おもいでのなかのアンタレス

側溝

おもいでのなかのアンタレス

『僕が引っ越す前にタイムカプセルを埋めよう。ぴったり十年後、またここに来よう』

十年前にミキト、つまり僕が幼馴染のサエとそんな約束をしたのは、僕が離れたところに引っ越してしまう数日前のことだった。

今考えてみれば、毎年特別な出来事があるわけでもないのに、ぴったり十年後の日付なんて覚えてられるわけがない。しかもその頃は小学生。携帯電話なんて持っていなかった。僕は家の電話番号を聞くほど殊勝ではなかったので、引っ越した後で連絡を取り合うこともなかった。

そして長い期間が過ぎて大きくなるにつれて、そもそもタイムカプセルを埋めたことすら忘れて約束の日を過ぎてしまうのだ――と思っていた。

僕はなんとはっきりと覚えていた。埋めた日から十周年の今、僕は展望台のベンチに座っていた。夏の太陽に温められていた木製のベンチは、日が暮れるにつれてすっかり冷え切ってしまっていた。今ではむしろ少し風が涼しいくらいだ。軽く上に羽織るものでも持ってくればよかったとほんのちょっとだけ後悔した。

特にやることもなく、頬杖をついて広い空をただ眺めていた。山の下にある町は昔と比べて発展しているが、昔よりずっとよく星が見えている。聞いた話によると、どうやら街灯を軒並み光害対策がされたものに変えたらしい。星がよく見えることを売りにするつもりだったのかもしれないが、ここの展望台に人がやってくる様子はない。近くに店なんかも出ている別の展望台が、町から近いところにできてしまったからだろう。

少し離れたところに作られているこちらの展望台は、どうやら捨てられてしまったようだ。しばらく前から手が入っている様子がない。少し体を揺らすと、それに合わせてベンチも一緒に揺れる。金属製の足は、木製の座るところとうまくくっついていなくてカタカタと音を立てた。

その代わりと言っては何だが、静かで暗いここでは特に星がよく見える。空に視線をやると、小さなものから大きなもの、明るいものから暗いものまでたくさんの星が瞬いているのが見えた。もはやどれが何という星か判別する方が難しいくらいだ。それでも、眩しく輝いている赤い星はすぐ見つけることができた。さそり座のアンタレス、一等星だ。それに伴ってさそり座を線で繋ぐことも容易にできた。

 アンタレスはさそり座の心臓の星だ、と昔に聞いた。言われてみればなるほど、真っ赤な色も含めて心臓そのもののようだ。小さい頃から空で目立つこの星が気に入っていて、星のよく見えるところに行っては真っ先にアンタレスを探すのが癖になっていた。

 サエも同じようにアンタレスが好きで、空が暗くなり始めるあたりからどちらが先にその星を見つけるのが早いか、僕とサエの間でよく争って遊んでいた。僕は目がよかったし、おおよそは僕の方が速かった。とはいっても勝敗を決めて何かしたわけでもなく、見つけた後はただ真っ赤な星を眺めるだけだ。

 しかしそれも、その時間に二人揃っていないと勝負にすらならない。展望台には相も変わらず僕しかいない。辺りからは虫が静かに鳴いている声と、風に吹かれた葉や草が擦れる音くらいしかしてこない。

 つまりは僕しか今日の日付を覚えていなかったということだ。悲しいことだが、それが事実だろう。

 一人でタイムカプセルを開けるのは大変むなしいものがある。仕方ないので一人で帰ろう、と思った時だった。

「ミキトさん……ですね?」

 聞き慣れない声で僕の名前を呼ぶ奴がいて、どきりとした。ここを訪ねてきた上に、僕の名前を知っているのは一人くらいしかいない。

 おそるおそる振り返ると、そこには僕と同い年くらいの少女が立っていた。

 十年前以来、サエのことは一度も見ていない。だから確信はできないが、彼女の持つ雰囲気は当時の面影そのものだった。

「約束の日時ちょうどですね。もしかするとお忘れなのではないかとも思いましたが」

 僕が惚けて言葉を発せずにいるうちに、少女は僕の隣に座った。彼女は髪を一纏めにしている。その髪留めには見覚えがあった。

 タイムカプセルを埋めた日、僕がサエに今までの礼を込めてプレゼントしたものに間違いなかった。大切に持っていてくれたのだと思うと胸が少し熱くなった。

「サエ……だよな?」

 ようやく出た質問に少女は想像していた通り、首を横に振った。

 ……横に?

