川のラッコ

杏堂直也

川のラッコ

 冬の北海道は寒い。

 寒いというより痛い。

 15年も東京に住んでいた私はこの感覚を忘れていた。

 私はこの土地に合う外套をすでに持っておらず、街の郊外にある巨大なショッピングモールへそれを求めに出かけた。

「あれ? 桐原じゃね?」

 その旧友と再会したのは全くの偶然だった。

 小学校からの友人。

 彼は私が小学生の頃、転校を経験した私に、初めて声をかけてくれた人物だった。

 閑散としたこの街にこんなにも人間が住んでいたのかと思う程混んだこの場所で、彼に偶然に再会するのは、やはり縁というものを私は感じていた。

「いつ戻ってきたんだよ?」

 彼は昔と全く変わらない様子で私に言う。いや、少し太ったか?

「あぁ…ちょっとな…」

 私はバツが悪く、曖昧な返事をしてしまった。

 私は青雲の志を持って東京に出た筈だった。

 役者になろうと。

 だが一向に芽は出ず、アルバイト先の上司と揉め、精神が軋み、逃げる様にこの地に戻ってきた。

 私はこの何もない地元にいつまでもいる旧友たちを内心見下していたのだ。

 しかし私も今はこの地にいる。

 この地で生活をしようと、この地に対応した外套を求めてこの場所にいるのだ。

 それが何か後ろめたくて、彼にそんな態度を取ってしまった。

「今度飲みにでもいこうぜ」

 屈託無く言う彼へ、私は曖昧な返事をし、足早にその場を去った。

 私も成人して10年以上経っているので、大人の社会で言う「今度」や「いつか」は社交辞令だとわきまえている。

 だが、その夜、

【いつ飲みに行く?】

 私のケータイへメールが届いた。

 昼間会った彼からだ。

 私は自分がいかに荒んでいたのか改めて感じ、意味も無く涙が溢れそうになった。

 昔からの友人へ気を使う必要など、本来は無い筈だったのだ。

 私は滲むケータイの画面へ希望の日時を打ち込んだ。


 その日。

 私は希望したその場所、駅前の大通りの寂れ具合に驚いていた。

 まだ幼い頃通った書店はかろうじて残っていたが、どの店舗も軒並みシャッターが閉じ、ただでさえ広い道路がなおさら広く、寂しく見える。

 短い冬の日の光はすぐに傾き、大通りに並んだ電飾の看板が映えた。

 色とりどりのその看板群は、消費者金融…端的に言えば金貸しの看板だ。

 シャッターが下りた店舗と、消費者金融の看板…。それがこの街の現状を端的に表している様で、私はしばしその光景に唖然とした。

「何にもないだろ?」

 立ち尽くしていた私の背後から、彼が突然声をかける。

 私は少し驚いて彼へ向いた。

「今はこの辺で飲む奴なんてほとんどいないぜ? まぁ、お前が来たいって言ったからここにしたけどよ」

 彼は笑顔で言った。

 私は彼と二人、居酒屋を探すがてら、この大通りを少し散歩することにした。

 駅から伸びた大通りをまっすぐに行くと大きな川があり、この街を象徴とする有名な橋が架かっている。さらにその先を見ると、高台へつながる長い坂道があり、その中腹に、花が生けられる大きな時計がある。ライトアップはされているが、時計の白い部分が茶色くくすみ、寂しさをわざわざ浮きだたせているだけの様に見えた。

 橋のたもとに着くと彼が、

「そういや前にこの川にラッコ来たの知ってる?」

「うん、知ってる。ニュースで見た」

 もっと昔に東京の多摩川にアザラシが来てブームになったことがあったが、それと似た様な事がこの街でもあったのだ。もっとも、すぐにどこかへ行ってしまったようだが。その橋のたもとにある観光客向けの商業施設には、あわてて観光客へアピールをしようとしたステッカーや缶バッチ等が名残となって隅に並んでいる。

 私と彼はその商業施設の中の居酒屋を今日の河岸にする事にした。

 彼が話す事は昔の思い出話と、かつての級友の現状だ。

 中学の時、あいつが誰を好きだったか。

 あいつは今どこでどんな事をしているか。

 私はその手の話はあまり好まないが、この街にいなかった15年が構築されていく様で、その話をうんうんと聞いていた。

 彼はすでに結婚していて、子供も一人いる。さらにその細君も出産が間近らしい。

 酔いも回り、その日は解散することにした。


 あの日から外に出るのも、床から出るのも億劫な日々が続く。

 しばらく経ち、彼に第二子が誕生したとのメールが私のケータイに届いた。記念の飲み会をやるので、いつどこそこに来てくれと。

 そのメールにはその飲み会に参加する他のメンバーの名前が記されていた。

 私にとっても旧い友人たちの名前だ。

 私は、この15年、変わっていなかったのは自分だと言うことに気がついていた。

 先日の飲み会で、それらの友人の近況を聞いた。皆仕事をし、家庭を持ち、子供もいる。

 私は変わろうとしない地元の友人たちを内心見下していた。が、結局何も築いてこなかったのは自分だった事に改めて気づかされた。

 気の持ちようと人は言うだろうが、私は心の病を医師に診断され、この地に戻ってきている。

 極恣意的だが、彼と彼らの人生に触れ、私は自らの人生を否定しようとしていた。

 今の体調の悪さはそれに起因するものだろう。

 私は、彼に、

【今体調が悪いので申し訳ないが参加できない】

 と、メールを返した。

 文面には書かなかったが、何もない自分に旧友たちと会う気力は無いと送ったつもりだった。

 すぐに彼から返信が届く。

【その日まで体調よくしといて!】

 私はそのメールへ返信をしなかった。


 かつてラッコが姿を現したという川べりを私は一人歩く。外気との差で、湯気の様なもやがその川から上がっている。

 あの日、彼と再会した私は、彼がやはり特別な存在だと思ってしまっていた様だ。が、彼にとって、私は数いる友人の一人に過ぎないのだろう。いや、むしろ私のいない15年をそれらの友人たちと過ごし、学生の頃よりも濃い繋がりになっていると思う。

 きっとあのメールは悪気など全く無い、社交性に欠ける私をそちらの世界に誘ってくれようとしたものだったに違いない。

 シャッター街となったこの街も、旧友たちも、良いも悪いも抜きにして変わったのだ。

 ラッコはどうしてこの場所に現れ、どこにいったのだろうか?

 私の様に自ら繋がりを断ち、再びどこかへ行ったのだろうか?

 私はもう二度と旧友たちに会うことはないだろうと思い、その川へ、自分のケータイを、投げ捨てた。

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川のラッコ 杏堂直也 @naoya_ando

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