第48話 【二度目の夏を迎えて -3-】

 後日、蔀と人気の少ない静まり返った通路脇の居酒屋に入った。

 蔀の父親である司秋と氷峰駈瑠がかつて通っていた場所で、店主とも顔馴染みである。


「おー弓弦君、久しぶりだね。元気かい?」

「まぁまぁっす」

「あれ、今日は会社の先輩とじゃないのか」


 店主が蔀の顔を窺いながらそう言う。蔀はいつもの無愛想な顔立ちで店主をちらりと見ると、ため息混じりに返事をした。


「今日は大事な話があって彼を呼び出したんです。ここでの話誰にも公言しないでくださいよ」

「もちろん。今日は貸切特別予約席をご用意したんでね。ゆっくり呑んでいきな」


 威勢のいい店主の一言に全く動じなかった蔀はカウンター席に座る。氷峰も隣に腰をかけながら例の手紙の内容を訊き出す。


「何が書かれていたんだ? その手紙には」

「八束に謝りたいって。顔が見たいってさ……。病院ですれ違ったときアイツ逃げ出しただろ? だから一度だけでいいから面と向かって話したいらしい。それと――」

「駈瑠の話か……」

「俺はそっちの方が気になるんだけどな。組織の一員としてな……」

「いつ頃会う約束とかまだ決めてないんだろ?」

「ああ……アイツと親父をどう引き合わせるか……俺と八束が仲が悪いことくらい知ってるだろ? お前だって」

「…………」


 氷峰は無言のまま店主から差し出された日本酒の徳利をお猪口に注ぎながら、蔀のにも注いでやった。

 言いづらそうにしている蔀の渋々とした横顔を見つめながら声をかける。


「駈瑠の件はまたあとでいい。話が長くなりそうだし……ちょっと昔話でもしようぜ」


 そう言って榮川えいせんを一口啜った。


「……お前はアイツと同居してて辛くなかったのか?」

「そりゃ色々あったさ……でも再会してまた出会って世間て狭いよなほんと」

「そりゃお前がそう思ってるだけだろ」

「なんでお前の親父がまったお前に手紙なんて書こうと思ったんだろうな……息子のため?」


 頬杖をついてリラックスした口調で蔀に尋ねる。彼が父親のことをどう思っているのか興味があった。

 駈瑠の作り出した組織に携わっている目の前の彼には、どうしても勇気のいる質問だったに違いない。

 なぜなら彼は八束のせいで父親を見放したのだから。逆に見放されて解放されたかったのだから。


「俺の方か? それとも八束?」

「そりゃあ、お前に訊いてんだよ」

「俺の親父は組織を辞める直前、八束に虐待を繰り返していたから、俺は我慢しきれなくなって一旦伯父さんに相談した。相談相手が間違っていたのかもしれないが、俺は親父が組織に在籍している以上公の場に八束を晒したくなかった。児童相談所に連絡も入れたら結局司秋の元へ話が通じたんだ」

「そうだったんだなぁ……それで俺と八束が一緒に住まないかって話になったわけだ」


 蔀は氷峰に注がれたお酒を一口呑んだ。日本酒で酔うかどうかは組織の先輩である潮崎と付き合って以来わからない。酔えば話しやすくなるというものだろうか。

 蔀は枝燕に全く相手にされてこなかった。中学時代も高校時代も。枝燕が組織を離れてから八束に暴力を振るっていたときさえも蔀は無視され続けていた。八束が高校生になる前に彼らを離れ離れにできたのは全て司秋のおかげだ。蔀は親父と黙々と高校時代を過ごした。


「知らないうちに、親父は更生していったけど。きっかけはなんだったのかは知らない。もしかしたら今度会ったとき、わかるかもしれない……。俺は親父にはなにもしてやれなかった」


 蔀が大学生になる頃、枝燕は置き手紙を置いて蔀と暮らしていた家を出て行った。

 枝燕の置き手紙には《妻に会いに行く》の一言だけ綴られていた。


「ちょうど受験も終わって、親父が家を出て行ったあとだったから良いタイミングだったのかどうか……俺には迷惑な話だよ。しかも六年前のあの事件があったし」

「あー……允桧が自殺したことと俺と八束が喧嘩して八束が一度お前んところにきたって話だろ」

「覚えてたのかよ」

「悪ぃな。だって結局さ、お前が八束居候させてた期間って短いだろ。俺が仕事中、お前に会ったときにはもうお前んところから追い出したとか言ってたしよ……ははっ八束のざまぁ」


 なんとも言えない苦笑と微笑みをこぼす氷峰の反応に蔀は困っていた。

 相変わらず酒を入れても表情の堅い蔀に、氷峰はもう一口だけ日本酒をお猪口に注いだ。


「お前ってやつは……鬱陶しいんだよ」

「でもそれが兄弟ってやつだろ? もう少し仲良くやってけよ」

「お前にそんなこと言われなくても理解はしている。ただ……」


 飲みかけのお猪口の水面を眺めながら――、


「ただ不器用なだけだ……」


 ぼそっと氷峰だけに本音を呟いた。


 氷峰は五種類の野菜の並んだ酒のアテをつまみながら蔀にこう告げる。


「でさ、俺からのお願いなんだけど、最初から八束と枝燕二人きりで会わせるのだけは無謀過ぎっから」

「八束のこと……考えてくれてるんだな」

「お前になら考えがもう浮かんでんだろ、どうせ」

「…………――っ!」


 ――海鳴か……。海鳴が一緒なら――。


 蔀は目を見開いて息を呑んだ。氷峰は蔀の表情を見るなり潔く店主を呼び出した。


「おやっさん、勘定頼む」

「もう話は終わったのかい?」

「まあ、大体。俺の親父の話は未解決だけど」


 氷峰駈瑠の話は身が重くなりそうだ。すでに重いものを抱えているに違いない。受け止めるにはまだ覚悟が足りていなかった。陵という男と対峙してから思い悩む時間があっても足りない気がした。允桧のこと――亜結樹のこと。イフ・クローンの誕生のきっかけと駈瑠がどう関わっていたのか、思考を巡らすには時間があっても足りないのだ。今は亜結樹と平穏に見守って恋愛して――。


 ――速水紫苑……彼女ととも同居して、家族になれってか?


 ふと薄暗い顔をしながらレジカウンターまで向かった。

 蔀は最後の一口を飲み干すと、席を立った。彼は酔わなかった。むしろ頭が冴えてしまったという様子だった。氷峰のおかげで海鳴の存在を思い出すことができて安堵した。

 氷峰と蔀は店を出た。日没後まもない薄明の空を眺めてると、店主が手を振って声をかけてくれた。


「またいつでも気軽においで」

「おう」


 氷峰は振り返り手を軽く振り翳した。

 蔀に別れを告げたあと、通知の数に目を凝らした。八束からのメールであった。


「余計なことしちまったかなぁー……」


 今から一旦家へ帰ろうと思ったのだが、八束からの呼び出しとなるとすぐ向かった方が蔀のためかもしれない。やはり世話を焼いているのは自分なのかもしれない。



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