第9話 エトワール

 デューラーの家から出て、二十年余りがすぎました。もうオルグは最後に話をしたときの父親と同じぐらいの歳になりました。


 値のはるものは、ほとんどが売れてしまいました。

 財布に余裕のあるご婦人がたが去り、見物人もだいぶ減りました。

 オルグは残していた、あまり大粒の宝石を使っていないものをあらたに並べ、もうだいぶ前から人垣の後ろで見ていた木訥ぼくとつそうな青年を手招きして呼びました。


 青年は顔を赤くしています。額に汗をかきながら、おどおどとオルグを見ました。


 恋人への贈り物かい?


 オルグが尋ねると、よけいに顔を赤くしてうなずきました。身なりからして、さほどふところは豊かではないでしょう。けれど、安くても愛らしいものがあります。

 オルグは、苺の粒にほんのすこし石榴石ガーネットをあしらった指輪や、縞瑪瑙しまめのうの飾りピン、瑠璃で彫った青い小鳥の首飾りを見せました。


 青年は真剣なまなざしで見つめています。きっと恋人に似合うかどうかを思い浮かべているでしょう。


 これ、ください。


 恥ずかしそうに小鳥の首飾りを選んで、値段を聞くと驚いで聞き返しました。


 そんな……たった銅貨二十枚で、いいんですか?


 オルグはうなずき首飾りを渡してお金を受けとりました。


 ありがとう、彼女に似合うといいな。


 オルグが言うと、青年はにっこりと笑っておじぎをして通りを走っていきました。


 昼が過ぎ、日差しが届きづらくなってからオルグのいる場所もだいぶ寒くなってきました。夕方くらいからまた雪が降るかも知れません。


 オルグは自分の作ったものが、いくらで売れようと気にかけませんでした。なぜならこの冬をどこで過ごすか決めていたからです。いつものように南のほうへは下らず、このまま雪の山へ行こうと。

 お金はアロイスの工房へ送ると、ずいぶん前から心を決めていたのです。

 いつか自分は裁かれなくてはならない。その気持ちは歳を経るごとに強くなっていきました。けれど、手が動くうちは作ることをやめられそうもない。だから父のように手がふるえだしたなら、すべてを捨て見つけることが出来なかった、ナナの子のように雪の中で……。


 わあ、おかあさま! トトだよ。


 元気な声にオルグは振り返りました。青いマントをはおった茶色の巻き毛が愛らしい五歳くらいの男の子が、オルグが作った銀鼬ぎんいたちを指さして両親を呼ぶところでした。


 先に行ってはだめと言ったのに。


 やはり青いマントを身につけた、さらに小さな女の子の手を引いて小柄な母親が息をはずませてやってきました。


 ほら、おかあさま銀のいたち。これはトト?


 男の子ははしゃぎながら、母親に教えました。母親は男の子の隣に立ちました。

 赤みがかった茶色の巻き毛、こぼれそうなほど大きな瞳。


 不意にオルグは周りの音が聞こえなくなりました。

 母親は、タマムシのように色がかわる不思議な光沢のショールを肩に掛けていました。

 心臓までが止まったように感じました。


 ナナです。

 目の前には、ナナがいました。

 幼い女の子を膝にかかえ、男の子の頭をなでているのは、ノームの女性、ナナ。


 これはいくらですか?


 男の声にオルグは我に返りました。鮮やかな赤のおくるみを胸に抱いた、端正な顔立ちの青年がオルグに値段を聞いていました。もしかしたら、なんどか声をかけたのかも知れません。


 青年は生まれて間もない子どもを大事そうに抱いていました。自身は見たこともないような青い毛織物の外套を着ています。襟や袖口、裾周りには金糸で細やかな刺繍が施されています。背筋がざわめくような美しさ。ノームが作ったものに違いありません。後ろには、青年と少女の従者が控えていました。かなりな身分、この町の頭領でしょうか。


 オルグは目の前の親子を見ました。ナナに似ていますが、ナナよりも背が高く肌が白いです。青年は明るい鳶色の髪と緑の瞳をしています。フィリッツではありません、そしてナナでもないのです。


 あの、おいくらですか。


 オルグの不躾なようすに怒るでもなく、若い父親はまたおだやかに尋ねます。オルグはいちど大きく息をつきました。


 あなたのお母さまの名前をお教えください。


 オルグはノームの母親に体を向けると、ふるえる声で聞きました。


 わたしの母がなにか? 


