1-4

 鍵が掛けられたホテルの一室で、少女は手錠を掛けられて椅子に座らされ、二人の狩人に取り囲まれていた。

 恫喝されているようにしか見えないその場で、だがしかし、一番場を支配していたのは他ならぬ幼い少女であった。


「My name is U・D,What your name?」


 流暢な英語で問いかけ、顔を覗き込んで来るU・Dに、柘榴はもう何度目とも分からない溜息を吐く。


「どこの駅前留学で学んだのか知らんが、いいから日本語で喋れ」

「失礼ね、母国の米国ステーツで学んだネイティブな英語よ」

「お前の語学力は分かった。だからまずは俺達の質問に答えろ」

「人に物を尋ねるなら、まずは名乗ってからするのが礼儀と言うものじゃない?」

「お前、自分の立場が分かってるのか」

「乱暴な男と女に捕らわれ、辱めを受けている最中といった所かしら? 安心して、アタシも無理矢理っていうの嫌いじゃないから」

「…………」


 言葉は通じているし、こちらの言う事も聞こえている。

 だがとにかく話の通じない少女は、捕らえられてからずっとこの調子なのだった。


「いいから名乗りなさい。名前は? 年齢は? 年給は? 車と土地を持っているのかも重要ね。それにサングラスを外した顔も見せて欲しいわ」

「お前は俺の見合い相手か」


 思わず突っ込みを入れてしまってから、柘榴はケイトに助けを求める。

 しかし、金髪の相方は笑みを噛み殺してこちらを見るだけで、助け船を出そうとはしなかった。

 赤銅の狩人は怪物と対峙している時以上の疲労を覚えながら、大人しく少女の言う通りにする覚悟を決めた。

 過去の経験上、こういった我が道を行くゴーイング・マイウェイな女を相手にする場合、逆らわないのが一番であると悟っていたからだ。


「名前は赤銅柘榴あかがねざくろ、歳は今年で二十二、年給は特別手当で変動するから分からん、車は持っているが土地は無い。あと素顔をお前に見せる気はない。これで満足か」


 一息にそう言い切ると、U・Dは嬉しそうに目を細めた。


「へぇ~、赤銅柘榴って言うの。変わった名前ね、親御さんが中二病だったのかしら?」

「渾名だ、本名じゃない。それに名前の事をお前に言われる筋合いはないぞ、U・D」

「それはそうね。けど、初対面の人間を呼ぶなら『さん』くらい付けなさいよ。『様』でもいいわ」

「……お前と話すのは、本当に疲れる」


 皮肉を返したというのに、偉そうな注文が追加され、柘榴はまた頭を抱えてしまう。


(まったく、どうして俺はこんな奴と漫才をしているんだ……)


 情けない気分になってくるが、頭を振って何とかそれを追い出す


「聞きたい事はそれだけだな、今度はこちらの質問に答えてもらう」

「えぇ、どうぞ好きにして」


 おちゃらけた空気を払り払い、無慈悲な狩人の顔で告げると、U・Dもようやく話を聞く姿勢を取る。


「一応確認しておくが、俺達の事を憶えているんだな?」


 薬と暗示で消したはずの記憶があるらしいU・Dに改めてそう問うと、「何を言ってるの?」という小馬鹿にした表情が返ってくる。


「憶えているに決まってるわ。アタシは口こそ悪いけど、命の恩人を忘れるほど薄情じゃないつもりよ。昨日はありがとう、柘榴と金髪のお姉さん」


 そう礼を言って、手錠の掛かった手で握手を求めてくる少女に、狩人二人は呆れた顔を突き合わせる。

 丸三日は意識が混濁する強力な薬を打たれたというのに、もう平気な顔をしている頑丈なU・Dもだが、それを見抜けなかった高坂や暗示担当者の落ち度にも、呆れて物が言えなかったのだ。

