第13話 【動き出す歯車 -2-】


 ***


「海鳴……今日晩飯作れよー。罰だ罰」

「また? レパートリー少ないから、また同じのになるけどそれでいいなら」

「いいぜ、俺はお前の手料理が食いてぇんだ」

「いちいちそういう事言うなって……」


 ――恥ずかしい……。


 四人は一緒に帰ることになった。

 前に氷峰と八束、その跡を付いていくように、右側に海鳴、その隣を亜結樹が並んで歩いている。

「八束……俺もあの時は、悪かったな。無理矢理、家から追い出しちまって……」

「今更ぁ? 別にいいって……。あの時、お前も正気じゃなかったろ? もう過去のことはいいんだよ」


 ――俺らの関係だって、衝動的なもんだったし。

 ――アイツも、一緒にいたアイツも、何奴も此奴も……あの頃の俺だって――。

 ――誠実な愛情ってのが一欠片も存在しなかったんだ。腐り切ってたんだ。


「……そう……だな……」


 ――今頃になって、俺に反省した態度を見せてるってのか。違和感ありまくりだ。  

 ――こいつは華木と一緒に允桧を――……。

 ――俺だって過去は引き摺りたくない……けど、こいつだって、相変わらず金髪頭でいるし……。

 ――けど、ここに来るまでに華木と相当何かあったに違いねぇな……。

 ――それより……クローンと暮らしてんのは、絶対ぇ自分の意思じゃねぇな……。


 允桧が遺体で発見された当日、雨だった。俺は暫くの間、允桧の死が受け入れられなかった。自分を責めた。それに対し、八束は允桧が死んだ事を哀しむ様子は無かった。允桧が自殺したと知った時――あの時、吐いた八束の言葉に俺は憤慨し、八束を家から追い出した。もう共同生活は懲り懲りだと。

「お前さ……二年くらい前に蔀から聞いたけど、「一人暮らし」してんじゃなかったの?」


 ――蔀の奴……八束がその後どうしたか、俺に余計な穿鑿せんさくされない様に嘘ついてたのか……。


「ああ……三年前から二人暮らしだよ。コイツは俺が高校卒業したその日に、兄貴が施設から連れてきた奴でさ。『お前を一人にはさせておけない。メンタルケアだ』とか言ってよ。単に兄貴が俺と一緒にいたくねぇからだろ!って思ったしィ」

