「自然いっぱいの遊歩道散策とキャロハット渓谷をめぐる味な旅・山荘で手作りパン体験!」


 と銘打ったこのツアーは、アイナのギルドでも一押しの企画で、人気が高い。


 コースは、落差三十メートルのコセックの滝、希少な植物であるツキヨスミレの群生地、同じく希少鳥類のニジイロワシの生息地であるキャロハット渓谷を経由して山荘に一泊し、山荘の主人の手ほどきで翌朝の朝食に食べるパンをツアー客が一緒に作るという内容だ。


 フォルテックの町から山荘までの行程は、途中の見どころを巡って三時間ほどになる。


 足元は歩きやすく整備されており、難易度の低い観光コースだ。

 とはいえ、山中を歩くには服装はそれなりに整える必要があった。


 けれど、新婚旅行で珍しいワシが見たいとやってきたこの若い男女の客は、全く意に介さない。

 本格的な登山ではないとはいえ、足場が悪い場所はあるし、天気が崩れることもある。


 出発前になんとか説得しようと試みるも、挙句の果てには、「靴を変えろってんなら買ってきてやるから金払えよ!」と、チンピラまがいの恫喝を繰り返す始末。


 このままでは出発時間が過ぎてしまうと判断したアイナは、二人に契約書を見せながら、ツアー中はガイドの指示に従うこと、従わない場合やマナーに反する行為があった場合にはペナルティとなること、ペナルティが続いた場合にはギルドに強制送還となることを再度説明してから、仕方なく出発することにしたのだった。


 だが、果たしてそのアイナの言葉など聞き流していたのだろう。

 案の定道中では暑い、虫が多い、道がデコボコだと文句ばかり。

 注意をすれば二言目には、「俺たちは客だ! 金を払ってるんだ! 文句があるなら金を返せ!」とまくし立ててくるからまったく手に負えない。

 

 こういう風にごねる客はいるけれど、ごねた後にあからさまににやにやと意地の悪い笑顔を浮かべているのはどう見ても――。


(私が子供だからって舐められているのよね)


 今までも、頼りないからガイドを替えてくれと言われたことはある。

 けれど、学生のアルバイトとはいえ、アイナは正式な資格を持つギルド所属のガイドなのだ。

 実務経験だってちゃんとある。

 ガイドの資格証もいつでも見せられるように携帯している。


 けれど、今日の客はそんなことは関係ない。アイナが何を言おうと気に食わないでいる。

 あるいは、単純にアイナを困らせて面白がっているかのどちらかだ。


 いずれにしても、悪趣味なのは確かだ。

 だが、これ以上好き勝手をさせて、ほかの客に迷惑をかけるわけにはいかなかった。

 そろそろ最後通告の時間だろう。


 その前に、仕事はきちんとしなければ。


「さて…………では最後の見どころ、キャロハットの展望台です!」

「やったぁ!」


 気持ちを切り替え、ツアー客ににっこりと笑顔で告げると、子供たちの歓声が上がった。

 けれど、そんな彼女の気持ちを逆撫でするように、聞こえよがしの文句が耳に入る。


「クソ、ムカツクな。そんなに俺らが気に食わねえのかよ」

「こんなところ、来るんじゃなかったわ」

「ガキのガイドじゃ所詮こんなもんだろ」

「ほんとよ。虫は多いし、つまらないったらないわ」


 ぶつぶつと続く嫌味に腹がぐらりと煮えるのを抑えつけ、アイナは歩を進めた。


「皆さん、事前にご説明した通り、ニジイロワシは大型の猛禽類です。体は白く、長い尾羽が光の加減で七色に光って見えることから、この名がつきました。翼を広げて風に乗る姿は優雅で、大陸でもっとも美しい鳥と言われています」


