一つの便りが来りて

※流血表現あり

※大ケガ表現あり


 温かい日差しの降り注ぐ草原を、数頭の青竜がせかせかと一直線に駆けていた。その大きな体躯の割に早いわけでもないが、少なくとも人間たちが歩くよりも目的地へ早くたどり着くことができることだろう。

 守護の役目を担っている屈強な青竜が二人。その爪は土を抉り、草原を荒らしていく。互いの土煙にまかれぬよう、ほぼ横一列に並ぶ彼ら。彼らの隣で、一人、小さな体を推して追い付こうとしている者が一人。

 サンバイザを被り、それから垂れる紐を喉元で結んでいる青年、リエードだ。

 乱れる歩調。荒い呼吸。しかし一直線に、市場の方角を目指す。彼らの通り道には掘り返された土と赤が、点々と草原を汚していた。


 煙の臭いがする。

 陽が天に差し掛かる頃、青竜の長にそう報告したのは鼻の利く四脚類の獣だった。方角や濃さなども詳細に伝えると、そうか、と目を細めたエルディは背後にいた者たちに移動を中止するよう呼びかけ、遠征を企画した男を探した。

 のろのろと移動していた集団の中で、当人は後方で汗をぬぐっていた。クラフ、と長が腹の底から呼んでやれば、ハッと面を上げて長のもとへ駆け寄ってくる。

 ひ弱そうな初老の男がやってくる間に、ベニリア、と同行させていた市場の郵送員を呼びつけた。立脚類の獣の中でも珍しい、鳥と呼ばれている彼女は軽く首を傾げながら、群れの真ん中から口数少なくエルディの前に現れる。

「そこにいる犬から、煙の臭いがする、と聞いた。方角は世界樹の方だ。確認してみてくれ」

 はいよ。口数少ないベニリアは数歩ばかり群れから離れ、地面を蹴り翼を広げて空を切る。うまく風に乗れたらしい彼女はぐるぐると旋回しながら上昇していくと声を張り上げる。

「世界樹、いや、市場から煙が上がってる。それも、一つや二つじゃないみたいだ」

 それだけ述べた彼女は急降下して、離れたところに着地する。少し考え込むそぶりを見せた長は、ありがとう、と返して、ようやく近づいて来た白髪交じりの金髪の企画者をじろりと見やる。

「どうする、クラフ。おまえが我らの雇い主だ。急ぐも、待つも任せよう」

 明らかに嫌そうに表情を歪める初老の人間はしばらく視線を泳がせながら固まっていたが、バシンと逞しい尻尾が地面をうつ。びくりと背を震わせた企画者は、隣にやって来たベニリアに皆を集めてほしいと頭を下げる。

「もっとしゃんとしなよ。あんたが金出してるんだから、もっとえばってもいいんだ」

 嘆息と共に二人から離れた彼女は、休憩し始めている遠征参加者に近づき、次々に声をかけ長たちを翼で示した。自身に向けられる視線が増える度に曲がった背中がびくりと伸びる。

 やがて青竜の守護を除く者たちが一か所に集まった。さらに緊張しているのかぷるぷると震える男の背を、目を細めるエルディが爪の甲でそっと撫でてやるが、変化はない。

 数十もの瞳が興味を失い始めていたが、ため息をついた長が首を伸ばす。

「今、市場から煙が上がっているらしい。納まるまで待機するか、それとも急いで戻るか、お前たちに判断を委ねたい。何か意見がある者はいないか」

 遅れて、はい、とクラフがうつむいた。

 それから彼らは煙の量や位置などをベニリアとやり取りする。結果、参加者たちを待機派と急行派と二分する。それぞれから出された代表者がエルディのアドバイスに従い、離れたところで話し合いを始まる。だがそうしている間にも始まる口喧嘩の仲裁に入るベニリア。成り行きを遠巻きにしか眺めることしかしないクラフ。

 エルディは彼らに興味を示すことなく、のそのそと急行派に近づいた。クロッスやリエードが何やら話し込んでいる。普段ならば深い青であるはずの鱗を空色に輝かせ、息巻く我が子に声をかけた。

