明太子プロパガンダ

たかた ちひろ

第1話

明太子。それは人によってはかなり魅力的な食材の一つではなかろうか。

スケトウダラの卵巣であるたらこを、唐辛子など香辛料で漬け込んで皮詰めにしたもの。いわゆる魚卵の一種。

辞書的に言ってしまえばそれだけだが、そんな言葉では語り尽くせぬなにかを明太子は持つ。

そしてそれは、多くの人を虜にしている。多少値が張ったとしても財布に余裕があるときはついつい手が伸びて、買って帰った暁にはちょっと心躍る気分。冷蔵庫にあるとそれだけで重宝するし、なんだか機嫌もよくなる。

中でも博多のものは絶品だ。ご飯やパスタにも合えば、少し炙って酒の肴にも。まさに万能食材、明太子。

かく言う私もその明太子に虜にされる1人、いや人よりずっと魅了されすぎてしまった1人。

つまるところ、そんな私が行き着いた先は、明太子に関わる仕事だった。

とは言っても、鱈を取る漁師でもなければ、その関係者でもない。はたまた工場で詰め作業をする職でも。

私の仕事は、デパートの移動店舗に出張っていって宣伝をすること。組織の末端も末端。

週に5回、開店からほとんどの場合閉店か売り切れになるまで看板と拡声器を片手ずつ持って声を張る。そんな仕事だ。

「博多直送の明太子の販売を行っています。ご飯によし、麺によし、と何にでも合いますよ。博多の明太子はいかがですかー!」

と、こんなもん。

始めた頃は、機械的に原稿テンプレを読み上げて繰り返すだけだったのだが途中で気を入れ替えた。マネージャーに気が入っていないと叱られて首が涼しくなったのと、自分でも思うところがあったのと。

私が声を出しているだけの宣伝なんてなんの効果もないと思っていたのだが、試しに数えてみたら買ってくれたかはともかく、覗いてくれた人は声出しをしている時の方がずっと多かった。それに、リピーターになってくれた客の「美味しかった」という言葉はやっぱり嬉しいものだ。

無論、その言葉はたいてい私にではなく、実際に量り売りをしている漁師の奥様方に向けられたものであるけれど。それでも私の宣伝のおかげで買ってもらえたと考えれば、十分なやりがいになる。

仕事は中々の重労働なのだが(主に喉が)、職場での待遇は基本的に悪くない。

奥様方は従業員の中では際立って若い私を、我が子のように思ってくれているらしい。いつも差し入れのお菓子や喉を気遣って飴を持ってきてくれる。これにはさすがの私も申し訳なくなって、一度受け取るのを遠慮したら、次の日その方が風邪を引いて休んだ。以来、私に差し入れを行うのは健康祈願にもなるとか尾びれまでついて。今や、出勤日のたびに必ずなにかを貰っている。嬉しいのやら、困るのやら。

それを別にして、なにか職場で大きな問題があるとするなら、それは現場マネージャーである寺島さんの存在だろうか。普段はあまり現場に現れることもないのに、たまに出てきては訳のわからない横文字や固い言葉を立て並べては叱りつけては得意顔で帰っていく「無能上司」。その態度は当然のように奥様方に好かれるわけもなく、絶賛ヘイトの溜まり場である。

「あなた方は、フルで課題にコミットメントしていますか。売り上げが伸びていません、責任は取れるのですか」と。こんな風なことを、早口でまくし立てるように言うのだ。しかも、身振り手振りのおまけ付きだ。これがまた鼻にかけて言うので、癪にさわる。言われると分かって、身構えていても腹が立つ。

さらにタチが悪いことには、彼は具体的な解決方法を示してくれない。様々な指摘はするけれど、それすらも抽象的で曖昧模糊。だから叱られる内容はいつまで経っても進歩しない。現場で販売方法を変えるなど工夫をしても、結局言われることは同じことだ。

「あなた方はスキルのブラッシュアップが足りない。とくに足立さん」

いつもこう。なにをどう技能を磨き上げればいいのやら。

「問題に対する意識があるのですか」

意識はある。けれど、解決する術は持ち得ていない。

「各々の割り振られた仕事を最低限こなすだけではなく、相乗効果を生まなければなりません」

ただ売るだけの仕事に、相乗効果などどうすれば生まれるのか。

「足立さん、聞いているのですか。聞くことすら出来ないから、あなたはいけない。もう一度言います、聞いていますか」

「……!」

と、私はここで漸くその問いが自分に対するものだと気づく。

今まさに寺島さんによる終礼兼ミーティングが、客のいなくなって静かなデパートの一角で行われていたのだった。聞くのが退屈すぎて、返事をするのを忘れて考え込んでしまっていた。

