第14話 邂逅その1

 男の余裕は崩れなかった。

「あんな中途半端な手ごまを用意して、何がしたい!?」

 みくりは男に鋭い蹴りを入れようとするが、男と彼女の間には一枚の壁があるかのように、その攻撃は届かない。いや、実際壁があった。それは結界と呼ばれる類のものだと、みくりは学んでいた。

「相変わらず野蛮な女だね、君は。随分と引き摺るタイプのようだ」

 くすくすとおかしそうに男は笑う。みくりはその言い方に眉根を寄せる。

「なんだお前は? 私はお前など知らないが」

「だけど僕は君を知っている」

 なぞかけのような問答に不快感を感じながら、みくりは体での攻撃をやめた。

 軽やかな体さばきで後退し、何事かを早口で呟く。瞬時にみくりの手には一振りの刀身がむき出しになった日本刀が握られていた。

「それは魔術か。あれからずいぶん努力したんだね。えらいえらい」

 あくまでも上から目線でそう言った男の前髪を、刀の切っ先が掠める。舌打ちをしたみくりは、だがこれで確信を得たようだ。

「ああ、なるほど。お前…」

 歓喜に震えるみくりは、男とみくりを妨げる結界を完全に切り裂いた。



「英睦月か」


―――――――――

 俺とアルスは、屋上からそろそろと出て、7階の非常階段前にいた。

 床に転がっている、猿ぐつわをされて縄で縛られている巨漢。

 どうやら哨戒に来ていたところを蕃野にやられたらしい。気を失っているようで、目は固く閉じられていた。

「すっげえ、本当に強いんだな」

「伊達に睦月様の目の上のたんこぶを何年もやってないよ、あの女」

 さっきから気になっていたのだが、我が妹は蕃野に対して「あの女」呼ばわりするのを聞く限り、蕃野と仲が悪いようだ。

 複雑なんだな…という感想を抱いて、俺はアルスと6階へと続く非常階段を下りていく。

――――――――――


 男は愛する弟子が快挙を成し遂げたかのような、喜びに充ちた表情を浮かべた。

「そう! 正解ですみくりさん。さすが私のライバル」

 彼…彼女がその言葉を言い終わるまでには、声の周波数は高いものにかわり、容姿は美しい黒髪の女性に変貌していた。服装も、スーツ姿から暖かそうなセーターにスカート、ブーツに変わる。どこにでもいる大学生のようないでたちだ。

 これは相手の認識を操作する魔術だ。みくりは初めて睦月と会ったときのことを思い出した。あの時と容姿が違う。おそらくこれが本当の睦月なのだろう。

「みくりさんは本当に努力家ですね。魔術が嫌いなはずなのに、魔術を学ばなければ私に勝てない。そう思ったから、不本意な努力を重ねてきたんですね」

 迫る斬撃を受け流し、みくりにとって耳障りなことを楽しそうに言う睦月。深窓の令嬢然とした彼女が纏う雰囲気に反して、彼女の目はどこまでも酷薄だった。

「そうだ、私はたくさんの努力を続けて来たんだ。お前のために。光栄に思えよ?」

 つとめて冷静にみくりは言う。相手の言葉に怒れば、こちらの勝ちの目は薄れてしまう。それがわかっているからこそ、彼女ははやる心臓の鼓動を押さえつけた。

「ええ、とっても光栄だわ。ありがとう。……でもね、私は怒ってるんですよ?」

「――っ!」

 ぞ、っとしたものを感じ、みくりは一歩後ろに下がった。その判断が正解だとわかったのは、みくりのいた場所が、力でえぐれていたときだ。あのままだったら、みくりの体は脳天からつま先に至るまでぐちゃぐちゃにされていただろう。

 額に脂汗を浮かべ、みくりは睦月を見る。彼女は優雅に立っていた。

 ぴん、と人さし指を立て、みくりに柔和な笑顔を向ける。

「私が何に怒っているかわかりますか? それはあなたの成長をしても補えないあなたの罪なのですが」

 睦月の問いに、みくりは即答する。

「案外子供らしいところがあるんだな、大方野々上関係だろう。いつまでも惚れた男を忘れられない陰気な女だ」

「そう、私は陰気な女なの。だから春ちゃんとまた恋人になるためには、なんだってするつもりです」

 ぐん、とみくりの体が強い力で引っ張られる。睦月に神経を集中しすぎていて、背後の喧騒がいつの間にか止んだことに、みくりは気づいていなかったのだ。……それが何を意味するのかも。

 バランスを崩したみくりが見た睦月は、憐れみの表情を浮かべていた。

「少しかわいそうですが、これも実験のためなの。実験が成功したら、あなたは助かるかもしれないですね。それではごきげんよう」

「待て、如月っ……!」

 しかし、伸ばした手は届かず。ここに睦月のゲームの第二段階が開始された。

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