第6話 無可有郷はすぐ其処に

 薄暗い空間。鉄格子を両手で握りしめ、がんがん揺らしながら、アルスは必死に叫んだ。

「どうして、どうしてですか! なんであたしがこんな目に……!」

 鉄格子の外にいる簡素な椅子に座り、本を読んでいる男。

 男は長い深緑の衣を着ていた。アルスが所属する騎士団の団長だ。

「黙れ。とある筋から密告があった。お前が裏で犯罪者どもを洗脳し、私兵として使い、私腹を肥やしているという内容だ」

「だからっ、私がそんなことするわけないじゃないですか!」

「それを言う犯罪者どもを、俺は何度も見てきた。だが奴らは拷問にかけられると、決まって意見を翻す。できるなら、お前はそうであってほしくないがな」

 アルスは鉄格子から手を放した。だめだ。埒があかない。

 先ほど団長は密告と言った。その見当はついている。あの厭味ったらしい貴族のローティスだ。平民から騎士団に入ったアルスを、いつも邪険にしていた。

 罠はこれまでもあった。でもくぐりぬけてきた。今回だって、潜り抜けられると思っていた。たった一つの裏切りがなければ!

「……時間だ」

 ばたん、と本を閉じて、団長が立ち上がった。

「……!」

 檻の中のアルスが悲痛な面持ちになるのをまっすぐに見据えて、団長は言った。

「アルス=メイディン。貴様をこれから拷問にかける」


 場面が急に変わる。砕け散る鎖。

『ねえ、ここはユートピアじゃないのかしら?』

 降りたった天使。救いの女神。ひどく残忍な救い方だけれど。

 全部捧げよう。私はこの人に。



「おい」

「!」

 覚醒したアルスの耳に、声が届いた。

「大丈夫か? ずいぶんうなされてたけど」

 隣の自室で寝ていた春哉だった。ただでさえ悪い目つきが、眠気のせいか、もっと悪くなっている。

 ドアを半開きにして、顔をのぞかせている。名目上は女の子の部屋だからだろうか? この部屋はもともと物置部屋だったのを、アルスが魔術という名のリフォームをしたものだから、気を使わなくていいのに。ただでさえ住まわせてもらっているのに、心配までされたら立つ瀬がない。

 アルスは無理やり笑みをつくって、首を横に振った。

「ううん! なんでもないよ、お兄ちゃん」

「……そうか」

 春哉はドアを閉め、行ってしまう。

「だって、話しても無駄だし、心配させるだけだし」

 アルスはパジャマの裾をぎゅうっと握りしめた。これは春哉の母が急きょ買ってきてくれたものだ。

梨花りかさん、ちょっとお母さんに似てたな」

 先ほどのおっとりした笑い方をする春哉の母を思い出し、くすりと笑う。春哉は母親似でなく、父親似であろうことも考えた。

「生きてたら、なんていうだろうなあ」

 少しの希望と多くの諦観があるつぶやきをした、その直後。

「おい、開けろ」

 相変わらず不機嫌そうな低い声が部屋の外からした。ドアを開けると、そこには春哉がマグカップを二つ持って立っていた。

「即席だけど、ミルクココアを作ってきた。一緒に飲もう」

 今度は堂々と部屋に入ってきて、床に腰を下ろす。アルスに一つを手渡し、春哉は自分の分に口をつける。

「うん、まあ定番な味だな」

 アルスもこくりと一口飲んだ。

「……そうだね」

 知らず、笑みがこぼれた。

「ミルクココアは副交感神経を優位にさせるんだそうだ。それで眠れる。学校で習ったから試してみようと思って」

「だから作ってきてくれたの?」

「俺は妹萌えに生きると決めたからな」

「変なの」

 くすくすとアルスは笑った。

「でも、ありがとう」



 春哉が部屋を出て行ったあと、アルスは自分のベッドに潜りこんだ。

 なんだかいい夢が見れるような気がする。

「睦月様、あなたのおっしゃっていたとおりです。春哉様はとってもいい人でした。でも、同時に、とっても悪い人なんですよね……」

 瞼が重くなって、自分の言っていることが半分わからなくなってきた。

「春哉様が協力してくれるなら、きっと、あなたと私の思い描いた世界が現実になる。きっと……」


「ユートピアは、すぐそこに……」



 

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