隠していないが戦士風、魔法使い風だと一目でわかる格好をしている。

 基本的といえば分かり易いのだが。

 事前に教えられた事が正しければ詳しい話しは受付で聞く事になっている。

 近くに冒険者が居るからといって話しかけるのは勇気が要る。

 ここは素直に専門家に聞いた方がいい。

 念のために素顔を偽装し、顔を見せろと言われた時の対策を取っておく。

 店内というか施設の中は広く、中二階のようなところがあり、そこにも冒険者が居て会話していた。

 一部の壁に顔を向けるとたくさんの紙が張られているのが見えた。おそらく依頼書だ。

 それらを眺めつつ受付にたどり着く。

 簡素なカウンターがあるだけの簡単なものだった。

「冒険者登録はまだ受け付けているか?」

「はい。登録料がかかりますが……。よろしいですか?」

「はい」

 まずは戸籍の確認の為に名乗る。

 もちろん、モモンガは王国の人間ではないので戸籍など持っていないし、後ろ盾も無い。

「キリイ・バレアレ氏の紹介なのだが……」

 そういえば紹介状などは貰っていなかった事を思い出した。

「念のためにお聞きしますが……。他の都市で登録はされましたか?」

「い、いいえ。この都市が最初です」

 いきなり失敗したらしい。それは分かった。

 罰則は無いと思われるが、後々厄介な事態になりそうな気がした。

「モモンガという名前は他にもりますので……。二つ名とかはございませんか? 無ければ新たに作っていただけると助かりますが……」

「二つ名?」

 聞いた事の無い単語にモモンガは驚く。

 それよりモモンガという名前が他にも居るとは思わなかった。

 登録されているならそれぞれ二つ名が違う筈だ。

 急に二つ名と言われても困るので仲間と相談しようか悩んだ。今のところ後方に並んでいる人間は居ないので、少しの間だけ受付に待ってもらう事にした。


 一旦、受付を離れ、物陰に移動し、ナザリックに連絡を入れる。

『二つ名ですか?』

「……モモンガが複数人居るのは意外でした」

『ありふれた名前なんですかね』

『そのまんま『死の支配者オーバーロード』は駄目ですか? 宣伝になる気がします』

「……恥ずかしい二つ名ですね。それ種族名ですよ」

 悪乗りするギルドメンバーだという事を失念していたモモンガは聞く相手を間違えたと思った。

 ここは自分で考えた方が無難ではないのか。いや、自分のネーミングセンスはあまり評判が良くない気がした。

『白骨死体ですから『白銀』はどうです? 『幼●●記』っぽく』

「まんまじゃねーか」

 というか今のはるし★ふぁーだな、後で殺そう。と、思った。適当に繋げた自分が悪いけれど、それは無視する。

 白銀でもいいのかもしれないが後半の『幼●●記』は余計だ。

 つい良い二つ名と思ったのに台無しだ。

『童貞。気弱。神経質』

「却下」

 二つ名というか欠点じゃん、それ。

 るし★ふぁーとの接続を切り、死獣天朱雀に繋ぎ直す。

『『エクリプス』はどうですか?』

「採用」

 即答した時、死獣天朱雀が苦笑したようだ。

『恐れずぶつかっていって下さい。我々がちゃんとサポートしますので』

「はい」

 自分一人で悩むより仲間に頼るのは恥ずかしいが心強い。

 ありふれた二つ名ではまた相談するハメになる。

 すぐに受付で確認を取ると採用されたので、安心した。

「それはそれとして……、お一人ですか?」

「えっ?」

 と、モモンガが振り返るとルプスレギナの姿が無い事を思い出す。というより今頃は街を高い位置から眺めている最中だ。

 二つ名の他にチーム名でもいいと教えてもらい、肉体であれば顔を真っ赤にして恥ずかしがるところだ。

「お一人でも登録は出来ますので」

「わ、分かりました。後で追加は出来ますか?」

「はい。その時は追加分の方に説明することになります。あと料金は一人分ずつです」

「分かりました。今は一人でお願いします」

 登録料は銀貨五枚相当と宿代に比べて高額だったことに驚いた。

