機竜攻略


 チクタク


      チクタク



 頭の中の記憶回路が、また。


 古い映像記憶を、再生する――――。



 記憶にあるマスターは、いつも、後ろ姿だった。


 天才技工士・フィーネシュタール。


 老年の域に差し掛かった頃から、彼はまるで取り憑かれたように、永久機関の開発にのめり込んでいった。


理想郷ユートピアを。人が誰に怯えることもなく、庇護の下暮らせる完全環境都市を」


 それが口癖だった。


 マスターが一心に見つめているのは、精霊銀ミスリル製の配管が、まるで脳髄のように絡まりあった、巨大な魔道反応炉。


 「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェン・4号機。


 自分の―――弟。


 まだ躯体くたいも完成していない、その動力炉だけの頃から、マスターはそれをゾルダーテンラーゲーと名付け、毎日我が子のように可愛がり、温かい言葉をかけた。


 かたや、自分は。


 反応炉の完成後も、実験機として様々な機能を付与され、テストされる毎日。


 しかし「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンをフル稼働させ、いくら新たな知見をもたらしても。いくらたくさんの演習機を撃墜しても。


 自分が見るのは、変わらずマスターの白衣の背中ばかりだった。


 マスター。


 マスター。


 振り向いて下さい。 


 どうか教えて下さい。


 この自分の、存在意義レゾンデートルを。


 

          チクタク


                  チクタク

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……大きい…………!!」


 ” 灰の都 ”から遠く離れた、小高い崖の上である。


 ローザに借りた望遠鏡を覗きながら、マキアだけでなくカイもうめいた。


「動く城だな、ありゃァ」



 あの後、マキアたちは” 灰の都 ”に残された機動馬車――馬型の自動人形オートマタが引く、鋼鉄の箱のような馬車――の元へと案内された。


「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンを再起動させたローザには” 灰の都 ”に現存する、様々な機械への命令機能が戻るという。


マキアたちとなにやら沢山の荷物を載せた馬車は、車輪を忙しく回転させて、暴走するゾルダーテンラーゲーを高速で追跡した。



「――5年前の暴走によって。機竜自身も大破しました」


 車中では、ローザが暴走事故後の顛末を語り始めた。


 暴走後、「爆心地グラウンド・ゼロ」で停止していたゾルダーテンラーゲーは、2年半ほどもかけて、周りの都市の瓦礫などから部品を採集、あるいは新造し、自己修復を済ませたのだという。


 機竜はその巨体のために、また、そもそも長距離の移動を想定した設計ではないために、移動速度は非常にゆっくりだ。


 地中の竜脈レイラインを辿るように、大地から魔力をむさぼりつつ、途中の街を壊滅させながら放浪を続けていた。


 移動痕を追うと、隣国カリテスとの境界に位置する峡谷に、その赤茶けた巨体が見えてきた。


 機竜の持つレーダーに捕捉されないように、マキアたちは近くの丘に機動馬車を止めた。



「完成直後は。全身が白亜に輝き、それは美しかったと記録されています」


「……あれが? サビだらけだけど」



 機竜は例えるなら、甲羅の上に街を乗せた巨大な亀、のような姿をした要塞だった。外装の色は暴走事故のせいですっかり剥げ落ちたようで、瓦礫から発掘した装甲版や鉄骨を幾重にも体に張り付けている。


 身体中の煙突や排気口から噴出した蒸気が全身を霧のように覆い、そのもやの中のあちこちから、「爆心地グラウンド・ゼロ」で見たような紫色の魔光が漏れ出ている。


 関節を軋ませながら、6つの巨大な柱のような脚で幽鬼のようにゆっくりと大地を闊歩かっぽするその威容は、先ほどカイが言ったとおり、錆び付いた巨大な動く城であった。



 機竜の足元には、たくさんの騎馬兵が走り回っていた。機竜の侵攻を食い止めようとする、隣国カリテスの国境警備兵たちだろう。


 騎馬兵たちから浴びせられる散発的な弓矢や攻撃魔法は、恐らく、陽動だろう。


 マキアたちからは、渓谷の死角から機竜を狙って攻撃準備を進める、攻城やぐらの姿が見えた。やぐらの上では何人もの魔術師が印を組み、魔力を高めつつあるところだった。


 不意に、機竜がゆっくりと、蛇のように長い頭部をもたげる。


 開かれた機竜のあぎとから、紫色の光が漏れる。街の大広場ほどもある巨大で複雑な光の魔法陣が、頭部を中心に展開されていく。


 まるで後光を背負ったかのような迫力。


 空間を振動させるほどの馬鹿げた量の魔力が、凝縮していく。


「……やべェぞ、こりゃ…………!」


「伏せて。衝撃に備えて下さい。機竜の主砲が発射されます」


 マキアの背中を押さえながら、ローザは眉をひそめる。


(しかし――――あの魔方陣は?)


