#51 Epilogue

 私の想い人である『アイツ』がこの世界から存在すがたを消して、一年もの月日が経った。


 彼の消滅は世間的、法律的には失踪だか行方不明扱いになって。

 一応のカタがついているらしいが、高次元の処理についての詳しくは知らない。


 なんせ、迂闊にそういったやり取りに関わってしまえば──つい口が滑って喋ってしまうかもしれない、とんでもない危険を孕んでいるから。


 私が目撃した──決して口には出来ない『真実』を滑らせる可能性。

 この世界で唯一、真相を抱えるが故の孤独な葛藤ジレンマ。溜め込んだ末に花開いた悪癖。


 そして様々な感情を内包した一年という期間は長いようで短いようで。果てしない内省の時間だった。


 私にとってはその刻は自責と後悔、悲痛、懺悔をしての発散、恢復。その当て所内繰り返しを螺旋の様に重ねた一年、短い人生の中で一番重く深い時間。


 それでも――そうであるにも関わらず、良くも悪くもはそれなりの『普通の日常』を代わり映え無く繰り返していた。


 尤も、帰る事が出来たと表現すれば、少しは救われるのかもしれない。


 しかし、世界にとって『それ』は些事にも満たない出来事で。


 彼の存在の如何にはまるで関係無く、相変わらず日本の冬の寒さは激しく厳しいし、名も知らぬ星々は夜空に瞬いている。


 春には人々から慕われ賑わう桜の木も、この時期の枝は寒々しさが目立つ程に、実に小奇麗で寂しいものだ。


 以前と、それほど変わらない日々、以前と殆ど同じ生活。何の変哲も無い毎日。


 私にとって違うのは――ただ一つ異なるのは、アイツがいない代わりに──彼女がいるということ。


「あ~き~こ~、どうしたの~? またコンビニで夜食調達? いい加減太るよ?」

「ちょっと…シャーロット、もうっ…ああ、うるさい!」


 真に遺憾ながらも彼の忘れ形見の自縛霊。

 異国の風を感じるスタイル拔群お姉さん。

 シャーロットは今日も元気に私に取り憑いています。


 この世の者ならざる彼女の存在のせいなのか、私は彼女以外にも幽霊とかアヤカシだとかが普通に見えるし、触れるようになりました。


 しかしまあ、私の特異体質への変容をさておくとして――シャーロットについて申し上げるのならば――当初の彼女はアイツの言ったとおり、彼の喪失と反故について尋常じゃなく激しく凄いショックを受けて、軽くヒステリーでメランコリックな状態でしたが、自分の中で何らかの折り合いをつけたらしく、徐々に欝陶しく…いえ、元気を取り戻していきました。


 そんな身の上である所の私はといえば、無事に進級し高校三年生になりました。


 年が明ければ、すぐに本命大学の受験なのですが、そんな大事な時期の今現在、夜の街を歩いています。


 日中は日陰でジッとしているシャーロットも、陽が沈むと元気になり活力を取り戻すようで、私の周りで鬱陶しい程に浮いています。


 ところで何故私が受験生の身の上であるにも関わらず夜の街を徘徊しているのかというと、大きな洋館の前を通って、あそこに行く為です。


 胸ポケットから白くくたびれた紙箱を取り出す。

 白いパッケージに黒い星があしらわれたその見慣れた箱から、一本を手に取り口にくわえる。


 余談にはなりますが、私はアイツが消えてから、前述の通り悪癖が一つ増えました。


 それは何の解決にもならない現実逃避なのか、未だにアイツの影を探しているのかは解らないけど、どちらにせよ、それは多分余りに救いのない無意味な行為で。


 決して消えない古傷を掻き毟る様な詮の無い自傷行為であることには違いないのだけれど。


 ただひとつ確かなのは、私がまだアイツを忘れられないということ。


 それはつまり、私はまだ今尚『彼』に引き摺られ、引き摺っているのだということ。


 勿論現象として、出来事として事件としての結末はそれなり頭で理解はしているつもりだけど、未だに心が納得していないという証拠。


 たまに、アイツを思い出せば。

 思い起こしてしまえば、どうしたって涙が溢れて止まらないし、彼と一緒に撮った写真を視界に入れ、彼の照れと恥しさをミックスした結果のつまらなさそうな仏頂面を見れば心が裂けそうな錯覚にも陥る。


 頭と心がどうにかなってしまいそう。限りなく、喩えようも無く、痛む。辛い。


 細かなキズの沢山付いたオイルライターで咥え煙草に火を灯せば、何処か懐かしい香りがして少しノスタルジックでセンチメンタルな気持ちになったりもします。


 でも、それは仕方ないでしょう?


