浮島の内側

すごいよね、レイナさん 1

 人間に翼は生えた。


 天翼人と呼ばれる人々が一体いつからその翼を手に入れたのかはわからない。だが、その翼を得る前――すなわち全ての人間が地を這っていた時代があったという。

 そんな時代は過ぎ去り、人間は翼を手に入れた。

 背中に羽があるからといって、天翼人は鳥のように翼を羽ばたかせて空を飛んでいるのではない。天翼人の持つ翼は鳥類が持つソレと似通った形状こそしてはいるものの、羽ばたくことで空に浮き上がらせるには人間の身体は重すぎる。形は同じでもその機能は全くの別物だ。


 それはすなわち、重力と慣性の制御である。

 自身に対して反重力を発せさせることで宙に浮き、自身への重力制御と慣性制御によって空中での移動を可能にする。その力こそが翼浮力フリュウと呼ばれる力である。

 翼浮力を制御するための道具。それが人の得た翼の本質だ。

 そしてそれは、この浮島が大地を離れ、空を漂っていられる理由でもあった。


「景気はどうだい、兄弟」


 イミナの集中を遮ったのは、いつもの親しげな声。ソウジの声だと認識するや否や、イミナの集中の九割は目の前の仕事に戻った。


「ここの景気が良かった試がある?」

「違いない」


 肩を竦めるソウジの姿が目に浮かぶが、イミナは手元の作業を続けていた。


「お前さんも飽きないねえ」


 そう言うソウジが眺めているのは、おそらくイミナの手元。機工翼だ。


「もう完成してるんじゃないのかい? それは」

「動きはする思うけど」

「けど?」

「思った通りにできているかわからない」


 そもそもこの機工翼の原型はイミナが作ったものではない。ジャンク屋に転がっていたパーツの中から適当に拾ってきたものの中の一つだ。

 もちろんそのままでは動かないそれを整備し動く段階まで整えたのはイミナではあるが、基盤となっているシステムがイミナには考え付けなかった発想のもとで組まれていた。それを理解するのにも時間がかかったし、手を加えようものならさらに時間はかかった。

 告白してしまえば、この翼に組み込まれたプログラムの全てを、イミナは理解できていない。イミナの専門はこの島を浮かせている機能――翼浮力によって物体をコントロールするための機能に他ならない。翼浮力が物体に作用するまでのシステムには造詣が深い自負があるが、人間が翼浮力に働きかけるまでの過程にはわからないところが多かった。


「自分で試せれば速いんだけど……」

「物騒なこと言うなよ、ほら」


 イミナとしては何が物騒なのか理解できなかったが、不意に肩を叩かれる。仕方なく顔を上げれば、ソウジは缶コーヒーを一本押し付けてきた。


「……またメーアさんに怒られるよ」

「とっくに定時は過ぎてんだ。コーヒーくらい飲ませろ」


 ソウジの言い分はもっともであるし、何よりイミナもこうやってこそこそと仕事とは関係のないジャンクパーツを弄っているのだから、コーヒーを飲もうと飲むまいと同罪だ。断る理由もなく、イミナは大人しくタブを引いた。


「……苦い」

「はは、相変わらずだな」


 別にコーヒーが飲めないわけではないのだが、苦いものはそれほど好きではない。ソウジも甘めのものを選んでくれているようだが、それでもイミナには苦い。


「あー、ずるいー!」


 配管の上から、カズサの声が降ってきた。配管の上部のボルトをチェックして回っているようだ。


「降りてこいよ。あるよ、カズサの分も」

「すぐ行く!」


 言うが早いかカズサは配管を降りてくる。

 イミナも作業の手は止めることにして、ソウジが座るベンチの隣に腰掛ける。


「あいたたた、腰が」


 腰を摩りながらカズサは配管から降りてきた。ベンチは三人掛けだが、男二人が腰掛けている間に入ってきたりはせず、その辺に転がっていた踏み台を引っ張ってきてそこに腰掛ける。


「年寄かよ」

「仕方ないでしょ。ずっと上だったんだもん」

「上狭いよね」

「そのデカいケツでよく入ったな」

「そうちゃんせくはらー」


 ソウジとカズサに初めて出会ったころのことを、イミナは覚えていない。それどころか、イミナは自分を誰が産んだのかもわからない。

 イミナの一番古い記憶は、飢餓だった。

 お腹が空いて、泣き叫んで、それでも何も変わらなくて、それでも苦しいのが嫌で、何かを口にしなければならなくて。


 その時はきっと一人だったはずなのに、次の記憶にはもう二人がいた。

 どこで出会ったのかなんて覚えてなくて、いつの間にかソウジとカズサと一緒に居て、それはイミナだけじゃなくて、日に日に仲間たちは増えていった。


 生き残るために、盗んで傷つけて、罪を犯したこともある。それでも何とか生き延びて、今日まで一緒に働いてきたのがこの二人だ。他にもここで働く連中とは昔馴染みが少なくないが、ソウジとカズサとつるむ機会が比較的多かった。 

 それは今も、あまり変わっていない。


「今日、レイナさん試合だろ? 大丈夫かよ。行かなくて」


 腰を落ち着けたソウジが、コーヒーを流し込みながら口にする。


「先週のがあるもんね」


 カズサの言わんとしていることはわかる。

 先週――準々決勝のレイナは、贔屓目で見ても散々だった。イミナが到着してからはともかく、それまでのパフォーマンスはどうして落とされなかったのか不思議なほどだった。カズサが心配する気持ちはわかる。


「大丈夫。今日は行けないって言ってあるから」


 レイナの調子に波があることは何も今に始まった話ではない。先週の準決勝で力が出し切れなかった原因は、見に行くと言っていたイミナが会場に現れなかったからだ。事前に行けない旨が伝えられてあるなら、少なくとも先週のような醜態を晒すことはないだろう。


「もうすぐ決勝戦だもんな」

「応援に行ければいいんだけど……」


 フライデーは一年に一度、浮島で最も大きな祭典だ。

 中でもフライキャリアの競技は、その年最も速い天翼人を決める、最大の催し物と言える。フライキャリアの優勝者は、それから一年間、浮島の象徴となるのだ。

 そのため、フライデー開催期間――特に、フライキャリアの決勝間近は、浮島中のインフラはフル稼働となる。それはイミナたちが働くこの場所――下部工場も同じだ。

 下部工場は翼浮力の管理・制御を行うための施設だ。個人レベルで制御できる翼浮力の量は、例え最速を誇るレイナ=カータレットであっても大した量ではない。イミナたちが管理しているのはもっと大きな――浮島を維持させるための機構だ。浮島を宙に浮かせるためのシステムや、十四の島々で使われるさまざまなエネルギーを管理している。フライデーの終盤ともなれ ば、数えきれないほどの出店や、優勝セールでどこもかしこも大賑わいだ。イミナたちにとっては一年で一番の繁忙期というわけだ。


「すごいよね、レイナさん」

「まだ勝ったわけじゃないよ」

「そうだけど! でも、例え、今日負けちゃったとしても十分すごいよ」

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