1-4
鍵が掛けられたホテルの一室で、少女は手錠を掛けられて椅子に座らされ、二人の狩人に取り囲まれていた。
恫喝されているようにしか見えないその場で、だがしかし、一番場を支配していたのは他ならぬ幼い少女であった。
「My name is U・D,What your name?」
流暢な英語で問いかけ、顔を覗き込んで来るU・Dに、柘榴はもう何度目とも分からない溜息を吐く。
「どこの駅前留学で学んだのか知らんが、いいから日本語で喋れ」
「失礼ね、母国の
「お前の語学力は分かった。だからまずは俺達の質問に答えろ」
「人に物を尋ねるなら、まずは名乗ってからするのが礼儀と言うものじゃない?」
「お前、自分の立場が分かってるのか」
「乱暴な男と女に捕らわれ、辱めを受けている最中といった所かしら? 安心して、アタシも無理矢理っていうの嫌いじゃないから」
「…………」
言葉は通じているし、こちらの言う事も聞こえている。
だがとにかく話の通じない少女は、捕らえられてからずっとこの調子なのだった。
「いいから名乗りなさい。名前は? 年齢は? 年給は? 車と土地を持っているのかも重要ね。それにサングラスを外した顔も見せて欲しいわ」
「お前は俺の見合い相手か」
思わず突っ込みを入れてしまってから、柘榴はケイトに助けを求める。
しかし、金髪の相方は笑みを噛み殺してこちらを見るだけで、助け船を出そうとはしなかった。
赤銅の狩人は怪物と対峙している時以上の疲労を覚えながら、大人しく少女の言う通りにする覚悟を決めた。
過去の経験上、こういった
「名前は
一息にそう言い切ると、U・Dは嬉しそうに目を細めた。
「へぇ~、赤銅柘榴って言うの。変わった名前ね、親御さんが中二病だったのかしら?」
「渾名だ、本名じゃない。それに名前の事をお前に言われる筋合いはないぞ、U・D」
「それはそうね。けど、初対面の人間を呼ぶなら『さん』くらい付けなさいよ。『様』でもいいわ」
「……お前と話すのは、本当に疲れる」
皮肉を返したというのに、偉そうな注文が追加され、柘榴はまた頭を抱えてしまう。
(まったく、どうして俺はこんな奴と漫才をしているんだ……)
情けない気分になってくるが、頭を振って何とかそれを追い出す
「聞きたい事はそれだけだな、今度はこちらの質問に答えてもらう」
「えぇ、どうぞ好きにして」
おちゃらけた空気を払り払い、無慈悲な狩人の顔で告げると、U・Dもようやく話を聞く姿勢を取る。
「一応確認しておくが、俺達の事を憶えているんだな?」
薬と暗示で消したはずの記憶があるらしいU・Dに改めてそう問うと、「何を言ってるの?」という小馬鹿にした表情が返ってくる。
「憶えているに決まってるわ。アタシは口こそ悪いけど、命の恩人を忘れるほど薄情じゃないつもりよ。昨日はありがとう、柘榴と金髪のお姉さん」
そう礼を言って、手錠の掛かった手で握手を求めてくる少女に、狩人二人は呆れた顔を突き合わせる。
丸三日は意識が混濁する強力な薬を打たれたというのに、もう平気な顔をしている頑丈なU・Dもだが、それを見抜けなかった高坂や暗示担当者の落ち度にも、呆れて物が言えなかったのだ。
この苦情は後で山ほど届けると心に決め、柘榴は質問を重ねていく。
「それで、どうしてお前はここに居るんだ、俺達を追ってきたのか?」
「そうよ、あのビルから車で出るのを見て追いかけて来たの。途中で見失ったんだけどね、道路の方向から当たりを付けて、ホームレス仲間に聞き込みして何とか追い付いたわ」
自慢げに薄い胸を張るU・Dに、柘榴とケイトは揃ってまた頭を抱えた。