 ローザの頭をふとした疑念がよぎるが、発射された機竜の主砲の轟音と閃光が、思考を中断させた。


 収束した魔力は光線となり、地面を薙いで騎馬兵たちを一瞬で蒸発させる。


 そればかりか光線は、渓谷の岸壁を易々と貫通すると、その影に隠れた攻城やぐらを消し飛ばした。レーダーでその存在を知っていたのだろう。


 衝撃波が、はるか離れたマキアたちの元へと届く。


 あやうく吹き飛ばされそうな暴風が過ぎ去った後、目を開いたマキアが見たのは、機竜から一直線に伸びる、紫の炎に焼き尽くされた大地だった。


 機竜は勝ち鬨の声を上げるでもなく、大量の蒸気を排出しながら、あぎとを閉じる。


 足元では機竜を中心とした巨大な円状に、魔力を吸い尽くされた草原と大地のマナが” 死の灰 ”となって、白く広がっていた。


「――まるで象とアリの群れだな。勝負にもなってねェ。あんなガラクタ風情が恐れ多くも” 竜 ”を名乗るのは気に食わねェが、確かに大したもんだぜ」


「あっ。見て見て! 何人か、機竜の下に潜り込めたよ。頑張れ、頑張れ!」


 生き残った騎馬兵たちが、仲間の敵討ちとばかりに、死に物狂いで機竜の真下に潜り込んだ。投げ縄を使って登るのを試みたり、爆薬で脚部を破壊しようとしている。


 確かにあそこなら、砲撃の死角にはなるだろうが……。


「無駄です」


 機竜が背中に背負った瓦礫の山から、羽音を立てていくつもの自律兵器が飛び出した。


 寄生虫のように貼り付いていた、まるで機械の蝿のようなそれが、真下に潜り込んだ兵士たちに次々と鋼鉄の爪で襲い掛かる。


 多勢に無勢の一方的な殺戮。。兵士達の最後を見るに堪えず、マキアは望遠鏡から顔を背けた。


「ゾルダーテンラーゲーは。そのあまりの有用性から、開発当初から各国の争奪の的になることが予想されました。そのため。過剰とも言える自己防衛機能・自己修復機能を有しているのです。開発コードネームである『軍営ゾルダーテンラーゲー』の名は、比喩ではありません」


 まるで難攻不落の要塞である。あんなものを、この3人だけでどうにかしようなど、とても正気の沙汰とは思えない。


「ご安心を。自分を再調整したマスターの弟子たちから、すでに攻略法は伝授されています」


 そう言って、ローザは” 灰の都 ”から乗ってきた機動馬車を指差した。


「あれには。マスターがかつて開発した、強力な新型爆弾を積んでいます。その爆弾と接続した自分を、同じく持参した簡易カノン砲で目標に砲撃して下さい」


 淡々とローザが続ける。


「自分自身が弾頭となり、着弾時に自分の「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンを起爆装置として爆弾に点火。その火力で機竜を撃破します」


「……おいおい、特攻かよ」


「はい。お二人にはカノン砲の操作と、万一不発だった時には遠隔操作で自分を自爆させて欲しいのです。新型爆弾には遠く及びませんが、通常火薬を最大限積めば、機関部にそれなりのダメージは与えられるはずです。その後は申し訳ありませんが、近隣国の兵力と共闘して弟を仕留めて下さい」


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 それまで黙って聞いていたが、慌ててマキアがローザの両肩を掴む。


「何か、作戦に問題が?」


「問題って…………何言ってるの、ローザ! 自分が死んじゃうんだよ!?」


 あくまで人形の無表情でローザは語る。


「仕方ありません。ゾルダーテンラーゲーの撃破こそが、自分の存在理由レゾンデートルです――から」


 そう口にした時、ローザの瞳の光がわずかに瞬いて見えたのは気のせいだろうか。


「……あんだけのデカブツを一撃でしとめるんだ。その爆弾ってなァ、さぞかし強力なんだろうな? ここいら一帯もタダじゃすまねェだろう?」


 問われて、ローザはカイに顔を向ける。


「はい。新型爆弾の爆発とゾルダーテンラーゲーの崩壊により、恐らく最終的には” 灰の都 ”で見た爆心地グラウンド・ゼロの数倍の規模の傷跡と汚染を、大地に刻むことになると推算します」


「被害だって大きすぎるじゃない! これじゃ、ヘタすれば隣のカリテスまで” 灰の都 ”みたいになっちゃう!!」


「それでも。弟をこのまま放置すれば、それ以上の汚染と災厄をこの世界にもたらします」


 機械らしい合理的な思考だが、マキアは、はいそうですかと賛同する気にはならなかった。


 別の攻略法は無いのかと何度も問い詰めるうちに、ローザはしぶしぶ第2の案を口にする。


「……自分の「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンと、弟のそれは。規模は全く違いますが、原理と制御機構は同じです。機竜の内部に潜入し、機関部の反応炉と自分の「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンを同期し、自爆プログラムを起動できれば、あるいは――――」


 しかしこの方法は、あまりに成功率が低いとローザは渋った。


 それもそのはず、機竜に近付くだけで集中砲火の餌食になるのは、先ほど哀れな兵士達が証明した通りだ。万一近づけたとしても、機竜の身体に登っている間に無数の自律兵器にやられておしまいだろう。


「あのガラクタに死角はねぇのか?」


「レーダーは全方位に展開していますが。主砲の仰角ぎょうかくの都合もあり、直上ちょくじょうからの襲撃を苦手としている、と聞いたことがあります。もともと航空戦力への対応は、別の機動要塞が担う計画でしたので」


「直上って、空でも飛べなきゃ無理だよね……」


 ため息をつくマキアに、カイが隻腕であごを掻きながら申し出る。


「手がねェってわけでもないぜ」


「え?」


「お前の着てる、そのクソッタレな服だよ」


 マキアが羽織った星天布スターダスト・クロスのコートを指差す。


「あの双子に頼るのもしゃくだが、是非もねェ。ここは一肌脱いでもらおうじゃねェか――」


 そう言うと、霊体となったカイは、コートの中にするりと入っていった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 半刻ほど経った後。