 この苦情は後で山ほど届けると心に決め、柘榴は質問を重ねていく。


「それで、どうしてお前はここに居るんだ、俺達を追ってきたのか?」

「そうよ、あのビルから車で出るのを見て追いかけて来たの。途中で見失ったんだけどね、道路の方向から当たりを付けて、ホームレス仲間に聞き込みして何とか追い付いたわ」


 自慢げに薄い胸を張るU・Dに、柘榴とケイトは揃ってまた頭を抱えた。

 彼らは昼過ぎにはこのビルに到着し、夜を待つ間、警察と連絡を取ったり、仮眠を取ったりして八時間近くは時間を潰していたので、少女が追い付けたとしても疑問は無い。

 ただ、一般人にこうも簡単に尾行された事が恥だったのだ。

 狩人は秘密組織の一員だが、密偵スパイ等とは違い、正体が露見したからといって命の危険に晒される訳ではない。

 とはいえ、一般の報道記者等に目を付けられては不都合な為、尾行にはそれなりの気を使っている。

 だというのに、こんなただの少女に後を付けられたとあっては、面子が丸潰れであった。

 そんな苦悶する二人を見かねたのか、U・Dは不遜な口をきく。


「気にする事ないわよ。お姉さんはこう見えても、数多の戦場を駆け抜けてきた猛者だから。貴方達ひよっこ共の相手なんてお茶の子さいさいよ」

「誰がひよっこだ、この発育不良児」

「というか、貴方達を見つけられたのはただの偶然、ちょっとした幸運だから。四六時中後を付けてた訳じゃないから、尾行されてたなんて気付かないわよ」

「それは、そうかもしれんが……」

「実際、ようやく見つけて後を付け始めたら、こうしてお縄にされちゃったもの、別に恥じる事じゃないでしょ」

「…………」


 まるでこちらを庇うような言葉に、柘榴は思わず口を噤む。

 自己中心的で口の悪い少女だが、悪人という訳では無いのかもしれない。

 だが、そうと分かったからこそ、この先の展開を考えて柘榴は歯軋りしてしまう。

 そんな彼に代わり、今まで黙っていたケイトが身を乗り出す。


「それで、Uちゃんは私達に何の用かしら。用事があるから追って来たんでしょう?」

「人を腹ぺこ幽霊みたいに言わないで欲しいわね。でも、その問いにはYESと答えておくわ」


 あくまで偉そうにそう告げ、U・Dはようやく本題を切り出す。


「用件の一つは、さっき言った貴方達へのお礼。そしてもう一つはちょっとしたお願いよ」

「お願いって何かしら?」

「アタシを貴方達の仲間に加えて欲しいの」


 何処かで予想していた、けれども聞きたくなかったその台詞に、二人の狩人は言葉を失ってしまう。


「あの狼男の他にも、見た事のない化け物がたくさん実在していたんでしょう? アタシはそれが見たい。だから貴方達の仲間になりたい。ねっ、簡単な論法でしょう?」


 瞳を輝かせそう請われても、やはり開いた口は塞がらない。

 ほんの昨夜、人狼ワーウルフなんて常識外の怪物に襲われ、危うく命を落としかけたというのに、その危険な世界に自ら入りたいと言うのだ、しかも理由は面白そうだから。

 柘榴は「今時の子供は、現実と虚構世界フィクションの区別が付かないのか?」などと年寄り臭い事を考えながら、馬鹿な事を言い出した子供の襟首を掴む。


「狩人は死と隣り合わせの危険な仕事だ、冗談でも面白いなんて二度と言うな!」


 壁が揺れるほどの怒声を上げるが、しかし、U・Dの方は飄々とした顔でまともに受け取らない。


「心配してくれるのは嬉しいけど、アタシならそう簡単に死なないから大丈夫よ」

「その無根拠な自信は何処から出て来る!」

「根拠ならあるけど、それはまだ秘密。それで、仲間にしてくれるの?」

「……っ!」


 変わらず人の話を聞かない少女の態度に、赤銅の狩人は怒りのあまり言葉を失ってしまう。

 思わず殺しかねないほど襟首を絞め、もう一度怒鳴ろうとしたその肩を、涼しい顔の相棒が叩いて諫めた。


「柘榴、それくらいにしておきなさい」

「……すまん」

「いいのよ。じゃあUちゃん、私達は貴方を仲間に入れて良いかどうか、ちょっと相談して来るから、少し待っててね」


