第五章『夢と来未~真実のネタバレ~』

一次選考発表

 あのあと最後の推敲と誤字脱字チェックを終えた俺たちは、それぞれ自宅のPCからネットを通して原稿を応募した。妻恋先輩は締切二日前に、俺と蔵前は前日に(締切当日は応募が殺到してサーバーが不安定になる恐れがあるので避けた)。


 その後の文芸部の活動は夏休みに入ったこともあり、かなり縮小された。妻恋先輩は受験生モードに切り替わり(文芸部は夏休み前に先輩が引退とはならず3月発行の部誌をもって引退になる。受験を終えてから最後の短編を書くのが習わしだ)、蔵前も親の付き合いで海外旅行に行ったので、暇なのは俺と来未ぐらいだ。


 来未は自分でも小説を書いてみたいといって色々と挑戦しようとしたが――まぁ、いきなりうまくはいかないようだった。


 そして、俺の両親は放任主義というか、海外で仕事をしていることもあって家に帰ってくることはない。この三年間は、年末年始に一週間だけ帰ってくるぐらいだ。おかげで、来未のことはバレずに助かっているが……。


 ……それにしても、応募を終えてから一次選考発表の日まではやたらと長く感じられる。そんな中で、賞に応募したことを意識的に忘れてあえて日常を送り続ける。


 心の底で不安や緊張を覚えながらも、夏休みの宿題をし、新たな小説のプロットを練り、読書をしたりアニメを見て知識を増やす。


 作家とは待つ仕事でもあるのだ。


※ ※ ※


 そんなふうに落ち着かない日常を送り続け――。

 ついに一次発表の日がやってきた。


 いつもは安眠している俺も、前夜はやはり寝つきが悪い。しかも、毎回一次落ちでショックのあまり発表の日の夜は眠れなかったりする。


 結果発表はホームページ上で例年十五時頃。

 俺たちは放課後の部室で一緒に発表を見ることになっていた。


 もう授業なんてぜんぜん集中できない。でも、いまさらジタバタしてもどうしようもない。そんな感じで昼休みの食事もあまり味が感じられなかった。


 蔵前も妻恋先輩も緊張のために口数が少なくなっていた。豆腐メンタルすぎるだろというツッコミもあるだろうが、作品とはいわば自分の子ども。その子どもが受験をし、その結果発表となったら親だって緊張するだろう。


 もっとも、ここを通過してもまた選考が複数ある。受賞者は四回の選考を突破しないといけないのだ。なかなかしんどいことだが、作家になろうという人間は賞を獲っても、そして獲ってからも常にプレッシャーとストレスにさらされ続ける。結局は、打たれ強くなるしかないのだ。あるいは、慣れるしかないのだ。


 俺たちは緊張の面持ちで部室のパソコンの前に集まった。


「と、通ってるといいねっ……」

「きっと大丈夫です」

「ううむ……」

「もぐもぐ……」


 若干一名クッキーを食べてる奴がいるが……。でも、来未もいつになく真剣な表情をしていた。


「そ、それじゃホームページ開くねっ」


 いよいよ……審判の時が訪れる。

 ここまでのことが走馬灯のように脳裏を駆け抜けていく。


 来未が家に来た日のこと、来未を捜して夜の住宅街を走り回ったこと、蔵前から小説を応募しようと誘われたときのこと、小説を書かない俺にキレて泣きながら部室を出た蔵前を追いかけ『女の子』のことを思い出したときのこと、執筆合宿での騒動や蔵前からほっぺたにキスをされたこと、そして、不可抗力とはいえ来未とキスしてしまったこと、最後は部室でみんなの原稿を読んで、お互いのレベルの向上を実感したときのこと――。


