第20話 【心と体の話 -1-】


 ―――翌朝。


 氷峰は蔀の家を訪ねた。


「よう。手土産持ってきたぞ」

「別に期待なんか、してなかったぞ」

 と言いつつも、表情はほくそ笑んでいた。


 蔀は氷峰から手土産を受け取った。

 中身は――だった。


「ストラップなんて、珍しいな。食べ物かと思っていた」

「え? お前鍵につける何かが欲しいって、この間飲んでた時、呟いてたじゃん」


 氷峰は明るい声で嘆いた。気に入ってもらえなかったことに悲しみを通り越して、面白がっていた。

 彼の態度は蔀の前では、幼馴染なのか素直な気持ちになって話しかける。蔀もそうだ。


「まぁ……ありがたく受け取るよ。そうだ――」


 蔀は微笑んだと思ったら、直後に険相な顔立ちになり書類を数枚机に並べて話し始めた。


「お前、今亜結樹とはどこまでいったんだ。恋愛面でだ」

「な、なんだよ急に……。どこまでって……そりゃまだキスまで……だよ」


 氷峰は、はっとなり――照れ臭そうに返事を交わした。


「なら今のうちに話しておきたいことがある」

「ん? 何?」

「同性愛者は、一般的な恋愛をする者より、性的なものに固執して感情や見た目に敏感だと思うんだ……。友情を超えた付き合いがしたいが為にな」

「……へぇ。それ個人的な意見か?」

「まぁな。研究者の一人としてな」

「俺もその一人だって言いたいわけ?」

「そうだな。昔に比べたら少しは落ち着いてるんだろうけど、俺はそう思うよ」

「そっか……八束も見りゃそういう考えもあるわな。研究お疲れさん」

 そう言ってコップの水を一口飲み干して椅子から立ち上がる。

 立ち上がった氷峰の目を捉えるように蔀は氷峰に声をかけた。

「亜結樹は……あの子は期待しているのかもしれないな……」

「期待? 嫌な奴だなお前。まるで他人の恋愛事情を観察してるみてぇな言い方だな」

「実際の所そうだ。お前……俺がどこの人間か忘れてないだろうな?」

 お互い穏やかだった表情が険しくなった。

「……あぁわかってるよ」

「あともう一つ重要な話だ」

「?」


 蔀は一息つき、水を一杯口に含んだあと深呼吸をした。そして彼の名を口にした。


「允桧の体と亜結樹の体は対になっていた。それで亜結樹の肉体の一部は允桧と本来なら繋がるはずだった」

「――⁉︎ ……それどういう意味だよ。ていうか何今更アイツのこと……」

「つまり今お前は――」


 一枚の書類に人差し指をトンと音を立てて、氷峰に語る。


「――允桧の下半身と付き合っている」


 書類を目にした氷峰は恐る恐る口にした。


「允桧の下半身だと? 体がすり替えられてるって……入れ替わってるって……いつわかった話だよ!」


 口調はだんだんエスカレートし――


「お前、亜結樹の体の事全然知らないで、昔一緒に過ごしてたのか! おい!!」


 机をバンと叩いて蔀に言い寄った。蔀は氷峰の大声に冷静にこう言い返した。


「知らなかったじゃなくて、知りたくても知り得なかったんだ!」

「……っ……気持ち悪い話だな……。考えてみりゃ……」


 ――蔀は何も知らないで亜結樹を生み出したってのか?

 ――こいつどういう神経してんだ?


 ――亜結樹の半身は允桧に組まれるはずだったのか?

 ――じゃあ何で允桧は亜結樹が生まれより前に生きていたんだ?


「なぁ……体が入れ替えられてるってだけの話なのか?」

「何か他に疑っているのか?」


 ――俺が陵さんから聞いたことは正しいと判断しているが……。


「いや、俺の考えすぎかもしれねぇ……」


 ――遺体の半分はどうしたんだ?

 ――腐食する前から亜結樹を作る計画を誰か立てていたんじゃ……?


