「■■……■■ィィ……」

 しんしんと降る雪が、月光に淡く輝く夜――A市の街中に建つ元テナントビル、五階の一室のソファーで、赤帽鬼レッドキャップが怒りに哭いた。

 その手には、自らを貫いていた剣が固く握り締められている。とっくに傷は癒えたというのに、その眼には煮えたぎるような怒りの炎が燃えていた。


 昼間の校舎の方が建物としての規模は大きかったが、実際のところこのビルこそが彼の本拠地だった。

 下階には、彼が従える猿のフィンブルキヒサルたちが余さず控えさせられている。その数は、校舎で殺されたものよりも遥かに多い。

 不快な虫どもに後れを取るような油断は、もはや彼には存在しない。


 暗黒地帯において、人型フィンブルはヒエラルキーの頂点に立つ存在である。

 高い知能と戦闘能力。そして、獣たちを従わせる魔性の声。

 繁殖力では他に大きく劣るものの、彼らの存在なくしてフィンブルたちの侵攻はなかった。


 生まれながらにして他を統べ、虐げ、貪ることを許された王者。自分たちこそが世界のルールであると、赤帽鬼レッドキャップは理解している。

 そんな彼にとって、先刻受けた屈辱は大きかった。


 配下を失った代わりに手に入れた、四つの新しい玩具オモチャ――そのうち三つを早々にしまい、ようやく生かさず殺さずの加減が分かってきたところだったというのに、あの外来の害虫どもが全て台無しにしてくれたのだ。


 愚かにも王に歯を立てた罪は、苦しみをもって償わせなければならない。

 奴らがここまで追ってくるのならば、数の力と張り巡らせた罠によって蹂躙じゅうりんしてやろう。

 追ってこないならば手下の猿どもに探させ、こちらからじわじわと追い詰めてくれる。

 今度はうまくやる。すぐには壊さず、長い間楽しめるように。

 爪を剥がし、四肢を潰し、髪を毟り、目玉を抉り、血を啜り、それから――

 


 突然の轟音ブルルルルルルルルルルル!!!衝撃ゴガガガガガガガガガガガ!!!

――心臓が止まるような感覚を、赤帽鬼は味わった。


「■■■ー!」「■■■ッ!?」

 床と壁から伝わる振動。下階の猿たちの悲鳴。

 直感が告げる悪夢のごとき答え――ビルが崩れる!!


