Cパート


「ほれ、もう寝るぞ。テレビ見るのだって無料タダじゃないんだから」

 ただ今の時刻は、午後九時を回った頃。

 我が家には、生活におけるルールが設けられている。極力自由に生活する為には、やむを得ない強制だ。

 その内の一つが、『風呂から上がったら一時間以内に寝る』事だ。

 テス子は普段から感情をあまり表に出さない――出し方を知らないとも言う――のだが、代わりに行動で、「今自分はこうしたい」という主張をする。

 今で言えば、テレビの前で体育座りをしているのがそうだ。

 熱心にテレビを注視しているが、そういうわけはいかんざき……何言ってるんだ僕は?

「いつまでも張り付いてるんじゃない。その距離だと、目にも悪いぞ」

 とりあえず変な言葉が思い浮かんだのは置いといて、僕はテレビに張り付くテス子を無理矢理引き剥がそうとする。が、元々怪獣だった事もあってなのか――ブライトと合体した事で、それなりに身体能力が上がっているのにも関わらず――僕の腕っぷしではまるで動かない。

 ……力づくで駄目なら、知恵を使うんだ。

 要は無理に引っ張るのではなく、相手が力を入れられない方向から攻めれば良い。腕力のある怪獣との戦いの際、恩師から学んだ事だ。


 俺は彼女の隣に回り込み、膝裏に手を差し込むと、そのまま上へと持ち上げる。

 そうして持ち上げると、所謂『お姫様抱っこ』の体勢になる。これなら、こちらにかかる負担は彼女の体重だけになる。彼女ぐらいの重さなら、簡単に持ち上げられる。

 ……一瞬驚いたような表情が見えた気がするが、次の瞬間にはいつもの無表情に加え、僅かながらに膨れっ面になっていた。見間違い? にしては、どことなく顔が赤くなってたような……まぁ、いいか。表情がいまいち掴みづらいのはいつもの事だし。

「むくれたって、駄目なものは駄目だ。寝るぞ」

 そう言い放ち、既に居間に広げていた二つの布団、その片方の上にそっと落とす。


……駄目だぞ。上目遣いで睨みつけたって。確かに可愛くはあるだろうが、この明星光輝、容赦せんッ!


 こういう時は、真面目で良かったと心底思う。




******




 あれからしばらくの間、布団に包まりながらこっちを睨みつけ続けたテス子だったが、やがて疲れたのか、気付けばすぅすぅと寝息を立てていた。

 それはいい。それはいいのだが――


「……せめて、この癖を直してくれればなぁ」

――僕の片腕を、がっしりと両腕でホールドするのは止めて欲しい。いつもの事ではあるけれども。


 初めてテス子に会ったのは、この円森荘にやってきた時。どういうわけか、大家さんに前もって部屋を指定され、そこに入ると――部屋の真ん中ですやすやと寝ている彼女を見つけたのだ。で、当然僕は大家さんに問い詰めに言ったのだが、「これもまた、必要な事だ」と、よく分からない理由で押し切られてしまい、居候として養う事になった。

 そして、どういうわけかは分からないが、テス子は僕に、妙に固執している。

 だが、昔のように憎しみ合うような関係としてではない。というか、どんな風に僕を見ているのか、まるで把握できないのだ。一言も喋らないし。表情もちょっとしか変わらないし。


 ……そういえば、昔同級生から「お前って、良くも悪くも天然ってか、鈍感だよなぁ」と言われた事があったけど、多分、事実なんだろうなぁ。それを自覚できない辺りとか。敵意を向けられても基本気にしない辺りとか。