 八束はそう言って振り返り海鳴を見る。そして、隣にいる亜結樹へ視線を移す。

「……なぁ――」

 八束は後ろ歩きをしながら、亜結樹に声を掛けた。彼は手を差し出し――

「俺、八束ってんだ。よろしく亜結樹ちゃん?」

 と告げた。

 三人の足が同時に止まる。八束が最後に一歩後ろに足音を立てて立ち止まると、亜結樹にまた一歩近寄る。

「……」

 亜結樹は差し出された八束の手を握ろうとする。手を出し掛けたその時――

「――!?」

 真横にいた氷峰が八束の手首を掴んだ。

「……お前には触れさせねぇよ……」

 唸る様な一声だった。

「……んだよ……挨拶の握手じゃねーかよ。何キレてんの?」


 八束は愚図ったと思ったら急に――

「あ、恋人だからか! アハハハッ」

 大笑いした。

 氷峰は八束の手首を掴んでいた手を放す。軽いため息をついた。

 その二人の様子を見た海鳴は――

「なぁ八束……この人とどういう関係なの?」

 と本人に質問する。

「あ? 昔一緒に住んでた。それだけ」

「おい……」

 八束は海鳴に軽く嘘をついた。氷峰は思わず口を挟んだ。

 海鳴の為を思ってなのか、氷峰と体を結んだ過去を隠し通そうとする。


 海鳴は二人の関係をまだ知らない。


「そーなんだ」

 ――だから亜結樹の家に行った時、八束のタオルがあったんだ……。

「八束……お前……」

 氷峰は少し驚いた表情で、八束の顔色を窺う。

「何?」

「海鳴とそういう関係なの?」


 ――なっしまうのが当たり前だと言ってしまえばそれまでだ。クローンと人間の関係は……。


「そういうって……、何だよおめぇ……ハハッ――」

 八束は笑ったと思ったらすぐ――

「……――ちゃんと言えや。恥ずかしいの?」

 ぎろぎろと氷峰を睨んだ。

 氷峰も彼を睨み返す。

 その二人の様子を見ていた亜結樹は海鳴に話しかける。

「ねぇ、海鳴……」

「ん?」

「海鳴の付き合ってる人って……」

 ――八束さんなんだ……。

「ああ、男だよ男……。偏見ある?」

 と、吐き捨てる様に言った。

「ううん。別に……いいんじゃないかな」

「ま、世間は同性婚も認めてるし、オープンになれるかなんて人それぞれだし」

「そうだね。でも……」

「ああ、うん。お前の言いてぇ事わかる」


 ――クローンは人間とは結婚できないんだよね……。変な差別。施設で待機してた頃に、人権があるだの無いだの陵さんの話よく聞かされてたなぁ……。

 ――死んだ後、再生して生き返らなければ良かったとか……。そういう後悔って、亜結樹や俺らクローン本人が理解していくことだと思うし……居場所を決めつけられるのって俺らにとっちゃ自然なことなんだよなぁ……。

 ――どういった経緯でキュプラモニウムが創設されたんだか――……ま、今は考えないでおこ。


「うん……。いや、それだけじゃないんだけど……」

 ――イフである事は、オープンに出来ない問題なのかな……。

「……?」

 和やかな会話をしていた亜結樹と海鳴は、前を歩く二人に視線をやる。

 二人の背中は、見た目は大きくて包容力のある様に見えた。だが、何処か重たい荷物を背負い過ぎて、一方は猫背気味で、もう一方は、抱きしめても温まりそうにないのかもしれないと――。

 亜結樹と海鳴はそれぞれの背中を見つめて、互いに思い煩う部分が、二人のパートナーの背中にはあった。考え込んでいた――。


 ――人に好意を抱くってそんなに簡単なことなのだろうか。

 ――居なければならないから――居たいと思うようになるまで、この人達は自分を

 愛してくれるだろうか。


「そういやお前……経済的に蔀に甘えるのやめたらどうなんだ?自立しろよ、『金、銭、的、自立』」

「は? んなことミネに言われたくないんすけど」

「とにかく働けよ。ニートは止めとけ。海鳴にちゃんと飯食わせてんのか?」

「るせーな! 会えたと思ったらすぐ説教かよ! ざけんなッ!!」

 ――海鳴のこと何にも知らねぇくせに何ほざいてんだよ……。

 八束は両手で氷峰の胸ぐらを掴む。氷峰のじとじとした瞳を睨みつけていた。

「海鳴がお前のメンタルケアでお前と一緒にいるとか、キュプラモニウムが何考えてんのか詳しくは知らねぇけどさ――」

 氷峰は八束の手首を静かに握り――

「お前さ……男なら誰でもいいとか思ってんじゃねぇだろうな?」

 冷たい目を差し向けた。無心になって八束を宥める一言だった。だが、余計に八束を煽るだけであった。

「ああ!? こいつとはそんな軽い気持ちでヤってねェよ!!」

「すぐそういうこと口に出すってのは病気はまだ完全に治ってねぇんだろうな。今まで華木らと散々満足のいかねぇ性交渉ばっかしてきたんだからな。他人と顔合わせただけですぐエロい事考えるだろ?」


