13-3 ミノルカ号の危機

 帝国の新たな使節団が港から出発して数日が経過していた。

 沈没したラングドッグ号に代わり新たな調停書を使者と共に運ぶ為の船団だ。

 新たな使者である皇女の乗るミノルカ号の周辺を六隻の巡洋艦と二隻の新型戦艦による護衛艦隊で守りを固めていた。

 使節としては厳重過ぎたが、先のラングドッグ号が幽霊船なる正体不明の艦船に沈められたのことを考慮したナヴァリノ・イグノーブル北方方面艦隊提督の勧めに寄る編成だった。

 仮に反対派の刺客が送られたとしてもこの戦力であれば、はねのける事もできるだろうという目論見からだ。

 さらには皇女を乗せるミノルカ号は、優雅な外見とは違い、頑丈で長期の航海にも砲弾による攻撃にも耐久性の高い船であった。

 皇帝や皇子が公務で使う船という事もあって外見を凝った作りにしているが、元々は、巡洋艦をベースに仕上げている。頑丈で高速の船なのである。

 左右に新型のヴァシレフス級戦艦を配し、後方と左右には六隻の巡洋艦を配していた。外交目的にしては、戦力的には、過ぎる布陣で守られたミノルカ号は、さながら甲冑で身を固めた騎士団に守られる王女であった。


「皇女殿下、もうすぐイングワット島の沖を通ります」

 ミノルカ号の艦長が甲板に新鮮な空気を吸いに来たアミカル皇女にそう言った。

「兄上が襲われたのもこの辺りなのですね」

 アミカル皇女は悲しげにそう言った。

「艦隊からこれより警戒配置になるとの連絡がありました。何かあっても必ずお守りいたします」

 船長は、力強く言う。

「幽霊船などというものが、まかり通りなんて恐ろしい海ですね」

「その通りです。しかし、この規模の艦隊が護衛についてくれれば、何の心配もいりますまい」

 その時、部下の将校がやってきた。彼は、先に皇女に対して一礼すると、艦長の耳元で報告をした。

「護衛の艦隊が本船から遠ざかっていきます」

「なんだと?」

「こちらからの呼びかけにも答えてきません」

 船長は眉をしかめる。

 アミカル皇女も船長たちのやりとりから異変を察した。

「艦長。私のことよりも船の指揮を優先してくださいまし」

「恐れ入ります。では、皇女は、一時、船室にお戻り下さい」

 艦長は、将校のひとりを呼ぶと皇女を船室へ送らせた。

 その後、上甲板に上がると周囲を望遠鏡で見渡す。

 確かに部下の報告のとおり、護衛の艦がと大坂っているる。一部の巡洋艦は、ずでに姿も見えない。

「戦闘の為の展開でしょうか?」

 部下の将校が不安げに艦長に尋ねた。

「こんな、布陣はない。これは何かがおかしい」


 周囲はいつの間にか霧が立ち込めていた。

 視界も次第に悪くなっていく。

「警戒態勢だ。大砲の準備もしておけ」

「アイアイサー」

 ミノルカ号は外航船ではあるが、わずかながら左右合わせた二十門の大砲で武装していた。小物の海賊ならば追い返せる戦力ではあった。

「進路はこのままで宜しいのでしょうか?」

 船長は、迷っていた。

 消えた護衛艦たちの行動が何らかの罠であれば、早急に進路を変えるべきだ。だが戦闘の為に離れたのであれば、ミノルカ号が進路を変えるのは、逆に危険なことではないだろうか? 

 だが、何の信号もなしに艦隊行動を変えるのか?

