第三話 森倉文香はかく語りき①

 森倉文香が語るところによれば。

 彼女の父親を狂わせたのは、一体の仏像だったという。

 いや、それを仏像と呼んで良いものか……。

 ともかく、ある像が始まりだった。


 十日前のことであった。

「文香! これは大発見だぞ!」

 京都への出張から帰るなり、父はそう叫んだそうだ。

 普段は温厚な父であるが、その日の剣幕には森倉も気圧されるほどであった。目は血走り、明らかに冷静さを欠いていた。

「どうしたの、お父さん?」

 父親の意外な姿に驚きつつ、彼女は尋ねた。

「凄い物を見つけたんだ! 凄いぞこれは!」

 そう言って旅行鞄から取り出したのが、その像であった。それは収納する木箱などがないのか、出張先で使ったタオルで何重にも包まれていた。父親が震える手でタオルを剥がすと、出てきたのは高さ7〜8cmほどの像であった。

 波のような紋様の台座にあぐらをかいて座る様子から、それは一見して仏像を思わせた。像からは左右3本ずつ腕が伸びており、

 前の二本の手は輪のような印を結び、

 次の二本の手には天秤と、それに盛られた豆粒のような物を。

 後ろの二本の手にはそれぞれ一つずつ瓶が握られている。

 細長い二つの瓶は右手側が口が上に、左手側が口が下にと上下逆になっていた。仏像には詳しくなかったが、どこか千手観音像を思わせるデザインだった。

 ただしそれが決して仏像ではないことは、文香にもすぐに見て取れた。

 冷たい笑みを浮かべるその像の頭部には、二本の禍々しいツノが生えていたからだ。

 そのツノの持つ不吉さは、像の印象を最悪にしていた。

 それを端的に表現するならば。


『仏のふりをしている悪鬼の像』


 そう予感させる不可解な一品であった。

 そしてもう一点、この像には文香に不安を抱かせる要素があった。

「……金?」

 その像は黄金色に輝いていたのだ。

 文香が幼いうちに母が亡くなっているため、森倉家は父子家庭である。そのため文香は歳の割に、家の台所事情に詳しいと言えた。だからこそ典型的な歴史バカ(日本史学科の教授なのだから、そう言っては失礼なのだろうが)である父親が、この黄金像を入手するためいくら支払いをしたのか、不安を覚えずにはいられなかった。

「父さん。これ、金で出来てるみたいだけど……」

 恐る恐る尋ねた文香に対して、父親はまるで見当違いのことを答えた。

「ああ。この輝き、間違いなく奥州金だ」

「奥州金……?」

「ああ、奥州藤原氏の金だよ」

 そう言って、父親は興奮した様子で説明を始めた。

 奥州藤原氏とは、平安時代末期に奥州(現在の宮城〜岩手県付近)で栄華を極めた豪族である。莫大な砂金の産出によるその繁栄は、一時は京の都をも凌いだとされている。例を挙げれば国宝第一号である黄金の仏堂『中尊寺金色堂』はこの奥州藤原氏の建立である。

「そしてね。その中尊寺金色堂に使用されている金には、すごい特徴があるんだ」

 近年の成分分析によって明らかになったその特徴。

 それは、異常な金純度であった。

 その金純度、およそ97%

 これはロストテクノロジーと言っても過言ではない

 当時の精錬技術では、絶対になし得ないはずの高純度なのだ。

「もちろん現代の技術ならばそれは可能だ。でも灰吹法すらない平安時代の当時に、どうやってその純度を作り出したのか検討もつかない」

 中尊寺金色堂があまりに有名であるから、普段それは意識されていない。だが端的に言ってしまえば。


「中尊寺金色堂はね。巨大なオーパーツなんだよ」


 そう父は言った。

 それが現代に残された歴史的課題の一つ。

 『奥州金の謎』なのだという。

「砂金で潤ったとして有名な奥州藤原氏だけどね。そもそも本当はその砂金がどこで獲れていたかすら分かっていないんだ」

 でもーー、と父は続けた。

 ギラギラと目を輝かせながら、こう言ったのだ。

「今はここに手がかりがある。その謎を解く手がかりが」

 父はその黄金像を手に取ると、その背面に記された文字を読んだ。

「葛巻之野松 定安」

「クズマキのノマツ……じょうあん……?」

「ああ、定安。奥州藤原氏に招聘された記録がある定朝流仏師だ」

「えーっと……」

 だから? という感じであったが、父にはそれがいかにも重要なことであったようだ。

「分からないか? 葛巻の野松という場所でこの仏像は作られたんだ!」

「仏像……?」

 文香は耳を疑った。

 これが父には仏像に見えているというのか?

 この禍々しい置物が?

 だが父の目には陶酔の色が浮かんでおり、とても異を唱えられる雰囲気ではない。

「葛巻町なら今も岩手県にある! 野松という地名は残ってないが、調べればきっとわかるはずだ! これは、これは奥州藤原氏の金の産地に関する重要な手がかりなんだ!」

「……えっと、父さん」

 父の興奮の一方で、森倉の言い知れぬ不安は高まっていたという。

「お父さんって、京都に出張に行ったんだよね……なんで東北の仏像が京都に……」

「だからだよ文子! だから見逃されていたんだ! これは奥州から帰れなくなった定安が、おそらく京都の家族か師匠の仏師に送った物なんだ。消息を伝えるためにね」

 確かに当時に交通を考えれば、一介の職人が京都と東北をそう何度も往復できたとは思えない。ならばと自分が帰郷する代わりに、習作を京都の師へと送り届ける。自分は奥州の地でこれほど腕を上げたのだと、成果を伝えるために。

なるほど、確かにそういう出来事もあったかも知れない。

 だが……。 

 ならばそんな大切な仏像に、ツノなど生やすわけがない。

 こんな冷たい笑みを浮かべさせるわけがない。

「父さん。これやっぱり変じゃ」

「文香、楽しみにしていてくれ。父さんは奥州金の謎を解いて、必ず名を挙げてやるからな。これで有名になれば、本だって少しは売れるかもしれない。そうすれば、文香にも楽させてやれるぞ」

 そう言って笑った父に、なにが言えただろうか。

 父の喜びと期待は、痛いほど伝わってきた。

 文香は言いかけた言葉を胸にしまい、曖昧な笑みを浮かべた。


 だがもしあの時詳しく問いただしていたら、何かが変わっていたのだろうか。


 そう思わずにはいられないと、森倉文香は語った。



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