第5話

「市橋さん!市橋さんいます?」

 ショッピングモールのイベント担当者が怒気を含ませた言葉で叫ぶ。

 ステージにつながるバックヤードで理沙は衣装のまま慌てて声の方向へ走りだす。

 マネージャーなどいない自分たちを管理するのは自分しかいないのだ。時計に目をやる。12時45分。イベント開始は13時からだ。あと15分。ここまで来れば大事なのは、やりとげることだ。


 結果から言うと、何一つ間に合わなかった。

 ダンスは最後まで美憂の頭に入らなかったので、大幅に振り付けを簡単にアレンジし、基本的にメインの振り付けは理沙が担当することにした。フォーメーションを変えて、踊りの下手な美憂を目立たないようにしたのだ。

 歌は聖奈がひどかった。ボイスレッスンを2回でやめた、というだけあって(というより恐らく講師が匙を投げたのではないかと理沙は思っている)手のつけようがなかった。仕方ないのでカラオケボックスに有料であった音楽をCDに吹き込めるサービスを使ってデモのオケ音源に事前に理沙と美憂と、その場にいたゆみちゃんの声で歌を吹き込み、イベントではこの音源を流して当て振りを行うことにした。

 意外なことにゆみちゃんは歌がうまく、普段のふにゃふにゃとした声からは想像がつかないほど芯のある歌声だった。マネージャーになる前はアイドルか演歌歌手になりたかったらしい。それを聞いて美憂は「演歌も狙ってたのかよ」とつぶやいていたが。


 衣装は結局適当なものを組み合わせて間に合わせることにした。

 三人揃った時に少しでも見栄えがするよう揃いのコーディネートにして色違いにする。聖奈は白、美憂が紫、理沙が水色。

「なんかこういうのってよく赤とか黄色とかそういうカラーのほうがアイドルっぽくない?」

 と理沙は主張したが、聖奈は「あたし、ソロでデビューの話のときも白だったし。あとラッキーカラー白だし」と譲らず、美憂は「全部ダサいけど、これが一番マシ」と押し切った。結局合わせるために消去法で理沙は水色になった。

 シンプルなノースリーブにフリルの入ったミニスカート、足元はお金がないので自分の手持ちの中で各々シンプルなパンプスを合わせてくる。それだけだと寂しいのでそれぞれの服の色に合わせてリボンをつけることにした。なんだか古臭い衣装だが、とりあえずアイドルっぽいだろう、という判断でこれに決めた。

「かわいい!みんなすごい輝いてるよ!」とゆみちゃんはついに涙を流し

「写真撮っていいすか!これ、マジでありますよ!」と浅尾はスマホを取り出しシャッター音を響かせていたが、なんとなく嫌な予感がしたのでその場で消去させた。とにかく、一日限りのユニットなのだ。記録にはできるだけ残したくない。


 先ほどバックステージからこっそり顔を出して、人の集まり方を確認した。

 理沙と美憂は仕事用のSNSを持っていなかったが、聖奈は一応アイドルとしての公式ブログとツイッターのアカウントを持っていたため、事前の告知を行ってくれていた。場所と時間帯、「来てね!」というそっけない文章で、これでどれくらい人が来るのだろうかと思っていたが、案の定人気はまばらで暇つぶしに座っていると思われる買い物客を除くと恐らく聖奈の告知で来たファンは最前列に不安げな顔で並ぶ三人組くらいだろう。聖奈にそれを伝えると珍しく神妙な面持ちになって「そう…」とだけ言うと、そのまま黙ってしまった。


 段取りについての最終確認が終わり、理沙が控え室に戻ると美憂がスマホから顔を上げた。

「…お客さん、いる?」

 一応この子なりに気にはしていたのか、と理沙は思い「まあ、これだけ人がいる場所だから、多少はね」と伝えた。実際には十数人もいない人数だろう。満席で120人は収容可能と聞いているので、見た目としてはお寒い結果だが、事前の告知もほぼゼロの状態で人が集まるはずもない。始まれば多少は好奇心で集まる人もいるはずだ。聖奈は進行表を眉間にシワを寄せて読んでいる。 

 段取りとしては理沙たち三人がステージに登場し、挨拶と自己紹介を軽くしたあとに歌い、その後希望者と握手会、というスタンダードなものだった。出番は2回。13時と15時だ。