 ケイトはそう言って柘榴の手を引き、手錠で縛られたU・Dを置いて部屋の外に出る。


「本気であいつを狩人にするつもりか?」


 扉を閉め、U・Dに声を聞かれなくなった所で柘榴がそう問うと、ケイトは微笑を消して答えた。


「そうしないとあの子、処分・・する事になるわよ」


 冷たく言い切られ、柘榴は思わず顔を背けてしまう。

 世間に決して露見してはならない怪物の存在を知り、薬と暗示でその記憶も消せなかった以上、彼女は怪物同様の危険人物として、その口を封じなければならない。

 それが狩人の掟であり、世を守る事に繋がるのなら、その手を汚さなければならないのが柘榴達の責務だ。

 だが、分かってはいても納得の出来ない非道に、若き赤銅の狩人は嫌悪を隠せなかった。


「確かに、処分を免れるには仲間に引き込む以外ないが、適性はあると思うか?」


 柘榴が難しい顔で尋ねると、ケイトも同じ表情で黙り込んだ。

 新しく狩人となる者には、大きく分けて三つのケースがある。

 一つ目、軍人や傭兵としての腕を見込まれ、協会が引き抜いた者。

 二つ目、特殊で危険な才能を持ち、狩人としてしか生きる場が無かった者。

 そして三つ目、怪物を目撃し、口封じを兼ねて強引に引き込まれた者だ。

 柘榴自身も三つ目のケースで狩人となった為、U・Dが狩人になれない訳ではない。

 だがそれも、常識の通用しない怪物と戦って、生き残れるだけの力があればの話である。

 血の滲む様な訓練を積み、特殊部隊並の技量を備えてもなお、何度も死の淵を覗いてきたケイトは、特にその事を理解している分、迂闊な答えを口にしなかった。


「精神的な素質は有ると思うわ。怪物に恐怖を感じないような、少し壊れたぐらいの人間じゃないと、狩人は務まらないもの」

「しかし、一般人を巻き込むのは……」


 ケイトは肯定を示すが、柘榴は認められず口を濁す。

 あまり普通ではないし、本人も望んでいるとはいえ、あくまでU・Dは一般人だ。

 血と硝煙の臭いにまみれ、闇に潜む異形と殺し合う狩人になんてならないで欲しい。

 そう思ってしまうのは、柘榴の身勝手なのだろうか。

 そんな気持ちを察したのだろう、ケイトは一瞬だけ優しく微笑み、しかし直ぐに冷酷な顔に戻って告げた。


「分かった。ならもう少し話をしてみて、狩人になるのを止めさせてみるわ」

「本当か?」

「えぇ。でも、もし狩人にならない道を選んだのなら、その時は本気で事件の事を忘れて貰うわ。それこそ、死んだ方がマシな状態になったとしても」

「…………」


 一瞬湧いた淡い希望は、より残酷な道で閉ざされた。

 今回、U・Dの記憶が残っていたのは、対象が成長期の子供である事を考慮し、暗示の際に使う薬の量を減らしたからだろう。

 厳しそうに見えて甘い所のある高坂なら、そのような指示を出した可能性は十分ありえる。

 だが、ケイトは手心を加えず、容赦なく行うと断言したのだ。

 薬の打ちすぎで心が壊れ、U・Dが廃人になったとしても、怪物と狩人を表の世界に知らせない為に。


「運が良ければ障害も残らず、記憶だけ消えるでしょう。この危険性も含めて話し、その上でもう一度あの子に決断させるわ。それでいいわね」

「……頼む」


 元より柘榴に決定権のある話ではない。どのような結末を迎えるにせよ、それは少女本人が決めるべき事だった。

 そう納得し、扉を開けて部屋に戻った柘榴の前に、金属の固まりが投げられた。

 反射的に受け取ったそれは、ジャラジャラと鎖がうるさい手錠で、見れば、U・Dが自由になった腕を回して笑っていた。


「四十八ある特技の一つとでも言っておくわ。どう、少しは仲間にする気になったかしら?」

「犯罪者の素質が有るのは分かったよ」


 呆れてそう言いながら、無駄と知りつつもう一度、少女の腕に手錠を掛ける。

 特に抗わず、大人しく再び拘束されたU・Dに、ケイトが優しい顔で話し出す。


「Uちゃん、貴方の決意を疑う訳じゃないけど、少しだけ話を聞いてくれるかしら。まず、今の貴方には三つの選択肢があるわ。一つ目は、強い薬の効果で精神が壊れる危険性を犯しても、記憶を消して元の生活に戻る道」