「残念ながら、私は貴方が待っているサエさんではありません」

僕はすごく間の抜けた顔をしていた。そこでまさか人違いだと言われるなんて思いもしなかったのだ。口をぽかんと開け放ってサエではない何者かに視線を向ける。どう見てもサエだ。

「とは言っても、サエさんでないというのもまた違います。私はサエさんの代わりでここに来ていますから」

「なんで、サエ自身が来ないんだ」

 あまりにも本人らしい別人が、代わりに来た。しかも十年ぶりに見た僕が、すぐにサエだと感じるような別人だ。そういった事象が偶然起きたというわけではないだろう。僕の中で少しずつ嫌な予感が広がっていた。

「サエさんは、三年前に事故に遭われて、そのまま……」

「……冗談だろ?」

 僕の質問に対して、彼女は首を横に振る。

 頭がくらくらして、思わず手で押さえる。長いこと会っていなかったから、どうなっているかは知りもしなかった。僕は想像もしていなかった出来事に打ちのめされていた。

「じゃあ、アンタは何なんだ」

「私は、サエさんを元に作られたhIEです」

 自らを人型のインターフェース、hIEだと名乗った彼女はそっと目を伏せた。僕の語気がショックのあまり強くなってしまったのを察知したのだろう。

「……身代わりhIEってやつか」

 話には聞いたことがあった。実在の人間の姿をそっくりそのまま映したhIEがあるという。それが目の前にいるhIEということなのだろう。

 僕は改めて彼女の姿を眺める。おそらくこの姿は事故に遭う直前のものなのだろう。つまり三年ほど前の姿に相違ないはずだが、僕からすればサエの姿を最後に見た日から七年は経過している。

 顔立ちは大人びていたが、出会ってすぐわかるくらいの面影は残している。髪は随分と伸びて、髪留めがよく似合っていた。

「そんな風に成長してたのがわかっただけでもマシ、か」

 そもそも誰も来ないのが当然の出来事だったのだ。むしろ姿がわかっただけでも幸せだと思おう。

「なあ、そこのhIE。どうせだからタイムカプセルを開けるのに立ち会ってくれよ」

「ええ、構いません」

 微笑む彼女の顔を見ると、やっぱりサエなんだなあと思わされた。



 タイムカプセルを埋めたのは、展望台にあった大きな切り株のすぐ下だった。

「このあたりのはず、なんだけど……」

 他のところには大して手が入っていない癖に、なんと切り株は撤去されていた。目印になるものはあと展望台との距離感くらいしかない。

 とはいっても、十年前の記憶だ。ないよりはマシくらいのものでしかない。しゃがみこんで昔の視線の高さに合わせてみても、何ひとつ思い出せそうになかった。

 hIEの方に目をやると、ノートのページをぱらぱらとめくっていた。hIEがノートを取るというのは聞いたことがない。記録なら自身に保存ができて、ノートのような紙媒体に保存する必要がないのだから。

「それ、なんだ?」

 僕の質問に対し、彼女はノートの表紙を見せた。そこにはサエの名前が書かれていた。

「サエさんがおおよそ十年前、つまりタイムカプセルを埋めた頃に使っていた日記です。彼女のことですから、場所について記載されているのではないでしょうか」

「……それ、見たらダメか?」

「表紙には『ほかの人が勝手に見たらダメ』と書かれていますので」

「お前はいいのかよ」

「サエさんらしく振る舞うには必要なことだろうと家族の方から預かっています」

「それ、倫理的に大丈夫なのか。サエらしく振る舞うっていうの」

 行動などまでコピーしてしまったら、やってること自体はほとんどクローンを作るのと同じだ。

「オーナーがそれを求めているので、私はその通りにしているだけです」

 彼女は肩をすくめる。言っていることは要するに私に責任はないということだ。

「あれ、そしたら今お前の態度はサエそのものなのか?」

「いいえ、可能な限りサエさんに近づけることはできますが」

そう言ってhIEは不意に僕の肩を掴み、顔を近づけてくる。

「もしミキトがそうして欲しいなら、やってあげようか?」

 今まで事務的だったhIEの口調が、砕けた口調に変わる。顔は同じだが、表情が先ほどまでの生真面目なものから、記憶にあるサエに限りなく近いものになった。まるで別人にすり替わったかのような変化に、不気味さすら覚えた。けれどもサエにしか見えない相手に堅苦しい態度を取られるよりはいくらかマシだった。