 疑ぐるようすもなく、ただ戸惑うような瞳でオルグを見つめ返します。


 ナナさん、ではないですか。


 大きな瞳がさらに大きく見開かれました。青年も同じく驚いたらしく、声もなく口を開きました。


 そうです。母は早くに亡くなってわたしは母のことをほとんど覚えていないのですが。一族の者から、母はナナという名だと聞いています。


 ああ、ようやく裁きの時がきたのだ。

 目をつぶり、肩から力を抜きました。

 オルグは、下げていた皮袋からナナのブローチを取り出して手のひらにのせました。

 両膝を折り、頭を低く下げるとブローチをのせた手を高く差し出しました。


 これは、あなたのお母さまが作られたブローチです。わたしが二十年以上まえに……盗んだものです。あなたのお母さまが亡くなったのは、わたしのせいです。


 事情を伺いましょう。わたくしはこの町の頭領ディオン・ブラント、ココの夫です。顔をお上げください。そして、お聞かせください。


 ディオンと名乗った青年は、赤子を少女に託してブローチを手に取りました。ココが不安げに子どもたちを両脇に抱き寄せています。

 オルグは膝をついたままで、今までのことを語りました。


 若いころにデューラーのお抱え職人であったこと。フィリッツとその妻、ナナのこと。ナナの技量に嫉妬してブローチを盗んだこと。そして働きすぎでナナが亡くなったこと、子どもが森へ捨てられたこと。


 語ることは容易ではありませんでした。長く苦しい物語です。けれど、いつかは誰かにすべてを打ち明けることを望んでもいたのです。


 オルグの告白を最後まで口を挟まずココとその夫・ディオンは黙って聞いておりました。


 あなたさまがご無事であられたこと、これ以上の喜びはございません。長いあいだの苦しみからようやく解き放たれました。

 どうか、わたしを罰してください。いかようでも構いません。このまま殺していただいても、腕を切り落として野に打ち捨ててくだすっても……。この老いぼれの命は、あなたさまのものです。


 オルグは首をさしだすようにして両手をつき、額を土につけました。


 しばしの沈黙のあと、ディオンは言いました。


 ……では、この者を鉱山へ連れて行け。そして命ある限り働かせるのだ。


 厳かな声でディオンは従者に命じました。ココは小さく悲鳴をあげました。


 鉱山での労働は死と隣り合わせでたいへん危険だと聞きます。それで構わないとオルグは思いました。腕が壊れることもいとわず、身を粉にして働かせていただこうと。オルグは、かすかに笑みを浮かべました。


 あなた、ディオン、そんな……。


 ココはディオンの外套をちいさな手で掴みました。夫は緑の瞳で妻を見下ろしてから、立ち上がろうとしたオルグに視線を向けました。


 鉱山で工房を与えよう。


 オルグは耳を疑いました。


 なぜ、工房などと。わたしは鉱山で働きます。どんな仕事でもいたします。


 ですから、工房を。そこで、皆にあなたの技を教えてください。


 オルグは両手を地面についたまま、激しく頭をふりました。望んだこととあまりに違います。騒ぎを聞きつけ、いつしか遠巻きに人々が集まり始めました。


 罰を。わたしはナナを嫉妬し、働かせ、見殺しにしたんだ!! どうか、どうか。


 わたくしは裁判官でも、ましてや神でもありません。あなたを裁く権限などあるでしょうか?


 ならば、ならば、ここのご領主さまへ突き出してくださいまし。


 二十年も前のほかの領地でのできごと。デューラー領はすでになく、確かめようのないことです。


 ディオンはオルグの作った銀鼬を手に取りました。


 銀鼬は人に慣れません。ふつうならば見る機会すらないでしょう。けれどこれは見事なほどに再現されています。まるで生きているようだ。冷たい金属かねでできているけれど、あの毛の柔らかさを思い出させますよ。

 あなたは、ひとなみ外れた目をおもちだ。そしてそれを作れる卓越した手技も。

 それを奪えと? 


