つぶ餡派、こし餡派

 辺り一面は、すっかり夜の帳が降りていた。

 作蔵は、半纏を羽織って下駄を履いていた。寒さで吐く息は白く、半纏を羽織っているとはいえ中に着込む衣類は黒い半袖シャツと紺色で七分丈のズボン、下駄を履く足元は素足。

 伊和奈が帰れない、何処かで帰ることが出来ない情況におかれてしまった可能性がある。

 作蔵は、隣近所に暮らす若夫婦が飼っている愛玩犬の行方も気になりつつも、伊和奈を見つけたい一心で暗くて寒い路を駆け続けた。

 何がなんとしてでも、月が見頃の時刻までに伊和奈を見つけ出す。自分でなければ、伊和奈を見つけることは出来ない。


 しかし、作蔵に最大の危機が訪れてしまった。


 空腹のあまり、意気込みの状態が解除されてしまった。

 と、いうことで作蔵は自宅に戻った。


「腹が減っては戦は出来ぬ」


 ぶつぶつと独り言をいうのは構わないが、あんたは伊和奈を捜すあてはあるのかい。


「おい、貴重な飯のおかずを横取りするな」


 語りから気をそらすのではない。

 うむ、伊和奈が漬けた大根のぬか漬けは絶品だ。


「当然だ。伊和奈は漬け物の巨匠に弟子と認められ、巨匠直々から糠床ぬかどこわけを約束された……。て、何でそんな話を今する必要があるのだよ」


 訊きもしないことを勝手に喋りだしたのは、あんただよ。


「腹は満たされた。今一度、伊和奈を捜しに行ってくる」


 相手にする方が面倒臭い。

 ほっといてもいいが、此方も役目がある。と、いうより完全に話が脱線していた。


 軌道修正をする身にもなってくれ、あんたはやりたい放題でいいね。


「むしゃくしゃしてるからといって、俺に砂を掛けるな」


 作蔵の嘆きなんて、知ったことはない。

 肝心の伊和奈を捜すに至って何も進展がないまま、その時が訪れたのであった。


 ーーワオーン。


 ーーにゃああ。


 ーーラッコーッ。


「待て『ラッコーッ』は、何だよ」


 作蔵の細かい指摘はどうでもいい。

 今の情況を説明しよう。

 ちょっと簡単に語れば、作蔵の目の前で巨大な、しかも山の高さほどの獣が3体悠々と我が物顔で歩いていた。

 作蔵は地面に膝を着けて背中を丸めると、何度も拳を叩きつけた。


 夜空に浮かぶ月は真円を描いていた。

 月が見頃の時刻。

 まさに、その証というに相応しい月の形だった。

 作蔵は自責の念で頭の中を一杯にしていた筈だ。

 空腹を堪えて伊和奈を捜すことに懸命になっていたら、こんな事態は起きなかった。


 と、いうのは此方の解釈だった。


「なんちゃって。俺が此くらいでもたもた、まごまごするわけないだろう」

 作蔵は笑みを湛えていた。

 直立不動の姿勢をしながら、街を闊歩する巨大な獣たちを見つめていた。


 一体目。

 見た目はコリー犬とポメラニアンの雑種だった。

 獣は首輪を巻いていた。


〔作蔵〕


 作蔵の頬は痙攣していた。

 それもその筈だ。犬や猫といった、飼っていることを市町村に登録した札が付いているは良いのだが、名前までご丁寧に刻印されている。

 獣の正体は、若夫婦が飼っている愛玩犬に間違いはなかった。

 何故、愛玩犬が巨大化したのか。

 いや、今はまだ依頼を成立させられない。

 作蔵は、とりあえずほっとくことにした。


 二体目と三体目。

 見た目は仔猫とラッコの巨大な獣が喧嘩をしていた。


 ーーラッコキーク。


 ーーニャーボンバー。


 一丁前に必殺技っぽいことを言い放す二体だった。一生懸命にお互いが立ち向かっていた。

 ラッコは仔猫の腹部に足蹴りをしたつもりだったが、分厚い毛並みをしている仔猫には痛みを感じたという手応えは全くなかった。一方、仔猫はラッコの顔に鉄拳をくらわせた様子だったが、ラッコは仔猫の右前足肉球の感触に悶えただけだった。


