#08 渦巻く波濤

01 コーナリング

 風車見学に出掛けるまでに、もうしばらく時間をつぶすことになった。さっきスバルさんが受けた電話は東京にある重工業会社の本社からで、午後の会議で龍ノ里島の風車のデータが急遽必要になったから送ってくれ、という内容だった。

 スバルさんは申し訳なそうに手刀を切って、部屋にこもった。気分がささくれたおれにとっては、むしろちょうどよかった。

「散歩、行ってくる」

 ハルタがトイレに入っている隙にカイリにだけ告げて、おれはバッグを手に、帽子をかぶって外に飛び出した。目的もなく、山頂のほうへと、乾いたアスファルトの上を駆ける。あっという間に息が切れて、とぼとぼと歩く羽目になる。

 暑い。風が吹いていても、日差しがきつくて気温が高い。動けば、やっぱり暑いと感じた。汗が噴き出す。

 龍ノ背山に連なる尾根は勾配がきつい。道はまっすぐではなく、うねりながら続いている。ヘアピンカーブを曲がりながら、錆びたガードレールを手で触れた。

「こういうコース、シュトラールの十八番だ」

 レーサー泣かせの急激なコーナーもアップダウンも、シュトラールは着実に切り抜ける。トルクのある走りで粘り勝ちするのが、シュトラールのスタイルだ。それを実現するために、徹底的に冷静にセッティングを練るのが、おれの戦術だ。

 バカみたいだ。

 散歩しながら、古びた道をプラモートのコースになぞらえて、空想にふけっている。何をやっているんだか。

 バカバカしいのに、背中に斜め掛けにしたバッグの中に、小さな相棒の存在を感じる。もしも小学生の自分に話し掛けることができるなら、文句を言いたい。

「何でこんなに好きになったんだよ?」

 あのころは、プラモートでいちばん速くなれば天下を取れるつもりでいた。大人に勝てるものがあることが誇らしかった。いつか自分も大人になるんだってことを、少しも理解していなかった。

 カッコ悪いんだよ、こんなの。

 大人になれば、自動車模型なんていうおもちゃは卒業しなきゃいけない。なのに、あまりにも深くのめり込んでしまった。一つも捨てられないんだ。壊れたパーツやつぶれたネジ、歪んだシャフトや割れたホイール。

 おれの机の中をのぞく人がいれば、きっと、整然と分類されてしまい込まれたガラクタの数々に呆れてしまうだろう。頭がおかしいとすら思うかもしれない。

 やっぱり、おれは異常なのかな。自分でも、せめて、もう使えないパーツくらいは捨ててしまおうとしたことがある。何度もある。勉強の邪魔になるし、生徒会や部活で忙しいのに、何をやっているんだって。

 でも、つらくて捨てられなかった。自分でも意味がわからない。

 ものを捨てるのが苦手なのは昔からで、だから、最初からたくさんのものを持たないように気を付けてきた。なのに、いつの間にこんなに増えてしまったんだろう? 机の中にもおれの頭の中にも、ぎっしりと、捨てなきゃいけないはずのものが詰まっていて。

 レースに出ることはもうないくせに、シュトラールのメンテナンスやクリーニングをサボると、罪悪感がある。眠れない体質になってから、ますますだ。夜通し勉強するのにも飽きたら、気付いたときには手がシュトラールを求めている。

 依存症ってやつだよな。プラモート依存症。レース依存症。子ども時代依存症。

 おれは、いつしか足を止めて、じっと考え込んでいた。ぐるぐる、ぐるぐると、同じことばかりを悩み続けて、苦しくなって叫びたくなって暴れたくなって。

 声を殺したまま叫ぶ。

「…………ッ!」

 脚を上げて、錆びたガードレールを蹴った。ガゥン、と鈍い音。かかとがジンジンと痛む。

 コースを仕切るフェンスに激突すれば、当然、ダメージがあるものなんだ。こうやって不用意にぶつかると、プラモートの場合、適切な装備をしてやらないと、簡単に吹っ飛んでコースアウト。レースでは一発でリタイヤだ。

 プラモートは、ラジコンと違って、方向制御装置が付いていない。コーナリングは、左右に張り出したフロントとリヤのバンパーに、地面と水平方向に回転するローラーを付けて壁に沿わせることで、クリアする。

