第7話 【休日】


 ―――現在。


 今日は土曜日だ。亜結樹が海鳴の通う学校に転校してから、一週間が経とうとしていた。亜結樹はベッドから起き上がりリビングへ向かう。そこに、氷峰の姿はなかった。

「仕事行ったのかな……」


 ――宿題も昨日終わらせたし、することないな……。

 ――そうだ。先生に電話してみようかな。

 亜結樹は朝食を終えると、自身の携帯電話を握りしめて一呼吸する。

 ――今日休みかな?

 そう思いながら蔀に電話を掛ける。


 呼び出し音が鳴り止む。

  

 ――『どうした?』

「もしもし? 蔀さん今日休み?」

 ――『ああ休みだ。あいついないのか?(――呼び方変わったな……ミネの影響か)』

「うん……朝起きたらいなくて」

 ――『何で急に……』

「ちょっとすることないから電話してみようかな……って」

 ――『まぁいいけど、相談ないなら……ちょっと俺も休ませてくれ。頭が痛い……』


 電話越しに苦笑いする様子が窺えた。


「調子悪いの? 大丈夫ですか?」

 ――『俺の心配なんかしなくていい……昨日ちょっと飲み過ぎただけだ』

「あの、相談ならあります」

 ――『ん……学校外なら相談に乗る。学校の悩みは専門外だ』

「あの、ミネってどんな人なんですか? あたし……ミネにキスされました」

 ――『一週間経たない内にもうそんな展開か……。どんな人っていうのはマイノリティの話か?』

「はい……」

 ――『あいつはな……男女関係なく性的な関係を受け入れてきた。どっちかっていうと同性だが……今はわからない。高校時代は男が好きだった』

「あたし……俺、男でもあるよ? ミネは俺のこと嫌いにならないよね?」

 ――『悩んでるな? それは、これから君がどう接したいのかにもよるな』

「うん。あたしの接し方次第じゃ……ミネを傷つけることになるのかもしれないね」

 ――『だが恐らくミネは、君のことをイフだからという理由で拒絶はしない。それに、君も彼の魅力にいつか気づくはずだ』

「あたしはミネの好きな所、まだわからない」

 ――『君はミネの料理を食べてるだろ? それとも弁当だったか?』

「あはは。手料理の日もありましたよ。それがなんですか?」

 ――『君はそれを美味しいと思って何気なく食べている。それをミネの好きな所の一つと感じられないか?』

「あ……――! 確かに嬉しいです。あたしミネの手料理、炒飯だったんですけど、すごく美味しくて好きです」

 ――『そうやって好きな所に気づいていくことも大事にしなさい』

「うん。蔀さん、ありがとうございます」

 ――『いや礼なんかいいんだ。……そういやお前、海鳴と同じクラスだったよな?』

「え? うん……友達だよ。色々と助けてもらってるし」

 ――『助けてもらってる? まぁ学校でのことは、ミネに聞いてもらってくれ。俺には関係ないしな』

「蔀さん……海鳴のことで何か気になってることあるんですか?」

 ――『……(亜結樹と海鳴の間に、何かあるのか……どうやって聞き出したら……)』

「あの、あたし……海鳴とは何にもありませんから。ただの友達ですよ?」


 亜結樹から無言を断ち切った。亜結樹の言葉に、蔀は少し口が開いたままだった。


 ――『! そう……か。何か俺の考えていること、わかってるみたいだな?』


「何となくですけど」


 亜結樹は蔀の頭の中を読んだようだ。蔀は海鳴と亜結樹が学校で一緒に過ごしているのだろうと想像していた。その関係性がどういうものかを知りたかった。その気持ちを亜結樹は電話越しに汲み取った。


 ――『そろそろ、電話切ってもいいか?』

「あ……ごめんなさい。また時間あったら話してもいいですか?」

 ――『ああ、構わないよ。それじゃ……また。』

「はい……」


 お互い静かに耳から受話器を離す。通話ボタンを押した。


「海鳴のことミネに話しづらいな。蔀さんにもはっきり言わなかったしなぁ……」


 亜結樹は海鳴と、これから恋人の様な接し方をしなきゃいけないと、少し考えていた。対する海鳴はというと、立花達にわかるように、わざと亜結樹と手を繋いだりしている。その行為に亜結樹は嫌悪感を抱くことはなく、むしろ海鳴のアピールに答えてあげている。