彼らは昼過ぎにはこのビルに到着し、夜を待つ間、警察と連絡を取ったり、仮眠を取ったりして八時間近くは時間を潰していたので、少女が追い付けたとしても疑問は無い。
ただ、一般人にこうも簡単に尾行された事が恥だったのだ。
狩人は秘密組織の一員だが、
とはいえ、一般の報道記者等に目を付けられては不都合な為、尾行にはそれなりの気を使っている。
だというのに、こんなただの少女に後を付けられたとあっては、面子が丸潰れであった。
そんな苦悶する二人を見かねたのか、U・Dは不遜な口をきく。
「気にする事ないわよ。お姉さんはこう見えても、数多の戦場を駆け抜けてきた猛者だから。貴方達ひよっこ共の相手なんてお茶の子さいさいよ」
「誰がひよっこだ、この発育不良児」
「というか、貴方達を見つけられたのはただの偶然、ちょっとした幸運だから。四六時中後を付けてた訳じゃないから、尾行されてたなんて気付かないわよ」
「それは、そうかもしれんが……」
「実際、ようやく見つけて後を付け始めたら、こうしてお縄にされちゃったもの、別に恥じる事じゃないでしょ」
「…………」
まるでこちらを庇うような言葉に、柘榴は思わず口を噤む。
自己中心的で口の悪い少女だが、悪人という訳では無いのかもしれない。
だが、そうと分かったからこそ、この先の展開を考えて柘榴は歯軋りしてしまう。
そんな彼に代わり、今まで黙っていたケイトが身を乗り出す。
「それで、Uちゃんは私達に何の用かしら。用事があるから追って来たんでしょう?」
「人を腹ぺこ幽霊みたいに言わないで欲しいわね。でも、その問いにはYESと答えておくわ」
あくまで偉そうにそう告げ、U・Dはようやく本題を切り出す。
「用件の一つは、さっき言った貴方達へのお礼。そしてもう一つはちょっとしたお願いよ」
「お願いって何かしら?」
「アタシを貴方達の仲間に加えて欲しいの」
何処かで予想していた、けれども聞きたくなかったその台詞に、二人の狩人は言葉を失ってしまう。
「あの狼男の他にも、見た事のない化け物がたくさん実在していたんでしょう? アタシはそれが見たい。だから貴方達の仲間になりたい。ねっ、簡単な論法でしょう?」
瞳を輝かせそう請われても、やはり開いた口は塞がらない。
ほんの昨夜、
柘榴は「今時の子供は、現実と
「狩人は死と隣り合わせの危険な仕事だ、冗談でも面白いなんて二度と言うな!」
壁が揺れるほどの怒声を上げるが、しかし、U・Dの方は飄々とした顔でまともに受け取らない。
「心配してくれるのは嬉しいけど、アタシならそう簡単に死なないから大丈夫よ」
「その無根拠な自信は何処から出て来る!」
「根拠ならあるけど、それはまだ秘密。それで、仲間にしてくれるの?」
「……っ!」
変わらず人の話を聞かない少女の態度に、赤銅の狩人は怒りのあまり言葉を失ってしまう。
思わず殺しかねないほど襟首を絞め、もう一度怒鳴ろうとしたその肩を、涼しい顔の相棒が叩いて諫めた。
「柘榴、それくらいにしておきなさい」
「……すまん」
「いいのよ。じゃあUちゃん、私達は貴方を仲間に入れて良いかどうか、ちょっと相談して来るから、少し待っててね」
ケイトはそう言って柘榴の手を引き、手錠で縛られたU・Dを置いて部屋の外に出る。
「本気であいつを狩人にするつもりか?」
扉を閉め、U・Dに声を聞かれなくなった所で柘榴がそう問うと、ケイトは微笑を消して答えた。
「そうしないとあの子、
冷たく言い切られ、柘榴は思わず顔を背けてしまう。
世間に決して露見してはならない怪物の存在を知り、薬と暗示でその記憶も消せなかった以上、彼女は怪物同様の危険人物として、その口を封じなければならない。
それが狩人の掟であり、世を守る事に繋がるのなら、その手を汚さなければならないのが柘榴達の責務だ。