 おれはもう一度、足を上げてガードレールを蹴った。急斜面を九十九折で上っていく、百八十度のヘアピンカーブ。

 こんな急角度で突っ込むコーナーがあるときは、速度の乗り過ぎに注意する。衝撃を逃がすため、フロントバンパーには、バネを仕込んだ可動域を作っておくか。

 ローラーは、おれはたいてい低めの位置にして重心を下げる。重心の問題だけじゃなく、アップダウンの激しいコースで車体が跳ねることを考慮すれば、低い位置のローラーなら壁に引っかかって動けなくなる心配がない。

 いや、バネの効きやマスダンパーの位置を工夫して、マシンを跳ねさせないのがいちばんいい。地面に貼り付くような走りを目指さなきゃいけない。龍ノ里島みたいにきつい勾配の多いコースの場合は、特に。

「何なんだよ……」

 曲がりくねった道路を見ると、プラモートでの攻略法を考えてしまう。どうしても、このバカバカしい癖が抜けない。

 タイヤの直径は小さいのが好きだ。トルクのあるモーターと合わせれば、トップスピードは劣っても、マシンは難所のコーナーや坂をぐんぐんと越えていく。そんな走りで、おれとシュトラールはレースに勝ってきた。

 おれはガードレールのそばにへたり込んだ。目を閉じる。セミの声が降ってくる。木漏れ日に首筋を焼かれる。

「どうかしてる。今日のおれ、おかしいだろ」

 自分の体調への不安がある。ハルタに対する嫉妬がある。チナミちゃんへの失恋を思い出した。カイリの前でどう振る舞えばいいかわからない。

 今という時間につまずいて、未来が少しも見えなくて、そうしたら、過去に追い立てられている。

 情けないな。

 顔を上げて目を開けたら、ガードレール越しに、山肌に溶け込むように建つ石の祠に気が付いた。大人の体格ではないおれが這っても入れないくらい、小さな祠だ。

 龍ノ神がそこに祀られているんだろう。おれがガードレールを蹴ったこと、見られていたんだ。そんなわけないか。龍ノ神なんてもの、存在するはずがない。

 平たい自然石を組み合わせたような祠だった。祠の扉が開いている。その中には、龍ノ神の代わりに何が入っているんだろう?

 おれは立ち上がって、ガードレールを乗り越えた。山に踏み込んで、祠の前にしゃがむ。中をのぞくと、鏡のようなものが一枚、置かれていた。鏡だととっさに思ったのは、その滑らかな表面に光が反射したからだ。

 あれが御神体? 何なんだろう。金属っぽいけれど、透き通っているようにも見える。祠の中が暗くて、よくわからない。

 不意に。

「ユリト」

 後ろから呼ばれて、飛び上がりながら振り返る。

「カ、カイリ」

「驚かせた?」

「足音くらい立ててよ。びっくりした」

 カイリはおれの真後ろにいた。サラサラした髪が、山を渡る風に揺れる。カイリは首をかしげた。

「龍ノ神の祠、どうかした?」

「中に何が納められてるのかと思って。これ、何なんだろう?」

 カイリは、こともなげに答えた。

「鱗」

「え、ウロコ?」

「そう。龍の鱗。信じても、信じなくてもいいけど」

 カイリはおれに背を向けた。ガードレールに手を掛けて、ひらりと飛び越える。

「龍ノ里島の人たちは、これを龍の鱗として祀って信仰してるのか?」

 カイリは肩越しに振り返って、また首をかしげた。透き通る声は、おれの質問に答えなかった。

「とうさんが、そろそろ行けるって。だから、呼びに来たの」

 カイリはさっさと歩き出した。取り残されるような格好のおれは、もう一度、龍の鱗らしきものを見やって、それからカイリを追い掛けた。

「どうしておれがここにいるってわかった? 山道を登るとも下るとも言わずに出てきたのに」

「何となく」

 カイリはそっと笑った。その笑顔は、ずるい。清楚という、今まで使ったこともない言葉を思い出した。カイリの笑顔は、凛として少し甘くて、清楚だ。

 胸の奥に熱がある。どこかがひどく痛いような気がして、おれは息を吐いた。熱と痛みがどこから来るのか、薄々、理解し始めている。

 途方に暮れている。

 カイリは、チナミちゃんとは全然違うのに、どうしてなんだろう? 失恋した瞬間に知った熱と痛みに、これはよく似ている。でも、もっと熱い。もっと痛い。

 バカだな、おれは。カイリと会えるのは、きっと一生に一度きり。この夏だけだ。なのに、どうして?

 熱い。痛い。自覚してしまうと、もう、苦しいのが喉元までせり上がってきて、どうしようもなかった。頭の中につらつらと現れては消える言葉が、声になってくれない。

 山道を帰る間、おれとカイリの間に会話はなかった。

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