 本当に色々なことがあった。ろくでもないこともあったが、すべてかけがえのない思い出だ。それこそ、小説にしたいぐらいに。


 妻恋先輩がHPに表示されている『一次選考通過者発表』の文字をクリックし、画面全体に一次通過作品一覧が表示された。


 まず冒頭に、『一次通過作は240作です』の文字。応募数はちょうど1200。


 つまり、通過率は二十パーセント。5作に1作しか通過しない。いずれも応募者が魂をこめて送った作品だ。そこを突破するのは数字以上に厳しい。


「そ、それじゃ、スクロールしていくねっ」


 妻恋先輩の声も少し震えている。

 なお、掲載順は順不同。敬称略。


 カチッとマウスを操作する音が部室に響き、画面がスクロールする。

 30作ほど表示された作品名とペンネームを上から下に向けて目を走らせる。

 その中に、俺たちのペンネームはなかった。


「それじゃ、次いくね」


 ――カチッ。


 また次の通過者の名前が表示される。60作。

 俺たちの目が一斉に上から下へ向けて走る。

 そして――止まる。


「あっ」


 妻恋先輩が声を上げる。

 そこにあったのは妻恋先輩のペンネーム『希丘望』の文字。


 作品名は『未来へ~新しい明日は希望に満ちているから~』。


「おめでとうございます、妻恋先輩!」


 あの作品の出来なら絶対に通過していると思うが――やはりこうして妻恋先輩の名前を一次通過者の中に見つけることが我がことのように嬉しい。


 というか、部室で読んだタイトルは別のものだったけど、作品名は最後はこんなふうに変更してたんだな。なんだか、俺たちの名前が合わさっているようで、グッとくるものがあった。


「おめでとうございます、先輩。さすがですね」

「希望おねーちゃん、おめでとー! というか、タイトル、なんかあたしたちの名前入ってるよね!」


 蔵前は緊張していた顔をわずかに緩め、来未は満面の笑みで祝福する。


「あ、ありがとうっ、みんなっ……みんなのことを考えながら、ずっと原稿書いてたから……このタイトルがいいなって思ってっ……。え、ええと、そ、それじゃ、次、いくねっ」


 妻恋先輩からは自分が通過した喜びよりも、俺たちへの気づかいが感じられた。

 さすがは慈愛に満ちた妻恋先輩だ。……蔵前は絶対に通過するだろうが、俺はわからない。落ちるとしたら、俺が一番可能性が高い。


 それでお通夜状態になってしまうのは申しわけないので……なんとか一次だけでも通っててほしいが。


 ――カチッ。


 画面がスクロールして、次の通過者が表示される。90作。

 その中に……俺と蔵前の名前はなし。


「……つ、次、クリックするね」


 ――カチッ


 これで、120作。だが、ここにもなし。

 つ、次こそは……。


「く……クリックするね」


 妻恋先輩の声にも緊張が増している。俺と蔵前の表情は、かなり険しいものになっているだろう。


 ――カチッ。150作。


 そこにも、俺たちの名前は――なし。


 ――……カチッ。180作。

 ……ここにも、なし。


「くっ……」


 だめか……? 認めたくない現実が見えかけてきて、吐き気が込み上げてくる。

 あと、60作。クリック二回ですべてだ。

 妻恋先輩の手が震えていた。クリックするのがつらそうだ。


「先輩、ありがとうございます。あとは、俺がクリックしますよ」

「えっ……あ、だ、大丈夫、新次くんっ……」

「ええ。落ちるにしても、最後は自分の手で終わりを見たいですから」


 俺は妻恋先輩に席を代わってもらう。

 そして、俺は唇を噛み締めている蔵前に告げる。


「蔵前は絶対にあるから安心しろ。あのクオリティの原稿が落ちるわけないだろ? 俺が保証する……って、俺の保証じゃあてにならないか。でも、妻恋先輩も絶賛したんだから、大丈夫だ」