 海鳴は亜結樹のことを「友達として好き」と言った。

 だがその言葉を亜結樹は嘘だと気づき始めていた。

 亜結樹は海鳴の好きという感情が、友達以上だということを理解しはじめていた。


「ミネ、何時頃帰って来るかなぁ。お昼なに食べようかな……」



 ―――柊八束宅。


 正午過ぎ。海鳴は台所に立っていた。フライパンの焼ける音がする。目玉焼きを作っているところであった。無論一人分。海鳴は玉子を口にすることはできない。

 彼は施設から支給されるガゼットパウチの栄養剤と水以外、摂取することはできない体である。以前、陵に自分も飲めるコーヒーだと言って渡されたコーヒーも水の様な味がした。水以外の味覚を楽しむには、栄養剤の味を楽しむ他ない。


「八束ー……ご飯作ったから、食べろよな」


 お皿に目玉焼きを盛りつけ、食卓に置く。八束は、食卓の椅子から少し離れた場所にある床に胡座をかいていた。ソファの背に寄り掛かりながらあくびをする。眠そうな顔をしながらスマートフォンをいじっている。


「あーい……。お前の飯食えんのマジ嬉しいわ」


 そう言いながら食卓の椅子に腰掛ける。


「そ、そういうこといちいち言うなよ。なんか恥ずかしいわ」

「は? 照れてるの?」

「別にそういうんじゃ……」

「ははっ……んじゃいただきまーす。うわっ……うまそー」

「……」


 海鳴は八束の向かいに座り、ガゼットパウチを開ける。そして、コップに入れてあった水を一口飲む。水で口を潤してから、それを口に咥え飲み始める。


 その光景を見た向かいにいた八束は――、

「…………マジで食えないの?」

 箸を止め、真剣な眼差しで海鳴に声をかけた。


 もう三年も一緒にいるのに、食事の時になると海鳴は黙り込み、八束が食べている所をただぼんやりと眺めている。その光景は、八束が一人で食を楽しむ姿を羨んでいるのだろうか。


