第21話 【心と体の話 -2-】
―――翌日・下校中。
海鳴と亜結樹は手を繋いで帰っていた。夏休みも残りあとわずか。
二人は補修で学校に登校していた。 その日はちょうど、氷峰が蔀へ海へ行った日のお土産を渡しに出かけている日であった。
「で、八束さんは怒ったんだね、やっぱり」
「うん……。けど俺も、いてもたってもいられずに怒鳴り返しちまってさ」
「そのあとどうなったの?」
「どうなったっていうか……俺、八束の一言にはっとなってさ」
「一言?」
「あいつ、愛し方だとか言い始めちゃって、俺気付いたんだ」
「愛し方……か」
「何に気付いたかっていうのは、それが恋心じゃなかったんだってこと。八束は俺のこと単なる恋愛道具として扱っていなかったってことなんだよ。俺ももうそんな風に自分を見なくていいんだって気付いた。気付かされた」
「クローンてそんな風に見られてるの? あたし初耳だな。その……道具っていう考え方」
「あー、これさ、俺が三年前に担当の人から言われた言葉でさ……。俺もその人の言葉に従ってたからなー。まぁお前は気にすんなよ」
「陵さんて人の言葉?」
「あぁそうだよ」
何気ない二人の会話は帰り道を辿りながら繰り広げられていた。道の途中で、海鳴と亜結樹はばったり氷峰と遭遇してしまった。
「あ」
「こ、こんにちは、ミネさん」
「おぉ、珍しいな、二人仲良く……」
氷峰は海鳴が亜結樹と手を繋いでいる部位に、視線の先はすぐそこに向かった。
「……」
「……」
海鳴は氷峰の表情に陰りがあることを感じた。その場で亜結樹の手を握ったまま立ち尽くす。
亜結樹は海鳴と氷峰が互いに目を合わせた時の空気がピリピリしているような気がしていた。
「なぁ、海鳴……一言言っておく。亜結樹は俺の彼女だ」
「わかってますって……」
氷峰は海鳴に警告した。海鳴は氷峰の一言を聞いて、握りしめていた亜結樹の手を離した。何を思ったのか、亜結樹は氷峰の言葉を聞いて、頭の中で一瞬、違和感を感じた。
――ミネの彼女。俺が彼女……? 俺は――。
言葉の意味を履き違えてはならないような気がした。言葉そのものの意味を。
亜結樹の性自認が浮遊する。男でもある自分を一瞬だけ疑った。
そのため、氷峰の一言に違和感を感じて、その場で固まってしまった。
「……亜結樹、俺もこれから家へ帰る。一緒に帰ろう」
氷峰ははっきりしていた。亜結樹と海鳴の距離が縮まるのが嫌だという意思が、かたくなに顔に表れていた。海鳴も彼の表情を見てすぐに亜結樹の手を離した行為で、彼の意思を汲み取った。
「え……と……」
「亜結樹……ミネさんと帰んなよ、俺この人苦手かも」
「人前でよく毒吐けるなお前」
氷峰は海鳴の態度に内心苛立ちを感じていた。それよりも、蔀から亜結樹の肉体について話を聞かされたばかりで、胸が熱くなっていた。初めてその時、海鳴は彼女のことを名前で呼んだ。亜結樹は、はっとなり海鳴の横顔を見る。
海鳴の顔には、氷峰の表情に曇りがかった暗闇を捉えたように見えた。
亜結樹は素直に氷峰と帰ることにした。
「うん……。ごめんね海鳴」
「謝んなっての。じゃーな」
と言って、海鳴は手を振った。
「じゃ、じゃーね」
亜結樹も海鳴に軽く手を振る。
すると氷峰は海鳴の視線から目をそらすように、前を向き、亜結樹の片手をきゅっと握りしめた。亜結樹は振り返り、前を向いて無言のまま歩いている氷峰に、何て声を掛けていいかわからず、困っていた。手を握られたまま困惑する亜結樹に氷峰はこう告げた。
「お前の手料理が食べたい」と。
―――氷峰宅。
亜結樹は炒飯を氷峰に振る舞った。
「おー旨そうだなぁ。いただきまーす」
いつもより上機嫌な氷峰の口振りに亜結樹は疑問を感じて話しかける。
「ミネ、今日どこ行ってたの?」
「ん? ああ蔀ん所。あいつにSAで買った土産を渡しにな」
「あ、なんか選んでたよね。あたしと海鳴は自分のだけだったけど、何か渡した方が良かったかな……?」
「お前は蔀のことは考えなくていいんだよ。だって俺がいるだろ?」
そんな強い言い方をされた亜結樹はドキッとした。
「ミネなんか今日強気だね。そんな風に思えた」
亜結樹は情熱を振りまかれてるような錯覚を起こしていた。
