第43話 【相談事 -3-】

 ―――同時刻・柊八束宅。


 亜結樹が帰った後も、ずっと八束は部屋で寝ていた。きっと寝たふりをしていたに違いない。亜結樹とは直接関わらないように、海鳴に気を使っていたのかもしれない。


「もう夜だぞ」

「わかってるっつーの」


 海鳴に返事をしてベッドから起き上がると「亜結樹ちゃんは?」と言ってわざとらしく目をきょろきょろさせる。海鳴は呆れた様子で軽くため息をついた。


 ――そういうところが八束らしいけど。


「ていうか何食べる?」

「お前が作るやつなら、なんでもいい」

「あっそ……じゃオムライスでも作ってみよっかな」

「マジで? やったー!」

「子供かよ」


 海鳴は亜結樹と一緒にいたことについて、八束が何も聞いてこないことを少し不思議に思っていた。

 料理をしながら、今朝のことを少しだけ八束に話すことにした。


「お前が寝てる間に、ゲームしたりして遊んでたんだけどさ……」

「ふーん。それで? 楽しかったんだろ?」

「ああ、まぁ、そうなんだけど……」


 何か言いたそうな顔はしていた。けれども次に出る言葉を奥底に閉まった。


 ――てか八束に難しいこと言ってもスルーされるだけだしな。


 海鳴は亜結樹に対して母性を感じたことを八束に言うのをやめた。

 オムライスが完成して、八束の前に差し出す。海鳴はいつも通り冷蔵庫から冷え切った栄養剤を取り出して喉に流し込んでいた。八束は海鳴が何を言いたそうにしているかは見当がつかなかった。それでも、悩みがあるなら聞いてやってもいいというスタンスだった。


「あれだろ? ただ寂しいんだろ? 亜結樹ちゃんが帰っちゃって」

「寂しい……ね。それだけじゃないんだけどねぇ……」


 核心をついた答えのような気もした。海鳴は美味しそうに自分の作ったオムライスを食べる八束の姿を見て、その寂しさを埋めるために八束を利用したいとは思わなかった。


 ――そもそも俺って、八束から見たらどういう存在なんだっけ?


 海鳴がぼやっとしているうちに、八束はオムライスを食べ切った。


「はやっ! もう食べ終わったの?」

「うまかったぜ。なぁ聞くけど、お前今も亜結樹ちゃんのこと好きなんだろ?」

「え? いきなりなんだよ……好きって言ったら、一回殴ってきたじゃねぇか」

「あん時は悪かったって」


 へらへらしてるのはいつものことだけど、亜結樹のことを気にしてるようには思えない。


 ――八束は俺のことをただクローンだからって区別してるだけかな……。


「じゃあ逆に八束は俺のこと今でも好きなわけ?」

「あ? 好きじゃなきゃ一緒にいるわけねーだろ」

「あっそ。ったく、なんもわかってねぇな」


 そう言いながら海鳴は栄養剤を握りつぶして、ゴミ箱に投げ捨てた。


「俺はあんたに何も与えてきたつもりはないし、与えられた覚えもねぇんだ。ただ慰めあって、それでも満たされない関係ってあんの?」


「どういう意味だよ、それ」


 八束は頭を掻きながら相槌を打つ。海鳴の話は長くなりそうな予感がした。なので食器を片付けて食卓を離れようとした。そのとき海鳴が八束の服の裾をグッと引っ張った。


「なんだよ――!」


「本当は『お前に会えて嬉しい』とかそういう言葉も言えないのかよ……バカ」


 振り返ると海鳴のツンとした顔があって思わずドキッとなる。


「……言わなくてもわかってんだろが」


 海鳴を上から抱き寄せると、海鳴が小さい声でキスしてと囁いた。

 亜結樹のことを好きでいても、八束が怒ったのは一度きりで亜結樹については何も言ってこない。


 八束と一緒にいるときの感情は、単なる恋愛関係でもない。亜結樹には見せられない関係だ。


「俺はあんたに愛されて嬉しいと思うんだ。だって俺の恋人なんでしょ?」

「ああ、そうだよ」


 ――海鳴は俺の心の支えになってくれた存在だ。


「俺、亜結樹のことは友達として好きなんだ」


 ――あいつにはミネさんがいるし。


 その言葉は嘘だった。友達として好きなだけじゃない。

 八束はもう気づいているかもしれない。


「海鳴、俺だってお前に出会えて嬉しいぜ」


 そう言って、八束は海鳴にキスをした。顔を見合わせると、海鳴は今までに見たことがなかった笑みを浮かべて見せた。やっぱり彼の笑みは天使みたいだった。八束はまた力強く海鳴を抱きしめた。