「ミネ……」

「ん?」

「俺の上司から耳にすることは全てお前に関係していることだと思うんだ。だから俺の言葉を疑わないでくれ。怒っても構わないが――」

「あぁ、さっきの。悪かったって。ちょっとお前だって亜結樹の世話してただろ? ……だからだよ」


 だから怒鳴ってしまったんだと、素直に謝った。蔀は一瞬目を丸くし――


「そうだったな。でも、もう彼女の出会いはお前に赴いている」


 正直なまま現状をありのまま伝えた。


「そういう言い方されっと心苦しくなる。やめてくれ……」

「悪かった……」


 ――允桧こともあったしな。忘れられないのはお互い様だ。


「本当に亜結樹の体については、心のバランスが上手くいったらなの話だな……」

「そうか」

「でも……――」


 そう言いかけて、煙草を胸ポケットから取り出す。すると蔀は――


「でも何だ? というかこの部屋は禁煙だ」


 慌てて椅子から立ち上がり、氷峰に近づいて煙草を取り上げた。


「あ! ……んだよ、いいじゃんか一本くらい」

「駄目だ。で、何が言いたかったんだ?」

「あー……うん。だからその、亜結樹の体の事……」


 ――允桧アイツのだからって……。


 頬が若干火照っているのが自分でもわかった。何を考え出したかは、蔀にも目に見えているようだった。


「焦らなくていい……。ただそういう事だ。物理的に考えてみればな。生物学上は……」


 ――半身は男性。允桧と対になるはずの体だったわけだ……。


「……だから煙草返せっての! もう用は済んだだろ?」


 そう言って蔀が取り上げた煙草をぶんどる。氷峰は玄関まで行き蔀の家を足早に立ち去ろうとする。蔀はそのままドアを開けて出て行った氷峰を追いかけ――


「おい!」


 氷峰は大きな一声に振り返った。


「これ、ありがとな。大事にするよ」


 と言って、虹色に輝くイルカのストラップが太陽の明かりで一瞬煌めいた。


「あぁ」


 氷峰は普段からジトジトした目をしているが、今度は微笑んで見せた。

 たった一人の幼馴染みの目の前で、精一杯微笑んで見せた。



 ―――昨日・柊八束宅。


 海の日の帰り、八束は夕闇に包まれながらアパートの駐車スペースにバイクを止めて降りた。

 八束の後を追うようにヘルメットを抱えた海鳴は、玄関に入ると棚にそれをしまう。

 そして先に口を開いたのは――、


「話したいことってなんだよ」


 八束の方だった。いつになく大人し目の態度をとる八束に海鳴は息を呑んでいた。


「うん、え、と……俺さ――」


 海鳴が何か言いかけた時に八束は海鳴にさっと目の前に現れると両肩を掴み――


「だから、好きなんだろ?」

「え……うん」


 目と目が合う。吊り上がった目先の奥に悲しい感情が見え隠れしているのがわかった。


「八束もうわかってるかもしれないけど……俺は――」

「わかってるっての」


 海鳴の次に来る言葉を悟って、優しい声で呟いた。

 だが次の瞬間――


「――ッ!」


 海鳴は顏を思いっきり殴られた。とても力強い拳だった。海鳴はふらついた。唇が切れた。

 痛みが走る。じんじんする。


「……?」


 海鳴は何で殴られたのか今理解しようと必死であった。だが八束はすぐに教えてくれた。


「海鳴……俺の海鳴に対する思いだ。受けとれよ」

「……思い? 口で言ってくんなきゃわかんねぇだろ」


 ――好きという気持ちを暴力で表そうとすんなよ…。


「口で言ってもおめぇはわかってくれねぇ」

「わかってるよ! むしろ口で説明してくれなきゃ困るよ!!」

「俺は認めねぇ……。おめぇが亜結樹の事好きだってのをな――!」


 再び殴る。今度は先ほど殴られた箇所と反対側だ。

 海鳴は顏を触ろうとした。その時――

 八束は両手で海鳴の両頬を包み込む。親指を伸ばし、切れた唇の端から滲み出た血を指の腹で拭う。


「――!」

「ホントにわかってんの? 好きな理由が欲しいんじゃねぇの? おめぇさ……」

「理由……? ああ、そうだよ」


 海鳴は口を歪めた。目は笑っていなかった。


「単純に性格だよ。見た目もだけど性格」

「性格? 俺の性格わかって言ってんの?」


 ますます八束の態度にいら立ちを見せた海鳴は嘲笑うように言い返した。

 そんな海鳴の態度もむなしく、八束は無理やり彼に口付けをする。

 だが口を塞がれた海鳴は、すぐさま八束の胸を小突いた。


「やだ……やりたくない」

「……何で? 俺はお前が好きだ」

「もう限界なんだ俺」


 ――俺はセックスしてる自分が好きになれない。卑しい自分を見たくない。


「何が限界なんだよ? 言えよ」

「……言ったら、八束哀しむから言えない」


 ――だって八束はセックスがなかったらすぐ元気をくすから。


「……何でだよ……、どうして――ッ!」


 八束は咄嗟に海鳴の胸ぐらを掴む。


「三年もずっと一緒に居んのに、何で俺の好きな気持ち受け流すんだよ!」

「受け流してるわけじゃないよ。何て言えば理解してくれっかな。その、体はよろこんでんだけど、俺は八束の好きな感情がわからないんだよ。だから俺は――八束の事を本当に心から好きなのかわからないんだ!」

「は? 何だよいちいち理窟っぽいんだよ……つまりセックスしてる時、俺ばっか満足しててお前は今まで仕方なく好きなふりしてきたってのか! そういう意味なのかよ!」

「今は……そういうことにしといてやるよ……」

「は?」


 ――何でそんな変な言い方すんだよ。今、俺見下されたの?