「あの紅竜ことが、気になるのか」

 地平線、これから向かうべき方角をちらちらと見ている。

「いけませんか? 飽くまでも、同居人、ですから」

 ほう、と目を細めわずかに微笑む父。

「おまえだけでも行く、と言うならば、守護を、いくらか連れて行け。お前が指揮しろ」

 ぽかんと開き話の口に、真ん丸に開かれた目。遅れて、帽子の紐が横方向に揺れる。

「僕には、無理です。そんなこと……」

 いいから連れて行け。頑として譲らぬ父の言葉に押され、口をつぐむ青年。派閥の代表者がいつの間にか戻ってきており、エルディは二人のもとへと戻っていった。

 急行派をいくつかに分け、先に守護と共に市場へと向かう。待機派は市場の近くまで向かい、待機することとなった。

 先行して戻ることを希望したリエード。彼と守護の青竜二人、そしてベニリアの四人が市場へと向かうこととなった。

 口数も少なく、彼らは先行する。


 報告、と上空から降り注ぐ声。

「煙が増えたよ! テロかなんかっぽいね!」

 地上からは黒く見える彼女に、了解、とリエード以外は短く答えた。一方の彼は暴れる心臓に痛む脚を酷使しながら前へと進んでいる。

 守護とは、青竜の中でも、体格の優れた男が受け持つ役割だ。守護となった者は交代で女子供を守りつつ、時折現れることのある賊を追い払う。そして空いた時間には休憩をするか、体を鍛えるかを繰り返す。

 体格に恵まれながらも守護を引き受けない、という場合もある。それが荷運びをしているベルデだ。

 走り始めた直後、リエードは時折、ちらちらと隣の同族に視線をやっていた。堅牢に輝く、傷だらけの鱗。太い前脚がガッシガッシと大地を踏みしめ、彼自身と同じ色の瞳がりりしく前方を向いている。

 ただ前へ。彼らは世界の中心へと向かう。


 市場が間もなく、再び陽に照らされるだろう頃に青竜たちとベニリアは到着した。草原の方角からやってきた彼らは、市場から少し高台になっている場所で呼吸を整えている。見上げてみれば、細くなっているものの、まだ黒煙が立ち上っているようだ。

 また、争いの音が小さいながらも彼らの耳に届いている。

「さて、どうするの、青い若人。偵察するのも危険だろうし、正面からいくの?」

 少し遠くに着地した鳥は特徴的な脚でザックザックと草を踏みつけつつ尋ねた。

 数回の深呼吸で落ち着きを取り戻した守護たちの一人は尻尾をぶんと振り、もう一人は体と尻尾をピンと伸ばした。

 リエードは眼を見開き、舌と口内をだらりとさらけ出しながらヒュッヒュッと喉を鳴らしていた。守護の視線を受けたベニリアは肩をすくめて、ゆるやかな傾斜面に腰を下ろす。

「指揮官、指示、出しなよ。休んでても、どうにもならないよ」

 そうだね。青年がどうにか言葉を絞り出す。守護の一人が差し出した水筒を咥え、仰ぐ。荒々しく水を飲み込んだ彼は空になった水筒を捨てる。

「ベニリア、僕はここに来るまで、少し、考えてたんだけど、誰なんだろう? こんなことをしているのは。僕たちは、何ができるんだろう」

 落ち着いた呼吸を取り戻した青竜の素朴な疑問。守護二人が顔を見合わせ、ベニリアがそんなこと知るわけないでしょ、と睨む。

「敵の目的がどうこうより、今できることをやらないと」

 びくりと震えた青年は、そうだね、と呟く。焦げ臭さが鼻を衝く。

「じゃあ、こうしようか。騎士とか、誰かと合流するのさ。裏切者がいなけりゃ、少なくとも敵はハッキリするだろう?」

 確かに。リエードが軽く頷くと、ベニリアと彼のチームに分かれることに決める。青竜の姿は大通りしか進めないだろうという結論のもと、草原と樹海寄りの入り口から侵入し、市場にいる騎士と合流するのだ。

 短い言葉を交わし、二組は別れる。ふわふわと立ち上る煙は細く背伸びして、傘に吸い込まれていた。


 草原から市場へと足を踏み入れた二人は、誰ともすれ違うことはなかった。逃げ出す者とも、避難を促す者も。

 どういうことだ、と呟く守護はすんすんと鼻を利かせるが、ダメだ、と頭をひとつ振る。遠くから争いの音は聞こえてくるが、目に見えるものはない。軒を連ねる出店は商品も陳列したまま、並ぶ人々も店主もそこにはいない。代わりに、多くの血だまりと数人の倒れている者がいる。

 騎士っていうのはどれだ、と傍らで尋ねられても、リエードは答えなかった。口を閉じながら、大きく見開き目の前の光景を見つめ、ガタガタと牙を鳴らし、体を震わせているのが見て取れる。

 舌打ちをした守護は、視界の隅に映りこんだ獣に近づいた。胸のあたりを右手で押さえながら露店にもたれている。

「おい、おまえは騎士か? それとも、敵か?」

 鎧の類は一切身に着けていない、ただの一般市民のように見える。左肩には矢が刺さっているが、まだ意識があるようで、浅い呼吸を繰り返しながらぐったりとしていた。

「ただの一般、市民。あなたは、だれ?」

 顔がゆっくりと上げられたが、焦点が定まっておらず、右へ左へと瞳が揺れる。

「青竜の守護が一人、ウェン。クラフ氏企画の遠征からの帰還中、立ち上る煙を見つけて急行した。騎士と合流したい」

 ベシンと石畳を尻尾で叩く守護は、ぽつりぽつりと紡がれる獣の言葉に、何度もうなずく。やがて一市民は気を失うと、ちらりと背後を見やる。世界樹にかかる黒煙をぼんやりと眺めるリエードを認め、再び舌打ち。

 放心しているひ弱な同族を置いて、ウェンは太い通りを進んでいった。

 道のいたるところに武器や遺産が落ちていることはあるが、倒れている者を見かけることは滅多になかった。同時に、身動きできる者と出くわすこともなかい。

 テロが起こってから、どれほどの時間が経ってしまったのだろうか。

市場を知らぬ守護は、入口で倒れていた獣から聞いた道を通り抜けると、ある空き地にたどり着いた。青竜の群れの半数がいても余裕はあるだろう広さだ。そこには武器も持たず、大小さまざまな者たちが身を寄せ合っていた。

 その光景を認め、巨躯を建物の陰にすばやく隠したウェンは、そのままじっと空間を見渡した。寄り添う者たちの周囲には鎧を着た者が十数人とおり、監視するかのように周囲を見渡していた。だがウェンがここにやってきたことに、鎧の者たちは気づいていない。

 ウェンは息を殺しながら、伏せるように上半身を低くする。じぃと目標を定めつつ、トントンと爪で石畳を叩く。一番近い鎧が群衆の方へ、くるりと振り返った瞬間、巨躯が陰から躍り出る。

 ガリガリガリと迫る影に気づいた別の鎧が何かを叫ぶと、獲物は振り向いた。だが槍を両手で握りなおした時には、その眼前に肉体を引き裂かんとする鋭い爪が目の前に迫っていた。

 ガシャンと大きな音。守護の爪でも鎧を砕くことは叶わず、鎧の獲物をなぐったような形となる。息を詰まらせた音の後、槍を手放し地面を滑っていった者は空き地を囲んでいた柵にぶつかって停止した。

 悲鳴。金属音。確保しろ、と短い号令。

 身を寄せ合う者たちが恐怖に染まっていることなど目もくれず、ウェンは飛びかかるようにして、数歩先にいた鎧の者へと飛びかかる。そして武器を抜けずにいた騎士の体を押し倒し、今にも踏みつぶさんとする。

「雑魚は引っ込んで黙ってろ!」

 くわりと牙を剥き、威嚇しながら次の標的を定める。ぐぐと全身に力を込めると同時に、短い破裂音が鳴った。だがひるまない守護は大きく跳躍し、次の騎士をその手にかけようとした。狙われた騎士は素早く距離をとると、攻撃が空振りに終わる。憎々し気に舌打ちするウェン。

 だが青竜の守護はぴくりと動きを止めた。停止していた体をひくひくと痙攣させてからゆっくり、地面に倒れこんだ。眼を見開き、暗い空を見つめる形となった。

 動きを止めた守護を十程度の騎士が取り囲み、数人は怪我人の救助に向かう。空き地の境界まで飛ばされた騎士は、仲間二人の肩を借りながら歩いて来た。彼は兜を外してもらいながら、舌をだらりとさらけだしている青竜の前に立つ。

「同じ青竜でも、彼とはだいぶ違うんだね……なんで、僕たちを襲ったんだ」

 黒目黒髪の若い青年はその鼻先に近くに座らされ、深く息をつく。いてて、と痛みに耐えながら。

「僕はインス。市場を治める王、グレイズ様のもと、集まった騎士の一人、だよ」

 爪でぶたれた胸の痛みを堪えるかのように、右手の拳をあてている。

「リエードのやつと知り合いなら、二回、瞬きして。彼の味方として、ここに来たんだったら」

 いつの間にか、ウェンに押し倒された騎士がインスと背中合わせにされた。するとインスたちの周りに、魔力が集まり始めた。いつの間にか立っていた一般市民が、近くで祈るようにして魔法を使おうとしている。

 二回だけ、ぎょろりと動く瞳が隠された。


 ハッと我に返ったリエードは、首を大きく動かして守護のことを探す。しかし、すでに立ち去ってしまっている。

 追いかけなきゃ。吹けば飛んでいきそうな言葉を発し、半ば目を閉じるようにして歩みを進める。鼻を利かせても悪臭しかしないために、きょろきょろと目を動かして巨躯を探すものの、すでにその気配もない。

 ひ弱な青竜は世界樹を見上げ、結果、守護の通った道とは反対の道へと足を進める。

 もうもうと立ち上がる黒煙はすでに細く、灰色の揺れる煙ばかりが立ち上っている。その中でも最も濃いものの発生源、樹の根元を目指し、彼は歩いていく。

 地面に広がるべったりとしたものを踏んで、転がる武器を避けながら、爆破されたらしい建物から目を背ける。

 いつもはがやがやと活気にあふれ、歩くのも困難な道。今はしんと静まり返り、誰かがいる気配もない。時折、リエードは驚いたように背後へ視線をやるが、そこには誰もいない。

 草原の入り口から飲食街を抜け、坂道を登ると大きい広場に出る。さらに登れば世界樹のふもとにある玉座へとたどり着くことができる。

 もう一息だ、と呟いたリエードは、武器ばかりが落ちる広場の片隅に、白い人間の姿を認めた。彼に気づいたらしい彼女は槍の穂先を向けてきていたが、視線向けると共に下ろした。彼女の近くには、柵にもたれている何者かがいる。

 王、と叫び駆け寄るリエードに、お久しぶりです、とフェリは左手を上げて振る。

 座り込んでいるのはどこに目があるのかもわからない長毛の獣だった。怪我をしているのか、左脇腹の長毛はべったりと汚れている。

 距離を詰めたリエードは尻尾を一振り。なぜこちらに、とあたりの様子をうかがいながらフェリは尋ねる。

「玉座から煙が上がってる思い、上がってきました」

 そうでしたか、と小さな笑み。

「砂漠の国の者が攻めてきたようなんです。既に沈静化に向かっている……と思っているのですが……」

 尻すぼみの言葉は、どうだろうな、と獣の言葉にかき消される。二人の視線が毛むくじゃらに向けられた。

「詳しいことは、後で話す」

 王に視線をやってから、リエードの方へぎらついた目を向ける。

「それより、青竜。おまえさん、誰かを探してるふうだったな? 訊いてみろ」

 見た目の割には勢いのあるしゃべりに、彼はそうだった、と彼女の名前と容姿を口にする。


 世界樹の根の上で、一人の紅竜はいくつかの魔結晶の欠片をやけくそ気味に投げた。それらは中空で魔力を取り込み、樹木のように成長する。だが放物線を描いて飛ぶばかりで、結果を理解した者にとっては大した脅威とはならない。

 美しいとも思える一筋の閃光を、傷だらけの爪で紅竜は受け止める。

 刃が止まったのは一瞬だけ。爪が真ん中で両断され、凶器が喉の鱗をかすめていく。

 行け、と悲痛に近い叫び。すると地面に転がっていた別の結晶が急成長し、剣を持つ者の腹部を貫いた。舌打ちをした彼は結晶を対処をすることもなく、瞬時に剣を相手に向け、突くために踏み込んだ。

 急所を狙った剣の狙いは外れ、とっさに身をひねりながら踏み込んだ紅竜の紫の衣を裂いて二の腕に突き刺さる。ほぼ同時に、くわりと開いた竜の牙によって、同時に敵の腕はその肩から分離した。

 炎のように燃える瞳。口からはみ出す、主を失った腕。

 あちこちに傷を持つ彼女は、静かに得物を失った敵を憎々し気に見つめ、ふっと均衡を失う。ふらふらと後退したかと思えば、闇へと落ちる。

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