 コートの星空が輝きを増したかと思うと、まばゆい光が溢れ出し、二つの人影がマキアたちの前に姿を現した。


「――――カイ様、マキア様。ご機嫌麗しゅう」


「まさか、そっちから訪ねてくるとはね――――」


 鏡写しのような双子の少女。この星天布スターダスト・クロスをマキアに与えた、双星の巫女と呼ばれる魔道師たちだ。


 二人の瞳には、虹彩の代わりに恒星の輝きがあった。

 うら若き乙女に見えるが、その正体は天に瞬く至高の竜、天竜座てんりゅうざの双牙とも呼ばれた2連星であるという。


 本来の彼女たちは、ここから遥か離れた地方の砂漠にいるはずだが―――。


「カイ様より直々にお声を頂いて、馳せ参ぜぬわけには参りません。星天布に込められた星の魔力を媒介にした思念体のみでの参上の無礼、どうかお許し下さい」


 そう言ったのは、双子の姉。長い銀髪の少女が慇懃な口調で答えた。


「よぉエル。変わりねェな」


 双子の片割れ、金髪をボブカットにした妹のほうは困惑気味だ。


「相変わらず、こっちの都合なんておかまいなしよね」


 こちらは、姉とは違ってくだけた物言いである。感情も隠そうとはしない。


「そんな顔するなよ、アル。別に前みてェに喧嘩を売ろうってんじゃねェ。さっきもざっと話したが、ちとヤボ用を頼みたくてよ」


 ローザが改めて” 灰の都 ”のこと、機竜のことを二人に説明する。


「――――皆様をあの動く城の上空に転移させるのは、造作もないことです」


 エルの言葉を、アルが引き継ぐ。


「でも、わたしたちが協力しなくちゃいけない理由が、どこに?」


 カイがにやりと笑う。


「それでこそ誇り高い天竜の巫女だぜ。はいそうですか、ってワケにはいかねェよなァ。でもよ……」


 隻腕の指を、機竜の向かう先へと向ける。


「あの渓谷を抜けた先は、隣国カリテス。いわずと知れた魔道大国の玄関口だ。そんな場所で、この人形が自爆してでかい爆弾をぶっ飛ばして灰まみれにしてみろ。カリテスの国土自体がやべェし、そうでなくても、そこに通じる陸路の物流が死に絶えるのは間違いねェ」


 カリテスは三方を険しい山脈で囲まれた盆地である。唯一平原へと開けたこの南の渓谷は、カイの言うとおり交易の大動脈であった。


「それで?」


「カリテスは、お前らの可愛いキツネどもが作る星天布の、でけェ消費地だろう? 陸路が潰れりゃ、無理やり北の港を整備して海上の輸送に頼るしかねェだろうが、どっこい、ここいらの海を牛耳ってるのは海竜かいりゅうの野郎だ」


「…………」


「海竜……青潮あおしおは気まぐれモンだ。いでる時もあるが、陸路を大人しく見守る土竜ガルヴォヴォほど優しかァねェ。お前らの星の魔力がたんまり詰まった布を運ぶ船なんざ、機嫌を損ねて片っ端から沈められるぜ。そうなりゃ、どんな商人もビビって星天布なんて扱わなくなる」


 星天布は、この双子と共に砂漠に住む、星狐ほしぎつねの民が作っている。一年間の現金収入のほぼ全てを星天布に頼る彼らにとって、その売れ行きが落ちるのはまさに死活問題だろう。


「――――ずるい」


 ぼそりとアルがつぶやく。


「そういう事情であれば……分かりました。お手伝い致しましょう」


「いやー、悪ィな!!」


 ニヤニヤと笑うカイ。エルもため息と共に、協力を受け入れたのだった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 作戦の算段が付き、ローザは準備のために、機動馬車の荷台から様々な装備を取り出していた。


 身を隠していたローブを脱ぎ、見たこともない繊維でできた戦闘服に着替える。


 そして「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンの燃料になるという、高純度の魔力結晶体。クリスタル状のそれらを、両手や両足に括り付けていた。


「ねぇ。ローザのご主人様って、どういう人だったの?」


 特にすることがないマキアはその様子を見ながら、何気なく聞いた。


「マスターは。優れた魔道技工士でした。幼少期からその才覚を発揮し、代表的な発明としては―――」


「あ、そうじゃなくて。あなたにとって、どういうお父さんだったの?」


「…………」


 ローザは質問に即答せず、準備を続けた。自分の頭で考えていたのかもしれない。飛行のための装置を背負ったところで、ぽつりと漏らす。


「……分かりません。マスターの関心は、常に完成品であるゾルダーテンラーゲーにしかありませんでしたので。試作3号機の自分に、何か特別な感情は無かったと推測します」



 チクタク


      チクタク



 また、頭の記録媒体の中で。


 色褪せた写真のように、映像記録が再生される。


 ――――開かれた自分の胸部を整備する、油で黒く汚れた、節くれ立った指。


 ――――常に気難しそうに、眉間に刻まれた深いしわ


 ――――そして、たった一度だけ、自分の「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンの出力が安定した時にだけ見せてくれた、屈託のない笑顔―――――。