「し、新次くんの原稿も大丈夫っ。絶対に通過してなきゃおかしいよっ」


 妻恋先輩は涙目になりながら、そう言いきった。


「そうよ、新次も明日菜ねーちゃんも大丈夫っ! あたし、すっごく夢中になって読んだもんっ!」


 来未も声を張り上げて励ましてくれる。


 本当に俺は――俺たちは幸せだ。こんなにも熱心に読んでくれて、応援してくれる読者がふたりもいるのだから。


「……っ」


 蔵前もそれを感じたのか、瞳が潤んでいた。


「……よし、それじゃ、いくぞ」


 俺は軽く息を吐くと、マウスをクリックする。


 ――カチッ。210作。


 今までよりもゆっくりと、時間をかけて通過者の名前を読んでいく。

 そこには…………俺と蔵前の名前は……なし。


 蔵前が拳を握りしめたのがわかった。妻恋先輩はほとんど泣きそうだ。

 来未は怒ったような顔をして画面を睨みつけている。


「……蔵前。最後は俺とお前でクリックするか。これが最後だしな」


 俺がそう言うと、蔵前は少し考える素振りを見せたが――やがて、静かに頷いた。

 俺と蔵前の手が重ね合わされた。


 時を超えて小説家を目指した、小さな作者と小さな読者。

 十年の思いを、この賞に賭けて――。


 俺たちは最後のクリックをした。


 最後の30作。これで240作。最後の一次通過者だ。

 俺と蔵前は上から画面を見ていく。


  ……、……、……、……。


 最後の時を噛み締めるように、ひとりずつ名前と作品を見ていく。

 ゾワゾワと暗い絶望が心の奥から身体中に拡がっていく。残り、もう数人。


 そして、最後の二作――。


過去からやってきたヤンデレ少女が『世界』にログインしました。  明日昨夜

俺の現在はいつだって彼女たちに左右されている          古木大凶


 ………………。

 言葉が見つからなかった。


 見えてるのに、画面が見えていない。

 文字が読めない。頭が働かない。


 呆然としてしまう。

 今自分がどこでなにをしているのか、そんなことすらわからなくなる。

 ただ、全身に拡がっていた闇が、急激に光に転じていく。


「……新次くん」

「……新次」

「……先輩」


 妻恋先輩が、来未が、蔵前の声が――、


「おめでとうっ!」「やったじゃん!」「おめでとうございます!」


 一斉に俺の鼓膜を震わせた。


「あぁああああっ……」


 緊張から解放された俺はため息とともに無意味な言葉を吐いた。

 そして、椅子から落ちそうなぐらい脱力した。


 もうこれ、落ちたと思った。99,9%終わったと思った。


 でも、人生って最後の最後までわからないってことかもな……。

 とにかくも、初めて一次を通過することができた。俺は、蔵前のほうを振りむく。


「……蔵前も、おめでとう。マジで最後の二名なんておどろいたな……」

「さすがのわたしも心中穏やかじゃなかったですよ。でも、ホッとしています」

「明日菜ちゃんも、おめでとうっ。みんな通過できてよかったよっ! もうわたし、心臓すごいドキドキしちゃって……緊張しすぎて……あ、涙出てきちゃった」


 妻恋先輩は指で涙をぬぐう。そして「本当によかったね……♪」と泣き笑いする。何度も涙を指で拭いながら。


 俺たちのことをここまで思ってくれる妻恋先輩――本当に俺たちはいい部長に恵まれた。俺と蔵前の恩人だ。


「あたしもすっごいドキドキしたんだから! はーっ、息苦しかった! ほんと、よかったね、新次!」


 来未も弾けるような笑みを浮かべて祝福してくれる。


 思えば、来未が来てから俺の人生は激変した。


 毎日退屈だった生活が騒がしくなり、振り回されながらも、俺はその生活が満更でもなかった。はっきりいって、毎日が格段に楽しくなった。こいつにも感謝しなけりゃいけない。


「ありがとうな、来未。お前が来てくれなかったら、たぶん俺は怠惰なままだったと思う」


 数えきれないぐらい暴力を受けたりしたけど……。でも、それも含めて、楽しい毎日だった。ただ悩んで鬱々としてても、なにも変わらない。毎日繰り返す日常を楽しめないと、作品もよくならないのかもしれない。


「へへっ、わたし、未来から来て正解だったでしょ?」

「ああ、最初は追い出そうとして、ごめんな。お前、本当に招き猫かもしれないな」


 気まぐれで、ぐーたらで、ご飯が大好きな猫みたいな子孫。なんにも役に立たないようで、本当は幸福を呼んでくれる存在なのかもしれない。


「まぁ、先輩。ここからですよ、勝負は」


 蔵前はもうすでに次を見据えていた。確かに、ここからさらに選考は厳しくなる。だが、きっとなんとかなる。そんな根拠のない自信が芽生えてきた。


 俺の周りには、こんなにすごい作者がいる。そのふたりから太鼓判をもらった原稿だ。きっといいところまでいける。


 同じ小説家を目指す仲間であり、ライバルであり、特別な存在――。

 俺はみんなのおかげで成長できた。


 きっと、夢はひとりで見るものではない。

 創作というものは孤独だ。

 ひとりで暗夜の道を行くようなものだ。


 でも、ひとりじゃない。暗闇にしか思えない道のりでも、誰かが見守ってくれているのだ。それは過去からかもしれない、未来からかもしれない、現在からかもしれない。いつだって、本当に大事なものは見えないものだ。


 だが、夢を追うところ必ず道があって、一緒に走る仲間も、沿道で応援してくる人もいる。それはやはり、幸せなことだと思う。


 しかし、まだ夢は半ば――。ここからが本当の勝負だ。

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