だが、分かってはいても納得の出来ない非道に、若き赤銅の狩人は嫌悪を隠せなかった。
「確かに、処分を免れるには仲間に引き込む以外ないが、適性はあると思うか?」
柘榴が難しい顔で尋ねると、ケイトも同じ表情で黙り込んだ。
新しく狩人となる者には、大きく分けて三つのケースがある。
一つ目、軍人や傭兵としての腕を見込まれ、協会が引き抜いた者。
二つ目、特殊で危険な才能を持ち、狩人としてしか生きる場が無かった者。
そして三つ目、怪物を目撃し、口封じを兼ねて強引に引き込まれた者だ。
柘榴自身も三つ目のケースで狩人となった為、U・Dが狩人になれない訳ではない。
だがそれも、常識の通用しない怪物と戦って、生き残れるだけの力があればの話である。
血の滲む様な訓練を積み、特殊部隊並の技量を備えてもなお、何度も死の淵を覗いてきたケイトは、特にその事を理解している分、迂闊な答えを口にしなかった。
「精神的な素質は有ると思うわ。怪物に恐怖を感じないような、少し壊れたぐらいの人間じゃないと、狩人は務まらないもの」
「しかし、一般人を巻き込むのは……」
ケイトは肯定を示すが、柘榴は認められず口を濁す。
あまり普通ではないし、本人も望んでいるとはいえ、あくまでU・Dは一般人だ。
血と硝煙の臭いにまみれ、闇に潜む異形と殺し合う狩人になんてならないで欲しい。
そう思ってしまうのは、柘榴の身勝手なのだろうか。
そんな気持ちを察したのだろう、ケイトは一瞬だけ優しく微笑み、しかし直ぐに冷酷な顔に戻って告げた。
「分かった。ならもう少し話をしてみて、狩人になるのを止めさせてみるわ」
「本当か?」
「えぇ。でも、もし狩人にならない道を選んだのなら、その時は本気で事件の事を忘れて貰うわ。それこそ、死んだ方がマシな状態になったとしても」
「…………」
一瞬湧いた淡い希望は、より残酷な道で閉ざされた。
今回、U・Dの記憶が残っていたのは、対象が成長期の子供である事を考慮し、暗示の際に使う薬の量を減らしたからだろう。
厳しそうに見えて甘い所のある高坂なら、そのような指示を出した可能性は十分ありえる。
だが、ケイトは手心を加えず、容赦なく行うと断言したのだ。
薬の打ちすぎで心が壊れ、U・Dが廃人になったとしても、怪物と狩人を表の世界に知らせない為に。
「運が良ければ障害も残らず、記憶だけ消えるでしょう。この危険性も含めて話し、その上でもう一度あの子に決断させるわ。それでいいわね」
「……頼む」
元より柘榴に決定権のある話ではない。どのような結末を迎えるにせよ、それは少女本人が決めるべき事だった。
そう納得し、扉を開けて部屋に戻った柘榴の前に、金属の固まりが投げられた。
反射的に受け取ったそれは、ジャラジャラと鎖がうるさい手錠で、見れば、U・Dが自由になった腕を回して笑っていた。
「四十八ある特技の一つとでも言っておくわ。どう、少しは仲間にする気になったかしら?」
「犯罪者の素質が有るのは分かったよ」
呆れてそう言いながら、無駄と知りつつもう一度、少女の腕に手錠を掛ける。
特に抗わず、大人しく再び拘束されたU・Dに、ケイトが優しい顔で話し出す。
「Uちゃん、貴方の決意を疑う訳じゃないけど、少しだけ話を聞いてくれるかしら。まず、今の貴方には三つの選択肢があるわ。一つ目は、強い薬の効果で精神が壊れる危険性を犯しても、記憶を消して元の生活に戻る道」
「却下ね。悪いけど、記憶は絶対に消えないと思うから。アタシ、その手の薬が効かない体質なのよ」
U・Dは一瞬も逡巡せず、一つ目の提案を蹴る。
それで気を害した様子もなく、ケイトは次の選択肢を差し出す。
「二つ目、これは私のお薦めよ。ここで死んで一生口を噤んで貰う」