 ―――次の日の朝・キュプラモニウム施設内。


 休憩時間になり、蔀は速水に声をかけた。


「速水、ちょっといいか?」

「はい……何でしょうか?」


 速水は書類の束を引き出しにしまって鍵をかけながら彼に返事をした。


「これを見てくれ」


 そう言って蔀は一枚の写真を速水に渡した。写真を見た彼女の表情は驚く様子もなく、ただじっと眺めていた。写真には中学時代の氷峰が蔀に体を寄せて写っていた。氷峰が自撮りをしたものだろう。


「柊さん、ものすごく嫌そうな顔してるじゃないですか、これ」

「俺じゃない。彼を見てくれ。知ってるだろ?」

「…………」


 蔀は軽く溜め息をついたあと、無表情のまま写真を見つめる速水の顔を見て語り出した。


「氷峰弓弦だ。卒業式の日、校門の前でお前に告白をした奴だ。覚えてるだろ?」

「うーん……あまり覚えてないです。彼がどうかしたんですか?」


 速水は初めて彼に嘘をついた。本当は氷峰の告白を断ったことも、彼にスカーフを渡したことも内心記憶していた。だが、ここで蔀に本当のことを話しても、彼を混乱させるだけだと考えていた。蔀には何か考えがあってこの写真を見せてきたのだろう。


「氷峰に会って欲しい。彼は今は彼氏として亜結樹に接している」


「彼氏……ですか。じゃあ私は彼の恋敵か何かですか?」


「そうじゃない。会えばわかる。あいつは今亜結樹について悩んでいる。お前の力が必要なんだ」


 蔀は速水を説得する。速水はまだ蔀の考えを理解できずにいて、小難しい顔をしていた。氷峰に会って何を話せばいいのか、思い切って目の前にいる蔀に訊いてしまおうか悩んでいた。写真を蔀に返そうと一度手を伸ばしかけるが、腕を引っ込めてしまう。その動作を不思議そうに見た蔀は――


「どうした」


 と言った。速水は白衣のポケットに入れながら――、


「あの、この写真私が持っていてもいいですか? 氷峰君には内緒にしますから」


 そう言った。速水は俯いたままじっと立ち止まっていた。すると蔀は――、


「写真は別にあいつ本人に見せても構わない」


 あっけらかんとした顔を浮かべながら言った。最後に速水は蔀の考えを聞き出そうとした。


「私を氷峰君に会わせて、どうするんですか? 何を考えているんですか?」


「前にお前が屋上で亜結樹について話していたことを思い出してな……。あいつには恋人が必要なだけじゃない、何かが必要なんだ」


「それって、陵さんがテレビで話していたことと関係ありますか?」


「そうだな。多分、ってのが必要なんだ……あいつには」


 蔀は断言した。速水は蔀の考えに付け足した。


「あー……もしかしたら『恋人以上の関係』を私が亜結樹と築けばいいんですね。氷峰君の前で」


「逆だ。氷峰と『恋人以上の関係』を作るんだ。亜結樹の傍でな」


「んー……氷峰君の恋人を演じて、亜結樹はどんな反応するんでしょうか……」


 速水は自分の考えが間違いだったことを残念そうに感じながら、相槌を打った。蔀は速水の不安を解消させようとして、こう告げた。


「あいつにはお前と会うことをすでに話してある。心配しなくていい」

「ってことは……――!」


 蔀の冷たい氷のような声が、一瞬でも溶けて優しい気がした。冷徹な眼差しから漏れ出す低くて安定した声を聞いたとき、何故かほっとしている自分がいる。


「まずは俺があいつをここに誘ってお前に会わせる」

「わかりました。……氷峰君に会います」


 速水は決意した。蔀と氷峰に会う約束を交わした。頭の中で、自分が思っていたこととは違った蔀の考えに、更に付け加えた。


 ――恋人以上の関係を氷峰君と作るってことは……――。

 ――亜結樹と三人で仮に『家族』になればいいのかしら……。




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