「ん……食べたらお腹下す。消化できない」

「一口でも?」

「無理。食べさせるとか止めろよ。冗談じゃない」


 ――絶対今、変な妄想したな。気色悪ぃ。


「あっそ……わかったって」


 ***


 八束は海鳴の作った目玉焼きを完食すると、ソファに横になり、どこからかブランケットを持って来て被る。


「また寝るの? 起きたばっかじゃんかよ……」

「るせーな。爆睡するわけじゃねーよ。ただ横になってるだけじゃんか」


 八束はまた、スマートフォンをいじりはじめる。


「……はぁ。……そういや宿題あるんだった。部屋行くね」


 いじりながら――、

「なぁ海鳴」

 と言い海鳴が歩き出そうとしたその足を呼び止める。


「……なに?」


 海鳴は振り返り、八束の横になった後ろ姿を見る。


「お前、転校生のクローン……アユキって奴と何かあんだろ?」

「は? 何いきなり……てか? 別に何にもないけど?」

「本当に?」

「ああ、ただの友達でクラスメートだよ。ちょっとアイツ……いじめにあっててさ、それ助けてるだけ」

「ふーん……なぁ今日は無理?」

「え? いや……そんな気分じゃねぇけど」

「俺がそういう気分なの。飯作ってくれたお礼じゃ……ダメ?」

「何それ……。いいけど? 独りで勝手に満足するのはやめろよ?」


 ――何かそういう言い方されると、むらむらする。

 ――俺は八束のことを好きっていう感覚がないというか――。

 ――まだよくわからないのに。

 ――何だろう。肉体は物凄く期待している。八束の態度に欲情してしまう。

 ――ついさっきまで他の人のこと考えさせといて、相手しろとか勝手すぎる。


「ハハッ……わかったって」


 八束はにやけた。海鳴は部屋へ向かった。今日の夜が早く過ぎ去ればいい……。

 そう思いながら宿題に取りかかった。



 ―――夜・氷峰宅。


「ただいまー……っと」


 コンビニの袋が擦れる音がした。ドアの閉まる音がする。


「あ、おかえりミネ」

「あ、お前それ着てんの!?」


 帰ってきて早々、氷峰は亜結樹の服装に目がいった。


「え? 朝起きて着替えようと思ったらこれしかなくて……」


 亜結樹はグレーのスウェット姿だった。足下の裾は長かったようで、二、三回折ってあった。


「それ、その……男物じゃねーか。お前自分の服あんだろが」

「持って来た服、全部洗濯しちゃったから。……あはは」


 亜結樹は苦笑いをしながら返事をした。


 ――八束の奴じゃねーか。何で……捨てたつもりだったのに。

 ――どっから引っ張り出してきやがった。


「まぁ、たまにはいっか……俺、お前のその格好嫌いじゃねーし」


 そう言いながら、廊下を歩き、リビングの食卓に袋を置く。


「そうなの?」

「……ああ」

「今日はお弁当?」


 亜結樹が食卓に置かれた袋を見て言う。


「ん? ああ何か疲れたから、飯買ってきちゃったよ」

「そっか……」

「なんだよ……がっかりしてんの?」


 氷峰が頭を掻きながら残念そうな声で話しかける。


「いや別に? 大丈夫だよ」


 その言葉とは裏腹に、亜結樹の表情は少し曇る。


「はは……顔に出てんぞ」

「あははは……ごめん」


 ふたりは簡易的な夕食を済ます。

 亜結樹はベランダに干してあった洗濯物をしまい、さっさと浴室へ向かってしまう。リビングに取り残された氷峰は、ソファーに腰掛け一服する。


「……違和感ねぇな。イフと一緒にいるのって何か理由あんじゃねぇのかなぁ……」


 その呟きは、亜結樹と同居してることの真意を探るものだった。

 今のところ、氷峰は亜結樹に対する感情が一方的だとは思っていなかった。亜結樹が、自分に対してまだ「好き」と一言も言っていないことには、何も焦りを感じてはいなかった。定められた期間の間、亜結樹と一緒にいるわけではないため、半永久的にクローンと共に過ごすということに対し、自分の置かれた立場や状況に、焦りを感じはじめていた。父親との電話の会話も耳に残っていた。


 ――俺を孤独にしない為にクローンと同居させているのか……。

 ――義父とうさんや、ミササギって人が俺にしか頼めない理由――亜結樹が允桧と似てると感じること――二人は畏怖クローン。


 ――ああ、今は余計なこと考えないでおこう。

 ――単純に俺は亜結樹と恋愛すりゃいいんだ。


「……クローンと結婚とか? んなわけないか……。義父さん何考えてんだろ」


 煙草を吸いながら、そう呟いた時――、

「ミネ……なんか言った?」

 背後から声がした。


「――っ! お前、いつからそこに……!」

「ついさっき……。お風呂空いたよ」

「あ、あぁ……わかった」


 氷峰は灰皿に煙草を擂り潰すと、ソファから立ち上がる。下着とタオルを持って、浴室へと向かった。


 ――あ……もっとなんかさり気なく近づく方法ってあるよな……。

 ――怒ってキスするとか……完全に失敗じゃん……。


 氷峰は亜結樹に初めてキスをした日のことを、少し後悔していた。

 あれは亜結樹がパニックになっていたのを止めるためにしたと言ってもいいくらい衝動的なものであった。


 ――亜結樹がまだ俺に対して、恋愛感情を持っていないとしたら……。

 ――いや、好きだって思わせる様なそぶりをすりゃいいんだよな。

 

シャワーを浴びながら考えを巡らせていた。


 氷峰は風呂から上がり、後ろからソファに座る亜結樹に声をかける。


「なぁ亜結樹、憶えてる?」

「え? 何を?」


 亜結樹は座ったまま後ろに振り向き、氷峰を見上げる。


「初めてキスした日のこと……」

「……憶えてるよ」

「そうか……」


 ――半ば強引だったしな……どう思ってんだろ。


「亜結樹は俺のこと好きって思ってる?」

「……うん」


 少し間があったが亜結樹は素直に頷く。


「本当に?」


 氷峰は一歩一歩、亜結樹に近づいていく。


「あの時の……誓ってくれたような気がしたから。あたしはそれに答えようとしているの……けど――!?」


 氷峰は、亜結樹のおでこにキスをした。そして――、

「好きかどうかに、理由はいらねぇからな?」

 亜結樹の頭を軽く撫でると、リビングを後にした。


「ミネ……待っ……」


 テレビのニュース番組の音声だけが、静かに耳に残る。

 亜結樹は、部屋へ行ってしまった氷峰の所へは、ついて行けなかった。

 それはまだ、覚悟ができていなかったからだ。

 好きという感情が抑えられなくなるその手前まで、抑えるだけ抑えておこう。

 亜結樹はそう思っていた。亜結樹は氷峰が自分を好きでいてくれてるのか、まだ半信半疑であった。自身がどちらの性に対して向き合い、彼を好きになっていけば良いのかを、考えていた。