「サエ、ほんと変わらなかったんだな」

 僕は彼女の肩を掴んで引き離した。十年前のサエと変わらず、彼女は簡単に離れた。

 昔っから距離の近い奴だった。子供とはいってもお年頃だったので、至近距離のサエが気恥ずかしかった。なのでいつもくっついてきたサエを僕が押し返すまでがいつものコミュニケーションだった。

「いい加減年齢を考えろ、ってよく言われた」

「男連中が困るだろ、どう考えても」

 そんな綺麗になったお前にそうされたら、とは言わなかった。昔と変わらず落ち着いて対処しようと思っていたが、そう簡単なことではなかった。七年ほど経過したら、女らしさは上がっていて当然だ。

「私としては普通のコミュニケーションだもん。だけどそれを好きなんだと勘違いされることはよくあって、告白なんかも結構されたよ」

「へえ、それで付き合ったりもしたのか?」

「ううん、全く。ピンとくる人がいなかったし」

「ふーん、そっか」

 ほんの少しだけほっとした。きっと男連中もこんな気持ちだったに違いない。

「そうだ、タイムカプセルだけど、埋めたときの写真あったよ」

 彼女はノートに挟まれていた写真をこちらに見せる。十年前の僕とサエが、ちょうどタイムカプセルを間に挟んで写っている。

「やっぱりこのあたりだよな、写ってるもの的には」

「あとは手当たり次第掘ってみるしかないんじゃない?」

 立て掛けておいた、でかいシャベルを手渡される。

「力仕事はよろしく」

「hIEが人に仕事を任せるの、おかしくないか」

「今の私はサエだから」

 理不尽だ。とは思ったけれど、僕は素直にシャベルを受け取った。サエに頼まれると断れないのは僕も昔から変わってなかった。



写真と見比べながら、位置を何度も調節しながら掘り進めてしばらく経った頃、ようやく硬いものにシャベルの先に当たった。その音を聞きつけて、hIEの方もこちらに寄ってきた。

「今のってもしかして、そう?」

 僕は掘った穴をシャベルで指す。土でだいぶ汚れていたが、十年前に埋めたクッキーの缶に間違いなかった。

「結構時間かかったし、このまま見つからなかったらどうしようかと」

「途中で掘る人交代してくれればもっと早かったんだけどな」

 彼女は目を逸らした。周りにもいくつか穴が空いている。ここまでずっと掘り続けたのは僕だ。おかげさまで手が痛い。

 穴のそばにしゃがみこんだ彼女は、タイムカプセルに手を伸ばした。ある程度周りも掘っていたので、それは簡単に穴から取り出すことができた。

 しばらくくるくると回したり、土を払ったりした後、彼女は蓋に手をかけた。

「それじゃ、開けるね」

「おう」

 hIEが力を込めると、蓋は簡単に開いた。

 中を覗き込むと、二つの封筒が入っていた。

 「十年後のぼくへ」と書かれた封筒を手に取った。紙は黄ばみ、傷んでしまってはいたけれど、読む分には支障はなさそうだった。

 もう一つのサエが書いた方は、hIEが手に取った。

「何を書いたかよく覚えてないな」

「まずは読んでみよっか」

 お互い、丁寧に封筒を開いた。

 中の手紙は、線の書かれていない白い紙に書いたこともあって、文字列がだいぶ歪んでいた。もう少し綺麗に書けよ、と十年前の僕に毒づいた。

 中には、今どうしていますか、だとかしっかり勉強してますかとか、僕を心配する内容が書かれていた。それに、夢は叶えられましたか、なんてことも書いてある。まだ学生の僕だ。気が早い奴だと笑いながら読み進めていくと、最後にこんなことが書いてあった。