 まぁ、そんな事情もあり、僕は彼女からどんな感情を向けられているのか、まるで理解できないでいた。正直これは良くない。それは分かっているのだが……。

「せめて、ブライトがいてくれれば……いや、いても変わらない、か」

 ブライトは、人知の領域を遥かに超越した存在で、何か困った事があればとりあえず、彼―もしくは彼女かも―を頼っていた。

 だが、よくよく考えてみれば、対人関係でブライトを頼った事は一度もない事に気付く。ブライトが何かしらアドバイスするのは、いつだって『戦いの中』だった。

 ちなみに人間相手のアドバイスも、あった事にはあったのだが……


『この娘……顔から酷く熱を発している? 病気ではないようだが……』

『ジョーク、というものは……難しいな』


 ……こんな風に、ちょっと頼りなかった。身体の変化には目ざといが、反面、相手の心境云々に関しては不得手なところがあった。そういう意味では、怪獣相手でも同じだろう。敵意の有無は図れるけれど、怪獣が何故に人のいるところまでやってきたのか、そこまでは分からなかった事が多々あったのを思い出す。

「……なぁ、ブライト」

 苦笑しながら、僕は意識せず、ブライトの名を呼んでいた。けれど、当然何も帰ってこない。


 ダーケストとの最後の戦い。あれが終わってからというものの、僕と融合し、普段は僕の精神に潜んでいるはずのブライトは、まるで死んでしまったかのように沈黙したままだ。

 生きている事には、生きているのだろう。何となくだが、そんな気がする。

「……十二時、か」

 気が付けば、眠れぬまま三時間も過ぎていた。時間ってやつは、変なところであっという間に過ぎていくな。

 今の気分を紛らわせたいが、テス子を起こすのは良くない。

 とりあえず、この腕を何とか抜かないと……っていうか、なんだか肘辺りに凄い、やわらかい感触が……いかん、見ないようにしよう。




******




 テス子ホールドからなんとか脱出した僕は、テス子を起こさないように、静かにベランダに出ていく。

「……とりあえず外って選択肢は、流石にまずかったな」

 大学に通い始めてから、初めての初夏。普段は夜でも暑苦しいのが、今夜は妙に涼しい……どころか、寒気すら感じる程に、空気が冷えている。

 腕をまくってみれば鳥肌が立ち、息を吐いてみれば、白い湯気のように立ち昇る吐息が月明りで良く見える。


「奇妙だと思うか、若人わこうどよ」

 そう、今まさにそう思った事を、何者かが代弁する。

「……大家さん」


 はたして、目の前にぬぅっと現れたのは、黒いマントに身を包んだ怪人物。

 何が『怪』かと問われれば、まず挙がるのがその顔……と呼んでもいいのか怪しい、銀色の頭。というか、頭蓋骨。

 月の光に照らされ鈍く照り返すその頭には、大地と呼ぶべき皮膚も無ければ、そこに生える草木もない。目があるはずの場所にはぽっかりと開いた真っ暗な洞窟だけがあり、唇のない口には、綺麗な銀歯が揃っている。

 そして極め付けに、そのいる場所。


「……わざわざ浮いて現れる必要、あります?」

「気にするな、若人よ」

 何故か、二階にある僕の部屋のベランダの前に、浮いている。


 ここで紹介しよう。彼は『シルバースカル』。正体不明の超人であり――僕がそう呼ぶように――この円森荘の大家でもあり、そして僕とテス子をここに招いた張本人である。

 なんでも、僕の両親どころか祖父母が生まれてすらいない、それどころかまだ恐竜がいた時代からあらゆる脅威と戦ってきた、らしい。

 要するに、僕の大先輩だ。怪獣や宇宙人なんかと戦ったのは僕と一緒だが、到底敵う気がしない。何せ、彼は約2メートルという身長のまま、巨大にして強大な敵と戦い、そして全ての戦いで勝利を収めてきたのだ。

 能力は……挙げればキリがない。今みたいに浮遊及び飛行する能力もあるし、巨大怪獣をひっくり返す程の怪力だし、彼の持つ棒状の武器、シルバーロッドは光線を放ち、シルバースカルの思うがままに動く。オマケに皮膚は超硬度を誇り、熱や冷気のみならず、毒や放射能等、身体に有害とされるあらゆるものが通用しない。一言で言うと、出鱈目な能力をしている。あとついでに、喋る時は口が動かない。テレパシーも使っていないのに普通に喋っているように聞こえるのは永遠の謎だ。