 ちなみに文字の代読料が追加で銀貨一枚かかる。

 ただ、初めての登録のはずなのにに聞こえている。

 こういうやり取りを経験したような気分だった。

 おそらく手続きの説明も耳慣れたものに聞こえるんだろうな、と思った。そして、それは真実となる。

 長い説明が受付嬢の口からもれ出るが不思議と全て頭に入ってくる。

 疑問点も湧かないほどに。そして、懐かしささえ感じた。

「……以上でございます」

「了解しました」

 そういえば、とモモンガは気付く。

 自分の名前などの記入は全て受付嬢がおこなっていた事に。

 字が書けない人のためなのか、気づいた時に助かったと思って物凄く安心した。

 案外、代筆料込みの値段かもしれない。

 余計な手間が省けたので指摘しない事にする。もちろん、現地の文字は書けないので。

「では、冒険者組合はモモンガさんのご活躍を期待しております。メンバーカードは明日お渡ししますので、その時から依頼を受けてください」

「はい」

 『メンバーカード』を貰って登録が完了し、同時に冒険者としての証しである『プレート』を貰う。

 今日はまだ仮登録のみなので依頼自体は受けられないが他の冒険者の迷惑にならない範囲でなら依頼内容を読んでも良い事になっている。

 難関を乗り越えてモモンガは胸の内で『冒険者登録クエストクリア~!』と絶叫した。

 登録クエストはまだメンバーカードを貰っていないのでクリアした事にはならないと気付いたのは冒険者組合を出てからだ。

 もし声に出してたら赤っ恥ものだった。

 それはそれとして今日の仕事は終わった。後の時間は散策に使おうと思った。

 それとルプスレギナが悪さしていないかも気になる。

「ルプスレギナ。こちらの手続きは終わった。今、何処にいる?」

 と、伝言メッセージで問いかける。

『高い建物の屋上っす。あ、いや、屋上です。結構な広さの街で浮遊建築物や空からの監視は無いようです』

「そうか。明日まで時間が出来た。私はこのまま街を散策する。もし、ナザリックに戻るなら戻ってこい」

『畏まりました。もう少し見学したら戻ります』

 ちゃんと返事をしてくる辺り、問題は無さそうだと思った。

 一応、身の回りで監視の目が無いか探ってはいるが特に異常は感じられない。


 ◆ ● ◆


 大都市の一つ『エ・ペスペル』は外観からは想像出来ないほど広大な敷地面積を持ち、住んでいる人間の総人口は数百万人を超える。

 貴族が支配する文化を持ち、下層の人間が多く住む。

 ありふれたファンタジー観だが、その認識であっている筈だ。

 誰も居ない草原から人々の活気ある声に満ちた都市。

 最初の頃の不安が嘘のようだ。

 外に出ず、仲間やシモベの調査に怯えていた時間がとても無駄に感じられる。

「……本当に俺は何をしていたんだか……」

 自分に呆れていると現地の人間と思われる子供がモモンガに近づき、顔を覗き込もうとしてきた。

 粗末な服装だが、頬が痩せて飢えに苦しんでいるような顔ではなく、元気が有り余っているような印象を受ける。

 子供はすぐに走り去って行ったが、通りを遊び場にしているようだ。他にも数人の子供の姿が見える。

 兵士達に見守られるような事も無く、治安は悪くないのかもしれない。

 絶対は無いけれど。

 特に目標を決めずに歩いていると薄暗い通りがあったので、入ってみた。

 建物の入り口に目つきの悪そうな人間が立っているのが貧困層スラム特有の空気だが、そういう人間の姿は殆ど見かけなかった。あと、地面に人も倒れていない。

 多少、ゴミは散らかっていたが。

「………」

 狭い通路もあれば広い通路もある。

 商店街から離れているので、多くが一般住宅だと思われる。

 自分たちが住んでいた世界に多少なりとも近い部分があるので懐かしさがあった。

 あまり奥まった部分に行って怪しい人間に絡まれて騒動を起こしては本末転倒だ。

 自分は少なくともトラブルを回避する側の人間だ。見た目はアンデッドだが。

 追跡の目も気配も無いようなので大広間に戻る事にした。

