散歩で月夜

@ikda-akira

散歩で月夜

 あの日は満月だった。日も既に沈んでいたが、近年よくある暑すぎる秋の夜だった。でも人々は帰路を急いでいるような生活感と安堵感で満たされたそんな夜だった。

 私は、晩ご飯を食べ、風呂に入った後でいつもどおりにぶらぶらと、近くの神社まで歩いていった。片手には缶ビール。一日を終える儀式のようなものだ。ここは、さいたま市浦和区にある調神社。なぜか鳥居がないことで有名な神社だ。昼だったら子供たちが遊ぶ姿を見ることができるが、夜の十時を過ぎると誰もいない。あるのは虫の声と月の優しい光と私だけだ。私はビールをグピリと飲み、日中を過ごす東京での慌ただしい、落ち着かない時間をちらりと思い出す。それに比べればここは正に神域。本当の意味で「昨日」の自分と離れることができる特別な場所なのだ。

 そんな時間をいつもどおり過ごし、そろそろ家に帰って寝るかと腰を上げたところ、神社の本社近くに女の子がいるのに気づいた。私は、こんな時間に親は何を考えているのだろうと周りを見廻すも女の子以外誰もいない。何か問題でも起こったらまずいと私が女の子に話しかけようとすると女の子はいつの間にか社殿の方へいっていた。まるで瞬間移動だ。なにやら怪しい気もするが、何といってもここは神域だ。変な化けものでもないだろうと再度女の子の方へ寄ってみたが、またいなくなっている。その日はもう会うことはなく、ただ、月の光を浴びている私が居ただけだった。

 翌朝、浦和駅のホームで電車を待っていると、夫婦らしき男女が話している内容が耳に入ってきた。どうやら昨日の夜、数日間行方不明になっていた子供が見つかったとのこと。子供は、数日前に一人で電車に乗って親戚の家に行ったらしいが、途中で別の駅で降りてしまい、その後、行方知れずになってしまった。しかし、昨日の夜、家の前で寝ていたのを近所の人が見つけたらしい。その子供が言うには、知らない街をさ迷っていたときに女の子と会い、その子が家まで送ってくれたらしい。子供云わく全く会ったことのない女の子だったらしい。奇妙な話もあったものだ。

数日後、私はいつものように神社へ行き、ビールをグピリと飲んでいた。相変わらずの暑さとちょっと冷えた風が吹いていた。虫の声、遠くから聞こえてくる家庭の生活音、月の光。そしてこの前と同じ女の子が社殿の前に居た。前と同じく一人で、だ。ただ怖く感じるような状況であるにも関わらず不思議と恐怖はない。居て当たり前のようにも感じる。その日はそれで家に帰った。

翌日の夕方、会社からの帰路の途中に近所の人に会い、井戸端会議に興じた。どうやら昨日の夜、この近所でストーカーらしき男が捕まったらしい。「らしき」というのは、ストーカーされていた女性はこれといった被害を受けたわけではないからだ。何やら意味がわからないが、ストーカーらしき男がことに及ぼうとしたところで警察官に御用となったということだった。御用となる数十分前にとある人物から警察署に通報があったらしい。ただ、被害者と思われる女性は、通報してくれた人に心当たりはないらしい。不思議な話である。

暦の上では秋なのに連日真夏日を記録していた十月が終わり、急に冬を感じるようになった十一月を迎えた。十一月の満月の日のことだった。その日は仕事が忙しく、終電で帰ってきて、心身共に疲れていた。早く家に帰って寝たいとかそんなことを考えながら、駅から早足で家へ向かっていた。しかし、家まであと数分といったところでいきなりマスク姿のサングラスをかけた男に襲われた。その男の手には銀色のナイフが握られており、有金を全て置いていけと脅された。あまりにも急なことで体は縮こまり動けない。声すらあげられない。全てを諦めかけた時、急に男が倒れた。その男の先には女の子。あの神社で会った女の子だ。その女の子はにこりと笑い、薄く消えていった。私はそのとき女の子が消えていくのを見ながら全てを理解した。そして、女の子の存在を感じることができた。

私が数日置きに通っている神社には鳥居もなければコマ犬もいない。ただし、コマ犬の代わりに兎が鎮座している。そして神社には、その兎が使姫として仕えているという七不思議が残っている。

 ここは浦和の調(つきのみや)神社。いつも住民を優しく見守ってくれる女の子が居る街だ。月はいつでも優しく光っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

散歩で月夜 @ikda-akira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