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 欠けた月が照らす夜、柘榴は都内の片隅にある寂れたビルの中を歩いていた。

 バブル期に建造され、その崩壊と共に建造途中で打ち捨てられたコンクリートが剥き出しの廃ホテルに、夜な夜な現れるという首無しの動く死体。

 その事実確認をするのが、柘榴達の受け持った新たな狩りだった。

 建設工事中に事故死した工員が、失くした自分の首を探して歩き回り、それに出会った者は錆びたシャベルで首を切り取られるという、何処にでもある怪談。

 肝試し気分で試す者はいても、本気で信じる者は居ないだろうその話は、だがしかし、五日前に本物の首無し死体が見つかった事で一変した。

 廃ホテルのロビーに捨てられていた、三十代男性と思しき死体を発見したのは、そこを遊び場としていた近所の小学生だった。

 通報を受けて直ぐに警察が駆けつけたが、死体からは身分証となる物が発見されず、また服や体にも特徴的な点が無かった為、身元の判別が付かなかった。

 現在は行方不明者を中心に身元を探っているものの、捜査は難航しており、未だ犯人どころか被害者の名前すら掴めていない。


 近隣では「首無し幽霊の噂は本当だったんだ」と大騒ぎになり、その話は狩人協会の耳にも直ぐに入り、一時現場は警察も含めて狩人以外が入れないように封鎖される事となった。

 しかし、協会は二日間の調査で怪物の仕業では無いと断定した。

 その主な理由は、死体から財布や身分証等が失くなっていた事にある。

 本当に幽霊が殺したのだとしたら、被害者からわざわざ持ち物を奪うのはおかしい。

 怨みや憎しみで動く怨霊が、金銭目当てや証拠隠しで動くなど有り得ない。

 そもそも、幽霊というのは実体が無い分、人間に直接影響を与える力が弱いのだ。

 幻覚や幻聴で精神を崩壊させるような事は出来ても、物理的に人を傷付け、ましてや殺す事などそうそう出来る事ではない。

 仮にそれを可能とする強力な怨霊だとすれば、今までにもっと大きな被害が出ているはずである。

 よって、これは噂に便乗した人間の手による、死体遺棄事件だと判断したのだ。


 犯行が怨みによる個人的なものだろうと、犯罪組織によるものだろうと、人間が犯人なら狩人協会が手を出す事件ではない。

 その為、捜査は全て警察の手に戻したのだが、念の為に今回、柘榴達が一夜だけ廃ホテルを再確認する事となったのだ。

 既に事件現場も片付けられ、立ち入り禁止のテープだけが残った入り口から入り込み、ハンドライトの光を頼りに薄汚れたホテルの中を巡回して行く。


「こちら柘榴、異常なし。そちらは?」

『こっちもよ。はぁ~退屈だわ』


 柘榴がヘッドセットの通信機に話しかけると、ケイトのだらけきった声が返ってくる。

 本来ならその態度を咎めるべき所だが、彼は苦笑だけして通信機を切った。

 昨夜までの三週間、なかなか尻尾を掴ませない狼男を追って、ケイトはろくに睡眠も取らず捜査を続けていたのだ。今日ぐらいは大目に見よう。

 柘榴はそう思いながら、気を抜かずにホテルの部屋を一つ一つ調べて行く。

 首無しの幽霊、もしくは首無しの動く死体ゾンビが、本当に居るとは彼も思っていない。

 だが、人間の殺人犯が現場に戻って来ないとも限らない以上、注意するに越した事はないのだ。


 そう思い、臆病とも言えるほど慎重に歩む柘榴の耳に、コンッと小石を蹴ったような微かな音が聞こえてきた。

 音は柘榴の後方、直線になっている廊下の端にある階段から響いたように感じられたが、柘榴はそのまま振り返る事なく足を進めた。

 やけに重い足音を立てて歩き、音が聞こえた方とは反対にある階段を上って行く。

 すると、今度は足音も気配も完璧に消した何者かが、柘榴の上った階段に駆け寄った。

 その人物は階段に柘榴の姿が無く、もう上の階に移動した事を知ると、自分も慎重に上ろうとして――目の前を紅い壁に塞がれた。

 轟音を立ててコンクリートの階段を踏み潰し、階上から降下してきた赤銅の狩人。

 そうと認識する間もなく、その人物は柘榴の手で床に組み伏せられていた。


「痛っ!」


 短い悲鳴は無視し、柘榴は追跡者をうつ伏せに押さえ付け、片腕を捻りながらその顔にライトの光を浴びせ掛ける。


「お前、何でこんな所に……」


 闇から現れたその顔に、柘榴は思わず声を失う。

 青い瞳と茶色の長い髪、大きめのTシャツをワンピースのように着て、汚れたコートを羽織った十四か十五歳の女の子。

 それは二十四時間ほど前に彼らが救助した、U・Dと名乗る少女に間違いなかった。

 思わず呆然とする柘榴を、少女は首を捻って確認すると、状況に似つかわしくない実に平淡な声で告げた。


「こんばんは、赤いお兄さん。今日も月が綺麗ね」


 場違いな挨拶を送られ、さらに混乱した柘榴が正気に戻ったのは、騒ぎを聞きつけたケイトが駆け付けた後だった。

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