39

 隣の車両へ飛び込んだ教授は、その異様な咄嗟に身構えた。

 客車の中は、冬の夜のように冷たく、壁にかかるランプの炎も消えそうなくらい小さい。

 暗闇の先に誰かがいた。

 教授は、剣を強く握りながら目を凝らした。

「誰だ?」

 その姿は、逃げ込んだ少女ではなかった。成人の女性だった。

 だが、髪の毛の色、顔立ち、なによりも発せられる異様な空気……吸血鬼であることに間違いない。

 教授は、剣を突き出そうとした。

 だが、その瞬間、ものすごい勢いで女の吸血鬼が近づいた。教授には避ける間も、反撃する間もなかった。

 首筋に痛みが走ったかと思うと教授の意識はそこで途切れた。

 女吸血鬼の右手の指先は鮮血に染まっていた。

 その足元には教授の首が転がっている。

 床には赤い血が広がっていた。


 その時、客室をつなぐ扉が開く。

 女の吸血鬼は、次の侵入者を見て眉をひそめる。

「ちょっと見ないあいだに随分と成長したね」

 ミッシェルは、驚きもせずそう言った。彼女には分かっていた。目の前にいるのは、レイミア。ミッシェルの血を吸った吸血鬼。

「あなた……私がわかるって事は吸血鬼化したって事のようだけど、少し早いわね」

 レイミアは、少し驚いた様子でそう言うと傍のテーブルに置いてあったグラスを手に取った。そして足元に転がる教授の頭を拾い上げるとしたたる血をグラスにそそいだ。

「それは教授なのか……?」

「私に挑もうとしたからよ。ヨーロッパでも私たちの活動を散々邪魔してきた人間だけど、呆気ないものね。もっと早く私が手を下せばよかった」

 グラスが血で満たされるとれレイミアは、教授の頭を放り投げた。

「乾杯」

 レイミアは、血で一杯のグラスをこぼれないようにすする。

「さて、あなたミッシェルとか言ったっけ? どうかしら? 吸血鬼になった気分は」

「何も……暑さも、痛みも感じない。クソみたいな気分だ」

「口が悪いわね。でも許すわ。あなた腕が立つもの。私の護衛にはぴったりよ」

「その仕事はお断りするよ」

「仕事は選べないわよ。私に血を吸われた以上、私はあなたのマスターであるのだから」

「何……どういう?」

 その言葉の意味はすぐにわかった。

 先程まで怒りで一杯だったミッシェルの心から、怒りの気持ちが消えていった。それどころか、レイミアに対して崇拝に似た感情が湧き上がっているのがわかる。

 ミッシェルはその感情を振り払おうと首を振った。

「抵抗しても無駄よ。じきにあなたの心は私のものになる」

「……まだだ」

「何?」

「まだだ!」

 ミッシェルは、レイミアに向けてコルトの引き金を引いた。至近距離でシリンダーに収められたありったけの弾丸が撃ち込まれる。

 レイミアは血しぶきをあげてよろめくが致命傷にはなっていない。

「まだ私の支配下にならないとは相当、意思が強いのね。ちょっと早い吸血鬼化も関係あるのかしら? でも無駄な抵抗だわ」

 レイミアは、ミッシェルに飛びかかると首を締めた。

 2人は、勢いでそのまま床に倒れ込んだ。倒れた横には、教授の死体が転がっている。

「このまま、あなたの首をねじ切る事もできるけど、少しのあいだ動けなくなってもらうだけだから。もう少ししたらあなたはすぐに私の下僕になる」

「そいつはごめんだね」

 ミッシェルは、床に横たわる教授の死体が持つ剣をもぎ取るとそれをレイミアの心臓に突き刺した。

 苦悶と驚きの表情で剣が突き立つ自分の胸を見るレイミア。

 それは、彼女が何百年か振りに感じる痛みだった。

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