第35話

《こちらの現場、東京都新宿区――》

《テロリストによる襲撃――》

《未遂犯は全員逮捕、地下三階での負傷者は――》


 俺は一つため息をついてテレビを消し、ベッドから立ち上がった。


「痛っ」


 昨日、親父に食らわされた指先のミサイル。その治療痕が、痛みを訴えている。俺は身体の重心を右に寄せながら、肩に吊られた左腕を見下ろした。そして忌々しいなと思いながらも、だるい身体を捻ってベッドから床に足を着く。


 今俺たちがいるのは、やはり事務所ではなく寺の方だった。しばらくはこちらで養生すべし、とのドクの提案だ。ドクとは長い付き合いとは言えないが、恩着せがましい人間ではないであろうことは分かっている。


「ま、のんびりさせてもらうさ」


 そう独りごちてから何の気なしに襖を開けると、


「あ……」


 お粥に味噌汁、それに細かく切り分けられた漬物が、膳に載って置かれていた。そばには正座した状態のエレナがいて、俺を心配げに見上げてくる。


「おはよう、エレナ。この飯、お前が?」


 こくり、と頷くエレナ。ちょうどよく俺の腹が鳴った。


「ありがとう、いただきます」


 俺も正座し、箸を手に取る。

 穏やかな日だった。昨日あんな死闘を経たとは、我ながら思えない。

 俺にとって、あの男は何だったのだろう? 超えるべき壁、倒すべき敵、そして――愛すべき父親。だが、それは全て『そうすべき』ものであって、俺の人生に適用されるとは限らない。


 俺が味噌汁をすすっていると、


「おはよう、潤一。腕の具合は?」

「ああ、憲明。しばらくすれば、大したことはない」

「ドクがそう言ったのか?」

「いや。俺の勝手な判断だ」


 自分の身体のことは、自分が一番よく分かっている。

 憲明は満足げな、しかしどこか寂しげな顔をして、俺の前であぐらをかいた。


「俺と和也は、昨日ドクから連絡を受けてここに来たんだ。……辛かっただろうな。実の親を手にかけるってのは」

「殺しちゃいない。そんな物騒な言い方は止めてくれ」


 天気の挨拶でもするかのように、物騒な諸々のことで、俺たちはしばし言葉を交わし合った。


「ところで……和也はどうしてる?」


 俺の問いに、憲明は親指を立ててぐいっと後ろの襖を指した。


「葉月の墓の前から動かない。今朝の四時頃……日が昇ってからずっとだ」


 茶碗についた米の最後の一粒を飲みこんでから、


「ごちそう様。うまかったよ、エレナ」


 もじもじとロングスカートの端をいじるエレナから目を逸らし、


「俺も和也に会ってみよう」


 と言って畳の間を横断、襖を開けた。


「ん……」


 夏の日差しだ。逆光になって見づらかったが、その小柄な背中はすぐに目に入った。


「よう、和也」

「やあ、ジュン」


 和也は振り返った。どこかさっぱりとした表情をしている。悲嘆に暮れているわけではないようだ。


「今日も暑くなりそうだな」

「そうだね」


 しばし、無言。俺は和也と並んで、軽く盛られた土に建てられた卒塔婆を見た。なんと書いてあるのかよく分からなかったが、きっと葉月の名前にちなんだものなのだろう。


「ドクが直々に書いてくれたんだ。立派だよね」

「だな。立派な卒塔婆だ」

「そうじゃないよ」


 和也は少し嬉しそうに俺を見遣った。


「こんな立派な卒塔婆を立ててもらえた葉月が立派なんだよ」


 言えてるな、と思ったが、俺は笑みを返すだけにした。すると、隣で鼻をすする音がし始めた。

 やはり、まだ泣き足りないというのが和也の本心なのだろう。それでいい、と俺は思った。エレナから学んだではないか。自分のために泣いてくれる人がいることの温かさを。そのありがたみを。


 ――ありがとう、葉月。


 晴天の青空を、俺は振り仰いだ。


THE END

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Teenager's High〔take1〕 岩井喬 @i1g37310

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