 ――お前がこうなっちまったのは、同居してた俺にも一理あるかもしれねぇが……。

「んだと? おめぇだって新しいクローンと一緒にまた同棲して、そういう妄想しかしてねぇんだろ? もうセックスしちゃったりしてなァ? あ? どうなんだよ、おい!」

 八束は氷峰の胸ぐらをぐっと強く掴んで、小さく揺さ振った。

 八束の挑発に、冷静ではいられなくなった。セックスという言葉を聞いただけで顔が火照り始めた自分の恥ずかしさに、感情が剥き出しになる。

「ッ――! 亜結樹とは真面目にやってくつもりだ! ふざけんなッ! 今はそういう話じゃねーだろ馬鹿野郎ッ!」

「俺だって海鳴とは上手くやってくつもりだよ! 馬鹿にすんじゃねェよ! そのうち働くってんだよ! そのうち!」

「馬鹿にしてんのは俺だけじゃねぇよ。もだよ!」

「――ッ!」

 二人の言い争いはエスカレートし――氷峰が八束の兄の名前を出した途端、思わず八束は片手を離し、拳を振り上げた。


 だが殴らずに、そこで静止する。

 彼は昔の自分に戻りたくなかった。

 逆上しかけた八束を見た海鳴は驚くと共に――

「や、八束! 止めろって!」

 声を上げる。

「ミネ!」

 亜結樹も胸ぐらを掴まれた氷峰を見て思わず声を発する。

「お前……そうやって手ェ出したら高校の時と変わらねぇからな?」

 氷峰は瞼を裏返す様に彼の目を睨む。

 八束の背丈に合わせて彼の目をしっかりと捉えると、怒りを静めて冷静に話す。

「……ッ――くそ!」

 八束は氷峰から手を離した。

 四人は再び通学路を歩き始めた。


 ***


 暫く沈黙が続いたが、話を切り出したのは氷峰であった。

「お前らー……大事な話だー……」

 氷峰は語尾をだるく伸ばしながら、足を止めた。

「?」

 三人も足を止め、氷峰に注目する。

「海に行こう。四人で」

 その言葉を聞いた三人は目をきょとんとさせる。

「は?」

「え?」

「……?」

「お前らの終業式が終わってからでいい。絶対行こう…」

「うわっ……これ、Wデートってやつ? ハハッ、おもしれぇ」

 八束は余所見しながら、呟いた。

 海鳴は八束のその呟きを聞いて息を呑む。


 ――じゃあ、もし俺が亜結樹と二人でいたら……八束はきっと――。


 ――亜結樹に嫉妬する。


「ミネ……何考えてるの?」

 亜結樹は淡々と質問する。

「ん? ……八束の言った通りの事だよ。俺はお前の恋人ってことでさ……」

 そう言って大らかな態度を示し、亜結樹を見つめる。

「デート……」

 亜結樹は氷峰に見つめられ、恥ずかしそうに目を逸らした。

 そして、皆に聞こえないようにそう一言ぼそっと呟いた。

 歩き始めて一本道も二手に分かれる。

「おい海鳴」

 と先を歩いていた八束は海鳴を呼び寄せた。

「……じゃあまた明日」

 海鳴は亜結樹に挨拶をした。

「うん」

