第二章 嶺南の若獅子


 あたかも時は唐末だ。弱肉強食の風潮が門閥制度の悪弊を取り去った。過去の栄華など軍馬の一蹴で消し飛んでしまう。黄巣の叛乱が、それを証明した。  

 若獅子の異名をとる劉謙ひきいる精鋭軍団の躍動が、新しい時代の扉を開けた。

 嶺南の旧秩序をかき乱した黄巣軍の大津波は、各地に甚大な被害をもたらした。本隊が引いたあとも余波はなお残存し、動乱は容易に収まらなかった。

 一揆が頻発し、群盗が跋扈した。劉謙は嶺南節度使の片腕として西に東に軍をひきい、征討鎮圧に余念がなかった。文字どおり獅子奮迅の勢いで、いくさばたらきに明け暮れたのだ。

 黄巣撤退の五年後、劉謙は軍功をもって封州刺史に抜擢される。同時に賀州鎮遏使ちんあつしを兼務した。封州はいまの封開だ。西江を通じて広西の梧州と隣接している。古名は「広信」、漢の武帝のとき、「恩信を広布する」と詔勅して、封州に広信県をおいたのがはじまりとされる。その後、嶺南を東西に二分して広南東路・広南西路としたのが、広東・広西・広州といういまの呼び名につながった。

 劉謙は広東西部の封州と、それに連なる広西東部の賀州・桂州(桂林)・梧州をふくむ地域の統括管理を一手に委ねられたのだ。この一帯は、基幹水路がなん本も入り組む水上交通の要衝にあたる。着任してまもなく、麾下きかに万余の兵と百余の軍船を擁したという。一地方の長官としては破格の勢力といっていい。背後に実父劉仁安と義父韋宙の強力な支援があったことは疑いない。

 ただし支援者の立場によって、目論みは異なる。劉仁安は、商人の本分にのっとった合理的な投資だと考える。

「まちがってもらっては困る。商人から見て、封州の地勢が商売に有利と判断したから投資するので、おぬしに加担しようというのではない」

 まず封州刺史の管轄する地域の軍事支配を強化し、治安を確保する。そのうえで封州を中継地とする西江とその支流域一帯の漕運権(水上運送権)を独占する。さらには、広州を起点とする遠洋航路の商権をも視野に入れている。投資利益の回収において、客観的にも実行可能な大型プロジェクトを念頭においている。

 封州は、海陸シルクロードの接点といわれる。陸の長安と海の広州、海陸それぞれの出発点をつなぐ重要な役割を果たしている。封州を縦に貫く賀水(いまの賀江)がそれを可能にする。

 長江水系と珠江水系が、賀水を通じて合流するのだ。

 日本では後漢ごかんと呼ぶが中国史でいう東漢とうかんのころ、蘇娥そがという女の大商人がいた。かの女は隊商を組んで、長安を出発した。シルクロードを越えて西方へ、絹織物・茶葉などの物産を運ぶ隊商だ。ふつうは西へ向かう駱駝の隊商を連想する。ところが蘇娥は、西ではなく南に向かった。まるで発想がちがう。道の途中から、水路を利用したのだ。水路は貨物の大量輸送に適している。長江から湘江、瀟水しょうすい、新道(瀟賀古道)、賀水を経て、西江に出た。当時、番禺ばんぐうといった広州は、すでに中国有数の国際交易港となっている。内外の外航船舶がところ狭しと港湾に停泊していた。西江の本流である珠江は、外洋の南海に通じている。蘇娥の最終目的地ペルシャ(いまのイラン)に向かうのに、これほど適した条件はない。陸ではなく海の東西交易ルートを利用するのだ。一見、意想外な選択は、その実、合理的な判断にもとづいている。

「蘇娥に学べ」

 軍船を調達するに際し、仁安は劉謙に説いた。常識を超えろ、ということだろう。

 劉仁安は商人だ。商人の身上は利益の確実な回収にある。投資は趣味ではない。その事業にかかわる多くの人々の生活が懸かっている。封州に百余の軍船を現物出資し、千余の軍兵を養う資金を融資するのは、劉謙の出世の祝儀ではない。有利な投資先として利益に賭けるのだ。だから、船を戦争の道具だけと限定せず、軍事のあいまには、商いにも転用させようとした。否、戦のかずを減らして、むしろ商船として稼がせようと目論んだ。

「戦は消耗するばかりで、益をもたらさない。よしんば戦に勝って領土を広げたところで、土地に付いてくる民を食わせることからはじめなければならない。ぎゃくに戦に負けでもすれば、土地は取られ、民を減らし、賠償金の支払いを強要される」

 費用対効果からみて、戦争はわりにあわない無益な投資でしかない。軍隊は、国境の防備と領内の治安に堪えればよく、まちがっても領土の拡張などで戦を起こしてはならない。

 そもそも嶺南に、開拓すべき土地は無尽蔵にある。秦の始皇帝の嶺南侵略いらい千年余、嶺南は絶えず南遷移民を受け入れ、西に南に開拓事業を推し進めてきた。かつて南越国の創建に際し、開国の王趙佗ちょうたが五嶺を長城に見立てて、「われは越えず、かれにも越えさせず」、と彼我の間の軍事発動に楔を打ったのはそのためだ。戦で血を流す暇があれば、未開の大地に向かって汗を流してもらいたいという祖訓なのだ。

 対照的に、人の移動と物資の交易は全面的に開放した。南船北馬というが、北方における人の移動、物資の運搬は陸路、馬による。南方のばあい、移動、運搬に船は欠かせない。縦横に河川が交錯し、自然の航路が通じている。この航路を人為的に整備し、排他的に独占管理すれば、砂金を掬う黄金の河にかえられるのではないか。