ぼくは遠くに引っこしちゃったから、この日のためにもどってきたんだと思います。

ということはサエちゃんのことを忘れないで十年過ぎたってことでしょう。

もし、この日までぼくが言えていなかったら、サエちゃんにちゃんと好きだと言ってください。

 十年後のサエちゃんはもっとかわいくなってると思うけど、十年後のぼくならきっとそれよりずっとかっこよくなってると思います。

 がんばってください。応えんしてます。


思わず、手紙から顔を上げる。

視線の先の彼女も、手紙ではなくこちらを見ていた。

「今、読み終わったんだけどさ」

「ちょうど私も読み終わったよ」

 会話が続かなかった。彼女の方も、何を考えているのかわからない。

 しばらく黙ったまま、時間が過ぎた。

「……僕はやっぱりさ」

「……うん」

「サエのことがずっと好きだったんだ」

 彼女は俯き、何も言わずにただ僕の言うことを聞いていた。

「でもそれはあくまでサエで、お前じゃないんだよな」

 例えいくら外見が同じで、同じように行動していても、やはり目の前にいるのは僕が好きだったサエではない。どんなに近づけたとしても、彼女の代わりにはならない。

 間を少し開けて、彼女が口を開いた。

「この手紙にね、ミキトのことが書いてあったんだ」

「……そうか」

「もし、十年後にミキトが来てくれたなら、ちゃんと告白してねって」

 俯いたまま語っていた彼女は、僕の方を向き直った。その表情は、会ったばかりの生真面目な表情だった。

「けれど、私はサエさんではありません。私はあくまでも彼女に似せただけのhIEです」

 表情が元に戻った彼女は、サエに似せていたときとはやはり別人に見えた。

「お二人の間に、赤の他人が入ったのと同じ状況となってしまいましたね。申し訳ありません」

 hIEは頭を下げようとしたが、僕はそれを手で制する。

「後ろ、見てみろよ」

 何のことだかわからない、といった様子だったが、彼女は後ろを向く。

「アンタレス……ですね」

 数ある星の中で、彼女は僕が示そうとした星を言い当てた。

「このくらいの季節になるとさ、一人でもいつも探しちゃうんだ」

「サエさんも、いつも一人で探していたそうです」

「癖になったままだったのは僕だけかと思った」

「サエさんも、一緒にアンタレスを探していたことなんて覚えてないのではと不安だったようです」

「忘れるわけないだろ、ずっと好きだったんだから」

「私も、ずっと覚えてたよ」

 振り返ったhIEの頬を、一筋の涙が流れていった。

「それがわかっただけで十分だよ」

 僕は手を伸ばし、彼女の涙をそっとぬぐってやった。涙を流していたとは思わなかったらしく、彼女は少しだけ驚いたような顔をした。

 hIEには感情はない。ただ、限りなくサエと同じことを考えるよう設計された彼女は、誰よりもサエの気持ちに近いことを思ったに違いない。

 …………と、僕は信じたい。ここは一つ、彼女の外見に騙されてやるというのも悪くないと今の僕は感じていた。

「でも本当は本人から聞きたかったんでしょ」

「本人から聞いているようなもんだろ」

 僕は空を指さす。その先にはアンタレスがあった。

「あれだって五百年くらい前の光なんだしさ。十年ぐらい誤差だよ、誤差」

 彼女を見ると、驚いたように目を丸くしていた。そしてしばらくしてぷっと噴き出した。

「よくもまあ、そんなカッコつけたこと堂々と言えるよね」

「うるせーな。いいこと言ったところだろ」

「普通そんな風に言えないって」

 僕がふてくされていると、彼女が少し離れて空を見上げた。

「けど、ありがとう。サエも、私も貴方に会えてよかった」

 それは疑いようもなく彼女、そこに立っているhIE自身の言葉だった。

「……そういえば名前、なんて言うんだ」

「リゲル。オリオン座のβ星から取って、リゲル」

「さそりに刺される奴じゃないか」

 二人、顔を見合わせて笑った。

 初めて見たリゲルの笑顔は、ずいぶんと眩しく見えた。

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