「このさあ、自己紹介ってやっぱこれ言わなきゃだめなの?」

 聖奈がむすっとした顔で言う。

「キツくない?これ、あたしが言うと」

「勢いで言っちゃってください。どうせ誰も聞いてないですよ」

 理沙は肩の力を抜かせるつもりで言ったのだが、聖奈にはそう聞こえなかったらしい。ますます眉間のシワが深くなった。

 確かに自己紹介は理沙が考えたものだ。アイドルには必須とも言える、愛称を交えたものだった。

「愛と勇気であなたを癒します! せいなりんこと松下聖奈です!…いやあ、ないわ」

「じゃあ、ぎゃーぎゃーうるせいな、松下聖奈です、とかにすれば?」

 美憂がそういうと聖奈が「あ?」と舌打ちする。

「まだいいじゃん、意味がわかるから。私意味わかんないもん」

 ちなみに美憂のキャッチコピーは「あなたのハートをみゅうみゅうしちゃうぞ!みゅうみゅうこと海野美憂です!」だ。

「文句言うなら自分で考えてよ」

 理沙もいい加減この二人の他人に委ねっぱなしな性分に辟易してきていた。こんなイベントが入っていなければすぐにだって辞めていたのだ。この一週間、ほとんど受験勉強も進んでいない。睡眠時間を削ってマネージャー代わりの雑務までやってきたのだ。文句を言われる筋合いはない。本当のマネージャー二人は当日合流し、今朝は朝からビラ配りをしてくれているそうだが、続ける気も、まして所属する事務所がなくなっているアイドルのイベントに人を集めてどうするというのか。相変わらず力を入れる方向が間違っている。


 ドアをノックする音が響き、運営スタッフが「そろそろスタンバイお願いします」と顔を出した。

 環境は最悪だが、やるしかない。

 理沙は聖奈と美憂に視線を交わす。二人も目には割り切れない思いを滲ませているものの、今日はなんとか乗り切りたいという思いは同じようだった。のろのろと立ち上がると、なんとなく三人で向かい合った。

「…まあ、がんばりましょう」

 理沙はそれだけ言うとおずおずと手を差し出した。

 二人はきょとんしていたが、やがてぎこちなくそろそろと手を出し、重なるか重ならないかの距離で手を合わせてそのままじっとしていた。

「…がんばるぞ」

 理沙が言い、二人が「おう」と言った。多分、今世界一仲の悪いアイドルの団結だったな、と理沙は思った。


 スタッフの誘導を受けてステージ袖まで移動すると、それまで全く感じてもいなかった妙な緊張感が高まった。今までは一人だけでいろんな現場に臨んできていた。チームで本番を迎える感覚というのが理沙にとっては新鮮だった。聖奈も、美憂も感覚的には共通したものを受け取っている様子で、表情はここ1週間の疲れが見えるが、控え室で見せていた表情とは変わっている。

 時刻が13時を迎えた。

 イベントの司会者である女性がステージへと先に出て行き、客席に向かって頭を下げる。ぱらぱらとまばらな拍手が小さく聞こえる。

「皆様、お集まりいただきまして誠にありがとうございます。お買い物はお楽しみいただけておりますでしょうか…」

 渡されたマイクをチェックする。電源は入っていない。聖奈と美憂に目配せすると、二人ともマイクの電源は入っていないことをこちらに見せてくる。頷き返す。

「…本日は今日がデビュー、初ステージとなるフレッシュな三人組のアイドルグループが登場します!」

 大きく深呼吸を一つ。理沙が子役時代から行っている、本番前のおまじないだ。大丈夫、これが芸能界最後のステージになっても、私は最後まできちんと全うしてみせる。


「…それでは登場していただきましょう。皆様、温かい拍手でお迎え下さい!「名前はまだない」の皆さんです!」


 なんだって?

 パッと顔を上げると聖奈と美憂と目が合う。

「…グループ名、そんな名前だったの?」

 美憂が小さな声で言う。すっかり忘れていた。以前担当者と打ち合わせをしてから特に名前を聞かれなかったのでそのままにして、それきりにしていたのだ。今わかった。「名前はまだない」という名前だと思われていたことに。

「…まあ、仮名だから」

 理沙は答えると、そのままステージに向かって歩き出した。

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あなたの光になりたいの! いりやはるか @iriharu86

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