 仁安の発想は、さらに膨らむ。軍船を商船に転用し、この航路を往来して運送料を稼いでも、たかが知れている。保有する船舶の数しか稼げない。

「水軍を整備し、航路を守れば、見ヶ〆みかじめ料がとれる 」

 安全な航路を提供すれば、航行するすべての船舶から経常的に、用心棒代―運行取締り料がとれるのではないか。

 平和な時代ではない。航路の安全保障に、水軍は最適の防衛管理条件を有している。みかじめ料は、水賊の掠奪から民間商船の財貨を保護する見返りなのだ。

 官軍なら税金徴収のかわりだから、厳密な意味での法的支配権のおよぶ範囲内に限られる。これが私軍だと実効支配する地域なら、遠慮する必要はない。いわば縄張り感覚だ。

 劉仁安は、政治家でも軍人でもない。あくまで商人の目でしか嶺南を見ない。

「経済の需要に応じて航路の通行量は異なる。通行量の多い河川には土木工事を施す。浚渫し、川幅を広げ、堤防を整備し、監視を強化する。通行量はさらに増える。盗賊の出没を牽制し、衝突事故などを処理するために、水軍を組織し、常時、配備する。巡回監視し、航路を保護するのだ。政治がからむ官軍だとはばかりがあるから、私軍を使え。劉旗を押し立て、劉氏の管理する安全な航路であることを誇示するのだ。みな喜んでみかじめ料を払ってくれる」

 封州を皮切りに主要な航路を押さえていけば、その経済効果は計り知れない。河川は交易の動脈だから、経済効果を分け与えれば、戦によらずとも実効支配地は確実に増える。

 一方、政治家である韋宙の関心は、むしろ航路支配の副次的効果のほうにある。

「押さえた航路を面に広げれば、嶺南全土を勢力下におけるのではないか」

 韋宙には、いずれ唐朝が崩壊すれば嶺南で独立割拠し、一国を建てようとの野心がある。南越国の再生だ。ならば嶺南節度使といういまの有利な立場を利用しない手はない。

 地元に勢力基盤のない天下り節度使の韋宙は、みずからの管轄地を掌握し切れていない。都市部と直轄地の一部を除き、官の目の届かない地方の大部分は小豪族や秘密結社などの地方ボスが握っている。水路にかぎっていえば、地方ボスの突出を抑制する劉仁安の存在は邪魔にならない。富国強兵の経済基盤を確立する実行部隊として、むしろ手を組むべき政商のひとりと考えていい。劉謙をはさみ、実父と義父は同床異夢の思惑でつながっていた。


 韋宙が劉謙に賭けたのは、軍人としての律儀さと軍事的才幹を見込んだからで、政治力は期待していない。本音をいえば、「下手に政治に興味など持ってもらっては迷惑」なのだ。政治は節度使韋宙本来の仕事であり、劉謙にはあくまで軍務に撤してもらいたい。

 しかし韋宙の懸念は杞憂に終った。事を仕掛けるまえに、韋宙が身まかったのだ。

 衰えたとはいえ、節度使の任命権は朝廷にある。誣告ぶこくするものがあり、唐朝はとつぜん韋宙を解任した。

 ただの無頼漢なら好機と見て、独立割拠の兵を挙げる。だが、悲しいかな韋宙は家門の出なのだ。一門の名誉にかけて、朝廷は裏切れない。独立割拠はあくまで、唐朝滅亡後のシナリオだった。ことの成就を目前に、ジレンマが高じて、韋宙は憤死する。

「いずれが龍となろうと、兄弟力をあわせて、福地の園を実現するのだ」

 臨終の枕頭で劉隠と劉厳、ふたりの孫の手をとり、こときれた。劉厳誕生の年のことだった。むろん劉厳に記憶はない。

 封州刺史劉謙は生涯に劉隠・劉台・劉厳という三人の子をもうけたが、劉台は早世している。残るふたりに応分な環境-領土と政権を残すのが、劉謙の役割といえる。

 嶺南節度使という強力なバックを失ったのち、劉謙は管轄する封州一帯の地にこもり、領内の統治に専念した。節度使は交代したが、劉謙の官位はかわらない。韋宙の在世中は嶺南各地に忙しく出動した劉謙だったが、物故後はぴたりと鳴りを静め、一歩たりとも領外へは出なかった。軍事は境界の専守防衛にとどめ、戦力の現状維持を図った。

 経済優先の仁安流儀を実践し、戦果に勝る経済効果の創出に邁進したのだ。

「商いに敵も味方もない。戦は浪費でしかないから、むだな戦はしないことだ」

 仁安の考えを実直に受け入れ、戦をやめて戦費を浮かし、その分、民生の安定にまわして民心の収攬に心を配った。領内は粛然とし、領民は喜々として生業に勤しんだ。

 水軍を徹底訓練し、再編成した。実効支配する河川の治安確立と航行の安全保障につとめる一方で、大型船舶は沿海に回し、商船に転用したのだ。潤沢にもたらされるみかじめ料にも、劉謙は一顧だにせず、すべて仁安の処理するに任せた。そして仁安は利益を未開地の開拓や航路の整備など経済投資に還元し、領民に報いる以外は、すべて劉氏水軍の金蔵に貯えたのだ。やがてはこれが、南漢国を生む資金源となる。

 かつて若獅子といわれた劉謙は、みずから王となることを望まず、次世代の龍王に引き継ぐことだけを念頭に、領地と劉氏軍団の温存に晩年を賭けたといえる。

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