ミステリー好きがにやりとする、微笑ましい恋物語

※)読者企画〈誰かに校閲・しっかりとした感想をもらいたい人向けコンテスト〉参加作品としてレビューします。

〈まず通常レビューとして〉
 安定した読みやすい文章で、人形のような美しさと少しのちょっとエキセントリックさを併せ持った女性と、書店主男性との微笑ましい恋模様が描かれている。
 作者のミステリー好きが伝わってくる点が随所にあり、同好の士なら一読の価値があろう。もちろんそうでない人でも、甘やかな「恋バナ」を楽しむことが出来るはずだ。

 文章のレベルでいったら、なかなかのハイレベルではないだろうか。カクヨムではそうそう見ないレベルにあることは間違いない。
 その意味では、もっと多く読まれて欲しい作者だ。



                                                                                             
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

※この改行・空白はレビュー一覧にネタバレ言及が載るのを避けるためです。
〈以後本格的に、ネタバレもありで〉

 ミステリー/推理小説に対するオマージュを多数感じたことは前述の通りだ。


 プロローグの「砂糖菓子」の言葉やヒロインのキャラクターは、桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』と『GOSICK』。
 書店主という主人公の設定は京極夏彦の『京極堂』つまり中禅寺秋彦に通じる。
 作家名『分島晶午』はミステリー作家の歌野晶午。
 その最新作『夜光虫』は、そのまま同名タイトルの長編が横溝正史と馳星周にある。


 こうしたものにいちいちにんまりすることも出来るのだが――短編の中でここまで多いと、逆の作用の方が強まったように思う。それは、これらがもたらす「引用」の感覚だ。もっと言葉を悪く言えば、キャラクターや設定を「拝借」している感があるのだ。
 そのため、この作品オリジナルな存在感が薄くなってしまった。
 紅茶のエピソードも何かからの拝借ではないか? 装丁が異なる稀覯本という設定もどこかにあったのではないか?
 オリジナリティを疑ってかかることに繋がってしまったのだ。

 さて文章はよく書けているのだが、果たして作品のどこからどこまでが、作者のオリジナルなのだろうか?

 そう思えてきて、素直に内容を楽しむことは出来なかったように思う。



 他に気になる点としてはストーリー面。
 大きな軸としては、「年齢差を考えて恋心の自覚にすら躊躇する書店主が、ヒロインに翻弄されながらも両思いに結実する」というものがまずあったかと思うが――描かれたものは、物語の軸を担えるだけの強さがなかったようだ。
 本編第一章の半分というところで、ヒロインは『わたしと分島晶午、どっちが好き!?』と尋ねてしまう。この時点で、読者としては「なんだヒロインは主人公が好きなのか」と察してしまう。これがあまりにも早かった。しかも、言うなれば「物語が始まる前から二人は両思いだった」のであり、本作はその「確認作業」に過ぎなかった。ここにドラスティックな読書の喜び、物語の喜びは生まれないだろう。

 こうしたことから、恋愛物語としてはいささか弱含みなストーリーであったと言わざるを得なかった。

 また、先のヒロインの質問より前の描写によって、ヒロインが分島晶午であることは、これまた読者には確信として伝わってくる。
 そのため、その後の第二章に驚きがなかった。
 そもそも、第二章は読者になにをもたらすために存在していたのだろう、とも思われる。物語の軸は第一章ですでに「確認作業」を終えてしまっているし、その後の二人の仲の進展を描いているわけでもなく、『実はヒロインが分島晶午でした』と読者にはすでに自明なことを、勿体ぶって描写しているだけとも見えるのだ。

 こうして振り返ってみた強く思うのは、これはまさしく「キャラクター小説」として書かれてしまったのだろう。

 ヒロイン、主人公という人物たちを愛でる文章であった、ということだ。

 そのことに、強く惜しさを感じる。

 もっと物語を見たかった、と思ってしまうのである。キャラクターとは、物語られることで、より一層の、“作者がそう設定したこと以上の”魅力を発揮するものではないだろうか。キャラクター小説というものであっても、物語は必要なのだ。なにより、彼らを魅力的に輝かせるために。

 引用を感じるとはいえ、文章の安定感と相まって、キャラクターは良く出来ている。それが、物語というよりは“単発イベント”で消費されてしまったことに惜しさを感じたのだった。


 ある意味でこの作品は、“キャラクターを読者と共有する”ためのものであった。個人的にはそれは、“キャラクターが物語の動きの波に乗ることで、その魅力を読者に見せる”ものであって欲しいと思うのだ。


 このキャラクターたちによる(出来れば“拝借”感のない)、しっかりした強度を持った物語があるのなら、もう一度読んでみたい。そういう気持ちは持てるが、一本の小説作品としてどこまで評価出来るかといえば、どうしても躊躇が残る。そんな複雑な気持ちを抱かせる作品だった。