          チクタク


                  チクタク



「…………っ」


 思わずエンジンに不調を覚え、胸に手を当てた。

 瞳の紫の光が、ゆらめく。


「大丈夫?」


「――――問題ありません。一瞬、動力が不安定になっただけです」


 思考を邪魔する雑念ノイズを振り払い、ローザは支度を終わらせる。

 全ての装備を整えた彼女は、全身に魔力結晶体をまとわせた、荘厳な姿になった。


「お待たせしました。それでは参りましょう。我が弟の中―――父の元へと」


「え?」


 フィーネなんとか博士って、機竜の暴走事故で亡くなったんじゃなかったの? というマキアの問いに、ローザは淡々と答えた。


「人の” 死 ”をどう定義するかによりますが。細胞レベルでは、マスターの生命活動はいまなお停止していません」


「?」


 いつの間にか日が沈み、はるか遠くの薄暮に浮かぶ機竜の姿。


 主砲の砲撃でエネルギーを使ったせいか、動きを止めて沈黙している。


 その姿を無表情に見つめながら、ローザは言った。


「ゾルダーテンラーゲーの中央演算装置にして、「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェン・4号機の制御ユニット。それは培養液の中に入った、フィーネシュタール博士の「左脳」の脳細胞に他なりません」


 天才科学者の果て無き妄執と、その虜になった機械たち。


 マキアは思わず言葉を失い、その背中を見つめるしかなかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 機竜への奇襲は、星の力が強まる真夜中を待って行われた。


 エルとアル、二人の巫女が手に鈴を持ち、流麗な舞いを踊って自らの魔力を高める。


 瞳の恒星を輝かせながら、満天の星空を背負った二人は言った。


「転送の準備、整いました」


「帰りも空間転移で迎えに行くから、教えた通りのやり方で知らせてよね」


「ありがとう。エル、アル」


 マキアはちょうどお姫様だっこの要領で、ローザに抱きかかえられている。高高度からの襲撃というかつてない体験に、緊張の色は隠せない。


「なーに、ヤバくなったらとっととトンズラすりゃァいいさ。なぁ、木偶人形?」


「はい。機関部への侵入が完了すれば、お二人は即時退却して下さい」


「なに言ってるの。あなたも一緒に帰るんだからね」


「―――そうですね」


 唇だけでローザが答えた。


 ローザがエルに向かって頷くと、双子はつないだ手を掲げて転送魔術を行使した。


『それでは――――ご武運を!!』


 二人の声が重なり、マキアたちの体は星の光に包まれたかと思うと、そのまばゆい光は空へと駆け上っていった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「……ほ、ほんとに………………来た―――っ!!!!」


 光に眩んだ目を開けた時、マキアの身体が感じたのは、自由落下による全身の浮遊感、強烈な風の抵抗、そして上空の冷たい空気だった。


 上には星空、眼下には夜の闇に沈んだ平野が広がる。


 自分の真下に街、あるいは工場のように見えるのは、ゾルダーテンラーゲーの背中だろう。まだ休止状態にあるらしく、動いている様子はない。


「目標の直上。予定通り、高度約2000に空間転移を確認」


 マキアの顔の隣には、銀髪を風にはためかせながら、相変わらず冷静な声のローザ。


「機竜のレーダーを撹乱するため、魔導迷彩を展開します」


 「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンが駆動し、ローザの全身の結晶から、黒い霧のような魔力光が滲み出した。


 しばらく落下を続けると、それまで静かだったゾルダーテンラーゲーから、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。身体のあちこちから紫色の光が灯り、巨大な機竜が目を覚ます。


 背中に設置されたいくつものサーチライトが、頭上を照らす。


「おおっと。さすがに見つかったかァ?」


「すでに主砲の仰角は間に合いませんので、ご安心を。副砲と自律兵器による攻撃は、バリアと回避で防ぎます。しっかりつかまって下さい!」


 機竜の鎌首の動きは鈍く、なるほど間に合いそうもない。しかし背中から何本も生えた砲台が、こちらに向かって砲門を開いていた。


 そして―――。


「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」


「珍しく女みてェな声出すんじゃねェ!! 舌噛むぞぐむぅぅぅっ!?」


 高射砲の砲撃が、マキアたちの周りを昼間のように照らす。


 ローザは背負った飛行ユニットから噴出する蒸気で、左右に高速で動き、辛くもこれを回避していく。


「GiGiGiGiGGGG !」


 次に飛来したのは、耳障りな羽音を響かせたハエのような自律兵器。鋼鉄の鋭い爪を光らせて襲い掛かる。


「邪魔です」


 ローザが右手を振りかぶると、手首が90度曲がった。球体関節から長剣ほどもある紫の光の刃が出現する。


 一閃。


 左手でマキアを抱き支えたまま、右手の光刃で自律兵器をこともなげに斬り捨てた。


「BiiiiiYaaaaaaaaa!」


 油を撒き散らして四散する自律兵器。別の方向から、次の機体が襲い掛かってくる。


「しゃらくせェ!」


 カイが、マフラーから隻眼隻腕の黒猫のような身体を顕現させた。大きく開いたその口から、紅蓮の炎を浴びせてこれを撃退した。


 そうして攻撃を回避するうちに、すさまじい速度で機竜の背中が迫ってくる。もうマキアにはローザに全てを託して、目を閉じるしかなかった。


「魔力防壁。最大出力」


 分厚いバリアが機竜の装甲板と反発し、落下速度を大きく減衰させる。同時に飛行ユニットからは急激な逆噴射が行われた。


 強い衝撃はあったが、二人は無事に鉄板で覆われた機竜の甲板に着地する。


「す、すごい、本当にここまで来れちゃった……」


 ゾルダーテンラーゲーの背中は、一面に配管が走り、そこら中に煙突やアンテナが立つ、巨大で歪な都市の様子を思わせた。


 ローザは早速、用済みになった飛行ユニットを脱ぎ捨てると、魔力迷彩やバリアの展開で魔力を吸い尽くした結晶体もパージ。装備を軽くするとマキアを急かした。


「内部へと急ぎましょう。自律兵器が来ます!」

 