 ―――深夜・柊八束宅。


「お前、今ぜってぇアユキのこと考えてただろ?」

「……ッ…考えてないっ―――!」


 その行為は普段より乱暴だった。いつもより強く、激しく抱かれていた。


「そうかよ……だったらもっと喘げよ。俺にもっとイイ声聞かせて」


 海鳴の耳元でそう囁くと、八束は海鳴に口づけをした。


「……――ああっ――!」


 二人の息遣いは徐々に荒くなっていく。海鳴の喘ぎ声が鳴り止むことはなかった。

 体中が迸る熱に追い詰められ、脳天が升降していく。

 八束は、海鳴を置き去りにし、先に絶頂へと達した。


「ハァ……ハァ……悪ぃ……」


 八束は海鳴の肩におでこを押当てるように俯いたまま、息を上げていた。海鳴も荒い息を吐いていたが、肉体は兎も角、心情はとても不快な気持ちであった。


 ――あぁ最悪……。こんなことされて――……。

 ――俺の体は悦んでるのか。


 狂うしいほどに気持ちいいと感じている。俺は抱かれている自分を卑しいと思うんだ。


「だから亜結樹とは……ッ何もないって……言ってる……だろ」


 海鳴は八束の顔をどけて、上体を起こす。

 八束の顔を見ようと頭に手を触れようとしたその時――


「気になんだよ」


 八束が呻き声を漏らす。海鳴を見上げる形になり、そのまま手を、海鳴の胸部から下腹部へと滑らせる。その手つきに、再び胸が高鳴る。


「……」


「お前がどっか遠くに行っちまわないか……気になんだよ」

 八束はそう言って、海鳴に奉仕する。


 ――こんなの嬉しいなんて感情――。

 ――愚かだ。

 ――俺は、そんな俺をどうしても好きにはなれないんだよ……八束。

 ――だって今まで俺は、一度もお前のことを『好きだ』と言ってないだろ?

 ――なぁ、どうして俺をそんなに愛でるんだよ? 今の俺にはわからないよ……。


「顔上げろよ八束、もう後は自分でするから」

「…………」


 八束の手と口は止まらなかった。その行為を止めようとはしなかった。


 海鳴は八束の頭を無理矢理掴み――、

「八束!」

 と叫んだ。


「――って……何だよ」


 口と手が海鳴の昂りから離される。前髪を強く持ったせいで、八束の髪は乱れた。


「お前の気持ちはわかったから…もう止めてくれ」


 顔を赤くした海鳴に八束はニヤニヤしながら――、

「やっぱお前、優位に立ちてぇって顔してる」

 海鳴を見上げながら言った。


「は? あんたを見下してるつもりは……」

「俺にはわかんだよ。もう三年も一緒にいんだぜ?」

「そうかよ……」


 ――何わかったような言い方してんだよ。

 ――俺が八束の相手をしてるって思ってること自体『優位』だって言いたいのか。


「じゃあ、今度は俺がお前にする……から」

「いいよもう。俺疲れたから寝る」

「ふざけんな! 俺の相手もしろ! 一人で満足するなって、する前に言っただろ!」


 海鳴はわめいた。彼の目つきは鋭く瞳孔が開いているかのようだった。その目つきに、八束は一瞬身をすくめた。海鳴は黙って八束より先に浴室へと向かった。

 二人は各自シャワーを浴びると、再びベッドに入る。

 やり取りを終えると、八束が先に眠りについた。

 明け方になる頃、海鳴は八束に添い寝をする。

 それほど深い眠りにはつけなかった。


 ――俺は八束を好きになる理由が知りたいだけなんだ……きっと。

 ――でも。


 海鳴は気が違う方へ向いていることに、既に気づいていた。

 八束に言われた通り、海鳴の頭の中は亜結樹のことで一杯だった。




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