あの冬の忘れ物

ましの

あの冬の忘れ物

 

 ーそれで? 短くなりそう?


 友人から入ったラインに素早く目を走らせ、車を駐車させた。

 そろそろ陽が射し始めた善光寺平に、友人を乗せたかがやき五○一号が滑り込んでくる頃だろう。まさか朝一の新幹線で長野に乗り込んでくるとは思わなかった。


 ーご祝儀余計に持ってきたんだから、それくらいはしても良いんじゃない?


 続けざまに入ってきたラインを確認してため息をついて、暖房の効いた暖かな車内から早朝の冷たい空気の中に飛び出した。

 まだ十一月だというのに記録的な寒波のおかげで厳しい寒さだ。凍てつく息をかき分けて駅に向かう。


 通勤客でにぎわう長野駅のコーヒーショップの一角に席を陣取ると、ホットミルクの入ったマグカップで冷えきった手を暖める。

 さて、なにをどう端折れば短くなるものか。

 わたしはほのかに蜂蜜が香るホットミルクに口をつけた。


「ハジメマシテ」

 彼との出会いは、二十年前のあの冬に遡る。

 透き通る白い肌に、金糸を思わせるブロンドの髪、ガラス玉のような緑色の瞳で、彼は恥ずかしそうに片言の日本語で挨拶をした。

 遠く北欧の国、ノルウェーからやって来た少年だった。

 はじめて外国人を間近で見た幼いわたしは、その美しい容姿に息をのんだ。

「妖精さんみたいだね」

 外国の児童書に出てくる登場人物のようで、クラスの友だちとそっとささやきあったのを憶えている。


 あの頃、この街は大きな盛り上がりを見せていた。

 本州のほぼ中央に位置する山に囲まれた「長野」の名前が、世界に知れ渡った年だ。

 それは、「お祭り」と例えた方がいいのかもしれない。

 延々と広がる田畑が拓かれて、見たこともないような建物が次々と建設されていく。

 変わっていく町並みに、わたしはウキウキしていた。

 幼かったわたしにも、それが特別なことだということが何となくわかっていた。

 それは、いつでも、どこにでもやってくる「お祭り」ではないということは、大人たちの盛り上がりをみれば明白だった。

 こんな田舎の街にオリンピックがやってくる。

 それは、特別な「お祭り」だ。


 彼がわたしたちの小学校に訪れたのも、オリンピックのおかげだった。

「一校一国運動」と呼ばれる国際交流の一環で、わたしの通っていた小学校はノルウェーを応援していたのだ。

「北欧」という言葉すら知らなかったわたしにとって、ノルウェーという国はまさに異国だった。

 社会科では国旗や地理を勉強し、家庭科ではノルウェー料理を作る。そうして学習したことを、図工の時間で一枚の絵にまとめた。そうして出来上がったレリーフは、スピードスケートの会場になったエムウェーブに飾られた。

 オリンピックに向かって次第に気運が高まっていく。

 そんな中、彼はわたしたちの小学校にやって来た。

「ハジメマシテ」

 ノルウェーからやって来た数人の小学生の中に彼はいた。

 オリンピックが終わるまで滞在するという彼らとの学校を上げての国際交流が始まった。

 けれど、間の悪いことにわたしはその翌日に熱を出して寝込んでしまったのである。

 せっかくクラスで聖火リレーを見に行く予定だったというのに、わたしはあいにくの欠席だ。

 三日ほど休んで登校すると、クラスでは「グダーグ」という謎の言葉が流行っていた。

 ノルウェー語で「こんにちは」という意味らしい。

 ノルウェーの小学生とすっかり打ち解け合っているクラスメイトを尻目に、わたしは一人へそを曲げていた。

 好きで熱を出していたわけではないのに、こんなに疎外を感じるなんてあんまりだ。

 そうなると、楽しみにしていたはずのオリンピックがなぜだか憎らしく感じてきてしまう。

 ふてくされるわたしに、緑色の瞳の彼がそっと近づいてきて来た。

「トモダチニ、ナリマショウ」

 そう言って、ノルウェーの国旗が描かれたピンバッチを差し出した。

 たったそれだけなのに、わたしの機嫌はころりと好転する。

 そんな姿を見て、彼は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔がハッとするほどきれいで、思わず見惚れてしまった。考えてみれば、それが初恋というものだったのかもしれない。

 しかし、後から聞いたところによると、このピンバッチはクラス全員がもらっていたらしく、わたしだけが特別というわけではなかったようだ。

 ヤキモキしているうちに、オリンピックはあっという間に終わってしまった。


 それから十五年。地元の英文科のある短大を卒業して、善光寺で外国人向けの観光ボランティアをしているときだった。

「オボエテイマスカ?」

 不意に男性客から片言の日本語で声をかけられた。見ると、がっちりとした体つきをしたブロンドの青年がはにかんでいる。

 以前に担当した観光客だろうか。

 けれど、引っかかってくる記憶がなかった。

「ええと……」

 困惑していると、彼は上着につけたピンバッチを指さした。

「オリンピックデ、アイマシタ」

 その言葉に、懐かしい記憶が思い出された。

「あのとき、ノルウェーから来た?」

 そう言うと、彼は嬉しそうにうなずいた。

 ああ、そうだ。この笑顔、大好きだったんだ。

 どこかに忘れてきていた恋心がうずき出す。

「グダーグ」

 あの冬に憶えた言葉が口をついた。



 ーもうすぐ着くよ。


 ラインの短い着信に我に返る。

 随分記憶を深追いしてしまったようだ。ホットミルクがすっかり冷めている。

 わたしはマグカップの残りを一気に飲み干すと、新幹線の改札口に向かった。


 ーそれで? 短くなりそう?


 友人からの催促に、わたしは苦笑する。


 ー話は、二十年前に遡ります。


 ー朝一で来てよかったわ。



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