 やはり、何かがおかしい。

 船長の意思は決まった。

「面舵20。進路を変更する」

「アイアイサー! 面舵20!」

 しかし、命令を聞いた操舵手が舵を切ろうとしたときだった。

 目の前に黒く巨大な船が霧の中から現れた。

 ミノルカ号の船員たちは、その不気味な船を見て動揺しはじめた。

「せ、船長! 幽霊船です!」

 士官が言った。その表情は驚きと恐怖でこわばっている。

「追突するぞ!」

 目の前の幽霊船とミノルカ号の間にほとんど距離がなかった。

 あわや正面衝突という場面だったが、直前に切っていた面舵が効いてくれた。

 ミノルカ号は幽霊船との追突を回避し、船体左舷を接触ぎりぎりに通り過ぎていく。船員たちが安堵したのも束の間、幽霊船の側面の砲列がミノルカ号に狙いを定めていた。

「まずい!」

 船長がそう呟いた時だった。

 幽霊船の砲列がミノルカ号めがけて火を噴いた。




 霧の中、護衛だったヴァシレフス級装甲戦艦の一隻が幽霊船に接近していた。

 隣り合わせに並ぶと渡り床が掛けられ数人の将校が幽霊船に偽装したヴァシレフス号に乗り込んでいった。

「乗船、光栄です。イグノーブル閣下」

 ヴァシレフス号の艦長は、髑髏の覆面を取って帝国北方方面艦隊最高司令官であるナヴァリノ・イグノーブル提督を出迎えた。

「うむ、この度の秘密作戦ごくろうだった。この後、諸君らとヴァシレフス号には我が艦隊の旗艦となる栄誉が与えられるだろう」

「こ、光栄です!」

 ヴァシレフスの艦長はイグノーブル提督に敬礼した。


 イグノーブル提督は、密かに護衛の艦に乗船していた。

 それは、ミノルカ号の沈没を自ら見届ける為だった。これにより、後継者を全て失った皇帝の力は一気に衰退するだろう。そうすれば、開戦派の息のかかった別の後継者を立てて新皇帝を選出させる。そして一気に北方王国との開戦に持ち込むのがイグノーブルら開戦派の狙いだった。

 そのきっかけになるミノルカ号の沈没は、ラングドッグ号と同じく全て幽霊船の仕業という事で片付けるのだ。


「さてミノルカ号は?」

 イグノーブル提督は上甲板に陣取ると艦長に尋ねた。

「本艦の後方を航行中のはずです」

 艦長はそう言った。

「結構。では、狐狩りを始めようではないか」

 そう言って提督は不敵な笑みを浮かべた。


 幽霊船は、止めていた燃焼機関のエンジンを作動させた。

 ゆっくりとミノルカ号に向かって進み始めた。

「おっと、船長。一応、その覆面は被っておけよ。幽霊船の船長という役割は最後まで通せ」

「はっ!」

 船長は、敬礼すると髑髏の覆面をかぶり直した。



 幽霊船に偽装したヴァシレフス号は、ミノルカ号の前に姿を現した。

 ミノルカ号の乗員たちは、霧の中に現れた幽霊船に動揺した。

「か、回避だ! 面舵!」

 ミノルカ号は幽霊船を避ける為に進路を変更させた。

 艦長は、幽霊船の上甲板を望遠鏡で見る。

 そこには、髑髏の顔をした船長がミノルカ号を見つめていた。

「ほ、本当に幽霊船なのか?」

 ミノルカ号の艦長は周辺にいるはずの護衛の艦を探した。

 だが、艦の姿は一隻も見つからない。

「どういうことだ?」

  

 そして幽霊船がミノルカ号と横並びになった時だった。幽霊船から一斉に砲撃がされた。

 ミノルカ号の周辺にいくつかの水柱が起きる。

「砲撃です!」

「応戦しろ! 大砲準備でき次第、砲撃開始だ!」

 反撃の為の大砲が撃たれたが、幽霊船の正体は装甲戦艦である。頑丈な金属板で防御された船体には通用しなかった。

 なんとか無傷ですれ違うと幽霊船は、ミノルカ号を追うために反転し始めた。

「このままなんとか逃げ切れれば……」

 艦長は、後方で進路変更中の幽霊船を見た。

 だが、ミノルカ号の先には新たな敵が現れた。

「正面にヴァシレフス級二隻! 護衛の艦です」

 部下の報告に望遠鏡で前方を見ると、姿を消していた二隻のヴァシレフス級がミノルカ号に向かって来ていた。

「護衛の艦です。助かりましたね」

「いや……」

「え?」

「やつらグルだ」

 ヴァシレフス級の正面に向けて設置された大砲が撃たれた。ミノルカ号の船首直前に水柱が上がる。二隻の装甲戦艦との対決は分が悪い。

 「回避する。面舵90! 急げ!」

 急な旋回で船が大きく傾いていく。


 船室では、アミカル皇女と侍女たちが不安げに小窓から外の様子を見ていた。

 海には砲撃による幾つもの水柱が上がっていた。

「一体、なにが起きているのでしょうか?」

 侍女の1人が不安げに言った。

「恐らく、刺客の攻撃です」

「刺客?」

「どうやら私を北方王国へ行かせるのが相当嫌だと見受けられますね」

 


 反転しようとするミノルカ号は、大きく傾いた。

 甲板の船員たちは振り落とされないように必死に物にしがみついた。

 姿を消していた護衛艦隊は、もはや敵艦となり、ミノルカ号に包囲網をしいていた。

 消えていた巡洋艦も敵として姿を現し、ミノルカ号を追尾してくる。

 狭められていく包囲の中でもがくように海を進むミノルカ号には脱出できる進路はなかった。

 ヴァシレフス級からの砲撃が激しくなり、その中の一発がミノルカ号の船体に命中した!

 大きく揺れるミノルカ号。

 僅かな大砲の反撃も効果も、敵にほとんど与えられてはいない。

 退路もなく、集中砲火を受けるミノルカ号にもう助かる術はなかった。


 もうダメだ!


 船員たちがあきらめかけた時だった。

 ミノルカ号の横に奇妙な波が起きた。

 波と同時に、まるで透明のシーツを一気に引き剥がしたかのように、見たこともない形の船が現れたのだ!

「正体不明艦がミノルカ号に追随!」

 殺し屋艦隊の乗組員たちは、突如現れた大型艦に動揺した。


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