Hill Valleyのまちで

@suwakko

Hill Valleyのまちで

 いまも君の夢を見る。好きだともいえぬまま手放した恋だった。諏訪湖の見えるあのまちで、あのときあんな風に出会ったことが、幸運だったのか、不幸だったのかといえば、出会えぬ不幸に比べれば幸せだったのだと思う。暖かな朝、明るくなり始めた頃、目が覚めても、夢の中の君にもう一度会いたくて、再び眠りに落ちる。


 春は桜並木。横河川沿いの桜は、4月も中頃、ほかの花たちとともに一斉に咲く。芽吹きの季節の色たちは、桜吹雪をやさしく鮮やかに彩る。暖かな風に誘われて、花びらはひらひらと川に舞い降り、花筏になる。君に出会った春に、この世がこんなにも美しく愛おしいことを知った。それなのに、花見をするといって出かけたはずなのに、気づけば君の横顔ばかり見つめていた。思い出すのはなぜかいつも、君の長いまつ毛にいたずらにのった薄紅の花びら。あの頃は、昼も夜も桜を眺めてはため息をついていた。思えば何も知らない、まだ幸せな季節だったのに。青空の下の桜は、いまはもう懐かしく眩しいだけの色になったけれど、ほの白い夜桜を見ると、恋の始まりの狂おしい想いに、いまも胸が締めつけられる。


 夏は横河川。上流はまるで別天地。苔も生えぬほどの冷たい水に足を浸せば、暑さも忘れる。地元の銘酒をせせらぎで冷やし、裾を手繰りあげて水とはしゃぐ君を眺めていた。高天、舞姫、神渡、桔梗ヶ原のアイスワイン。川魚の燻製と唐揚、チーズプラター、ダブルクリームのさくさくパイ。アルコールは恋の苦しみを軽減させて、気難し屋を楽しい気分にさせたけれど、明るく鮮烈な色をもったはずの夏の日の思い出は、ところどころ途切れていて、手放してしまった記憶が少しばかり惜しい気もする。市民祭の太鼓祭を自分のことのように誇らしげに語り、一緒に行こうと約束したけれど、酔っ払いの約束なんて叶わなかった。目を閉じて微睡めば、一緒に見上げた夜空の尺玉よりも、揃い打ちの太鼓の音が胸に響くのはなぜだろう。


 秋は出早神社。燃えるような紅葉を狩りに行く。落ち葉の上に寝転んで見上げれば、紅の葉の向こうに空が見えた。君が幼いころから好きだというモチヅキのアップルパイを齧った。二人きりの公園で、こっそり子どもに戻ってブランコに並んで揺られた。あのとき君は笑っていた。そんな君を見ていたら、自分らしくもなく何だか幸せな気分になって、調子にのりそうになった。けれど、ふわりふわりと飛んでいきそうな理性をつかまえて思案した。わずかばかりの自惚れや、都合のよすぎる予測と戦って、百万が一の奇跡を起こすかもしれない魔法のことばをのみこんだ。あのとき、あのことばを声にできていたならば、よくもわるくも結末はかわっただろうけれど、いまはもう、君を困らせなくてよかったのだと信じる以外に何ができるだろう。まだ間に合ったかもしれないのにもかかわらず、臆病すぎたあの日のわたしは、分別ある大人の肩書を選んだのだから。


 冬は諏訪湖。鳥居平の公園から眺める湖は、確かにわたしたちがいた風景。雲一つない青空が続くこの季節、気まぐれに白い雪の華が降る。凍てついた湖面に雪が積もり、やがて空に月が昇れば、湖は月の光を孕み青白く輝く。雪は音を吸い込んで、悲しくなるほど静かな夜。冷えた手をコートのポケットの中でつなぎ、あのとき確かに二人で同じ湖をずっとずっと見つめていた。君の指の冷たい金属の輪は、ひたすらに邪魔で、消えてしまえばいいと思ったことを認めずにはいられない。新しい雪に覆われたこの場所で、前にも後にも一歩も動けない。そんな夜に指先を温めるぐらい、許してほしいとは思うけれど、許せないとも思う。年を重ねて初めて自覚した本当の恋は、はしかのようにわたしの身体を捕らえたまま、いまも離さない。やってしまった後悔と、やらずに残してしまった後悔。残したままの想いは心の奥に積もり続け、深い深い雪の下の根雪のように、堅く硬く踏みしめられる。


 きっと君は忘れてしまうのだろう。いつかわたしの名さえ思い出すこともなくなる。君もわたしも変わっていくし、季節は巡る。それでいいのだと思う。けれどわたしはずっと覚えていたいと願う。遠い空の下で切ないほど懐かしいあの頃を思い出し、想い続ける。いまも君の夢を見る。

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