「うん!」


 ローザは適当な場所の排気口を破壊すると、そこから内部に潜入した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 真っ暗な室内に、ローザが照明弾を放つ。


 光に照らされた機竜の内部は、思った以上に広い空間だった。


 「……え?」


 てっきり甲羅の上のような無機質な空間を想像していたマキアは、思いもしなかった周囲の光景に思わず声を上げた。


 足元の感触に思わず下を見ると、床面には枯れた芝生が広がっている。


 見れば、あちこちに立ち枯れた薔薇園や、倒れた石柱や東屋の姿が見える。鉄と配管だらけの外見とはうって変わった、緑豊かな庭園というおもむきだ。


「ソルダーテンラーゲーは。その中だけで環境が循環する、完全環境都市アーコロジーでもありました。人工照明と給排水システムが全壊した今、この庭園も見る影もありませんが……」


 マキアたちの背後から、ゆっくりした足音が近付いてくる。


「(また機械の虫!?)」


 マキアが背中の大剣を抜いて振り向いた先には、手に盆を持った、ボロボロの自動人形オートマタが立っていた。


「なんだァ、このポンコツ?」


「待って下さい。これは敵ではありません」


 暴走事故の際に大破したのだろう。その自動人形は、かろうじてメイド服と判別できる服を身に付けていた。


「侍従係の自動人形です。人間であるマキア様の生体反応を感知し、出迎えに来たのでしょう」


 砕けた顔面のフェイスマスクと、一つだけになった眼球が、空ろな”笑み”を浮かべる。


「オ、オオoオカエリナsaイ、マスタアァァ。オノノノmiモnoヲ……」


 凸凹になった盆には、割れたグラスと空のティーカップが乗っていた。自分の任務を果たすために、ずっとここで待っていたのだろうか。


「えーっと……」


「もらってやれや、マキア」


 自動人形の不気味な外見に少し怯えたローザだったが、なんとか笑顔を取り繕って、グラスを手に取った。


「……あ、ありがとう」


「――――(にっ)」


 自動人形の瞳から光が徐々に消えていく。そして、そのまま動かなくなった。立ったまま、全ての機能を停止していた。


 しかしその死に顔には、どこか満ち足りた表情があった……そう思ったのは、マキアの思い込みであろうか。


「ほんの少しだけ―――何かが違えば。その自動人形姉妹も、自分も―――」


 任務を全うしたその自動人形を見ながら、ぽつりとローザがつぶやきかける。


『Warnung! Warnung!

Bestätigen Sie den Eindringling. Autonome Waffen haben die Schlacht schnell getroffen.Wiederholen......』


 それに応えたのは、侵入者を知らせる耳障りなサイレンと、遠くから迫るいくつもの金属音だった。


「――いえ。自律兵器が追いついてきたようです。機関部まで急ぎましょう」


 通路には赤い警告灯が明滅している。


 ライトを照らすローザに先導されて走るマキアたちには、自律兵器たちが何度も攻撃をしかけてきた。


魔道撹乱ジャミング!!」


 ローザが「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンの魔力で発動させるその機能は、自律兵器の思考を撹乱させ、一定時間動きを止めた。


 数が多い時はそうやって無力化させ、少ない時は破壊し、マキアたちは何重もの隔壁を開きながら、機竜の中を駆け抜ける。


 その道中、小さいが” 灰の都 ”の町並みを再現された居住区や、農園と思しきエリアを横目に見た。


 どうやらフィーネシュタールは伊達や酔狂ではなく、この機動兵器の中に本気で理想郷ユートピアを作ろうとしたようだ。


「お前のご主人はつくづく変わり者だよなァ。こりゃ機竜の乗組員のための船室ってどころの騒ぎじゃねェ。" 灰の都 "の住人の半分は住めるよな」


 この完全環境都市アーコロジーは明らかに長期間、多くの人間が住むことを想定して作られているようだ。しかし、そこまで外部との接触を絶って、内部で自己完結する必要があるのだろうか?


 マキアの脳裏にふと浮かんだ疑問は、前を行くローザの急停止で遮られた。


「……止まって下さい」


 機関部に近付いてきたところで、それまでの自律兵器とは様子が異なる、大型の兵器が姿を現した。


魔道撹乱ジャミング!!」


 ローザの撹乱兵器も、それまでの自律兵器と違い、その大型の兵器には効果が無いようだ。見れば、背中から長く伸びたケーブルが見える。


「これは……自律兵器ではありません。ゾルダーテンラーゲーの中枢と直結した、護衛機です」


 白亜の亀のような機体は、本来の機竜の姿を模したものだろうか。しかしその動きは鈍重な本体とは違い、俊敏そのものだった。


「……強いっ!?」


 マキアの大剣は、分厚い装甲に弾かれる。カイの炎もローザの放つ光線も、効果は薄いようだ。


 巨体を活かしたタックルや、甲羅の中から覗く銃口からの砲撃は、マキアたちを苦しめた。


「マキア様。下がってください」


 マキアを押しのけて、ローザが護衛機の元へと疾走する。


「(弟……ゾルダーテンラーゲー……ッ!!)」


 銃弾の雨が降り注ぐ。バリアで防ぎきれないそのうちの何発かが、ローザの身体を容赦なく穿うがった。


 そのダメージを物ともせず、高速で駆け寄ったローザはあろうことか敵の目の前で胸部を開き、「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンを露出させて、護衛機の頭を抱え込んだ。


