07:ダブル事故チュー

 「あ、ホントだ~。ごめんねぇ、テヘヘ★ じゃあねー、俺くん。私、広報活動があるから」

 アカリ、といううるさい生徒は、そそくさと教室を去っていった。

 「はぁ……。広報活動って、どうせ俺たちのことを広く報せる活動なんだろうな……」

 「エッチです。私たちの愛情が広く知れ渡れば、それだけ他の方々のお手本にもなりますよ。そう気を落とさないで下さい」

 「なんのお手本ですか!?」

 「エッチです。『愛する』という行為のお手本ですよ。この高校というグループの方々は、かなり若年のようです。モデルの存在は、彼らの参考になるでしょう。貴方は、他人を助けたいがために、私を呼んでくださったのでしょう?」

 「んー、ま、まぁそうも言えますけど……でもなぁ。俺の学校での評判というか、真面目なイメージが……!」

 エッチは、俺の手に自分の手をそっと置いた。

 「エッチです。恐れないで下さい。私は、貴方の恐れに、愛を注ぎます」

 「え、エッチ……!」

 「さあ、受け取ってください。私の愛を……ン~~~っ♡」

 エッチは、くちびるを突き出して俺の顔に迫った。

 その瞬間、俺とエッチの様子をチラチラ窺っていたクラスメイトたちがどよめく。

 (あのふたり、やっぱりデキてるんじゃない?)(教室でやるとか、やべぇよな。住んでる次元が違うぜ!)(くそっ! 俺くんとキスしたいのは俺のほうなのに……!)

 「ンふふっ、あなたぁっ♡ チューしましょう、チュ~~~~~っ♡」

 「ちょっと、いろいろ言われてますよエッチ! 教室ではまずい、まずいからっ!」

 

 昼休み。

 俺は席を立った。

 「今日は弁当作ってこれなかったし、購買で何か買いますか」

 「エッチです。はい、ごいっしょさせていただきます」

 エッチも、席を立った。

 「え? あの……俺買ってきますし、エッチは待っててくれれば――」

 「エッチです。いえ、今朝遅れたのは私の責任です。貴方だけに買ってきてもらうわけにはいきません」

 「……じゃ、いっしょに行きますか」

 「はい、アナタ♡」

 きゅっ……と、エッチは俺の手を握った。

 「う……」

 とたんに、ヒソヒソ……という内緒話がクラスではじまってしまう。俺は、そんな声を振り切るように、エッチの手を引いた。

 「さ、さっさと行きましょう」

 「エッチです。ふふっ、愛の逃避行ですね♡」

 「そんな大げさなものじゃないですよ!?」

  

 教室を出た後、俺はなぜか購買のパンではなくダンボールいっぱいの画材道具を持っていた。

 「エッチです。貴方の良い癖が、また発揮されたようですね」

 「はははは……ごめんなさい、これ運んだらすぐ購買行くので」

 荷物を重そうに持っていた先生に、途中で出会った。それで、つい「俺が持っていきます」と引き受けてしまったのだ。

 「エッチです。謝る必要はございません。『困っている他人を助けたい』という貴方の意思に、敬意を表します」

 「助けるなんて、そんな大げさなもんじゃないですよ。ちょっと運んでるだけですし。ほら、もう着いた」

 美術室の前にやってくる。

 「失礼しま~す」

 俺は両手がふさがっていたので、エッチがドアに手をかける。

 ……が、その手が触れる前に、ドアがひとりでに開いた。中から、誰かが飛び出してくる。女子生徒のようだ。

 「きゃっ!?」

 エッチと俺は派手にぶつかられ、よろめく。両手がふさがっていて、受身もとれずに倒れてしまった。

 「あいたっ! いつつつつつ……ん?」

 目の前には、女の子ふたりのくちびるがあった。二つが二つとも、俺のほっぺたにくっついてしまっている。

 こういうの、何て言ったらいいんだろう。「事故チュー」?