「っ!?」
「それこそ却下ね。今は死にたい気分でもないし」
驚く柘榴を横に、U・Dは平然と答える。
その度胸に感心しながら、ケイトは最後の選択肢を告げた。
「そうなると、三つ目の狩人になる道しか残ってないわね」
「最初からそう言っているでしょ。早くお仲間にしてくれない?」
「いいけど、最後に確認させてね」
「死んだ時の心配ならいらないわよ。家族も友人も居ないから、骨は海にでも撒いてくれればいいわ。もしも死んだら、だけどね」
「いいえ、聞きたいのはその逆よ」
「逆?」
可愛らしく小首を傾げる少女に、金髪の狩人は同じ仕草をして問いかける。
「つまり、怪物を殺す覚悟があるかって事」
「…………」
その質問は想定外だったらしく、饒舌だったU・Dが初めて黙り込む。
鳩が豆鉄砲を喰らったようなその顔に、ケイトは猫のような肉食獣の笑みを浮かべて続けた。
「怪物って言ってもね、ファンタジー小説やゲームに出てくる
「木を隠すなら森の中、でしょ」
「その通り、頭の良い子は好きよ。現代の怪物は、人間社会という森の中に隠れて生息している。そうなると森に紛れる為に、人間と同じ姿をしていなければならない。そうでなければ、直ぐに怪物だと知れて猟師に狩られてしまうから」
「実際、人型以外の怪物は、大陸の山奥等を除いてほとんど刈り尽くされている。この狭い日本では特にそれが顕著だ」
柘榴も話に加わり補足する。それに頷きながらケイトは結論を告げた。
「つまりね、貴方は人間によく似た怪物を殺さなければならないの。話が出来て、心が通じ、友人や恋人だって居るその人間モドキを、慈悲なく容赦なく殺さなければならないの」
「…………」
「昨日、貴方を襲った狼男だってそうよ。彼は今まで普通の家庭で育ち、普通の大学を卒業し、普通のサラリーマンとして過ごしてきた。けれど、何かの拍子で
「…………」
「仮に事実を知られたら、彼の知人は私達を責めるでしょう。罪を犯したからといって殺す事はなかった、あれは病気で彼は悪くなかった、とか言ってね。そう罵られる覚悟が貴方にはあるのかしら?」
あくまで優しげに、だが容赦の無いケイトの言葉に、U・Dは俯いて答えない。
そして短くない沈黙の後、少女は小さな声で告げた。
「人も殺さずにいられるほど、楽な人生ではなかったわ」
「っ!? お前……」
喉元まで上がってきた何かを、柘榴は慌てて飲み込んだ。
それは罵倒だったのか、憐憫だったのか。
どちらにせよ、歳に似合わぬ闇を瞳に浮かべた少女を、傷付ける事だけは確かだったのだから。
ケイトも同じ気持ちを抱いたらしく、少女の発言の真偽は問わず、ただ一つ頷いて見せた。
「分かったわ。では貴方を協会に連れて行って紹介して上げる。けど、合格出来るかどうかは分からないわ」
「それで十分よ。アタシ、運だけは強いから、重要な分岐点で失敗した事はないの」
変わらぬ自信顔で頷き返し、U・Dは立ち上がる。
柘榴もその手を引き、廃ビルの捜査を打ち切って出口へ歩き出す。
(結局、俺はこいつを救えなかったんだな……)
狼男という怪異から助け出しながら、狩人協会という怪異の渦へ巻き込んでしまった。
救いのない事実に、赤銅の狩人は暗澹とした気持ちになり、せめてもと少女の体を優しく抱き上げた。
「何のつもり?」
「手錠をしたままで転けて、怪我をされたら面倒なだけだ」
「……そう、ならお願いするわ」
少女は何か言いかけたが、黙って柘榴の首に腕を回した。
前を行くケイトが小さく笑っていたが、柘榴は気付かぬフリをして歩き続けた。
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