第40話 【たとえこの恋が結ばれないとしても】

 走って走りまくって何故か辿り着いたのは、いつも当たり前に通っていた学校の前だった。

 できるだけ遠くまで走ったつもりが、無意識のうちに彼は普段通りに通学路を走り抜けていた。

 亜結樹と一緒に帰る途中の双方に別れた道も通り過ぎて、暗がりの中で怪しく光る街灯の明かりに目もれず、学校の校門の前に立ち止まる。クローンが初めて施設の外に出て向かう先は、人間と同じ様に教育を受ける場所である学校だ。どうしようもない運命に翻弄されているのはわかっていた。けれども、海鳴の怒りの矛先は誰にもぶつけられず、自分自身に向けられていた。


「ハァ、ハァ……。何で俺こんな所に来て――…」


 門は閉まっていて、闇に包まれた校舎は何とも不気味だ。

 海鳴は、聞いてはいけない自分の真実に向き合えずにいた。

 体が勝手にここまで自分を運んできた。誰にも知られたくなかった真実だっていうなら、何故陵は公の場で自分の体のことを言いふらしたのだろうか。


「陵さん……話が違ぇよ。本当なの? 俺、生まれてきちゃいけなかったの? 違法のクローン? 何だよそれ」


 片腕で門を叩いて、涙を堪えながらぶつぶつと一人文句を言っていた。

 門にもたれかかって深い溜め息を吐いた。手のひらを眺める。蒼白な肌は陵と同じだ。


「…………」


 ――イフと同じ様に生まれていたらこの悩みなんて大したことじゃないのかもしれない。けど――。

 ――亜結樹は生まれ変わった自分の出生の秘密を知らない。俺もそうだったはず。なのに――。

 ――俺は陵さんの自らの発言で、俺自身を知って動揺している。

 ――怖いのか? 今まで通り普通に生きていきゃいいじゃん。八束を愛せばいいんじゃねぇの?


「俺は……愛されたいんじゃねぇの?」


 俯いて呟いた一言は、声は消え入りそうな声だった。一滴の涙の粒が、目からこぼれて地面に落ちる。

 どこからか、自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。聞き覚えのある声がした。


「――海鳴!」


 亜結樹は海鳴の恋人として海鳴に駆け寄って来た。息を切らしながら――


「海鳴……っ……言いたいことある?」


 海鳴に問いかけた。すると海鳴は慌てて涙を隠し平素を装って――


「は? 急にここまで来て……普通逆だろ。お前が何か言いたいんじゃねぇの?」


 そう言葉を返した。


「蔀さんの所に帰りたくないなら、ずっと朝まで……海鳴とここにいる」


 ずっと一緒にいると宣言した瞳は澄んでいた。まっすぐな目をしていて、どことなく強気な視線を感じる。


「テレビ聞いただろ? 俺、やばい奴なんだってさ」


「……違うよ。やばいのは海鳴を産み出した超本人でしょ?」


「陵さんのこと?」


「うん」


「お前さ……怖くねぇの? 俺のこと」


 海鳴は少し睨みながら、口を尖らせて言った。


「怖くないよ。だって……――」


 下を向きながら徐々に海鳴のそばに歩み寄って行く。そのまま背中に腕を回して体を引き寄せる。彼を優しく抱擁した。


「――!? あ、亜結樹……!」


、海鳴のこと好きだから……」


「……それって何。男として? 女として?」


「……まだわからないけど、多分海鳴が好きな方だと思う」


 ――それって……――!

 ――さっき陵さんがテレビで言ってた……。


「ミネがいるのにお前、あやふやなままいて……俺とどうなりてぇんだよ」


 ――恋じゃなかった。愛だったんだって……。


「……どうとでもなると思う。俺自身が決めなくちゃいけないことだけど」


 亜結樹は抱きしめていた海鳴の体をそっと手放した。


「…………」


 亜結樹は深く息を吸って吐いた。答えは内に秘めたまま黙り込んでしまった。そんな様子を真横で見ていた海鳴も沈黙してしまう。


「…………」


「だって帰れないんでしょ?」


「ああ、そうだよ」


「じゃ、ずっとここにいよ。他に行く宛てあるの?」


「行くとしたら八束ん所。あいつがいてもいなくても俺の存在は変わらねぇから」


 海鳴は夜空を見上げながら呟いた。


「あたしが行っても大丈夫なの?」


「ミネに黙ってりゃ、何のトラブルにもならねぇだろ?」


 ――今、あたしって言ったな。俺のどこが好きなんだろ。……女。


「じゃあそうしよう」


 亜結樹がそう返事をして後ろを向いた途端に、海鳴は再び自然と涙があふれていた。視界がにじんで亜結樹の後ろ姿がぼやけていた。


 ――あれ、なんで俺、また泣いてんだ?