 亜結樹は小さく手を振る。海鳴が八束の傍へ向かおうとしたその時――

「海鳴!」

 氷峰が呼び止めた。

「……?」

 海鳴は振り返る。

「亜結樹にもう二度とこんな真似したら……許さねぇからな」

 氷峰は冷ややかな視線を海鳴におくった。

 海鳴はその瞳に怯えることなく――

「わかってますって」

 と明るい声で返事をした。 



 ―――日没後・研究室、


 仕事終わり、研究室には蔀と陵の二人だけいた。速水は早々と帰宅の途に就く。

「陵さん……少しだけお時間宜しいですか?」

「お、珍しいねぇ……何? 恋愛相談なら乗るよ?」

「違います。亜結樹と海鳴の事で……」

「なーんだ。速水さんから聞き足りなかったのかなぁ……」

 陵は肩を落とし、がっかりした態度で嘆く。続けて――

「俺はもう君に話すことは……何もないよ」

 と言った。

 ――何もない訳ないな。間があった。

「彼らを隔離した理由が知りたいんです。というより私は理由を知らないまま貴方の指示に従っただけで――」

 俯きながら話していたが、顔を上げ――

「何故理由を私に話してくれないんですか?」

 陵の目を見て言い放つ。

「だって君、同居人や本人にすぐばらしそうなんだもん。そう易々と話せないよ。信頼してるけどさぁ……」

「……すみません」

 鏡に反射した光線で貫かれたような、さくっとした言葉に、何も言い返せなかった。

「隔離ね……。簡単な理由だよ? 速水さんから聞かなかったの?」

「海鳴が貴方の分身だから、特別扱いしてきたことはわかりました。海鳴ではなく、亜結樹が隔離された本当の理由が知りたいんです」

「あはは、本当の? 亜結樹はイフだから隔離したんだよ。その他に理由はないよ?今頃になって彼女の何が知りたいの……――」

 ――って……ああ、遺体と遺伝子の秘密か。まだ言うべき時じゃないんだよねぇ。

 と、頭の中で付け加えた。あえて蔀の前では言葉にしなかった。

「……体の事だけで他のクローン達と区別するのはよくありません」

「そっかぁ……君も速水さんと同じで、イフが孤独にされていたのを嫌だと感じるのねぇ。今は氷峰君の傍にいるじゃないか。孤独ではないさ……ハハッ」

「それは私と過ごしていた時間は、孤独だったと言いたいのですか? 作られた故の自然のままの姿の孤独であったと……?」

 蔀は無表情のまま静かに疑問を投げ掛ける。怒りをこらえていた。

「あーそうなるね。あれ? もしかして内心怒ってるかい? ははっ、悪いね。亜結樹について、今話す気は全くないんだよ。いずれまた話す。帰ってくれ」

「あの頃の私はまだ貴方の指示に従ったまでで……亜結樹が誰の遺体と遺伝子で再生された体か知らないまま作り出してしまったんです。それに何か人為的なミスがあったのかもしれないんですから……。彼女の出生の秘密を知らないままでは私は亜結樹の医師として、研究員として貴方の下にはいられません。知る権利はあると思います」