 ーーそこまでっ。


 作蔵は、叫び声に振り向いた。


「作、うちの子たちを止めるのはわたし。母として責任をとるのはグレートマザー、すなわちわたしの責任だ」

「手を出すな」

 作蔵は目の前に現れた作蔵と同じ背丈をしている縫いぐるみのような、グレートマザーと名乗る猫の象を睨み付けた。

「どんな意味だ」と、グレートマザーはこめかみに青い筋を浮かべて言う。

「こいつらで乗り越えなければならない闘いでもあるのだよ」

「審判を、どちらかに罰をあたえるをおまえがするのか」

「俺はあんたの子どもたちを裁くはしない。兎に角、あんたはその時を待っていろ」

 作蔵は、グレートマザーに腰をおろすようにと促す。

 グレートマザーは渋々と、そばに植わる樹木の根元に腰を下ろして幹に背中を押し当てた。


 時間にすれば、どれ程過ぎたのだろう。

 二体の獣の闘いは、一向に決着が付かない状態だった。


「作」

「待て、あと少しだ」


 業を煮やすグレートマザー、そしてグレートマザーの震える右前足を左の腕を平行に伸ばして遮る作蔵。


 ーーにゃ、にゃぁああ。


 ーーら、らっこぉおお。


 二体の獣は息を切らせていた。

 お互いの呼吸は吸っては吐いてを大きく、動きは脚を縺れさせ全身を左右に揺らしていた。


 一歩、二歩、三歩。と、歩み寄る獣たち。

 両前足を、爪先をお互い重ね合わせる寸前で動きが止まり、額と額をくっつけると地面へと吸い込まれるように倒れていった。


 二体の獣が地面に落ちた。

 衝撃としての地響き。作蔵とグレートマザーにも振動が伝わる。

 土埃が空中に舞い上がり、獣たちの身体に覆い被さった。


 そして、漸く土埃の煙が消滅した時だった。

 作蔵の掌の中に収まる程の大きさになった獣たちが、地面の上で寝息を吹いていた。


「作、あんたはこの子たちが力尽きるのを待っていたのか」

「どうだろうな。結果的には、こいつらにしかわからない何かがあった」


「あやふやな答えだね」

 グレートマザーは樹木の根元から腰を上げた。

 仔猫とラッコ。本当の姿に戻った二体をグレートマザーは抱き抱え、桃色に白の水玉模様をしている腹に付いているポケットの中へと押し込んだ。


 ーーわおーん。


 夜空の下を歩いて去っていくグレートマザーの背中を、作蔵が見つめていた時だった。


 ーーおおーん、わわーん。


 犬の遠吠えと思われる獣の雄叫び。作蔵は、じっとして耳を澄ませた。


 月明かりは周囲を淡く蒼く、照らしていた。

 作蔵は地面に落としている自身の影を、全身に月明かりを浴びて落ちている影に目を凝らす。


 作蔵は、反復横飛びをした。見ている影も同じ動きをしている。と、作蔵は見ていた。


 足踏み、屈伸、上半身を左右に動かして右腕を時計回りの反対に回す、鰌すくい。

 見ている此方が苛つく程、作蔵は次から次へと挙動不審な動きをしていた。


 作蔵がしゃがみこんだ。そして、立ち上がった。


「ふ、馬鹿め」

 作蔵はにやりと、歯を見せて笑みを湛えた。

 作蔵は、膝を曲げて下駄の底を地面から離すと、形はしゃがみこんだままの『影』を踏みつけたのであった。



 ***



 ーー何故だ。何故、おまえにわたしの術が効かなかったのだ。


「日頃はおとなしく飼い主、或いは親に可愛がられている小さい生き物に妙な影響を能えた。さらに、だ。実体がないモノに対しても要らぬことをしでかした。それが、おまえだった」


 作蔵は黒い物体に自身が掌から解き放した“光”の縄で締め上げて、樹木の幹に括るをして『物体』の動きを封じていた。


 ーー残念だが、おまえがいうことは違うな。


「何だと」


 物体の言うことで反応したかのように、作蔵は眉を吊り上げた。


 ーー月の引力によって、眠る“力”が解き放された。わたしは特殊な“力”を引き出す為の援護をしただけだ。


「おまえの説明は、物体の影に紛れて時を待っていた。と、遠回しに言っただけだ」


 ーー実体がないモノは光どころか影さえもすり抜ける、そこが違うのだよ。


 作蔵は、物体へと返す言葉に考えを詰まらせた。


 ーーどうした。


「おまえは、俺に取りついて何をさせようとしていた。いや、俺の何かを利用しようとしている奴の後ろ楯を、おまえはしていたのか」


 ーー器の中身を器に戻す、わたしはそれだけしか答えることが出来ない。


 作蔵ははっと、気付くような顔つきをした。


 ーー本来ならば、おまえに術を掛ける筈だった。おまえに照準を合わせていたら、ちょろちょろと目の前を横切ったモノたちに術が掛かってしまった。今一度と、おまえの影に入り込むが全く効果がなかった。あたった術は役目を果たすまで途切れるはない。と、おまえは見抜いていたのだな。


「俺の『仕事』を何だと思っていた。と、いうより俺がまるっきり知識がない、術に対して免疫がないと、思っていたのか」


 ーー少し、喋り過ぎた。2体のモノは元の姿に戻ったが、残りのモノはどう、対応するのだ。


「自分でぶち巻いた種だろう。まるで関係ない態度が気に入らない」

 作蔵は激昂した。

 怒りをぶつけるかのように、掌から“光”を黒い物体に飛ばした。


 物体は、作蔵が放った“光”によって消滅した。


 しまった。と、作蔵は頭を抱えた。

 頭にきたとはいえ、物体は『何か』を知っていた。勢い余って消してしまったことに、後悔をしたのだった。


 器の中身を器に戻すーー。


 物体は、そう言っていた。

 物体が言った『中身』が何なのか。作蔵はうすうすと、考えていた。


「伊和奈。せめて、今何処で何をしているのかを、俺にわからせてくれ」


 作蔵は、冷たく凍りつくような夜風を受けながら呟くのであったーー。

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