第5話 幸せの在り処

 終電に乗って、誰もいない自宅に帰り着いたのが午前1時手前。寝る前にピクミンをしばらくやっていたら、不意に舌が唇の裏に当たってぶつぶつしているものがあるのを感じ、それが何日も前からあるのを思い出す。タバコを吸ってきたのもあって何かヤバイものなんじゃないか、これからかなり痛み出すんじゃないかと不安になった。気を紛らわそうと横になってみたものの不安な状態が抜けないので、他のところも痛み出す。色んな痛みに敏感になる。胸がチクチクすれば肺か、胃の上が差し込めば今度は胃かといった具合で、寝返りを何度も打ちながら痛くないポジションを探したり、また同じ姿勢に戻って痛みが治まっているかどうかを確認したりを繰り返した。いよいよこれは死ぬんじゃないかと思った時に何だか得も言われぬ嫌な気分が押し寄せて、今まで普通に気になっていたものが本当にどうでもよく見えてきた。例えば、ソフトバンクホークスの珍プレー好プレーや新型マックブックのレヴューを見ても、これから死ぬのに関係ないよなぁ、というか世の中のほとんどの事は俺とは無関係だし、世の中は俺が死のうが興味ナッシングだよなぁと思ったり、あとこのまま死んだらやりたかったけどやれなかったことで悔いが残るよなぁ、もっと率直に言うと、死ぬならこれまで迷惑に思われるかもしれないと思ってやらなかったこと、人目が気になってやらなかったことをやっちまえというゲスなことが思い浮かんだ。例えば、路上で急に大声で歌ったり、コンビニのレジの前でつばを吐いてみたり、大勢の人が密閉空間に押し込められた逃げ場のない飛行機の中で「火事だ、前に逃げろ」と叫んでみたり、およそ漫画やアニメなどのフィクションの世界であり得るような事をやってみたくなった。死ぬならその後どうなろうが関係ない、そういった事を死ぬことを盾にやってやろうと思った。不思議とその時かなり自由になれた気がして、気持ちの中に、感覚の中に長らく使っていなかった強いパワーを感じて懐かしい気持ちが湧いてきて嬉しくなった。ともかく寝られる体勢で寝た。


 明くる日、起きてもあまり気分が良くなっていなかったけど、シャワーを浴びた勢いで、思い切って唇の裏を鏡で見てみた。すると、確かにぶつぶつしたものがあったけど、思ってたよりもグロテスクな見た目じゃなくて少し安心した。これはもしや世に言う口内炎てやつなんじゃないかとネットで画像検索すると、自分の唇の裏よりももっとひどい口内炎の写真が大量に出てきた。その中に自分と近い写真を見つけて、なんだ口内炎だったのかと思い、心配していたガンだったり、他の怖い病気の可能性は消えないものの、高い確率でこれは口内炎だと納得した。不安が遠のいて一転ものすごい幸せな気分、人生に余裕が出来たような豊かな気分になったけど、昨日感じた死に際の自由な感じも薄らいでいって少し寂しいような、何とも言えない複雑な気持ちになった。あと、口内炎程度に震えて、大仰な空騒ぎと七転八倒をしている小心者の自分にうっすら笑えた。体を拭いた大きめのタオルで頭にターバンを巻いて、そのターバンに長髪を収めて乾かしながら、いつものように海外の好きな動画を見ながら、ツッコミを入れたりした。病気になったり、死を身近に感じたりすると健康が何よりも尊いものに感じれたりする。食に気を使っていても病気になる時はなる、運動して体を作っていても事故る時は事故る、どんだけメンタルを鍛錬していてもやられる時はやられる、そうなった時にどうせこうなるなら節制なんて考えずに好きな様にやっておけば良かったと思うのが癪なので、出来るだけ好きなものを好きなように食べ、ぐうたらに生活してきたけど、いざ死を身近に感じると、健康的な生活を送っておくことが死への不安に対抗する一つの精神安定材料になるのかも知れない。今後は気を使おうと思った。健康は何よりも尊い。

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