「いいなあ、すっげえなぁ!」

「早く見たい見たーい!」


 明るい子供たちの声に、両親も老夫婦も一転、笑顔になった。

 余計な気をもませたと、アイナは申し訳なくなる。


 長く続いた森の中の道。

 あと少し進めば、景色は劇的に一変する。


「ニジイロワシは警戒心が強く、攻撃的で獰猛です。力も強いので、大人ですらさらわれる危険があります。ただ、体が大きいので森の中には降りられませんから、もし襲われたら森に逃げるのが一番安全です」


「ほらな! 強くて怖いって言っただろ!」


 アイナの声に、男の子が得意げに声を上げた途端。


「さっきからぎゃあぎゃあ騒ぎやがって、うるせぇんだよ、クソガキ!」


 男性客が苛立ったように少年を怒鳴りつけた。


「おい、やめろ! うるさいのはあんたの方だろう! いったい何しに来たんだ!」


 反射的に、びくっと怯えた息子の肩を抱いた父親が言い返す。


 それはきっと、この場にいた誰もが思っていたこと。

 逆に、男は突き刺さるほかの客たちの視線にいきり立った。


「うるせぇな、ワシを見に来てんだよ、文句あんのか!? 俺らみたいな客は観光もできねぇのかよ! おっさん、なんとか言えよ!」


「やめてください」


 大きな声を出す男の眼前に、ぴたりとアイナの小旗の先が突きつけられる。


 目の前の少女は、どこにでもいそうな女の子だ。

 だからこそごねてみせたり、恫喝したりと、男は好き勝手に振る舞ってきた。

 だが、今は小柄な彼女が見上げる瞳にまっすぐ射抜かれ、その思わぬ強さにたじろいで息を呑む。


「今のはペナルティです。ご説明したはずです。ツアー中、許されるペナルティは四回までだと。聞いていないとは言わせません」


 既にこの男には二度、警告していた。

 今のでもう三度目だ。


「……ふん、わかったよ!」


 アイナの迫力に負けたか、忌々しげに歯噛みした後、男はちっとふてくされたような舌打ちをして引き下がった。

 それをしっかりと目に納めて、アイナは説明を再開する。


「展望台は渓谷を一望できる岩の上に設置されています。展望台の柵には、対動物用の防御障壁を展開し、ワシが人間を襲ったりしないようにしてありますが、危険ですので、展望台の外には絶対に出ないでくださいね。手や足を出すのも禁止です。

数年前、面白がって餌をやろうと柵の外に手を出したお客様が、一瞬で出した腕を捕まえられて連れ去られたという事故があったそうです。

残念ながら、そのお客様は戻ってきておりません。

そうならないためにも、今言ったことは絶対に守ってくださいね、皆さん」


 そう締めくくると、家族連れと老夫婦は緊張した面持ちでうなずいた。

 若い男女の客は、つまらなそうにそっぽを向いたままだ。


 アイナたちは展望台に向かって岩場を登っていく。

 一番後ろを、よろめきながら若い男女がついてくるのを、もはやだれも振り返りはしなかった。


「さて、ニジイロワシですが、もう一つ有名な特徴があるのをご存知ですか?」

「知ってるわ。卵がすごくおいしいの!」


 アイナの問いに真っ先に応えたのは、家族連れの母親だ。

 それに目を輝かせて、老婦人が振り返る。


「私もいただいたことがあるわ! ふわふわの大きなオムレツを食べたのよ。とても濃厚でとろっとしていて、最高においしかったわ!」

「まあ、オムレツもいいですね! 私はプリンを食べたことがあるんです。濃厚でコクがあるのに、舌触りはさらっとなめらかで…………今でもあれが一番の味だったわ!」

「ママ、ずるいー!」

「ずるーい! 私もプリンー!」


 子供たちにしまったという顔でぺろりと舌を出し、母親と婦人が笑いあう。


「うらやましいです! 私はまだ食べたことがありません。何しろ高級食材ですからね。普通の卵の五倍の大きさで、一つに付き銀貨五枚の値がつきます」


「ぎっ、銀貨五枚!?」


 男が目を剥いて叫んだ。

 銀貨五枚と言えば、四人家族の一週間分の食費に相当する高値だ。

 アイナは構わず続ける。


「それゆえ、かつては卵を狙ってハンターたちが群がっていたこともあったそうです。乱獲により、過去には絶滅の危機に瀕したこともありましたが、国を挙げて保護活動を行い、再び個体数が増えてきています。