「短気だなぁ、今は話す気がないって言ってるだろ?」

 ――そこまで考えてるなんて、俺と違って罪深い男だなぁ……。全て俺の思惑通りだというのに。

「教えてください、何故亜結樹を隔離したん――!」

 蔀はしつこく尋ねる。その言葉を遮るように陵は――

「だから今は話したくないと言ってるだろ!!」

 怒鳴り出した。声量には威厳があった。

「さっさとここからすぐ出たまえ!! もう仕事は終わりだ!!」

 蔀の目を鷲掴みしたその眼光は鋭かった。

 蔀は怒りを露にした陵を初めて目の当たりにする。背筋が凍りついた。

「……失礼……致しま……した……」

 蔀は静かに頭を下げ、わなわなした唇を懸命に開いて言葉を発した。

「あーあ……俺の時間を返してくれよ。全く……自分の部屋に用事があったんだよね……また今度でいいや」

 陵は蔀に吐き捨てる様に愚痴を溢しながら、白衣をハンガーに掛けロッカーにしまった。

「……」

 蔀は頭を上げず、そのままの体勢で口を結び息を潜めていた。

「いつまで頭下げてるつもり? もう先に帰ったらどうなの」

「……申し訳ありません」

 そう言って頭を上げると、先程の陵の顔つきは無くなっていた。いつも通りの裏が読めない飄々とした陵の姿があった。

「それじゃ、早くしてもらえる? 君が出てくれなきゃ俺帰れないからさ」

 そういえば、今週は陵さんが鍵当番だった…と蔀は我に返る。

 蔀は白衣をロッカーにしまい、鞄に手を掛けた。

 その時、携帯電話が鞄の中で振動した。陵に早く来いと促されつつ携帯電話を見ると、氷峰からのメールだった。


 件名は相変わらず無題であった。メールを開くと――

「――!」

『今日、八束と会った』

 と、一言だけ書いてあった。

 陵はメールを見た蔀の僅かに驚いた表情を捉えた。

 メールを見ていた彼に直接声は掛けず、黙ったまま研究室のドアに鍵を掛けると先を行く。後を追うように蔀も歩き始めた。


 ***


 一階の長い廊下を歩き、出口に辿り着く。外はもう黒い夜空に包まれていた。

 生温い風が吹くと、益々気持ちを不安定にさせる。

「……」

「……」

 ――陵さんが黙り混むと益々何考えてるのかわからなくて近寄りがたいな……。

「蔀君」

 足を止め、振り返り様に声を掛けてきた。

「……な……何ですか?」

 施設の正門前まで来て、二人は立ち止まる。

「俺だいぶ前にも言ったと思うけど……」

 陵は首筋に手を宛がいながら――

「氷峰君と亜結樹、海鳴と君の弟君……皆の繋がりに首を突っ込む気はないからね……」

 と告げた。風が吹いた。その風当りは不気味だった。陵の表情は裏が読めない。

 今はただその言葉を受け止めるしか無かった。

「今は……その言葉信じますよ……」

 蔀は陵の目を見て静かに口を開いた。陵は蔀の返事に口を歪めた。目は笑っていなかった。その表情は首を突っ込むどころか、まるでチェス盤を眺めて楽しんでいるプレイヤーの様に思える。蔀は彼の歪んだ表情を見て、この人は一歩退いて上から物を見下ろす人間なんだと思った。

「それじゃまた明日。お疲れ様」

 陵はそう言って、手を軽く挙げると蔀の帰り道とは反対方向に歩いていった。駐車場のある方へ行ったようだ。

「お疲れ様でした」

 蔀はだんだん遠ざかる陵に挨拶をし、帰路に就く。

 ――陵さんは気づいたのか? 誰からのメールか……。

「それはないか……。想像だな」

 帰り道、蔀は心の声に答えるように独り言を呟いた。



 ―――日没後・氷峰宅。


「ねぇ……ミネ?」

「ん? 何?」

「四人で帰ってる時さ、ミネ、八束さんと揉めてたよね……」

「ああ、それがどうかしたか? アイツの事はお前には関係ねえ」

「関係ないって……。だって今、海鳴と付き合ってる人だから、気になる!」

 そう言った亜結樹は、咄嗟に氷峰の両腕を掴み、彼の目をじっと見つめていた。

 亜結樹の潤んだ大きな瞳は氷峰のくすぶる心を揺り動かす。

「お、……お前なぁ……」

 そう言ったあと、深い溜め息をつき――

「アイツは、俺が中学ん時から訳あって一緒に暮らしてた野郎だ。俺が昔、家から強制的に追い出したってのは会話聞いててわかったよな?」

 亜結樹の頭を軽く手の平でポンと触れる。

「うん……」

「で? お前が気になる事って?」

「え……いや…やっぱいいや」

「やっぱって何だよ……」

「あのさ……強制的に……ってさ、何か後ろめたいことがあったんだ」

「いや後ろめたい事っつーより、別に俺がアイツに悪い事した訳じゃなくてな……。あー……話長くなるからまた今度な」

 そう言って氷峰は、自分の部屋へ行ってしまった。

「……」

 ――ミネ……もしかして、八束さんと付き合ってたのかな……。蔀さんが電話で男が好きだったとか言ってたし……。

 亜結樹は蔀と電話したある日の言葉を思い返した。


 亜結樹は、氷峰が『好きになった人が好き』だと一度もまだ面と向かって言葉を聞いていない。

 両性愛者の人が好んで口にする言葉と図書室で借りた本に書いてあった――それを信じていた。

 海鳴を好きになることを拒否したり、また許すとも認めるとも言っていない。それは海鳴が男だからだろうか。

 亜結樹は八束という人に出会って、ますます氷峰の事がわからなくなってしまった。


 ***


 自分の部屋でポケットに入れてあった携帯電話を取り出す。

 蔀からメールの返信が来ていた。たった今、連絡が来たばかりの様だ。


『相変わらずの態度だっただろ? どこで会ったんだ?』

  