「■■ィッ……!!」

 絞り出すような情けない声を上げながら、赤帽鬼は窓を蹴破って外へと出た。

 その一瞬後、ビルはまるで撃ち抜き損なったダルマ落としのごとく根元ねもとから倒壊し、瓦礫の山と化して多くの猿たちを生き埋めにした。


 雪の積もる夜の路上に、鬼が降り立つ。四つのシルエットが、彼を囲っていた。


「全く……僕らは一応、この土地を取り戻すために戦ってるんだぞ? 建物を壊してどうする」

 マスクをつけた背の高い影――聖二せいじ

 覗き返した者に畏怖を刻み付ける、金色に輝くバジリスクの双眸。


「いーじゃん、雑魚をだいぶ減らせたんだから。まだ記録付けてないよな? ……よお、また会ったな」

 巨大な武器を掲げる影――陽彦はるひこ

 挑発的で生意気な若狼ウルフマンの笑み。


「ふふ、人型さんを狩ればわたしたちはみーんなハッピーになれるのです。だから、大人しく殺されてくださいね♪」

 飛び跳ねる影――愛海あみ

 殺戮に愉しみを見出す、怪物フィンブルよりもよほど狂った怪物ヴァムピーラの舞踏。


「逃がさない」

 禍々しい翼を背負う影――深雪みゆき

 死の運命を宣告するかのごとき、天使ホムンクルスの囁き。


フィンブルお前らワイルドハントおれら、狩る側狩られる側がどっちか教えてやるよ」

 カチリ、と音がする――聖二が記録端末を起動した。


 憤怒の形相を浮かべながら、赤帽鬼は握ったままだった剣を構える。

 ■■■――声にもならない怪音が、鬼の喉から響いた。

 周囲の建物の陰から、あるいは瓦礫の隙間から、生き残った数十匹のキヒサルたちが目を光らせた。


 四つの影と、怪物の群れとが、一斉に動き出した。


 ※※※


 プシュッ、プシュッ、パシュン、と軽快な音を立てて、死の毒針が聖二のライフルから放たれる。

 赤帽鬼は素早く横へと駆けてこれを回避――うち一発が掠め、左腕を軽い痺れが襲った。

 効き目の悪さに聖二が舌打ちする。恐らく鬼は、聖二の毒に耐性があった。


「鬼さん、こ~ちらっ♪」

 回避方向に待ち構えた愛海が全身に棘を生やし、迫りくる鬼を抱きしめようとする。

 鬼は豹のような身のこなしでこれを躱し、右腕一本で剣を振るった。

「■■ィッ!」

「きゃあっ!」

 刃が左足を切り落とし、更に勢いのまま放ったタックルが愛海を弾き飛ばす。


 鬼が指笛を吹いた。人の頭ほどもある瓦礫や、折れた鉄骨を手にしたキヒサルたちが、尻餅をついた愛海へと一斉に飛びかかる。

 聖二がライフルで三匹、四匹と撃ち落とすが、勢いが止まらない。毒を撃ち込まれた個体を肉の盾にしながら、残る七匹が迫る。


「任せて」

 ふわりと、深雪が立ちはだかった。背に生えた巨大な翼

――否、それは翼ではなくだった。

 頭を砕かれ絶命したフィンブルの死体や千切り取られた手足が繋ぎ合わされ、地獄めいたモニュメント芸術をかたどっているのだ

――それを、横から大きく薙いだ。長大なリーチが、七匹の敵全てを捉えた。


 弾き飛ばされた三匹は幸運だった。肉塊を構成する腕々が蠢き、残る四体をもみくちゃにする。

 そのうち二匹は全身の関節を逆さに折り曲げられ、再生の許容量を超えてショック死した。


 一番不幸なのは残りの二匹だった。深雪のうなじから白い線維状のものが蛇のようにうねりながら飛び出し、四体の頸椎に突き刺さった。

 まだ息のある二体はキィッ、と短く悲鳴を上げ、痙攣する。

 糸が猿たちの身体を巻き上げ、肉塊へと引き込んだ。

 翼の体積が一回り大きくなった。


 深雪の持つ特性――髪の下に隠された神経線維を突き刺すことで、生体・死体を問わず肉体を占領ジャックすることができる。

 生きたまま刺されたものは思考をそのままに身体の制御コントロール権だけを奪われ、深雪が神経を掻き回して絶命させてくれるまでの間、絶え間ない苦痛を味わい続ける。


「■、■■■ッ……!」

 そのおぞましさにキヒサルたちが怯んだ。だが怒れる赤帽鬼の指笛が、猿たちを急かしつける。


 電動刃の歯ぎしりギャリリリリリリリ!!――鬼の懐に飛び込んだ陽彦が、大上段から得物を叩きつけた。

 鬼は間一髪で後ずさって回避し、足元の瓦礫が巻き上がって二人を襲う。


 先の戦いの再現――だが、今度は鬼も怯まなかった。本能のままに打ち込む鋭い剣で、陽彦の体勢を崩す。


 キヒサルたちがそこに殺到しようとした。深雪のフォローも、聖二の狙撃も間に合わない。


 人型フィンブルの魔声は死の恐怖すらも塗り替え、命令を遂行させる。