「却下ね。悪いけど、記憶は絶対に消えないと思うから。アタシ、その手の薬が効かない体質なのよ」


 U・Dは一瞬も逡巡せず、一つ目の提案を蹴る。

 それで気を害した様子もなく、ケイトは次の選択肢を差し出す。


「二つ目、これは私のお薦めよ。ここで死んで一生口を噤んで貰う」

「っ!?」

「それこそ却下ね。今は死にたい気分でもないし」


 驚く柘榴を横に、U・Dは平然と答える。

 その度胸に感心しながら、ケイトは最後の選択肢を告げた。


「そうなると、三つ目の狩人になる道しか残ってないわね」

「最初からそう言っているでしょ。早くお仲間にしてくれない?」

「いいけど、最後に確認させてね」

「死んだ時の心配ならいらないわよ。家族も友人も居ないから、骨は海にでも撒いてくれればいいわ。もしも死んだら、だけどね」

「いいえ、聞きたいのはその逆よ」

「逆?」


 可愛らしく小首を傾げる少女に、金髪の狩人は同じ仕草をして問いかける。


「つまり、怪物を殺す覚悟があるかって事」

「…………」


 その質問は想定外だったらしく、饒舌だったU・Dが初めて黙り込む。

 鳩が豆鉄砲を喰らったようなその顔に、ケイトは猫のような肉食獣の笑みを浮かべて続けた。


「怪物って言ってもね、ファンタジー小説やゲームに出てくるドラゴン一目巨人サイクロプスなんかはもう存在しないの。何百年も前ならともかく、人間がこれだけ生息圏を広げた現代では、そういった怪物らしい怪物が潜める森や山が残っていないのよね。けど、怪物自体は今も絶える事なく存在し続けている。何処に居ると思う?」

「木を隠すなら森の中、でしょ」

「その通り、頭の良い子は好きよ。現代の怪物は、人間社会という森の中に隠れて生息している。そうなると森に紛れる為に、人間と同じ姿をしていなければならない。そうでなければ、直ぐに怪物だと知れて猟師に狩られてしまうから」

「実際、人型以外の怪物は、大陸の山奥等を除いてほとんど刈り尽くされている。この狭い日本では特にそれが顕著だ」


 柘榴も話に加わり補足する。それに頷きながらケイトは結論を告げた。


「つまりね、貴方は人間によく似た怪物を殺さなければならないの。話が出来て、心が通じ、友人や恋人だって居るその人間モドキを、慈悲なく容赦なく殺さなければならないの」

「…………」

「昨日、貴方を襲った狼男だってそうよ。彼は今まで普通の家庭で育ち、普通の大学を卒業し、普通のサラリーマンとして過ごしてきた。けれど、何かの拍子で獣人ライカンスロープとして覚醒し、三人もの女性を喰い殺して、狩り滅ぼされる化け物に成り下がった。けれど、それまでは普通に人間として生きていた。今だって、行方不明・・・・になった彼を家族や恋人が心配しているでしょうね」

「…………」

「仮に事実を知られたら、彼の知人は私達を責めるでしょう。罪を犯したからといって殺す事はなかった、あれは病気で彼は悪くなかった、とか言ってね。そう罵られる覚悟が貴方にはあるのかしら?」


 あくまで優しげに、だが容赦の無いケイトの言葉に、U・Dは俯いて答えない。

 そして短くない沈黙の後、少女は小さな声で告げた。


「人も殺さずにいられるほど、楽な人生ではなかったわ」

「っ!? お前……」


 喉元まで上がってきた何かを、柘榴は慌てて飲み込んだ。

 それは罵倒だったのか、憐憫だったのか。

 どちらにせよ、歳に似合わぬ闇を瞳に浮かべた少女を、傷付ける事だけは確かだったのだから。

 ケイトも同じ気持ちを抱いたらしく、少女の発言の真偽は問わず、ただ一つ頷いて見せた。


「分かったわ。では貴方を協会に連れて行って紹介して上げる。けど、合格出来るかどうかは分からないわ」

「それで十分よ。アタシ、運だけは強いから、重要な分岐点で失敗した事はないの」


 変わらぬ自信顔で頷き返し、U・Dは立ち上がる。

 柘榴もその手を引き、廃ビルの捜査を打ち切って出口へ歩き出す。


(結局、俺はこいつを救えなかったんだな……)


 狼男という怪異から助け出しながら、狩人協会という怪異の渦へ巻き込んでしまった。

 救いのない事実に、赤銅の狩人は暗澹とした気持ちになり、せめてもと少女の体を優しく抱き上げた。


「何のつもり?」

「手錠をしたままで転けて、怪我をされたら面倒なだけだ」

「……そう、ならお願いするわ」


 少女は何か言いかけたが、黙って柘榴の首に腕を回した。

 前を行くケイトが小さく笑っていたが、柘榴は気付かぬフリをして歩き続けた。

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