 ……これは風の噂で聞いた話だが、何でも真空状態に曝されるのが弱点らしく、実際にとある悪の組織が彼を宇宙空間に追放したが、何事もなかったかのように戻ってきた、らしい。滅茶苦茶だなホント。


「備えよ」


 不意にそんな事を告げられ、僕は首を傾げる。

「若人よ。貴様の経験した戦いは、これより来る『大いなる転変』の前触れに過ぎぬ」

「大いなる、転変……」

 異変自体は、既に起きている。一年前から頻発した怪獣出現然り、宇宙人然り。そして恐らく、僕がブライトマンになる以前からも起きている。だが、それよりももっと凄い何かが起きると、そう言っているのか。

 僕の身体が一瞬ぶるりと震えたのは、寒さのせいだと思いたい。

「それは、この世界だけではない。数多もの世界が重なり……そして、あるべき理が歪んでいく」

 『数多もの世界』。もしやそれは、SF的な……そう、平行世界、というやつの事だろうか。

「あるはずのない存在が認識され、『あるはずのない存在が』、それが当たり前となる。……だが、世界が内包できるモノにも限りはある。もし、人の認識を修正できぬ程の転変が起きれば……」

「……実質、世界が滅ぶ」

 銀色の怪人が、静かに頷く。

「来たる転変の影響が如何なるものであれ、果てに待つは混沌のみ。異なる世界より来たりし脅威が増え、全てを滅びに導くだけではない。人もまた、互いを傷つけ合う事になろう」

「……違う世界に、必ずしも自分の世界と同じ法が存在するわけじゃない。世界が違えば、軍事力だって……国のトップだって違うかもしれない」

 基盤である秩序の相違。それに気付いてしまった時、どうなるかは僕にも想像はつかない。楽観視すれば、互いに手を取り、助け合えるかもとは思う。

 ……だが、現実ってやつは、どうも捻くれているものだ。実際には欲望だとか大義だとかが絡むせいで、とんでもなくめんどくさい。

 僕にも経験がある。通っていた高校の裏山が開発される事になった時、怪獣を信奉する秘密結社や防衛部隊を指揮する政府、更には宇宙人に、裏山の地下で眠っていた怪獣が争い合った。彼らの目的は、裏山の地下深くにある、龍脈という膨大な地球のエネルギーが流れる川のようなもの。国家レベル、いや、宇宙レベルでの壮絶な取り合いが裏山で行われているなんて、こっちからすればいい迷惑だ。


 ……オホン。つまりだ。所謂『お偉いさん』が欲を張って、その結果、自分達が守るべき民衆が酷い目に会う、なんて事態が起こりかねないという事だ。「これもお国の為」とか枕詞に使って。

「故に、備えよ。若人よ」

「……そうは、言うけど」

 僕がブライトマンとして戦えたのは、あくまでもブライトという存在がいたからだ。だが、今の彼は、いないも同然。

 融合が解除されたわけではないが、かといって身近に感じられるわけでもなし。

「何か、勘違いをしているな」

 まるで僕の心の内を察したかのように、僕の心そのものに向かって、語り掛けてくる。

 ……勘違いしてる、だって? 何を?

何故なにゆえに、あの娘を汝と住まわせていると思っているのだ」

「何故って、そりゃ――」


――何故なんだ?


 僕は言葉に詰まってしまった。だって、本当に分からないのだから。何故僕が、テス子と一緒に住む事になってしまったのか。

 普通に考えれば大家さんのせいだ。だけど……『誰かのせい』で済ませられる話なのか? 本当に?


 事を単純に理解するには、あまりにも僕は様々な出来事を体験し過ぎ……色んな事を知り過ぎていた。

 寒さも忘れて、僕はベランダで俯いたまま、立ちすくんでいた。


 気付けば、銀色の怪人はその姿を消していた。


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