 機竜の制御装置と直結したこの護衛機に、同じ「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンを持つローザが干渉。情報伝達が混信し、エラーを引き起こす。


 動きを止めた護衛機に、ローザは至近距離から最大出力の光線を発射。それは昼間見た機竜の主砲を思わせるものだった。


 急所を貫かれた護衛機は、地響きを立てて倒れ伏した。


「ローザ、ちょっと無茶しすぎだよ。もう少し自分の身体を――」


 マキアがたしなめるが、ローザは聞く様子もない。


 身体のあちこちに穿たれた銃痕から、水銀の体液を流れ出すが、それに構うこともなく、もう戦闘不能な護衛機に何度も光の刃を突き刺していた。


「(ソルダーテンラーゲー。あなたが。あなたさえ。あなたがいたから。あなたが、あなたが――――!!!!)」


 既に大破していた護衛機の目から、完全に光が消えていく。


「ちょっ、なにやってんの!? もう壊れてるってば!!」


 マキアに後ろから羽交い絞めにされて、はじめてローザは我に返ったようだった。


 相変わらずの無表情―――かと思いきや、口元だけが歪んだ笑みの形になった。


「特定の目標に対する、非合理的で過剰な攻撃衝動――――ああ、これが。あなた方人間のいう、” 嫉妬 ”という感情なのかもしれませんね」


「お前……このガラクタの城の中に入ってから、ちょっとおかしいぞ」


 カイの言葉に、ローザは剥き出しの反応炉を隠すこともなく答える。


「そうかもしれません。機関部に近付くにつれて、私と機竜「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンが共鳴し合っていますので、随所に影響が。……これが、” 胸のざわめき ”というものですか、マキア様?」


 その瞳に宿った、紫の光も強くなったように思える。ローザは護衛機が守っていた隔壁に向き直った。


「この先が。ついに最終目標の、機関部です」


 分厚い隔壁を開けると、中から凄まじい熱気と、禍々しい有害な魔力の波動が溢れ出した。


「うっ……」


 機竜の「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンの、巨大な反応炉が吐き出す排熱と魔力汚染である。星天布スターダストクロスを纏っていてさえ、生身のマキアには危険極まりない。


「さきほどの護衛機が、最後の敵でしょう。もう護衛は不要です。マキア様たちは退避して下さい」


「ローザが心配だから……もう少しついていくよ」


 青白い顔のまま、マキアは気丈に微笑んだ。


「―――そうですか」


 熱気で陽炎のようにゆらめく廊下は、どこまでも続くように思えた。


 一歩進むごとに、温度と汚染が高まっていくのが肌で分かる。


「ねぇ。「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンを自爆させてもさ。ローザは動けるんだよね? だって” 灰の都 ”で会った時は、そんなのなくても動いてたもんね」


「…………」


 確かに、他の自動人形と同じく、通常動力だけで可動を続けることは十分に可能だ。しかしローザは口を閉ざしたままだった。


「機竜を倒せば、もう” 灰の都 ”に居続けなくてもいいよね。ローザ、どこか行ってみたいとこある? 見てみたいものとか……」


「…………」


 相変わらず口を閉ざしたまま先を行くローザが、足音がついてこないので後ろを振り返った。


 そこには、倒れたマキアの姿があった。


「あ、あれ、おかしいな……」


 マキアがこみ上げる熱いものに思わず鼻を押さえると、鼻血が出ていた。頭痛と眩暈もひどい。


「――――引き際だな。もう汚染が星天布でも防ぎきれねェんだ。戻るぞ」


 具現化したカイが、影のような体でマキアを脇に抱えると、元来た道を引き返す。マキアは抵抗しようにも、その力すら出なかった。


「ここらでお別れだな、木偶人形。あとはお前が役目を果たせや」


「お二人には、心よりの感謝を。自滅プログラム起動後は、機竜が構造を維持できずに崩壊します。その前に、脱出を急いで下さい。ありがとうございました――」


 最敬礼で二人を見送るローザに、青白い顔でマキアは言った。


「絶対、帰ってきてね―――」


 霞む視界と朦朧とした意識の中、遠ざかるローザは、いつまでも礼を続けていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 マキアたちの姿が見えなくなってから、ローザは振り返ると歩みを再開した。


「(思えば。あなたは、自分に沢山のものをくれましたね、マスター)」


 「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンの共鳴の影響か、いつになく思考装置が活性化している。任務に不必要なことまであれこれと思考してしまう。


 既に、周囲の気温は200度を超えている。毒の光も、生命体には致死的なレベルだが、可動に影響があるほどではない。

 

「(耐熱装甲。耐魔力汚染特殊繊維)」


 瓦礫が道を塞いでいる。右手首から光の刃を出し、なぎ払う。


「(各種兵装。それを操る戦闘プログラム)」


 目の前に、最後の隔壁が迫ってきた。分厚い隔壁のこちら側からでも、隔壁の向こうの反応炉の出す重低音が聞こえる。右手をかざし、そのロックをなんなく解除する。


「(レベル7の軍事機密アクセス権限)」


 重々しい音と共に、巨大な隔壁が左右に開いていく。


「(そしてなにより――――――自分の全て。「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェン)」


 その先の広大なエンジンルームに鎮座するのは、精霊銀ミスリル製の配管が、まるで脳髄のように絡まりあった、見上げるほどに巨大な魔道反応炉。


 人間であれば心臓が、自分には「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンが入っているその場所に手を当てながら、ローザは機竜の炉の中心に置かれた水槽に近付いた。