 何もイベントが起きない。本来はそれが当たり前の日常の筈だ。

 変な期待をしている自覚はある。

 都合よくイベントが起きれば、それはそれでゲームとさして変わらない。

「自分で騒動を起こすようでは今までのやりとりが無駄になってしまうな」

 自己嫌悪に陥りながら広い通りに戻る。

 天気の良い日はのんびりと過ごすのも悪くない。

 というより明るい日差しを浴びたのは異世界に来てから初めてではないか、と思わせる。

 最初の頃から天気は良かったが曇りもあれば雨も降る筈だ。


 商店街まで移動し、露天に並ぶ商品を眺めているとルプスレギナが早足で駆け寄ってきた。

 もう少し自由にさせてやりたいところだが何をしでかすか分からないので今日はこのまま帰還することにする。

「何か気になるものは発見できたか?」

「いえ。特に変わったものはありませんでした。売られている商品には興味がありますけど」

 無駄遣いが出来ないので資金調達がうまく行けば何か買ってやろうとは思う。

 ナザリックに引きこもっていた時と違い、思考が安定している。

 外敵に怯えていた自分が信じられないくらいだ。

「……人々の営みの影響か……。本当にここはどういう世界なんだろうな」

 知的生命体の居る天体。

 それともまだ仮想現実の中なのか。

 考えたところで難しい事は分からない。

 ナザリックに連絡し、ルプスレギナを帰還させる。

 一人残ったモモンガは時間の許す限り、人間の営みを見学していった。

 プレイヤーらしき存在は見当たらず、また襲撃も無い。

 ギルドランク九位のメンバーを知らない他のギルドの存在も気になるところだが、怪しい風貌のプレイヤーが居るのに誰も接触してこないのは不思議な気分だった。

 この世界には『PKプレイヤーキラー』というものが無いのか。

 現実世界でも犯罪はあると思うけれど、ゲーム的な思考ばかりなので調子が悪い。

「転移した世界まで来てPKは考えすぎか……」

 そもそも『GMゲームマスター』に連絡が出来ない。

 運営の手が届かない世界で何をどう遊べというのか。

 情報も欠如しているし。

「先ほどの冒険者組合で話しを聞くのが一番か」

 というよりプレイヤーが居る可能性が高い施設ではないのか。

 一度出て行った者が急に舞い戻るのは少し恥ずかしい。

 今日は素直に帰宅すべきだ。情報の共有もしなければならないから。

 一人で奥まったところに行っても仕方が無い。

 影の悪魔シャドウ・デーモンを残し、ナザリックに帰還する。その際はもちろん物陰から追跡者が居ないか確認した上で。


 比較的のんびりと過ごしたので大層な事は無かったがレベル100のプレイヤーとしては怯えすぎだと思う。

 他に転移したプレイヤーが全員レベル100とは限らないし、たまたま巻き込まれた初心者が居ないとも限らない。

「一人で冒険者登録できるかな。クリアおめでとう!」

 第九階層の自室の大広間に仲間達を集めて説明を開始し、すぐに仲間から早速お祝いの言葉を貰い、恥ずかしくなった。

 というか、なんだそのネーミングは、と。

 似たような事を自分も考え付いたので余計に恥ずかしい。

「モモンガさんがクドクドと受け付けの人に質問攻めを浴びせると思っていたのに」

「ま、まあ今までのやり取りからはそう思われるでしょうね」

 本当に不思議だった。

 説明される言葉全てが以前にも聞いたような気がしたので特に尋ねたい事が無かった。

 平行世界とやらの影響なのか。

「鏡からは音声は聞こえないでしょうに」

「雰囲気で」

「それは凄い」

 それからエ・ペスペルで感じた事などを伝えていく。

 特に変わった事は無かったが人間達の存在が一番の驚きかもしれない。

「宇宙人と仮定して、それを地球の人達に伝えたらびっくりされるでしょうね」

「言葉が通じるし……。あの人達は何なんでしょうか」

「……あり得る展開では太古に転移した人間種のプレイヤーの子孫かな」

 と、死獣天朱雀の言葉にそれぞれ納得していく。

