8:開翼―Emergeast―

 影で塗り固められた槍『旭光のラーンソー』を見せるように、黒騎士の右腕は横へ向けられた。背部のマントが吹き抜ける風で靡く。その姿こそ正道の騎士でなくとも、確かにそのシルエットは主の願いを叶えようとする騎士の姿だ。

 民衆を守るように立ちはだかる黒騎士を目にし、タスクはニンマリと笑み、カルパは苛立ちと焦燥に駆られる。


『クソッ、開きなお——』


 悪態は途切れざるおえなかった。

 武器を無防備に構えていたラグナスであったが、次の瞬間には彼の言葉を待つことなく前進を始めていたからだ。

 既に何度も踏みつけられている家屋の悲鳴など聞こえぬように、その一歩には躊躇いはない。


「ラグナス。これ以上、この国の人達に迷惑をかけちゃダメ。どうにかして国の外へ引き摺り出す」

「術はどうする——翼だと? フルギーロを使えと言うのか」


 前進の間。ルナリアはその考えを形にする方法を見つけていた。

 意識の共有ゆえにその思考を覗き得たラグナスは、その方法の不完全さに不安を抱く。何せそれは、一度だけラグナスが人の姿のまま使った赤い翼。

 彼自身、あの翼の弊害は一番に理解している。


「お前も知ってるはずだ。あれは体力を消費する。外へ追いやったとしても、そこから戦えるか否か……」

「やれるよ。私と、あなたなら」


 ルナリアはあくまでその言葉を翻さない。根拠があるわけでもない。彼女に確信などあるわけがない。

 それでも前へ進む覚悟は、願いに呼応する黒騎士の躊躇いを正させるには十分だ。


「……仕方がない。では――いくぞッ!」


 動きは更に加速する。再び殴り掛かるようにその右腕の槍を振り上げる。

 斧を失い対抗する術を無くしたゴノギュラは、無謀と知りつつもその両手で受け止めようと構えてみせる。


『見せてやれよ意地をよォ!!』


 ゼクタウトの猛攻を受けてもなお稼働できるゴノギュラの耐久性は驚愕に値するものだ。

 その堅牢性と安定性は随一。

 加えて、そこにカルパの腕が入る。感情の起伏こそ激しいものの、彼のセンスは圧倒的にイレギュラーである二機に追随する。


「だから……あなたはその選択を、するッ!!」


 それゆえに——ルナリア・レガリシアは、その悪党の性格と技量を信じていた。


「ッ!」

『グゥッ!?』


 大きな一歩と共にその槍は開けた両手の中へ。回転もない。ただ一途な一撃を受け止め、僅かに下がるゴノギュラ。

 そう——下がった。両手を塞がれ、踏ん張りも失った。その巨体を動かすだけの一撃を、たった一回で終わらせるわけにはいかない。


「——開き」


 一撃の最中、少女の口が紡ぐ。

 刹那、黒騎士の羽織る影のマントは赤き光に還元され霧散する。


「——重ね」


 二言目。少女の瞳の赤が更に眩く光る。

 霧散した光は黒騎士の背面へ吸収される。マントを収納したように見えるだろう。

 踏み出した右足は更に強く大地を打ち、屈伸運動と共にその土煙を巻き起こす。


羽撃はばたけッ——!!」


 三つの願いが重なる。なれば、その騎士はその願いを叶えるためにそれを形にする。

 消えたマント。その代わりに吹き出すは二つの赤い噴流。人間でいう肩甲骨とも言える部位から、光が噴水のように噴き出した。


「血、か……?」


 その光景を見たガンツが案ずるように呟く。

 確かに光は赤く、液体のように噴き出るその様は人の血液のように見えるだろう。

 だが——隣にいたマナナはその二つの光の流れをこう形容する。


「あれは……赤い、翼!」

「——フルッ、ギーロォッ!!」


 甲高い声を張り上げた修道女は、古代の言葉で『翼』を意味するその願いを具現化する。

 それに呼応するは仮面の黒騎士。噴き出た二つの光はゴノギュラへ与える勢いを生む。であれば——自ずと、足が浮いたゴノギュラは槍を受け止めながら宙へ連れ攫われるしかない。


『な、なんじゃっトォォォォ——ッ!?』

「やぁぁぁぁァァァァァァァッ!!」


 風を押しやるように。この世界を全て踏み台にするように。噴き出た翼はラグナスに飛翔の奇跡を与え、穿つ槍と共に牛男を連れて突き進む。

 進む方向には朝日——国の東、その外へと。


『ハッハッハッハッ!! さっすがラグの兄貴! それにルナ! さいっこーにデタラメだな!!』


 傍観していたゼクタウトの中にいたタスクは心の底から笑い、手を叩いては少女と騎士を賞賛する。

 自分にはできない、ゴノギュラを国の外へと追いやるという行いを彼らはして見せた。だから笑うしかない。笑うしかない、が。


『ヘヘッ……負けてられないな!』


 蜘蛛を模した六つ目が赤く光る。少年の負けん気にゼクタウトもまた応えようとする。

 飛翔はできない。しかし跳躍はできる——ゼクダウトに与えられた力を使い、彼もまた朝日へ向かう。

 誰もが傷つかない。国の外へと。



     【◆】



『な、なんじゃっトォォォォ——ッ!?』

「あーらら……派手にやられちゃったね、まぁ」


 悪魔のような騎士が赤い翼を噴出して空を飛ぶ——そしてこの国を蹂躙していた悪鬼、ゴノギュラはそれに連れられて空を飛ぶ。

 そのような光景と、カルパに与えていた無線機から響く情けない声を聞いてソルティは呆れ笑う。

 必然の光景ではあった。ソルティは知っている。ゴノギュラは確かに堅牢な機体だが所詮は量産機であるということを。しかも作業用としてデチューンされていることも。

 それでも、あの二機を相手して未だ戦えるカルパに感銘を覚えていた。


「さーってと——」

「う、動くなっ!」


 道のど真ん中。朝焼けを浴びるように背伸びをするソルティに声を張り上げる少女が一人。

 黒いポニーテール。ボーイッシュな服装に対して可憐な輪郭。だというのに力強く睨もうとするそのいじらしさ——マナナをそう分析したソルティは、その言葉に反してストレッチを始める。


「動くなって……無理よ。だって私、生きてるんだから」

「そ、そういう意味じゃないっす!」

「あー……可憐な見た目なのに、その口調はナンセンスね。やめておいた方が良いわよ? あなた、私ぐらいの歳になればきっと美人さんになるから」

「なっ……なっ、な——ッ!?」


 思いがけない賛美にマナナは動揺して、その赤らんだ頬を手で隠そうとする。

 金髪の傭兵は紙タバコを吸い、ふぅっと朝日に煙を浮かばせる。


「ルナリアちゃんが高嶺の花のような美人さんになるなら、あなたは草原の中の大輪の花になるでしょうね」

「そ、それと今は関係ないっすから!」

「あらら、ごめんなさい。私、将来性のある子を評価しちゃいたくなる悪癖があってね。ついつい褒めちゃった」


 てへっと言わんばかりにウィンクをするソルティにマナナの視線は揺らいでしまう。その戯けた様子が敵意を奪うのだ。

 ソルティの群青の瞳はその隙を見逃さない。


「だから——私はこう言うわ。下がりなさい・・・・・・。じゃないと私、花を摘み取ってしまうから」

「えっ……?」


 マナナは呆けた声を上げるが、次の瞬間に目の隅に移ったのは光であった。青い、綺麗な光。問題はそれが下から見えているという事実。

 ソルティを中心とし、その青い光線が円形の陣を描いていた。


「こ、これって……ルナさんと同じ、の?」


 マナナは一度だけ見た、ルナリアのラグナス召喚の様子を思い出す。あの時にも、光が陣を描いてそこから黒騎士のような魔人機が現れた。

 あの時と違うのは光の色と、その円陣の中の紋様。ルナリアのが円を重ね瞳を模しているに対し、ソルティのは十字が描かれている。


「ほら、下がりなさい。この魔法陣より出でるは闘争を好む獣よ」

「くっ……」


 その言葉がハッタリではないと、その瞳の強さで気づいた少女は唇を噛みながらも走り退く。

 青い円陣が広がっていく。女を中心とし直径およそ十五メートル。ルナリアの物よりも少し大きな魔法陣はその大きさに至って動きを止めた。


「さて——」


 紙タバコを捨て、傭兵はその夜に向かう青空のような瞳を輝かせる。


「聖域よ、拓け」


 その言葉はキッカケであり、彼女の光る双眼に呼応するかのように魔法陣もまた爛々と輝きだす。


「我が呼ぶは女神の揺り篭。微睡みと安寧を守る黒き閃光。光を秘める魔人なる獣」


 それは魔法陣の底に眠る彼女の魔人機を示す文言。

 女神を守る揺り篭にして安寧の使者。黒き肢体に秘めるは光であるという獣。

 静かな揺れと共に、ソルティはゆっくりと前へ進む。厳かに神秘さを思わせる佇まいに、外へと逃れたマナナや周囲の国民を言葉を失う。


「聖道の名の下に……その名を呼ぼう」


 彼女の紡ぐ言葉はあまりにも透き通っていた。教会の聖堂に響き渡る讃美歌のように、もしくは神父が与える洗礼の言葉のように。

 ゆえに、彼女を止めようとする勇気ある者はいなかった。その行為が罰当たりであると、そう無意識化で認識してしまうのだから。


「巫女の御言葉に従え――」


 カーキ色のジャケットが魔法陣が浮かぶ風で揺らめく。濁った金色が僅かに煌きを見せる。その青い瞳が次に紡ぐ言葉を待つように瞬いた。


「来なさい、カタルシスッ!!」


 刹那、魔法陣の中にあった木造の家屋が浮かび崩れる。下から――大地の内から、何かが浮上する。

 それは巨大な――肉を持った漆黒。横長い肢体。仮面を被ったかのような横顔。閉じた口元から見える小さな牙と、仮面の穴から覗かせる鋭利な黄色の瞳。

 四足の機械の義足が大地を抉る。魔人機……と形容するには難しい獣がそこにいた。


「おはよう、カタルシス」


 ソルティは振り返り、その獣を見上げる。自分を呼んだ主人を認めた魔獣は、その頭を垂れ平伏の意志を示して見せる。それを良しとし、ソルティはその頭の先へ向かう。

 生きている。この魔獣なる機械は、確かに自我を持って女に反応をした。その事実がゼクタウトを整備しているガンツにとってはあまりにも非常識的に見える。


「生きている……機械」


 タスクはゼクタウトを生きていると言っていたことを思い出していた。整備をするガンツにとって、その機械の肉体は無機物であり生命とは思えない。

 それでも目の前の、明らかに機械である雰囲気を持つというのに脈動を感じさせる肢体を持つ獣を見てしまえば、同じ魔人機であるゼクタウトも生きているのではないかという自信を得てしまう。

 巨体は見上げるマナナを支えながら少し震えていた。恐怖ではなく、その機械の生命に。


「さて――行きましょうか!」


 カタルシスの胸部にある宝玉は開き、その中にある操縦席へと乗り込んだ。彼女が二つある操縦桿を握ると、水色の宝石の壁は閉まり、代わりに獣が見る外の光景をクリアに映した。

 豪奢な装飾を胸に付けた黒の獣は、主人の意志を乗せて西へと跳躍してみせた。生物的な四足による跳躍は優美に弧を描く。

 後に残されたのは、暴力的な風と落ちてくる土煙、ボロボロになった木材、そして国の内から彼らの戦いの行く末を傍観するしかできない人々だけであった。

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起源回帰のラグナス 紅葉紅葉 @inm01_nagisa

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