「(しかし。自分はそんなものよりも――――)」


 これから彼女が行おうとするのは、自分が創られた理由そのものである「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンの破壊だ。


 人造物にとって、これに勝る自己否定があるだろうか。


 その水槽には、彼女の創造主の青白い左脳が、管につながって浮かんでいた。


 水槽に手をつき、額をくっつけながら、寂しそうに口に出して言った。



「――――名前が。欲しかったです。マスター」



 それがあれば。


 あるいは自分も、それを拠り所にして、笑顔で死んでいくことができただろうか。



 胸部の動力炉との接続をカット。自らの「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンに手をかける。


 動力炉を固定したネジを一つ外すたびに、一つずつ、何か大切なものが消えていく―――そう感じたのは、果たして錯覚か。


 街を滅ぼした、憎らしい心臓。


 主に褒められた、愛おしい心臓。


 自分の存在意義。


 マスターとの、たった一つのつながり――――。


 全てのネジを外し終え、自分の身体から取り出した時。


 物理的な質量の減少ではなく、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚が――確かにあった。


 主動力を失い、ローザの瞳から紫色の光が消える。


 虚ろな瞳のまま、その後の行動は、全て身体がプログラム通りに自動的に動いたような気がする。


 自らの「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンを、機竜のそれの制御装置である、水槽のフィーネシュタールの脳に接続した。


「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェン3号機、4号機中央制御ユニットと接続。同期開始……」


 唇だけで読み上げる。


 ローザの思考装置とフィーネシュタールの脳が接続した時に、脳裏にノイズ交じりに聞き覚えのある声が響いてきた。



”―――間に……合わせ……ければ…………ここ……住人だけでも……―――”



”―――……深……な汚染が予想………………世界……―――”



”―――……観測…………年後……しかし……既に……―――”



 脳髄だけになっても残る、マスターの残留思念だろうか。


 それが何を意味するのか。少し疑問に感じたが、彼女の思考装置はそれを深く考えることを拒絶した。


「自壊プログラム。アポトーシス・シークェンス、発動」


 乾いた声。


 連動した2つの反応炉が、共に反転。

 汚染を外に出さないように自らに何重もの魔力封印を施しながら、不可逆的な自壊を始める。


 しばらく様子を観察していたが、シークェンスは安定している。もう再起動が不可能になるまで崩壊が進んだところで、ローザの身体から全ての力が抜けた。


 終わったのだ。なにもかも。


 水槽の前に座り込む。


 「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンを失ったことで、彼女を守っていたバリアも消失した。室内の高温と汚染が、少しずつ身体を蝕んでいくのが分かる。


 ――――このまま眠りにつけば、もう目覚めることはないだろう。


 もう一度道を引き返して脱出しなければならない理由は、なにもなかった。


 元より人間のような思考形態は持ち合わせないが、任務を完了したことによる” 達成感 ”などというものはどこにもなかった。今はただ、活動を続けることが、ただただ苦痛だった。


 あの壊れた庭園で出会った侍従の自動人形は、満足して旅立ったのだろうか。


 自分は今、どんな顔をしているのだろうか。


「…………マスター。あなたは褒めてくれますか」


 目を閉じ、最後の言葉を口にする。



「――――任務、完了。ローレライ型試作3号機、状況を終了します」






























 そのまま、どれだけ時間が経っただろうか。



「…………なたは…」



 身体に感じる振動を、重力センサーが感知。


 休止モードから強制的に再起動させられる。



「…………あなたは!! 何をしているのですか!!」



 目を開いた先には、自分を抱いて歩くマキアの姿があった。


 髪の色が緑色に染まり、全身からは高い魔力を感じる――――が、いかにも苦しそうな表情を浮かべていた。


「無茶苦茶だぜ、マキア!! いくら竜菌りゅうきんの力を使ったって、お前らヒトが耐えられる環境じゃねェだろっ!!」


 カイのわめき声も聞こえる。


 身体中から湯気を上げ、服を焦がしながら歩き続けるマキアに、ローザは声を荒げた。彼女の戦闘服すらも溶け落ち、裸になっていた。


「放して下さい! 危険すぎます。なにより、もう自分には帰る理由など、活動を続ける理由などありません!!」


 思考がまとまらない。これはきっと熱で思考回路が暴走しているせいだ。きっとそうだ。


「お願いです。せめて、マスターと弟の懐の中で眠らせて下さい!! そうすれば自分は―――満足して眠ることができるのです!! お願いです!!」


「…………キミが本心からそう言うなら、ボクもそのままにしてたさ……っ」


 呼吸するだけで肺が焼けるようなマキアは、ローザを抱いたまま、その顔を鏡のようになった壁面の鋼材に向けた。


「でも―――それなら、なぜキミはそんな顔をしてるんだ!?」



「―――――?」


 