 オルグは棒を飲みこんだように立ち尽くしました。


 この若い頭領は何を言っているのだ。妻の母を殺した男を赦すというのか。


 オルグは混乱しました。


 憎んでとうぜんのはずなのに、この頭領の慈悲深さは何なのだ。

 あなたさまが罰しないというのなら……。


 オルグは、やにわに左腕を振り上げました。いつの間にか、手には大きな石が握られていました。地面の布が飛ばぬように重石代わりに使っていた石です。

 オルグは躊躇なく、そのまま地面の自身の右手めがけて打ち下ろしました。

 悲鳴がいくつもあがりました。

 自分で手をつぶす、それがふさわしい罰だと。オルグはきつく目をつぶりました。


 と、誰かの叫び声が聞こえたかと思うと、オルグの体は後ろに引き倒され素早く石が奪われたのです。

 転がったまま目を開けると、はす向かいで宝飾品を売っていた青年が息を荒くして仁王立ちしていました。


 な、なんてことするんだ。こんな凄いものが作れる手を。こんな……おれは足元にも及ばない……。


 青年は力が抜けたように、がくりと両膝をおりました。そしてオルグに頭を下げました。


 教えてください。おれに、どうか。あなたの技を。


 起きあがったオルグは、放心しました。あの傲慢な笑みを浮かべていた青年が、自分に頭を下げて教えを乞うているのです。


 あの……。


 控えめな声がしました。見るとそれはナナの娘でした。


 聞いたことがあります。母は、一族の中では変わり者だったと。ふつう、金属かねを扱うのは男衆の仕事で、女衆がするのを嫌います。母は皆に隠れて作っていたそうですが、見とがめられて里から出ていったと。

 これは、母が作ったのですね。母の望みは叶ったのですね。


 オルグは、無言でただうなずきました。初めて知りました。

 ナナは作りたかったのだ、自分の作品を。生まれた里や仲間を捨ててまで。だから、あれほどのきらめきを持っていたのか。

 あれはナナの「願い」を形にしたのだったのだから。


 今まで手放さず持っていてくださって、ありがとうございます。


 ココはナナのブローチを握りしめ、胸に当てました。


 ほら、誰もあなたが罰せられることを望んではいない。

 罪を償うというのなら、あなたの技をどうか皆に伝えてください。長いあいだ培った、あなたの命ともいうべき、その技を。


 オルグはあたたかな笑みを浮かべる頭領のディオンを見ました。感謝を述べたココを見ました。自分に教えを乞う青年を見ました。


 ごらんなさい。あなたたちのおばあちゃんが作ったものよ。


 ココは子どもたちにブローチを見せています。ブローチはナナの子どもと孫に届けられたのです。


 ディオンが言いました。


 わたしたち親子に妻の父と母の話を聞かせてください。


 いつしか空からふわりふわりと、雪が降ってきました。

 ディオンはオルグの指輪をに透かしました。


 仕事がら、ノームのものを見ますがあなたの作るものは彼らにも引けを……いや、くらべることなどできはしない。

 こんなにも美しい。まるで星のようだ。


 オルグは自分の手を目の前に広げました。節くれだち、脂気が抜けしわだらけです。オルグの掌は知らないうちに父親とそっくりになっていました。

 その掌に雪が舞い降りてきました。六角形の雪の結晶がいくつもいくつも。


 とうさん

 わたしは謙虚であったでしょうか。

 誠実であったでしょうか。

 ひたむきであったでしょうか。

 ……わたしの罪は赦されたのでしょうか。


 オルグは見あげる空に父の姿を探しました。


 ……わたしのエトワール


 父の声を聞いたように思い、オルグの頬を涙が伝いました。


 さあ、参りましょう。


 笑顔とともにさしのべられたココの手をオルグは両手で額に押しあてました。


 すべてをすすぐように降り続く雪は、オルグのうえで星のごとく煌めくのでした。


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エトワール たびー @tabinyan0701

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