卵を取るには専用の免許がいりますし、採取数も厳しく制限されているので、一般人が卵を取ることは固く禁止されています」


 念を押すようなアイナの言葉に、珍しく若い二人が熱心に聞き入る。


 アイナの胸に、ちらりと不安がよぎった。

 二人の様子が変わったのは、卵の値段を聞いてからだ。

 しかも、道中何度も禁止事項を破ってきている。

 アイナの説明を聞きながらも、彼らの視線はちらちらと展望台の方をうかがっていた。


「ニジイロワシは、岩のくぼみや岩場の上に巣を作ります。ちょうど今は産卵期なので、展望台近くの巣に卵があるのを見ることができます。

真珠色の卵は綺麗ですし、一見の価値ありですよ」


 アイナの説明も、耳に入っていないようだ。

 一応釘を刺すつもりで、アイナは声を張り上げた。


「ただし、卵は親鳥が四六時中温めていますので、獲物を捕りに出る短時間だけしかお目にかかれません。その上、ニジイロワシはとても目がいいですから、自分の巣に近づく者を見つけたら怒り狂って襲ってきます。怒った親鳥につかまったらそれこそ命はないですよ! 卵を取ろうなんて、くれぐれも考えないように! いいですね!」


 二人連れに向けて言ったつもりだったが、二人とも生返事でアイナの方を見ようともしない。


(聞いちゃいないわねこいつら。まったくもー!)


「……さあ、着きました!」


 諦めたアイナは、岩場の最上段にとん、と軽く上がり、促すように大きく右手を上げた。


 岩盤の上は広く平らになっている。

 悠々と飛ぶ鳥たちに、駆け上がってきた子供たちが歓声を上げた。


「わぁっ! きれーい!」

「すっげー、たっけー!」

「おい、危ないぞ!」


 柵に向かって駆け出す兄妹に、あわてた父親が声を上げた。

 先ほどのアイナの話も思い出してか、柵から飛び出す勢いの子供たちもはっと気づいて足を止める。


「さらわれちゃうから、手を出さないこと!」


 母親に怖い顔でたしなめられ、二人は「はあい」と返事をして、改めて柵の外を眺めた。


 切り立った崖は深く、はるか下を流れる川はまるでうねる糸のようだ。

 対岸は遠くもやがかかっている。

 落ちれば一気に海まで下ると言われている急流が、この深く切り立った崖を作ったのだと言われている。

 ともすれば足が震えるほどの高さは、まさに絶景。


 その眼下、そして上空には、無数の鳥が舞っていた。


 体は白く、長い尾羽が虹色に輝く美しい鳥。

 大きく広げた翼に風を受け、悠々と旋回する姿は、神々しささえ覚えるほどだった。


「すごーい、鳥さん真っ白! しっぽきれいー!」

「そうねぇ、きれいね」

「かっこいいー! でっけー! はえー! すっげー!」


 子供たちが興奮しながら、鳥を指差しては口々に叫ぶ。

 老夫婦も、感激したようにワシの姿を見上げていた。


 その時。


「あった、卵! あそこ!」


 不意に上ずった女の声に、アイナは振り返った。


 展望台からほど近い岩場の巣の中、三つの卵が日の光を受け、鈍く輝いている。

 親鳥は餌をとりに飛び立ったばかりだろうか、姿がない。

 次の瞬間、男が展望台の柵を乗り越えた。


「あっ!」



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