 ――亜結樹がなんでこんなに俺に優しくしてくれてんのに。

 ――止まれよ涙。


「亜結樹……。俺、気づいたよ……」


 泣きながら呟いて、彼女の歩みを止める。

 亜結樹は振り返り、海鳴の泣き顔を見てはっとなる。海鳴が気づいたこととはなんだろうか。そう思って息を呑んで彼の言葉に耳を傾ける。

 彼の口からつむがれた言葉は――。


「俺、お前のその声が身にみるんだ。俺のは恋なんかじゃなかった……。多分初めからからなんだと思う。」


「……母親の愛……っ――!?」


 海鳴は服で溢れる涙を拭って、亜結樹の手を引いた。そのまま亜結樹を抱き寄せてをした。一瞬の出来事だった。海鳴から不意にキスをされた後、どんな顔をして海鳴の顔を見ればよかったのか、呆然となる。海鳴は亜結樹の手を放さずに繋いだまま歩き始めた。

 引っ張られるようになって海鳴の歩くペースに合わせて、彼女も歩き出す。

 お互い気持ちが通じ合っているようで、そうでない。また噛み合わない部分が新たに生まれた。近づいては離れ、離れようとすれば引きつけ合う関係。

 互いの心を打ち消しあうように、掛け算されてゼロに戻されていく。


「八束さんのところに行くんだよね?」

「うん……。急にキスしてごめん」

「なんで謝るの?」

「亜結樹から俺にキスしたかったのかなって思ってたから」

「そっか……」


 淡々と二人の会話は繰り広げられた。亜結樹は海鳴からの「母親の愛」という言葉を告げられ、さっきまで見ていたテレビでの陵の言葉を思い返す。蔀に投げかけた疑問――クローンにも愛を伝えたかったことを自分自身で解決させるヒントを海鳴はくれたのだと、繋がれた手を見つめながら思った。海鳴は自分がこの世に存在してはならないクローンだと知るが、それと同時に亜結樹に抱きしめられたことで、彼女との関係性に違和感を抱き始める。恋人同士にはなれないと言っていた頃よりも深いところにある感情――母親の愛。亜結樹と共にこの感情を探っていくことになるなんて、思いもしなかっただろう。画面の向こう側の陵の言葉を聞かなければ、感情を爆発させて蔀の家を飛び出すこともしなかっただろう。亜結樹はそんな海鳴を追いかけて来てくれた。彼の感情を優しく受け止めて消化してくれた。

 二人は学校からさほど遠くない八束の家に向かって歩いた。明け方帰ってくる八束を尻目に、海鳴は亜結樹に「朝ごはんを振る舞うよ」と言って静かに微笑んだ。



 ―――同時刻・柊蔀宅。


 海鳴は蔀の家を飛び出していった。

 蔀が偶然つけたテレビニュースの言葉を聞き、自分は存在してはならないクローンだと知ってしまったからだ。


 ――『あたし、行ってくる。海鳴探してくる!』


 俺は自信満々に言った亜結樹の言動に疑問を思った。

 彼女が自ら海鳴に歩み寄るのは何故だろう……と。


「俺は……馬鹿だな」


 彼女の事を何も知らない。理解してない。

 陵の指示で氷峰に亜結樹を引き渡した頃から、亜結樹の事を氷峰に任せっきりだった。

 今思えば、八束、海鳴、氷峰、亜結樹――四人の交友関係に自分は入れずに居た。蚊帳の外だ。

 だが俺は寂しいとは思っていない。見守っているべきだと思っていた。何故なら医師だから。

 かつて允桧のことを少しでも知りたいと思っていたから。そして今でも氷峰の親友でいたいと願っているからだ。


 ――俺は亜結樹の将来について、氷峰に期待しているのかもしれない。

 ――俺が彼にしてやれる事は何だろうか……。

 ――組織の崩壊か? いや、それだけじゃない。


 亜結樹が外へ飛び出して行くのを止めなかった。ただドアの勢いよく閉まる音を耳にする。一人になりしばらく経ってから、彼は目を見開いて顔を上げた。


「あ……速水――!!」


 蔀は何か閃いたように声を上げた。今この部屋には誰もいない。

 蔀はひとつ、亜結樹に対する答えが出せたようだった。

 携帯電話を取り出す。氷峰に会う約束をしようとしたそのとき、着信音が鳴り響いた。


「丁度いい……。俺もお前に相談があるんだ」


 《相談がある。明日喫茶店で待ち合わせないか?》


 氷峰からのメールだった。







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