 だって、彼の存在は私の中でとても大きかったのだから。

 掛け替えのない、彼以外は要らないと思わせるほどの存在だったのだから。


 大して美味しくもない煙と共に自嘲や自己嫌悪をたっぷりと含んだ溜息を吐き出す。


 我ながら本当に、生産性の無い報われない話だ。


「あっ…

「え?」


 悲劇のヒロインに陶酔し、その役を分不相応に演じていた私の少し後方で浮いていた自縛霊の独り言に…彼のアダ名に思わず反応してしまう。


 後出し的にはなりますが、この一年の私の過ごし方は大体こんな感じ。

 何をするにも若干の緊張と強張り。果ての落胆。募る羨望。


 アイツを連想させるものに悉く空振りになるのは承知の上で――そんな現実を理解し認識しているのにも関わらず、それでも、どうしても反応してしまう…。

 元恋する乙女の現状は軽く挙動不審で妄想癖持ちな情緒不安定ガールです。


「あぁ、雪ね……」


 巡り巡った季節は冬。


 そりゃあ、雪も降るでしょうよ。そんな季節だもの。四季折々の日本だもの。


 そう言えば、雨が降ることを『そらが泣いている』って表現することがあるけれど、雪が降る場合はどう称するのだろう?


 雪を降らせている時の空は一体どんな気分なのだろう…。


 果たしてソラは嬉しいのか、悲しいのか、もしくはそれ以外の感情を込めているのか…。


 それは分からない。私には到底理解出来ない事柄。


 だって私は空ではない。私は高柳亜季子。それ以外の存在にはなりえない。


 この世に生を受け、それを失うその日までずっと私。


 もしかすれば消えたアイツや今横にいる彼女のように生きて死んで、人間としての命が尽きて。その果てにってものがあるのかも知れないけれど、それでもそこにいるのは私。


 そういうイレギュラーを含めた期間が長いのか短いものなのかは知らないけど、私は私。これからの人生の途中で苗字や性格、立ち位置が変わることもあるだろうけど、やっぱりそれも私。


 花弁のない桜の木の下で、硬い冬空に柔らかに光を放つ月明かりの下で、静けさを伴い薄く――それでも何よりも雄弁に光り、その存在を意識させる星。


 儚さを内包した名も知らぬ星々に問い掛ける。


――ねぇユキ、見えてる?

 君には…自分が消えた後の世界は、アンタの目にはどう映るの?


 返ってくるのはひたすらに静寂と沈黙。それらが意味するのは無回答。あるいは無関心。


 その解りきったレスポンスに少し――侘びしくて寂しい、悲しい――何とも言い難い感傷的な気持ちになる。


 現状、現実として誰もその問いに応えてはくれない。

 そんなの当たり前過ぎる程に当たり前だし、考えるまでも無い当然だけど、それでも何とかならないかなと夢見がちに思ってしまう愚かな自分がいる。


 ユキ――東雲雪人は死んだのだ。その事実をきちんと飲み込めていない事実。


 それが私の心を絶えず傷を付ける。全く、未練がましい面倒で重たい女である。


 零れたのは何とも言えない苦笑い。灰を乾いた硬い地面に落とし、白煙で鈍い空を汚す。


 絶望的な距離の開いた星々を煙で繋げてみる。すぐに霧散。星同士を繋ぐ架け橋は刹那に消えた。


 乙女チックなロマンチックとは縁遠い物思い。


 きっと今も世界の何処かでは悲惨な戦争や紛争だか、人間同士の高尚で下らない諍いが起こっていて。


 この国の何処かで下卑た理由のために凄惨に殺されている人もいるだろう。


 多分、何処かの学校ではこの世の終わりとも思えるような非道い苛めが起こっていて、それを真に受けた子供は絶望に身を浸している。


 恐らく世界の何処かの企業の社長は経営難で、最低の事態の解消の為に今まさに首を吊ろうとしている。


 何てやるせない悲しい世界。

 何とも生き甲斐の少ない世界。


 確かにアンタが思い違って、思い間違って、気の迷いで一度は消そうとした世界には楽しいことや嬉しいこと、愛おしくてハッピーな出来事が数え切れない位いっぱいあるけれど、それ以上に、それらを軽く凌駕する程に――数えるのを諦める位多くの悲しみや痛み、不都合や理不尽、不幸や不条理、そしてそれらのネガティブを掛け合わせたって足りないくらいの、私には想像すら出来ないアンラックやアンハッピーに溢れているのだと思う。


 世界は、ネガティブな現状に支配され、理不尽で甘くない現実に満ち満ちている。だけど、


 でもね、それでも……、私にはさ――、


「ねぇ雪人。それでも、私の目には程々に平和で幸せな世界が見えているよ?」


 私は世界向けて、そう息を吐き出すよ。

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僕にとって不都合で、優しくない世界 本陣忠人 @honjin

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