 自分の瞳から、水銀の” 涙 ”が流れていたことに、その時はじめて気付いた。



 義眼に異常はない。人工体液の循環系にも、各種配管にも漏洩はない。それなのに、” 涙 ”は、ぬぐってもぬぐっても溢れてきた。


「……自分は!……自分はもう、任務を終えたのです……っ!」


「それはキミを目覚めさせて改造した、フィーネシュタールの弟子たちが勝手に決めた任務だろう!? 本当のキミがやりたいことはなんだ!」


「では、あなたが教えて下さい!! 自分の存在理由レゾンデートルを!! 自らが試作機となった「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンをこの手にかけた、自ら自らの存在を全て否定した、そんな自分がなお生き続けなければならない、その理由をッ!!!!」


「それは…………」


 水銀の涙を流しながら、血を吐くように想いを吐露するローザの剣幕に、マキアも思わず黙り込む。


 もうこれ以上、マキアを危険に晒すわけにも、意味のない稼動を続けるわけにもいかなかった。


「もう―――いいのです。お別れです、マキア様」


 自ら主電源を強制終了。全てのセンサーをカット。


 再び、終わりの言葉を口にする。


「ローレライ型試作3号機、状況を終了します――――」




「―――それでもっ!! キミの名前は、” ローザ ”だろう―――!!」




 その声を遠くに聞きながら、ローザの意識は闇へと落ちて行った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――








 チクタク


      チクタク



                チクタク


                         チクタク







「――――」


 ゆっくり瞳を開いた時、そこには夕暮れの空があった。


 外装にダメージはあるが、各部正常。身体を起こす。


 遠くに、大地に崩れ落ちたゾルダーテンラーゲーの姿が見える。


 思考装置が、ようやく状況を把握してきた。どうやら、出発した丘に帰ってきたようだ。


「気が付いた?」


 そう言って顔を覗き込んできたのは、恒星の輝きを持つ瞳。カイが連れてきた、双星の巫女と呼ばれる双子の妹のほうだ。


「惜しかったわね。つい2,3日前まで、マキアたちもここで待ってたんだけど」


「…………自分は。どれくらい機能を停止していたのでしょう?」


「10日ほどです」


 今度は双子の姉が答える。周囲には、二人以外の人影はなかった。


「わざわざ、待っていてくれたのですか?」


「待つことには慣れておりますから」


 銀髪のエルが優しく微笑んだ。


 ローザの裸の身体には、真新しい星天布がかけられていた。エルがかけてくれたものらしい。


「まさか。再起動するとは思いませんでした」


 情報の保存が上手くできておらず、自壊プログラムを発動させた前後のことは断片的にしか思い出せない。


 ただ、あの時のような思考の混乱はない。自分でも驚くほど、思考回路は正常に稼動していた。


「なんだか、生まれ変わったようね」


 アルが微笑む。


「よく分からないのです。果たすべき任務が無いのに、何ら支障なく稼動している。自分は、どこか壊れてしまったのかもしれません」


 エルが立ち上がると、座ったままのローザに手を貸した。


「目が醒めたのであれば、私たちの魔法で送りましょう。どこへなりと一度だけ送るように、マキア様たちから頼まれています」


「自分は。どこに行き、何をすればいいのでしょう?」


「あなたが自由に決めていいのよ」


 星天布で身体を隠しながら、ローザはじっと機竜の亡骸を見つめていた。


「―――ゾルダーテンラーゲーが。主砲を放つ際に見えた魔法陣、あれはマスターが開発した魔術の術式とは異なっていました。第三者によって改変された可能性があります」


 冷静さを取り戻した彼女が、元々怜悧な頭脳を使って、思考を再開する。


「加えて。機関部で得られたマスターの断片的な言葉――――本当に弟は、単なる優れた動力源として開発されたのでしょうか? あの暴走は、本当に事故だったのでしょうか?」


 アルとエルは顔を見合すと、くすっと笑った。


「どうやら、やるべきことは色々とあるみたいね」


「ひとまず。ランデスハウプトシュタットへの帰還を希望します。外装の修復が終わり次第、ゾルダーテンラーゲーと、もう一つの機動要塞の詳細を古いデータから探ってみます」


 機竜に先立って完成し、こちらは暴走事故を起こすことも無く今もどこかの上空を飛行している、フィーネシュタールのもう一つの忘れ形見。


 空中要塞・トゥーゲントインゼル。

 

 マスターの「右脳」の在り処。


 そこに辿り着ければ、あるいはマスターの真意が分かるかもしれない。


「あ、花が落ちたわ」


「?」


 立ち上がった拍子に、開きっぱなしだったローザの胸部から、白い薔薇の花が落ちた。


 それは” 灰の都 ”でマキアがくれた造花の花。


 胸部の中にあったおかげか、あの高温にもかろうじて耐え、焦げ付きながらも形を保っていた。


 所持し続ける合理的な理由は何もない。しかしローザは、その白薔薇を大切そうに拾うと、胸部の中にしまった。


「……やはり。どうやら自分は、認識機能にエラーを抱えてしまっているようです」


 胸にはもう、「竜の心臓」ドラッヘ・オーフェンは無いのに。


 その薔薇の花を入れただけで、無限の熱量を感じるのは何故だろう。


 マキアとカイは、今頃どこで何をしているのだろう。


 会えなかったのは残念だが、いつかきっとどこかで再会してみせる。


 その時こそ、礼をしよう。どれだけの礼を尽くしても、彼女が「もらったもの」に釣り合いはしないだろうけど。


 眼前にはどこまでも広がる平原。


 吹き抜ける風に髪をはためかせながら、言った。


「――――任務、いえ、活動開始。ローレライ型試作3号機改型・固有名ローザ。状況を開始します」


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竜憑少女マキア 藍川あえか @izanagi3

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