「はい、聞いています」

慌てて返事をする。努めて大きな声でだ。ここを耐え抜けば、今日の仕事は終わる。周りの奥様方もそれをご所望だろう。

寺島さんに不快と思われないよう、真っ直ぐに真面目な顔を作ってその目を見返した。

「では、私が言ったことを繰り返してもらえますか。ちゃんと聞いていたのなら、答えられるでしょう」

「……相乗効果を生んで仕事レベルを向上、えとインプローブさせる、でしょうか」

全く聞いていなかったので、相乗効果という単語以外は適当な言葉の繋ぎ合わせである。だが、

「よいでしょう。では引き続き、よい明太子プロパガンダに励んでください」

「はい」

彼はそんな付け焼き刃に大層満足してくれたようだった。最近、頻繁に口にする「明太子プロパガンダ」というちぐはぐな和英造語で私への質問を締める。

「では、今日は解散にします。明日はブラックフライデーです。シフトに入っている人はより一層気を引き締めて臨んでください。以上です」

寺島さんがその場を離れて行ってから、私はほっとため息をつく。変に糾弾されずに済んで良かったのため息だ。

奥様方に一通り気にしなくていいのよ、と声を掛けられてから少し世間話をする。

ミーティングの意味は分かったが、その他コミットメントやプロパガンダの意味は分からなかったのだそう。ちなみに私もブラックフライデーの意味は分からなかった。

よしんばまともなことを言っていたのだとして、相手に伝わっていないのだからやはり彼の言葉は現場にとって意味を為さない。

寺島さんはきっと自分に言い聞かせているのだ。僕はこんなことを言えた!すごい!と、そういう満足に他人の受け取り方は不問である。言われるだけ言われるこっちの身にもなって欲しいものなのだけど、それは彼には土台無理な相談だ。

そんな半分以上が悪口の世間話が終わると、やっとこさ退勤である。

いつもは真っ直ぐに家まで向かうのだけど、今日は帰り道途中コンビニで酒を買って帰った。元来から酒豪でもなく、どちらかといえば下戸。普段はほとんど飲まないのだが、たまに飲んで嫌なことを忘れるくらいなら酒は心地よいと思っている類だ。

耐えざるを得ないもの。上司の愚痴と、理不尽に思える説教。分かってはいる、されど、腹の底からじわりと煮え上がってくるものは私の中にも確かにあって。そんなどこにもぶつけることのできない感情を逃がしてやるアテを欲していた。

家に帰り早速、酒の席に着く。現在は一人暮らし、誰も私の晩酌には付き合ってくれない。絶賛ひとり酒だ。

安い缶の酎ハイとビールとを2本空けたところで、気分は上々。ゆっくり飲むのが私流。会社やデパートの飲み会では、こんなことはできないから家飲みは外とはまた違った楽しみがある。飲み進めていけば、嫌なことは頭からその姿を薄れさせてゆき、なにというわけでもないけれど楽しい気分が降りてくる。

つまみとして一緒に買った米菓子を噛んで、今度は駅前の屋台で衝動買いしてしまったたこ焼きを楊枝で刺したら、もう頂点だ。カリッとした音に至福すら感じる。

また、たこ焼きと酒はよく合う。

口に含んだソースの残り香とビールの麦の香りに思いを遣って、ひとつ噛む。

しかし、落とし穴はここにあった。思わぬほどの中身の熱さで舌を焼かれ、一飛びで現実に引き戻された。

一気にしらけたひとり酒の席、また嫌悪を覚える感覚が返ってくる。押し戻すため、私は缶に残っていたアルコールを一息に入れる。飲み込むたびに、また気持ちよさが私の身体を包み込んでいくのが酔った頭にも分かった。

酔うというのは、適度なら気持ちがよい。

それは酒だけじゃない、総て人はある程度酔っていないと生きられない生き物なのかもしれない。

寺島さん然り。


一通り酔ったあと落ち着くのを待って、今朝残していった洗い物を済ませにかかる。湯飲みやパンを乗せた平皿、朝洗うのは実に面倒で大抵の場合置いたまま家を出てしまう。一人暮らしの私の食器を洗ってくれる人はもちろんいない。帰ったら、匂いだけきつくなった皿がそのままシンクに残っている。

そうなると、匂いには敏感な私は否が応でも洗わなければ気が済まない。だからだろうか夜は抵抗なく、洗い物にかかることができる。

ナプキンで食器を拭いたら、皿洗いは終わり。次は挿し花の水の入れ替えだ。

元々自分で育てようと思って買ったわけじゃない。今日みたく苛ついていた一月ほど前、気まぐれに寄ったデパートのケーキ屋で貰ったものだ。この季節だのに、水仙などではなくカーネーション。

カーネーションといえば、普通は母の日に贈る花だ。疲れた私が老けて見えたのかと初めは思ったが、どうもそうではなく、来客全員に配っていたらしい。

そうして貰ったは良いが、そのまま置いていてはすぐに枯らしてしまう。

いつもなら気にも留めないのだが、その時は違った。仕事でうまくいっていなかったこともあった。自分が切られたとも知らず美しく咲くその赤い花が、どうも私に似ているように思えて感情移入してしまった。

このまま枯らすのは、あまりに不憫だ。花瓶などない我が家なので、背丈の高いビールグラスに刺して置いて、今もそこにある。

その甲斐なのかもう一月も経つのに、まだ枯れてはいない。

だが根が無い以上、そう長くは持たない。まだ枯れていないとはいえ、萼や花弁はすでに茶色くくすみ始めている。持って正月までだろう。その持って、をどこに定めるかによっても変わってくるけれど。

たとえば今の少し茶色くなり出した時点で、「枯れている」と捨ててしまう人もいると思う。逆に、ぎりぎり花が落ちるまで「枯れている」としない人もいるだろう。

その辺は個人の感覚の問題だ。

私はどちら側だろうか。どっちつかず、そんな基準は持ち合わせていない。分かるのは、今はまだ枯れていないということだけだ。

水を替えたら、逆らい難い睡魔が襲ってきて私は寝ることにした。酔い加減のことがあったから、風呂に入るのは明日の朝でいいと思った。幸いにも次の日は休みだった。






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