「あははっ。いやこの飯が美味いからさぁ。ていうかさ線香花火、あれお前のが一番長かったなー」
「今頃、昨日の花火の話? 長いと何かいいことあるの?」
「そりゃ灯りが長く続くのは、願い事を叶えてくれるかもしれないってことだ」
「え? 初耳。流れ星とはわけが違うよ?」
「線香花火の玉が大きくなってパチパチ長く続くのは一生懸命さがその花火にもあるんだ。だから諦めずにじっとしてれば願いは自然と叶うって話だ」
「ふーん。ねぇ……ミネの願いって何?」
「ん? 俺の願い事? それは亜結樹といつまでも一緒で居られることさ」
食事を終え、穏やかな表情をしてそう言った。微笑んで見せた。
「私の願いも……同じ!」
亜結樹は氷峰の笑顔にレスポンスする様に同じく笑顔を見せた。
いつになく上機嫌な二人は、ベランダに出て外の空気に触れていた。
氷峰は煙草を吹かしながら、蔀の言っていたことを思い返していた。
――『亜結樹の半身は允桧のだ』――。
「どうりで……」
と独り言をつぶやいてしまった。亜結樹の下半身に目がいってしまった。
「ねぇミネ?」
「ん、どうした?」
亜結樹は突如、氷峰をそう呼んで、彼に抱きついた。
「――!? ……?」
「ミネ、俺のこと慰めてくれる?」
「慰めるって……――!?」
吸いかけの口にくわえている煙草が地面に落ちてしまう。
――慰めるってそういう意味で言ってんのかよ。ややこしいな。
「何で急に……んなこと……。海へドライブした高揚感って奴か?」
亜結樹は允桧に似ていると、氷峰は再び、思っていた。
――今、コイツ自分のこと、俺って言ったな。
――性行為の事わかってて言ってんのか? いや知って――。
「俺の事……慰めて欲しい。や、やり方知らないけど……」
顏を赤くして言う。
「……ッ……ハハ……」
――男同士って自覚してるなこいつ。
氷峰は携帯用の灰皿に煙草を入れ、ズボンの後ろポケットにそれをしまうと、亜結樹の頭にそっと手をやり、彼女の顏を胸に押し付ける。そのままもう片方の手を背中に回し抱き締める。
「もう夏終わっちゃうもんなぁ……」
「俺……ミネが同性愛者だって聞いたから……。蔀さんから……」
「うん、いや……バイだよ」
――学校外のことならアイツは話し相手になってくれてんだな。
亜結樹は色々なことを考えていた。
立花の事、海鳴の事、八束に初めて会った時の事。
立花は亜結樹の苛めが止んだと同時に暫くのあいだ学校に来なかった。それなのに、海鳴とのトラブルがあった日から暫くして……終業式の日、彼女は突然何事もなかった様な素振りをして、登校してきた。そこで、亜結樹達が通う学校からいなくなってしまうという事情を知り――その日を最後に会えなくなるなんて、その時は思いもしなかったそうだ。
「亜結樹。そいつと会えなくなるの……寂しいのか?」
「よくわからない。それは友達じゃなくて――……」
「恋人だったから? だったら本当は寂しくねぇか?」
「いや、付き合ったつもりなんか……。三日天下より短いもん」
「そうか(……例えが日本史)」
――性に迷っている亜結樹を見て、俺は――。
――俺は、初めてキスをした。勝手な真似をした。
――でも後悔はしてない。ユミカって女に謝るつもりもねぇ。
――観察が目的だとしても――。
――これは自分の意思だ。
「だから……なんか虚しくなるだけで、寂しいとは思わないんだ……」
「なぁ……同性愛を教えてくれたのってそのユミカって奴だったろ?」
「うん……今だから話せるけど、あたし……レズビアンになれない体だから」
「そーだな。……その通りだよ」
――女の胸だけじゃ対象にならない。女同士の欲を満たすのだって男と同じで最終的に向かうのは性器に触れる事だ。
――体の事ちゃんと理解してるか……この時期になれば。
氷峰はそう言うと亜結樹の顏を自分の方へ向けさせ――
「……ん」
彼女の額に軽い口付けをする。
「……ミネ……俺……」
「慰めてやるよ」
「……うん」
「……お前は俺を好きになる。蔀を通じて俺と知り合えたこと、後悔させねぇから……」
「うん……お願いします」
「お願いしますって……改んなよ、あははっ」
そう言って氷峰は亜結樹の頭を撫でてあげた。
――まるで暗示だ。亜結樹のことを催眠術にでもかけようとしている俺は――。
