風葬の秋に鐘は鳴る

miobott

風葬の秋に鐘が鳴る

 憎い。と私は思った。

 悔しい。と、私は歯ぎしりをした。

 生きている人間が憎いのだ。一人で死ぬのが悔しいのだ。

 嗚呼そうだ。一人で逝くのが、悲しいのだ。



 唸るような鐘の音が響き、私は目を覚ました。

 いつから眠っていたのか、そもそも私は誰なのか、ここはどこであるのか……私は自分自身の記憶がないことに、不意に気がつく。

「ここは、どこだ」

 乾いた声を必死にひねりあげて、私は呟いた。喉の奥にひゅうと冷たい風が吹き付けたせいで、ここがひどく冷えることに気がついた。

「ここは嵐山……化野念仏寺」

 私の呟きに、誰かが答える。はっと身を起こせば、そこは一面の闇だ。

 地面は砂のようだが、色もみえない。形もみえない。

 その闇の中に、風の音と鐘の音が狂ったように響いている。否。これは人の声である。憎い。苦しい。悔しい。悲しい……その声に私は恐怖した。

 目を凝らせば目前に、黒い着物を着た男が立っていた。

 その男は黒の着物をさっと払い、朱の目をこちらに向けた。

 にい、と笑ったその顔は、子供のようであり年寄りのようでもある。

 彼はゆっくりと口を開けた。

「ここは、かつての風葬の地。昔は行き場もない死体が棄てられ転がっとった。それが今や見てみぃ、こないにべっぴんはんが揃いもそろって、えろう華やかや」

 男が腕を振り上げる。強風が吹き付け、私はおののいた。顔を伏せ、大地に倒れ、身を固くする。

「……ほれ。怖いことや、なんもあらしません。顔をそうっと上げて……そうそう、そうっと、そうっと」

 からかうような男の声に震えながら体を起こしかけ……私は唖然と崩れ落ちた。

 ……私の周囲を囲むものは、石の固まりである。否、石仏である。緑に苔蒸した石仏、崩れた石仏、石を積み上げただけの石仏に、顔もわからぬほどに欠けてしまった石仏。

 数千体はあろうかという、その石仏の真ん中に私は腰を落としている。天を見上げれば、赤。黄色、緑。石仏の周りに植えられた楓の木が、様々に紅葉していた。葉が天を覆い隠さんばかりに広がっているのである。

 紅葉の中に、古びた鐘付き堂がある。その中に納められた古鐘が、風が吹くたびに切なげに、低く泣くのである。

 気が付けば男は石仏に腰を下ろしていた。そして私に顔を近づけ、にいと笑う。

 私はふるえを止められないまま、石仏にすがりつく。

「あなたは神か仏か」

「ただの烏。ここで死体をついばんだせいで、死ぬこともでけへん化け物になってしもうた」

 男は手を打ち鳴らす。と、一つ目の烏となって石仏の上に現れた。

「これは思い出話や……遙かな昔、情けの深い坊はんがここに立派な寺を造りよった。そのとき、誰がはじめたものやら、死んだ人間を供養するため、ひとつ、ふたつと石仏を作りはじめた」

 烏は一つ目を薄く閉じて、石仏をみる。ひとつ、紅葉が散れば石仏を彩った。もうひとつ、散ればそれは華やかである。紅葉に彩られた石仏たちは、なんと穏やかな顔であることか。

「死んだ人間を慕うて、哀れんで悲しんで、石仏がひとつ、ふたつ、みっつよっつ。呪われたこの風葬の地が、あっという間に……祈りの地となった」

 憎い。と、どこかから声が聞こえる。悔しいと、誰かが叫ぶ。いや、それは誰の声でもない。

 ……私の中で響く、私自身の声だ。

「私は、いつ死んだのだ」

「ようやっと気づきはったなぁ……」

 私は己の手をみる。そこに手はない。足もない。おそらく顔もあるまい。

 わたしは、苔蒸した一体の石仏である。

「こうして、祈りの地になったにも関わらず、死んだことを忘れる魂がたまぁに出よる。放っておくと呪う阿呆もでてくる。でもまあ、しょうのない話や。人間、急に死ねば誰でも悔しい、悲しい、憎らしゅうなるもんや」

 烏は私を慰めるように、そうっとその羽根で私の顔をなでる。ごうん、と、また鐘が鳴った。一人の女が鐘を撞いたのである。

「おまえはんには、ほれ」

 烏は私の目をそうっとぬぐった、目には涙のごとき、露が浮かんでいる。

「紅葉よりもべっぴんはんが、ああして毎日花を手向けにきてござる」

 鐘を突いたのは、黒の着物を纏う女である。年老いた腕、皺のよった顔。しかしその顔を、誰が忘れるものか。

「ああ、ああ……」

 おまえ、と呼んだ私の声が聞こえるはずもないけれど、女は驚いた顔で私をみた。そして彼女は手にした一本の菊の花を私の前にそっと供える。

「あなた」

 女の……妻の声は、ひどく優しい。あのころと、なんら変わらないままに。

「ここはなんて、美しい場所なのでしょうね。でもきっと、あなたのいる場所の方がずっと綺麗」

 妻は私の顔をなでる。そしてその冷たさに驚いたように、優しく息を吹きかけてくれる。

「ねえ、あなた。極楽浄土は、どんな場所ですか?」

「……ほな、いこか?」

 烏は人の姿に戻り私に手をさしのべた。私は素直にその手を取る。紅葉が吹き乱れると、その向こうに神々しいまでの黄金の光が見えた。

「どんな場所だろうか、浄土とは」

「極楽浄土はここに似て美しい場所」

 黄金の道のむこう、確かに私は浄土の音を聞いた。それは化野の、鐘の音に似た涼やかな音色である。

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