砂州の繋いだモノ

ばるじMark.6 ふるぱけ

ある夏の日の一幕

 

 館山の最南端にある沖ノ島公園。本島と離島『沖ノ島』を繋いだ砂州さすの上で、彼は屈みこんで海を眺めていた。鏡のように海面は真っ平らだ。

 水平線上で夕暮れを溶かした白波が、彼の足元直前に迫っては引いていく。


「はぁぁ……キレイだなぁ……」


 言葉とは裏腹に、どこか不満げに眉をゆがめている。


「本当だったら、この景色をあいつと見てたはずなんだけどなぁ」


 向こう側の陸を眺めながら、昼に入った食事屋の出来事を思い出す。

 一緒に来ていた彼女とケンカをした。

 原因は些細なことだった気がするが、買い言葉に売り言葉、転がりまくって歯止めが効かなくなったあげく、勢いのまま紙幣を数枚テーブルに叩きつけ、一人で店を出てきてしまったのだ。

 そして数時間後の今。

 頭上にあった日が傾くくらいの時間をかけて頭を冷やした彼は、ひとり夕焼けを眺めていた。


(とりあえずつぶやいとこ……)


 風景の写真を取り、SNSに投稿する。

 彼女に連絡を入れるか逡巡。……結局なにもせずにスマホをポケットにしまった。

 電車代を含めてお金を置いてきたので、きっと今頃彼女は館山ここにはいないだろう。そうあたりをつけた。


「はぁぁ……いい加減腹も減ってきたし、テキトーに飯食って帰るか」


 立ち上がり踵を返した瞬間。視界に何かが飛び込んできた。それが何かを認識する間もなく、


「こーんにちはっ!」

「――うおっ!?」


 眼下から飛び上がってきた声に驚いて一歩後ろへたじろぐ。バシャッと音を立てて、片足が波を踏みつけた。靴が浸水するにつれて彼の表情が固くなっていく。

 対して、とくに悪びれた様子もなく、麦わら帽子の落とす陰の向こうから、にこにこと彼の顔を見上げる少女。

 しこたま水分を含んだ靴をようやく波から引き抜き、「ん゛ん゛ー……」と唸ってから深呼吸して、彼は少女と向き直る。にこにこ見上げてくる少女に対して、どう反応すればいいのか思いつかずに目線を泳がせていると、


「こんにちはっ」


 もう一声かかった。


「…………こんにちは」


 対処法が思いつかった彼は、とりあえず間をたっぷりと置いて挨拶を返した。


「なにしてるんですか?」

「君こそ何してるんだ? こんな時間にこんなところで。もしかして迷子?」

「迷子? ううん、違うよ」


 首を横に振る。


「じゃあ、地元の子?」

「ううん」


 また横に振る。


「……じゃあどこの子?」

「あそこ!」


 そう言って少女が指差したのは沖ノ島だった。

 そこは有人島ではない。彼は一度回ってきたが、人家など一切なく、あるのは島を覆う岩の浜と用途の分からない謎の洞窟、島内に敷かれたウォーキングコース、木々に囲まれた中に立つ掘っ立て小屋のような神社だけだ。

 どう反応したものか戸惑った彼は、最終的に地元の子と判断を下す。そのうえで、当然のことを尋ねた。


「それで、俺に話しかけたってことはなにか用かな?」

「うん!」


 間髪入れず頷いて、少女は麦わら帽子に手を向ける。

 しばし帽子を触っていたが、やがて『ブチッ』となにかをもぎ取るような音がする。そして向けられた手の上には、まるい何かが載っていた。


「これあげる!」

「あげるって……」


 手渡されたのは、全体的にまんまるなオレンジ色の花だった。

 わずかに重みを感じる。感慨深げにそれを見つめる。


「なにこれ?」

「お礼!」

「お礼ってなんの……」

「きっと仲直りできるよ!」

「えっ」

「じゃあね! こんどは仲良くするんだぞーっ」

「仲良く?……っ」


 それは、彼が神社でお願いしたことだった。

 ――あいつと仲直りできますように。


「おいまてっ、なんでそれを知ってっ……」


 島の方へ走っていく少女を止めようと手を伸ばしかけた時、


「やっとみつけたぁっ!」


 どこか聞き覚えのある声が聞こえて、そちらに目をやる。

 昼にケンカして別れた彼の恋人が、彼の手の届く位置で立っていた。


「えっ、え? おまえ、なんでこんなところに……」

「ふふーん。きみの行動なんてお見通し!」


 そう言って突きつけられたスマホには、彼が先程投稿した写真が載っていた。


「こんなところにいたかー。まったく、市街地からここまでだいぶかかったわ……」

「ええ、あそこから歩いてきたのか……てか、あれからずっと一人でいたのか!?」

「……まあ、あれは私も悪かったなーって。ひとりで東京まで帰るのもアレだし……」


 さっきまでとは打って変わって、若干声量を落としてそう言った。


「そうか……」


 言葉が続かず、間に波の音が入る。

 何度かさざ波が引いた頃、彼女が彼の手に持っているものを指差して口を開いた。


「ところでさ、それってマリーゴールドでしょ?」

「この花? よく知ってるな」

「きみに館山行きを誘われた時、ちょっと調べたんだー。この時期にフラワーラインに咲いてるんだって」

「調べてたんだ……」


 頬を掻いてバツの悪さをごまかす。


「……その、悪かった」


 彼は持った花を差し出す。バツが悪くて目をそらしながら。

 彼女は微笑みながら、それを受け取った。


「ううん。私のほうこそごめん」


 このやりとりだけで、二人には十分だった。

 夕日は水平線に沈み、輪郭を朱に染めた群青が、空の天蓋を覆い始めていた。


「だいぶ日も暮れちったな」

「そうだね」


 二人で海を眺める。大海の大鏡面に落とし込まれた群青と赤が、光の粒を揺らしながら穏やかに広がっている。


「そうだっ! もう暗くなっちゃうけど、フラワーラインを回って帰ろうよ」

「だな。せっかくだし遠回りして帰るか」


 どちらともなく二人の手が伸び、繋がる。


「じゃあ、行こっ」

「ああ」


 ぬるい潮風に背中を押されながら、二人は砂州の上を歩んでいった。


 * * *


 沖ノ島を背に、少女は二人を見送る。


「鏡ヶ浦は、いろんな人の心を映してきたんだよ。そしてたくさんの人に気持ちを伝えてきた。鏡に映る心にはウソはつけないんだよっ」


 少女が微笑む。


「ふふっ。あの二人にいいことがありますようにっ!」


 二人の背中が見えなくなるまで、少女は手を振って見送っていた。

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砂州の繋いだモノ ばるじMark.6 ふるぱけ @hikarimo_6

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