――亜結樹を通して允桧の事を忘れられずにいる。
――亜結樹が允桧を思い出させる。忘れたくない。
――そして八束ともギクシャクした関係がほどけつつあることも――。
――俺はこれから信じなくちゃならねぇ。
――亜結樹のことを男だと思って接することを蔀に言われてまた俺は苦しんでる。
――人を好きになることに苦しんでいる。
――允桧と付き合ったから……。彼奴の目の前で。華木という男の目の前で。
夜が明けるまで、部屋に二人の
亜結樹は氷峰の 止まない愛撫に好意を抱くようになっていった。
本能だ。身体が互いに昂る。
「裸を人前で見せるのは初めてなのか?」
「うん大丈夫。怖くない。気分が上がってきてる気がする」
「どう? 恐いと思わないのか?」
「……気持ちいいです」
と言って亜結樹は目を閉じたまま氷峰の行為に身を委ねていた。
亜結樹の半身が、允桧のだと知った俺は亜結樹のと己の昂りを擦りつけてしまった。身勝手なやり方だったのかもと。息を凝らしながら亜結樹と性器を触れ合わせてしまった。
夏が終わる。夏の余韻を残したまま、秋はやってくる。
俺はこの行為をした時、允桧の御墓参りへ、亜結樹を連れて行こうと思った。
―――六年前。
俺は高校二年生の時、彼と出会った。
「隣いい?」
「あ……ああ、うん」
出席確認の時、允桧と呼ばれた男は派手な白い長髪で済んだ水色の瞳をしていた。日本人ならカラコンでも入れているのだろうと思ったけど、もしかしたら何処かの国の王子様ような気もしたが、こんな制服もない高校にそんな人が来るわけないと思った。そんなことを思っていた俺は、隣の席に座る彼の聡明さの溢れた態度に目を奪われていた。
彼はあどけない表情をしていた。
「マサヒって言うんだっけ?」
「ああ、うん」
「俺、氷峰弓弦って言うんだ。よろしく……な」
「うん、よろしく……」
そう言った允桧の存在感は氷峰の中にしっかりと刻まれた。
何故だろう――允桧はこの時、感覚的に氷峰の存在に魅かれていた。
氷峰の存在は、僕を、俺を本能的に惹きつけた。下半身が妙に疼く。
僕の体は何かを知っているような気がして――。
下校時刻になった。二人は帰る方向が同じだったので、自然と一緒に帰ることになった。
「なぁ、お前彼女いんの?」
「え? 彼女って?」
允桧はその言葉の意味を知らなかった。
「は? いやだから付き合って、一緒にいる人とかいねぇの? お前見た目案外イケてるし」
「一緒に暮らしてる人はいるけど……あの人は彼氏で彼女じゃない」
允桧は陵のことを連想し、彼は陵が男性だということを考えて、ありのまま呟いた。
「彼氏って……。あーなんか言葉の意味あってんのか間違ってんのか、なんていうか……まぁいいや」
氷峰は諦めた。
「……」
允桧は何か考え込んでいた。
「どした?」
「ねぇ……僕の彼氏になってくれる?」
「は? か、彼氏になれって……、お前男子じゃ……?」
氷峰は允桧の突然の告白に動揺した。下半身に目が行く。
「俺、見た目は男だけど、女なんだ。ついてるはずのものがついてないんだ」
「じゃ、その……何で胸ねぇんだよ」
氷峰は允桧の下半身を見て下からゆっくりと胸板の方へ目をやった。
「先天的にないよ」
「!? ……お前……両性具有?」
「クローンだよ……。でも世間にいるようなクローンじゃない。俺は、畏怖クローンて呼ばれる存在なんだ」
氷峰は、ますます冷や汗をかいた。
「イフクローン?」
「英語のifじゃないよ? 日本語のの意味そのまま。体のこと説明しなくてもわかるでしょ? 俺のこと
「あ、ああ勿論」
「ねぇ……僕の彼氏になってくれるよね?」
允桧は急に口調が変わり、俺の手を握ってきた。
なんなんだこいつは。「余計な質問しなきゃよかった」と後悔した。だが俺は允桧を一人にしておけない感情に駆られた。俺は橋の上で允桧の彼氏になると誓った。
「あぁ、うん……皆には内緒な?」
「わかった。ありがとう!」
允桧は大きく返事をし思いっきり笑った。
もう夜になる。八束は夕飯をちゃんと食べただろうか。脳裏には一緒に暮らしてる彼のことが頭に浮かんでいた。俺は「また学校で」と言って允桧と別れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます