行く先追うても

 市場の中でも世界樹が最も大きく見える場所。そこには玉座と呼ばれている建物がある。

 特別な装飾が施されているわけではなく、他にもある住居より、少しばかり大きい程度の建物で、三人の王とその側近、郵送員が住んでおり、その他数人は日替わりで出入りしているらしい。

 だが現在、玉座は半壊していた。

 砂埃立ち込める玉座前広場にのっしのっしと現れたのは革帽子を被った青蜥蜴。瓦礫の山を目の当たりにして、数秒間固まる。はっとして、血の塊のこびりつく爪に気遣うことなく、石畳にひっかけながらそろそろと進んだ。

 先刻、リエードは人間の王と出会った。軽く現状の情報を交換したのちに、

「本を持った、紫色のローブ……って言うかは分かりませんけれど、それを着た紅竜、見ませんでしたか? 僕の、友達、なんですけれど」

 と彼は尋ねた。すると目を丸くした人間の王はこう答えたのだった。

「本はお持ちではありませんでしたが、来られましたよ」

 ぱちくりと瞬きした彼は興味ありげにずいと近づいた

「レミー――私の側近や玉座にいた方は無事か、確認してもらうよう、お願いしました」

 ようやく足取りがつかめた、と脚に力を込める。そこにいた立脚類の獣のことなど気に留めることなく、礼を言い、示された坂をリエードは駆け上がった。獣と王は話し込んでいた様子だったが、今の彼には関心のないことだった。

 所戻って、どうやら玉座の内側で爆破が起こったのであろう。外側に向かって細かくなった外壁が散っており、およそ円を描いて瓦礫が歩行を阻害する。

 ひどいな、とリエードは呟きながら、建物から一定の距離を取りつつあたりの様子をうかがう。

 特別豪奢でもない荒れた内装が、外から入る少ない光に照らされている。だが物音もしなければ、何者の気配もない。自らの爪が奏でるガリガリという音だけが聞こえる。

 一度、大きく肺を膨らませるが、ゆっくりと吐き出した。大声を出せば生存者が見つかるかもしれないが、同時に見えない敵に生存者の位置を知らせることにつながってしまう。

 しばらく逡巡するも、ひとつ頷く。グルグル喉を鳴らしながら、瓦礫を這い上がって玉座に進入した。

 広い通路には砂埃を被ってしまった絨毯があり、被害の見られない奥の方へと、狭く暗い廊下が続いている。一歩ずつ、あたりに気を配りながら歩いていった。整然と並んでいる扉ひとつひとつに側頭部を押し付けて中の様子をうかがうが、静寂に首を傾げるばかりであった。


 リエードは無事かと思われる一階の部屋全てを調べた。また、本来の出入り口正面にある階段の先に二階があるらしいことは確認したが、そちらへは向かわなかった。一階にいても、物音はどこからも聞こえなかったからだ。

 残すは階段裏にある通路。かくいうリエードは玉座にやってきたのは初めてのことで、どういった構造をしているかは把握していない。

 暗く細い通路に身を滑り込ませて、進む。脇に扉もみえたが、音のしないそれを無視して進んでいく。間もなくして玉座のどこにあったのか、広い広い空間に出る。天井も高く、四人の山飛竜が翼を広げようとも余裕がありそうな場所だ。先客の何名かが走り回っており、壁にもたれたり寝転んだりしている者の姿も見える。

 歩き回っていた四脚類の獣が、目を丸くして様子をうかがうリエードに気が付いたらしく、とてとてと歩いてくる。医療道具らしいものを背中に担ぎながら、何者か尋ねてくる。どうやら怪我人の手当てをしているようで、獣はちらりとリエードの足を見た。

 青年は探し人のことと、王から聞いた情報を話すと、獣はくるりと反転してこっちだよと背を歩き出す。突然現れた大きめの体躯に好機の視線が注がれないはずがなく、身を小さくする。

 獣は金の長髪をもつ人間の女性のもとへ竜を導いた。広間から外への出入り口らしい場所付近で、静かに座っている。彼女は獣に気が付いたのか面を上げると、目を丸くして首を傾げた。額に巻いた赤く汚れた包帯がわずかにずれる。

 どなたですか、とわずかに震える一言。だいじょぶだよ、と獣がふわりと尾を揺らした。

 リエードは再び、一通りの事情を伝える。王の生存を耳にすると青白い顔に消え入りそうなほど薄い笑みを浮かべる。

「杞憂でしたね。あの人も、王ですから」

 そっけない言葉のようであるが、間違いなくさきほどのよりも言葉が穏やかになったことは明らかだった。もちろん、青竜の知りたいことではない。

「あの、紅竜を知りませんか? 彼女も、あなたたちを探すように頼まれたそうなんですが」

 すると彼女はレミーと名乗り、彼の爪の付け根の傷に気づく。まだ近くにいた獣に声をかけて、手当をしてくれるように頼む。いいの、と尻尾を振った獣は、しかし断られた。

「教えてください、ラクリは、どこに?」

 目と鼻を大きくして、ぐいとレミーに詰め寄る。上半身を軽くのけぞらせたレミーは両の手で彼の顎付近を押し返す。

「落ち着いて、腰を下ろしてください。何があったのか、いちからお話しするので。あなた、お名前は?」

 そうだよ、と獣がぺしぺしと竜の後脚をひっかく。分かったよ、と通行の邪魔にならないように移動して腰を下ろす。すると獣は嬉しそうに彼の差し出した爪を調べ始めた。

「……リエードだよ。ラクリ、紅竜は、樹海の魔女だよ。僕はその、同居人。たまたま、ここに戻ってきたのは、ほんとに、さっきなんだ」

 彼の名を反復しながら壁にもたれたレミーが語り始める。

「まず、おそらくはここが、初めに爆破されたのだと思います。誰でも立ち入り可能なため、誰がしかけたかは分かりませんが……近くにいた私は、瓦礫が頭に当たったらしく、気を失っていました」

 そうそう、と獣が軟膏らしいものを取り出して、前脚で患部にペタペタと塗りたくる。

「音がすごくてねー。生き埋めになった人もあそこにいるよ」

 後方で寝かされている人々を鼻先で示されるが、どこか気楽そうな横槍を無視し、レミーの話を聞き入る。


 レミーは廊下を歩いていた。前日はいつもより遅くに眠ったために、目覚めも遅かった。朝食をとってからいつもの場所へ向かっていたのだ。

 爆破された場所とは反対側の、鍵の管理室兼資料室。暇さえあれば彼女はこの室内で本を読み漁り、それを管理するために記録している。先代王がかき集めた資料が積まれていたのを、どうにかしようと試みているのである。

 だが今日、そんな日常が崩れ去る。

 次に気が付いたとき、レミーは体を揺らされていた。うつ伏せの状態から起き上がると鈍痛の響く後頭部に触ろうと手を伸ばした。だが首筋から背中へとつたう感覚に、短く悲鳴を上げてしまう。

「静かに。敵に見つかるかもしれないから」

 あくまでも冷静な様子の声の主は、地に手をついて、まるで四脚類のようなポーズをした紅竜だった。紫色の衣が床に擦れるのも気にせず、レミーの怯えた顔を深紅の目で覗き込んでいた。

「あんた以外に、ここにいるやつはいる? それと、比較的安全な場所を教えて」

 吸い込まれるような、見開かれた真剣な眼差し。

 そこで、玉座にいる人数こそわからないが、階段裏の通路の先に、配達員専用の部屋への通路があると教える。市場の居住区ほどではないが、そこにある外からの裏口は、市場から見て道が入り組んでいて、進入されにくいだろう、と。

 すると彼女は一人で歩けるかを尋ねつつ、手で地面を押して立ち上がった。遅れて、震える足で身体を支えることのできたレミーは肯定する。

「私は手当の方法なんて、知らないから……知ってるやつ見つけたら、あんたのこと言っとくわ」

 そう言い残した彼女はレミーのことに付き添うこともせず、近くの開きっぱなし扉を警戒しながら覗き込み、するりと入ってしまった。紅竜を見届けて、レミーは、どうにかここに避難してきたのだった。この広い部屋の隅で腰を落ち着け、何が起こったのかを整理していた。

 その後、次々と生存者が現れた。全員で十名ほど。爆破された当時、玉座にいた者たちだろう。中には無傷の者もいたが、どこか憔悴した様子だった。今でこそ落ち着いてはいるが。

 救急箱を持ってきていた獣に手当をしてもらい、一息ついた頃に紅竜はまた現れた。

「これで、全員? 戦えるのはどれくらいいるの?」

 二人、手を上げた。玉座の警備をしていた者たちだ。

 だったら大丈夫かしら、と呟いた後、彼女は裏口から出て行った。敵がやってこないとも限らないから、見てくる、と。それ以降、ここに彼女は戻ってきていない。


 レミーのゆっくりとした語りが終わると、ぐいとリエードは太い首を曲げ、群青の体を持ち上げ始めていた。その視線の先には、わずかに見える、世界樹の根を避けるようにしてうねり続く道。

「きっと、ご無事です。私たちは大丈夫ですから、行って差し上げてください」

 ふわりと尻尾を揺らした獣が、用が済んだといわんばかりにそそくさと彼の通り道を開け、次の患者を探して退く。

「レミーさん、丁寧に、ありがとうございました。ラクリを、探してきます」

 今一度、彼女と視線を合わせつつ、挨拶。同時に一歩、太い爪が踏み出すと板張りの床が軋む。次々と奏でられる演奏を見送りながら、レミーは軽く負傷した箇所に触れながら、静かにその背中を見送ったのだった。


 青竜が砂利を踏みしめると、いくつにも枝分かれしている道と対峙する。玉座の中からは分からなかったが、世界樹の根の下をくぐったり、上を通ったり。その大きめの身体が通れる場所は限られていた。

 コツコツと爪で石を転がしながら案内板もない道の一つ一つを眺める。いずれも小柄な者だけが通れるだろうものばかりで、リエード、あるいはラクリが難なく通れそうな道は二つだ。

 どこへ続くか分からない世界樹の根の上にある、樹皮の剥がれた痕跡の道と、おそらく市場へと続いているだろう雑草のない土の道だ。

 他の道から新手がやってくる可能性も否定こそできないが、彼の目的はあくまでも彼女の捜索だ。一度、通りやすそうな道を見つめた後、根の道へと爪を食い込ませる。柔らかい樹の繊維が傷つきその巨体を受け止める。どうにか持ち上げると蜥蜴と呼ばれるにふさわしく、爪をひっかけながらうねる道を上っていく。

「木登りなんて、いつ以来だろ」

 樹皮が脆くなっていないか確かめては、身体を持ち上げる。気が付けば、視界の隅には見慣れた市場が眼下に広がっている。いつの間にか爆発音が聞こえなくなっていたが、まだ煙は濃く立ち込めている。

 影の落ちる市場の隅っこに、彼女とケンカして逃げ出したときにいた公園が小さく見えている、子供たちの絶好の遊び場であり、彼の野宿スポットだ。

「探さなきゃ……」

 ふと真下を見つめれば、かなたにまた別の道が見えた。数瞬凝視した瞳はダメだ、という言葉と共に道の向こう側へと向いた。また進み始めるのだった。


 晴天の見える樹海の方角から世界樹を望むと、根元より少し上のあたりに影が二つ。一方は背の低い、細剣を左手に握る立脚類の兎と呼ばれる獣。もう一方は茶の鱗に白の斑を落とす華奢な竜だ。

「いい加減、邪魔なんですよ。世界樹に用があるというのに、どうして邪魔者ばかりが現れるんですか」

 口端を歪ませながら憤怒を顕わにしている獣には右腕がなかった。二の腕を根元から失っている獣は、断面をさらし、その近くや腹部のあたりが赤黒く固まっている服のことも気にした様子もない。既に血は止まっているようだった。

「あなたが誰かは知りません。ですが、邪魔をするなら、片付けますよ」

 竜、エプルは口を閉ざしたまま先に駆けだした。

 普通に言葉を投げかけたとすれば蟲の羽音にしか聞こえないだろう距離。これを数瞬で詰めた彼は鋭い爪を振り上げ襲い掛かる。獣は遅れて細剣を構えてから右の爪先で根っこをガンと抉る。すると世界樹の樹皮がそこを中心にバリバリとはがれ、砕かれ、砂塵のように飛び散った。

 それに獣が紛れようとも、間違いなくエプルは彼のいた場所を斬り裂いた。だが捉えていたはずの場所にその姿はなく、わずかに届かなかった。

 獣は疑似的な煙幕の中を走ってエプルの懐に近づいた。耳の長さが特徴的な種族だが、その両耳は不揃いな長さでリボンのように後方で遊ぶ。そして竜の喉付近を狙って、一閃。

 音もなく振り切られた剣は、折れこそしないものの、嫌な感触と共に歪んでいた。

「どうにもこうにもついていない……!」

 さらなる苛立ちに眉間に皺を浮かべながら下がる獣に、無口な竜は再びしかける。浅く傷ついた鱗を気にすることなく、鞭のように細い尻尾をするりと這わせ、敵の背後を狙う。獣は効かない視界の中でも見えているかのように武器を振るうが、パキンと音をたて、それは折れるとともに取りこぼしてしまう。

 歯ぎしり。とうとう得物も失ってしまった獣はじりじりと後ずさりを始める。

「どこのだれかは存じませんが、千載一遇のチャンスを作ってくれたというのに」

 だんだんと落ち着いてきた砂塵。敵をじぃと見つめるエプルは逃がすまいと距離をつめようとするが、その一歩よりも獣の方が早く、断崖絶壁に立つ。

「世界樹。その神秘に近づくことは、叶いませんでしたか」

 あと一歩で、根から足を踏み外す。

「厄日、ですね。あなたのような、堅牢な竜に勝てるとしたら……そう、さっきの紅竜さえいなければ」

 高まっていく緊張の中、待って、と二人以外の誰かの声が叫ばれる。獣の近くに現れたのは、エプルと同じ四脚類の青竜だ。

「今、紅竜って言った!? 今、どこに!?」

 どうにか這い上がって来たらしい彼は息を荒げ獣に詰め寄る。だが彼にはまるで気づいていないかのように淡く微笑み、

「しかし、世界樹の下で逝けると考えれば、それも素晴らしい……」

 と一歩だけ、後ろに下がった。するとあっという間に、獣は世界樹の根っこの下に消えていった。取り残されたリエードはびくびくとそこを覗き込むが、いそいそと安全な場所まで下がる。白斑の竜は静かに彼の姿を視線で追う。

「……えっと、君は? 僕はリエード。ラクリ――紅竜を探してるんだけど」

落ち着いているようなエプルは数回、首を横に振り、口を数回開いて見せた。ヒュッヒュッと空気の抜けるような音が聞こえるばかりで、声にはならない。

「えっと、よく分からないけど、風邪? ごめん、知らなくて」

 こくりと頷いた後、エプルは尻尾で世界樹の根の下を指し示す。だがその意図がつかめない青年に斑竜は視線を泳がせる。

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