 氷峰は蔀からのメールを見る。だが、すぐ返信しなかった。

 どこで会ったのか……また経緯を聞かれると思い、長文を打つのが面倒だと思った。なので、直接電話を掛けることにした。蔀は仕事帰りだろう……そう思って電話にした理由はそれだけではなかった。

  

 呼び出し音が鳴り止んだ。

  

 ――何だよ……。

 ため息混じりの声がした。メールを送った途端に電話が来たからだ。

「もしもし? メールするより喋った方が早ぇと思ってさ……」

 ――わかったよ。まだ駅まで距離あるから話を聞くとしよう。

「あ……今仕事終わったとこ?」

 ――ああ……歩いてる。

「はは……。あのさ……アイツ、海鳴と付き合ってんだな」

 ――海鳴と一緒にいたのか……。だからどこで会ったと聞いてるだろ。

「ん……あー学校で、ばったりと」

 ――学校? 何でだ?

「そう聞いてくると思ってさぁ……お前には亜結樹の学校での事話さないつもりでいんだけど……」

 苦笑いをしながら言った。

 ――そういうことか……そうだな。知った所で俺にはどうしようもないしな……無理に話さなくていい。

「ああ……」

 ――その……悪いな。八束と海鳴が一緒に暮らしてること話していなくて。なかなか言い出せるタイミングが見つからなかったんだ。(あったかもしれないが……)

「ああ、いいさ別に……。それとさ……アイツに俺と亜結樹が一緒に暮らしてること教えといた」

 ――ああ……。それも、前もって八束に伝えてなくて悪かった……。

「あーまぁいいって。いちいち謝んなって……」

 ――で、お前……何か進展でもあったんだろ? わざわざ電話かけてくるってことは。

「ああ、うん……来月、亜結樹とあいつら連れて海へ行くことにした」

 ――……何で二人だけで行かないんだ。

 電話越しに頭を抱える蔀を想像した。

「いやだって、皆で行った方が盛り上がると思うし」

 ――海鳴と亜結樹の話は、この前しただろ? お前……心配じゃないのか? 亜結樹の事。

「なに大丈夫だって。海鳴には八束がいる……あいつらそういう関係だろ?亜結樹にもしもの事があったらその時はさ……」

 次に来る言葉が何なのか蔀は想像がついた。だがあえて、わからない振りをした。

 ――お前……何考えてるんだ?

「いや? 別に?……というか今俺何も言ってねぇじゃん…」

 ――……。

 ミネが時々怖いと思う時がある。いや、怖いというより、不気味な冷徹さがある。彼の感情は何処か干渇いていて、海に広がる砂の中でも、決して水に触れない砂の様で……そんな人間じゃないかと思う時がある。中学の時は、他人に積極的で、不器用で、甘えたがりな人間でもあったけれど。

 ――高校時代は……一度会ったっきりで、お互い色々あったからな……。

 恐らくミネは、海鳴を陥れる考えを持っているのだろう。

「おい何黙ってんだよ。相変わらず無言電話するよなお前。お前も海連れてってやろうか?」

 ――何言ってんだ。仕事で忙しい。断る。というか弟と一緒は御免だ。

「あはは……悪ぃ。そういう事だから。それじゃそろそろ切るわ」

 ――ああ。またな。


 蔀がそう相槌を打つと、電話は切れた。

 気がつくともう駅の改札口まで来ていた。


「はぁ……。もうすぐ七月か……」

 蔀は駅のホームでそう呟くと、電車に乗り込んだ。


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