「服……放して。……なぁ――」


 中々離そうとせず、海鳴の顏をじっと見つめる。


「放せっつってんだろ!!」


 怒鳴った。八束は足をすくめたと同時に、ぞくぞくした。

 前にも見たこの鋭い目つき。

 何だろう。年下なのに、誰か別の人が、歳上の人間が中に入ってるような――。


 ――そうだよ……こいつクローンだから。


 八束は大事なことに三年経った今やっと気づいた。海鳴が誰のクローンであるかを。海鳴を一人のパートナーとして慕っていた――海鳴に惚れていたあまりに海鳴が誰のクローンであるかということに今まで注目してこなかった。


「わ、悪ぃ……」


 海鳴を解放する。


 ――何びびってんだ、俺。


 八束はそのまま海鳴の鋭い眼光から目が離せなくなり、その場に立ち止まる。その場に立ち込めたしーんとなった空気に苦汁が立ち込めていて、海鳴は自ら溜めた苦汁の中に浸っているようだった。初めは八束がその苦汁の元だったのかもしれないが、それは違っていた。海鳴自身が八束の苦汁の元を吸い取るように見せかけ、すでに海鳴の中に、苦汁の根源となるものが眠っていた。それは陵莞爾という男の性格と、亜結樹を好きになる感情が混ざり合って作られた海鳴自身が作り出した苦汁であった。


「もう、今日は別々に寝よう? 俺、気分悪いんだ」

「あ、お、おう……。俺もいきなり殴って悪かった。ごめんな……」

「……うん。殴られたことなんかどうでもいいよ。俺の方こそ、急に怒鳴ってごめん」

「おう……なんかまだ言いてぇことあんなら言ってみ? 殴らねぇから」


 気を取り直して、改めて八束は海鳴の苦汁に触れるように謝った。八束なりの優しさだったのかもしれない。それでも八束は海鳴のことを、そういうはしたない目で見下げる様なクローンにしてしまったと、このときなんとなく気づき始めていた。

 花火の中でも線香花火の様に、彼を静かに見守ってやらなければならないのもパートナーとしての務めなはずなのに――。


「あはは……。殴った後に言うなよ。あのさ、俺、海で亜結樹と二人っきりになった時に、なんかやっぱり惹かれてるんだ。亜結樹のここに触れたくてさ。好きなんだ……」


 と言って、海鳴は胸元に握りこぶしを当てた。


「あぁ、そうなんだな。けど俺、お前のことやっぱどっか行って欲しくねぇし――」

八束は海鳴の言葉を促すかのようにその言葉を飲み干して、海鳴の両肩を掴むと――


「これが俺なりの愛し方だって言ったら許してくんねぇの?」

 じわりと目の奥が熱くなりながら彼は誠意を伝えた。


 ――でも海鳴は俺のせいで、傷ついた……。

 ――俺だって、病気さえなけりゃ海鳴を――。

 ――海鳴をそんな風に見てた俺って――。

 ――俺って最低だな、やっぱ。昔っから……。


「八束……」


 海鳴は目を丸くした。八束に両肩を掴まれている自分は、勝手な恋心だけじゃなく愛に触れたかったのだと気付いた。八束の愛を跳ね返していたのは自分自身であったと気づいた。それは、亜結樹への恋心のおかげで海鳴は気付かされたことだった。


「ごめんな、海鳴」


 そう言って、八束は海鳴を抱きしめた。背の高い彼の抱擁感は重圧で、過去を拭ってくれていた海鳴の思いを押しつぶしてしまうくらいであったと、彼は反省した。


「もう謝んなって、八束……。わかったから、もう寝よう?」

「あぁ……うん……」


 海鳴の優しい声に八束は涙ぐんでいたが、そのままリビングを去って行った。八束は自分の部屋で普段なら考え事をしないでエロ動画でも見漁る所だが、今日は海鳴の一声に足をすくめ、海鳴がまるで別人のように怒ってきた為、改めて自分の情け無さに気付かされた。


 海鳴も自分の部屋で思い耽っていた。八束に亜結樹の気持ちに応えたい自分を伝えたことで、 八束の愛に気付かされた。その彼の態度に、海鳴は相手が恋じゃなかったことに改めて気付かされた。八束を許してあげた自分を見つめて、この海へ行った日の記憶を大切にしたいと願った。



 

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