 第一波は陽彦の振るう刃に裂かれて死ぬだろう。だが、一拍遅れてくる第二波、第三波に、陽彦は武器を合わせられない。

 そのはずだった。


「死ね雑魚ども」

 バランスを乱しながらも、陽彦はチェーンソーを振りかぶる。反応できた赤帽鬼だけが、その瞬間身を屈めていた。

 カチッ、というボタン操作音。武器をスイングする。


 半径十メートル内に迫っていたキヒサルたちが、一瞬で横一文字に両断された。見えざる死神が、大鎌を振り回した後のようだった。


 ヒュン、ヒュンと風を切る音とともに、鋼色の線が空中をおどる。

 鏖殺おうさつチェーンソーを構成していた刃の一つ一つを、ワイヤーで連結したような鞭状のブレード――陽彦はこれを蛇腹じゃばらモードと呼んでいた。


 取り回しを捨てて奇襲性を高めた、一度きりの切り札だ。扱いが難しくて味方や自分に当たりやすい上、すぐには元に戻せない。

 だが、このままケリをつければ関係なかった。


 屈み込んだ鬼に向けて蛇腹を振るう。鬼の剣がそれを受けた。

 ギリリリリッ、と火花を散らしながら巻き付くが、切断には至らない。やはり破壊力では普段使いに大きく劣るが、それで十分だった。


 互いの武器が絡みあい膠着こうちゃくする。鬼は自分の側に引き寄せようと剣を引いた。

 陽彦は一瞬だけその綱引きに付き合い、それからすぐに武器を手放した。


「――■■ャッ!?」

 勢いのまま、鬼が後ろにどさりと倒れる。決定的な隙。陽彦は稲妻のように素早く駆け、鬼の上に跨った。そして拳を固め、にいっ、と笑った。


「オラァッ!!」

「■■ャァ!?」

 鬼の顔面に渾身の右ストレートを入れる。

 地面に頭が打ち付けられ、ボールのようにバウンドした。

 とても次を叩き込みやすい高さだった。


「らぁっ! オラッ!」

「■■ャァ! ■■■ャァァ!!」

 二発、三発と追撃する。指の骨が砕ける感覚。構わずに殴り続けた。


 アドレナリンが巡る――暴力の快さと、そんな自身への嫌悪が心に渦巻く。

 時間の感覚が鈍化――透明な泥の中に居るよう。周囲がよく見える。

 聖二せいじが撃つ。愛海あみが貫く。深雪みゆきじる――猿どもの邪魔が入らないように援護フォローしてくれていた。


 手の骨が再生する。鬼の頭骨が再生する。まだまだ殴れるのが嬉しくて仕方ない。気持ち悪い。


 拳を打ち下ろす。殴り返してくる赤帽鬼――左側が見えない。耳が聞こえない。

 殴り、殴られ、殴り、殴られる。力は相手の方が強い。さすがに人型と感心する。


 右手が千切れて、尖った骨が剝き出しになる。ラッキーだと思った。頭がおかしい。

 鬼の眼窩に、骨の尖端をぶち込む。

 この世のものとは思えない苦悶の顔。きっと酷い声を上げているのだろうが、聞こえなかった。


 ぐりぐりと掻き回す――脳ミソをスクランブルエッグみたいにしてやる。

 鬼がブクブクと泡を吐く。

 楽しい。そんなバカな。これは仇討ちなのに。ああ、なんて楽しい。

 内側を混ぜる。外側から砕く。内側を混ぜる。外側から砕く。内側を混ぜる。外側から砕く。内側を混ぜる。外側を――

 

「――陽彦!」

 聖二の声――陽彦はふと我に返った。視界、聴覚ともに良好。だが、手がすこぶる痛い。


「もう死んでる」

 逃げ去っていく猿たちを背中から撃ち殺しながら、聖二が言った。陽彦は自分が馬乗りになっているものを見た。


 首から上が砕け散った死体。身に纏うのは、ワイルドハントの戦闘服ツナギ――途端にムカムカしたものが胸をこみ上げる。

 分かっている、これは奪われた服だ、こいつは人型フィンブルだ、けれど――


「僕らの勝ちだ、陽彦」

 聖二は銃を降ろし、そう宣言した。お前もならえと言っているのが分かった。

 陽彦は立ち上がり、死体から退いた。生きたフィンブルは、もう周りに一匹もいなかった。


「大丈夫か?」

「最低の気分だ」

「そう思えるなら、まだ大丈夫だな。少し休め」


 促されて、瓦礫の山に腰を下ろした。聖二が鬼の死体から検体サンプルを取るのを、ただぼーっと眺めていた。雪が強くなる。

 

 

 そんな言葉が、頭の中で繰り返リフレインした。


 いつの間にか深雪が隣に寄り添い、冷たくなった手を握ってくれていた。

「帰ろう、陽彦」


 無感情なはずの言葉なのに、なぜだか陽彦は泣きたくなって、どうにか堪えた。

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