 「うわっ、わわわわ~っ!? ちょっ、ちょっ、あの、離れてっ!」

 「あっ……♡」

 エッチは、キスに気づいたのに離れない。むしろ、そのままくちびるを押し付け、にこにこと俺を見つめてくる。

 「ふふっ。ん~~っ……ちゅっ♡」

 エッチは、別に大事なさそうだな……。

 もう一人のほうは、と見てみたら、

 「んんっ……いたたたっ。……え?」

 目が合った。大きな眼鏡の向こう側の瞳が、みるみるうちに丸くなる。

 「きゃっ……きゃああああああああああああああああっ!?」

 「あああああ! ご、ごめんなさいっ……! 別に、どさくさにまぎれてスケベなことしようとか、俺はそういうことは一切っ……!」

 反射的に、言い訳してしまう俺。

 「い、いやっ、ウチのほうこそ、ウチのほうこそ……すんません、嫌な思いさせて、ホンマにすんませんでしたっ!」

 「ごめんなさい!」

 「すんません!」

 「ごめんなさいぃっ!」

 「すんませ~んっ!」

 謝罪合戦が終わった後、俺たちは立ち上がった。

 「とりあえず……エッチは怪我ないですか?」

 「え、えっちです……」

 エッチはいつもの名乗りを言うだけで、その言葉の後が続いていなかった。まだふらついているようだ。

 「まぁ、怪我ないならよかった。それより、君のほうは? なんか、急に出てきたみたいだけど……危ないぞ? 怪我ないか?」

 「……だ、大丈夫ですっ。えろうすんませんでした!!」

 「あっ……!? 君はっ……!」

 彼女の姿には、見覚えがあった。

 何しろ、つい今朝に見たばっかりだから。

 「……たしかモエカさんだよね」

 「え? あ……?」

 その女の子は、ばっ! と頭を上げた。

 厚いフレームの眼鏡をかけていて、ボリュームのある黒い髪が茂っている。

 かなり、地味目な印象を受ける子だ。

 「ほら、俺だよ俺。一年の時クラスメイトで、委員会とかもいっしょだったじゃん」

 「あっ……あなたは! そ、その節はどうも、お世話になりました……」 

 「いや、別にそこまでお辞儀してもらわなくても……そ、それより、謝るなら、そっちの目がピンク色で髪が真っ白な女の子に謝ってくれよ。いま、モエカさんのせいで転びそうになってたしさ」

 「はっ……!? す、すんません、すんませんっ……! 怪我ありませんか?」

 「エッチです。特に、怪我はございませんよ」

 「すんませんっ、ウチ前もよく見ぃへんで……すんませんすんませんっっ!」

 カシャン!

 あまりのお辞儀の勢いに、モエカさんの眼鏡が吹っ飛ぶ。床にたたきつけられ、無残にも割れてしまった。

 「「「……あっ」」」

 その場の三人が、ハモった。

 「……わ、割れちゃったな」

 「あぁもう、ウチめっちゃあほやん!」

 モエカさんは、割れた眼鏡を検分して、ため息をつく。仕方なく、ひび割れた眼鏡をかけていた。

 「な、なんか、そんな眼鏡だと、襲われた直後みたいでアレだな……」

 「お、襲われるて……! う、ウチが襲われるわけないですっ!」

 「えぇ? いやぁ、襲われないってことはないでしょ……。女子なんだし?」

 「そ、そんなことないですっ! ウチ、女子なんてことないしっ! あっ、言い間違ってもうた……」

 モエカさんは、恥ずかしそうに肩を縮めた。この話題は、これ以上は止したほうが良いな。

 「あのさ、美術室に荷物届けに来たんだけど」

 「じゃあ……中に先生もおるし、置いてってください。……それじゃ」

 ふと、俺は彼女の顔に違和感を覚えた。

 「……ん? あれ、モエカさん、目のとこ」

 「え?」

 「なんか……泣いてる? 目に涙が」 

 「う、うそっ、ウチ泣いて……?!」

 割れた眼鏡をはずし、彼女は目をごしごしこすった。涙らしきものが消えた代わりに、目が赤くなる。

 これはもしかして……?

 「どうした? そんなに痛かったかな」

 「こ、これはなんでもないんですっ! それじゃ、さよならっ!」

 どたどたっ、とモエカさんは走り去ろうとする。

 「いやっ、ちょっと待って! もしかして、何か嫌なこととか、悲しいことでもあったのか? もし俺にできるなら、相談くらいは乗れるぞ?」

 「っ……!? い、いや、でも、ウチの問題やし……」

 「問題」ということは、やっぱり恋の悩みか。エッチが教えてくれた通りだった。自殺まで考えていたと言うし、放ってはおけない。俺は、畳み掛ける。

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