 確かに理屈では合っている。だが、そこには大きな壁がある。


 アバターで子孫が残せるのか。


 ゲームキャラクターでも仕様によってはエロい事が出来るかもしれない。けれども子孫を残すところはどうなのか。

 もし事実と仮定すれば住民全てがゲームキャラクターになってしまう。

 そもそも原住民は存在しない。見えているのはゲームキャラクターの仕様によって生み出された子孫たち、という線もあるわけだ。

「子孫を残す仕様なんてありました?」

「ゲームによってはあるかもね」

 と、普通に答える仲間達。

「そもそも幻想生物が存在するわけが無い。常識的に考えて」

 進化の過程というよりはゲーム設定そのものが再現された形だ。不自然としかいいようがない。

「夢を壊してはいけないけれど、仮に本物とするならばしっかりと研究したいですね」

「解剖してビックリ。やっぱりゲームキャラだった、というオチは嫌ですね」

「……確かに。持ち帰れないのは勿体ない」

「普通は出来ませんよ」

 常識で言えば仮想現実のゲームキャラクターをどうすれば現実世界に持ち込めるのか。

 と、思った時にナーベラルの言葉を思い出す。

 仮想現実の存在が地球まで行った事を。

 と、その事が浮かんだ時に精神が抑制される。つまり今のは身体に恐怖のような悪寒を感じたせいか。

 確かに非常識にも程がある。そして、それが真実だったら怖い。

「……もし、仮想現実のアバターが現実に再現されるとしたら何が考えられますか?」

「普通に考えれば『受肉じゅにく』って言葉が適切でしょうね」

 と、いとも簡単に答えるタブラ・スマラグディナ。

 しかもすんなりと納得出来る言葉に聞こえた。

 だが、この言葉には疑問も感じる。

 モモンガは骸骨だ。アンデッドモンスターが何の支障も無く顕現出来るものなのか。

 ユリとてアンデッドだし、肉体的に腐敗していれば臭かったりする筈だ。常に防腐剤を使っているわけではないし。

「物理法則の部分で矛盾がありますよね。そこはまだ分かりません。というか、人間的思考が維持されているのも不思議です」

「確かにね。特に粘体スライムが普通に喋ったりしているし」

「植物もね」

 と、手を挙げるぷにっと萌え。

「……要は新しいゲームって事なのか」

「身も蓋も無いな。夢が欲しい」

 細かいところを話し合っても実証実験もしていない今は結論は出ない。

 そう簡単に世界を解明する事は出来ないのだから気長に研究するしか無い。

動像ゴーレムもどういう動力で動いているのか」

「魔力とかだろ?」

「曖昧っすね」

 出来れば確定した結果が欲しいところだ。

 謎と言えばメイド達の排泄だが、今もおこなっていないのはおかしい。

 便秘というわけではない。

「利尿作用のありそうな炭酸を大量に飲んでも何も出ないという」

「あんまり苛めないで下さいね」

「ちなみにユリは出るそうです」

 飲食不要のアンデッドと言われているが食事は出来る。

 今まで得た情報によれば種族によって出来る者と出来ない者が居る。

 鳥人バードマンのペロロンチーノは排泄できると言っていた。だが、粘体スライムは完全に吸収してしまうらしく、何も出さないらしい。

「死獣天さんは体内で消し炭になるから黒い炭しか出ないんでしょうね」

「燃え尽きるから灰かもな」

「植物は完全に吸収しそうですね」

「吸収出来ない物は出るよ。さすがに金属そのものは食べたくないな」

「皆さん、あまり危険な実験はしないで下さいよ」

「小さい所からやっているから。もちろん、安全を考慮して」

 確かに大きな事故は聞かないけれど、モモンガはそれぞれの意見を聞くたびに驚いて、中には精神が抑制されるほどになった。

 メイド達を利用するのも大事な事だからかもしれない。けれども苛めにならない範囲でおこなってほしいと思った。

 ぶくぶく茶釜も協力しているところは驚くが。

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