耳塞の章

第43話 予感

 すべてが偶然の出会いではなかった。偶然の再会でもなかった。


 僕にとってここは、通過の一ヶ所にすぎないか、それとも最後の街になるのか。この街にいる一年間で、僕は決めなければならない。天使のままでいるか、神になるか、人間として生まれ変わるか。

 天使のままでいるのが一番楽だろう。これまでと同じ仕事をすればいいのだから。気配を感じ、街を巡回して「玉」の成長を見守る。「玉」を飲み込んで、呼ばれたときに神様が取り出してくれる。これまでと変わらぬ毎日。

 神になったらどうだろう。あの、ただただ広いところで下界を見守り、天使を呼び出して「玉」を受け取る。そして、天使を創る。人の願いを聞き入れるでもなく、自らで動くでもなく、万能ではない神。おそらく、変わらぬ毎日。

 片瞳は言った。『僕がいなければ、神がいなければ、この世界はとっくに壊れていた。傷ついた猫たちだけでなく、僕もちゃんと見守っている。ただそこにいて寄り添うことで、人々を、この世界を守っている』と。

 彼は言った。『僕がいなければ、世界はとっくに破滅していたかもしれない』と。

 人間になっても同じなのだろう。寝て、起きて、食事を摂り、職場や学校へ行く。帰ってきたらまた眠る。変わらぬ毎日。

 だけど……人は夢を持ち、希望を抱く。カノウ先生は、他のものに力を注いでいた。サユリは将来を見据えて、自分の考えを貫いていた。アカネはたとえ親に捨てられても、他の者に守られて生きていた。マスターは本当にやりたい仕事を選び、良い父親であろうとしている。

 やがて終わりが来るとわかっていても。


 そういえば、DJをしている天使がいると言っていた。僕ももっと、積極的に人間と関われば良かったのだろうか。


   DJ天使は、何のために働いているのだろう?

   僕も働けばいいのか?


 いや、違う気がする。僕はそうしたいとは思わない。半世紀という時間をかけて僕は何を学び、何を得たのだろう。これまでの日々は、僕にとってどんな意味があったというのか。


   一年後、僕は決断しなければならない。



 最後になるかもしれない部屋にも、街の正確な縮尺模型が置かれていた。とりあえず一年間は、天使の仕事を続けなければならないから。ここへ移ってきて、すでに三月が経っている。僕はこれまで通りの行動を続けている。「玉」の気配は、ときどき体にくっついてくる。そして、模型の中に一つ「玉」ができた。しかも、とげがある。

 黒羽から渡された六色の「玉」はカーテンの布に包んだまま、模型の中の僕の住むマンションの上に置いている。新しい「玉」は近くにある公園にできた。

 部屋の窓には真新しいカーテンが掛かっている。鮮やかな緑色、形の定まらない筆書きのような柄で、遮光の分厚いものだ。夜だろうが昼間だろうが、閉めてしまえば外界の光を完全にシャットアウトする。陽の光も月明かりも入らない部屋にいると、ここだけが別世界に感じる。僕自身の存在までもが、闇に包まれて消えてしまいそうだ。唯一、小さな「玉」の光がそれを食い止めてくれている。


 小さなとげとげの「玉」のできた公園に行くと、必ずと言っていいほど、一人の男性と顔を合わせた。彼は老人というには少し失礼な年齢で、朝だろうが昼だろうが、夕方だろうが、彼に会った。さすがに真夜中にはないが。毎日毎日、その男性が一日中公園にいるとは考えにくい。相当に縁があるのだと思えた。

 会釈から始まり、天候について一言二言会話を交わした。最近では、男性が読んでいる本の話や世間話をする間柄にまでなった。名前をマキノさんという。僕は『アマツカ』と名乗った。

 その公園に居着いている猫がいるらしく、マキノさんは食べ物をあげたりおもちゃで遊んだり、一緒にひなたぼっこをするそうだ。『猫』というキーワードをほっとけず、僕も足繁く通っている。だけど、未だに猫には会えてない。


 昼過ぎ、今日こそはと公園へ向かった。いつもと同じベンチに座って、マキノさんは図書館で借りた単行本を読んでいた。キンモクセイの甘い香りが漂う十月上旬。心地良い秋の陽射しが降りそそぐ、日向ぼっこには絶好の日だ。

「こんにちは」

 僕はマキノさんに声をかけた。猫はいないようだ。視線を外した僕に、マキノさんは言った。

「こんにちは。ついさっきまでここに居たんだがね。すれ違いだ」

「残念」

「猫が好きなんだねえ」

「え? ええ、まあ」

 マキノさんの問いかけに僕は戸惑い、どもってしまった。嫌いなわけではないが、好きということでもない。予感というか、期待というか、とにかく『猫』というキーワードをほっとけないだけ。

「明日の朝、七時半くらいにまたおいで。猫と一緒に待ってるよ。そのあと、モーニングを食べにいこう」

 マキノさんの提案を、僕は素直に受け入れた。夜は、これまで出会った猫たちのことを一匹ずつ思い出しながら眠った。

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