第三話 犬の片思い

『……』

「……な、夏野さん?」

「……チッ!」


 いまだに鳴り響くチャイムと呪いの言葉。

 すこやかなるときも、病めるときも。

 喜びのときも、悲しみのときも。

 富めるときも、貧しいときも。

 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを。

 ……まったく誓わないであろう、そんな悪魔のチャイムと呪いの声が部屋に響き渡っていた。

 うん。誓われても困るだけですがね。

 

 そんな押し売り強盗のような所業しょぎょうに驚いて、目を見開いたままで夏野に声をかけていた円香。

 うん。驚くよね。夏野宅への『ファーストコンタクト』をすっかり忘れている妹に、俺は。

 そんな円香の声に舌打ちで返す夏野。別に円香に対して舌打ちをしている訳ではない。

 玄関の方角をにらんで舌打ちをして、死ぬほどイヤそうな顔をしているので来訪者を理解しているってことだろう。

 と言うよりも、俺も該当者をあの二人・・・・しか知らないけどな。

 それに呪いの言葉の方へは敵意を向けていないのだろう。そうであってください。そうしないと、呪いの言葉で本当に死んじゃうから!

 そんな風に俺が玄関の方角を眺めていると、渋々と夏野が立ち上がろうとしていた。その瞬間。


「――あっ、先生。私が出ますよ? ……」


 そう言いながら、当たり前のように俺達の目の前を通り抜ける物体。

 白地に黒のストライプのジャケットと黒のスカート。特徴的な銀髪を揺らしながら、玄関へと向かう後ろ姿が映し出されたのだった。って、いたのかよ!

 まったく気づかなかった存在。秋山忍の担当編集であるドM変態。またの名を柊鈴菜。

 いらない存在感だけはたっぷりのコイツだが。

 夏野にお仕置きされて気でも失っていたのかも知れない。永遠に失っていてほしいんだけどね。

 そんな風に思って眺めていたのだが、夏野が「あんた、何でいるのよ?」と言いたそうな表情をしている。

 その表情で察した俺はベランダの方へ視線を移した。やっぱりか。

 ベランダの窓は円香が閉めていたはずなのに開いていた。そしてベランダにはパラシュート。

 つまりは、お馴染なじみの光景と言うやつだった。

 ……前に屋上のテントは殲滅焼却したはずだけど、そのうち九郎くろうさんにでも頼んで、もう一度メイドに見に行ってもらうか。たぶん復活しているだろうし。

 と言うより、前よりもレベル上がってそうだよな。防火テントとか防火ロープとか防火雑誌の切り抜きのコピーとか。さすがに雑誌の切り抜きは防火できないか。だけど変態は理屈が通じないから油断はできないぞ。

 変なところには抜け目ないからな。変態だから……。


 しばらくすると鈴菜がリビングへと戻ってくる。その後ろから三人の人影が現れるのだった。


>8 >8 >8 >8 >8


「あ、あの、かず――ク、クロが大怪我したって聞いて……ごめんなさいごめんなさい私が身代わりになれなくてごめんなさい私が酸素を吸っているせいでクロがクロがごめんなさいごめんなさい生まれてきてごめんなさいごめんな――」

「――映見は少し落ち着くっ!」

「ひゃい! ……」


 まず入ってきたのは呪いの言葉の持ち主。俺の人間時代のクラスメートの大澤おおさわ映見はみ

 相変わらずなネガティブ思考リサイタルを満喫している映見に、呆れた表情の夏野が一喝していた。聞いている方は『陰喫』しているけどね。

 そして、ビクビクとしながら縮こまっていた。相変わらずだな。


「ちょーっと、黒いの! 何でも犬が大怪我したそうじゃない――ひっ! ……ふ、ふん。この光輝く癒しオーラ全開のマキシ様が来たんだから、もう安心よね? そう、人だけじゃなくて犬にまで癒しのオーラを与える私ってば輝いてる! ……って、そこ! 光が当たっていないわよ! もう少し左! 違う、行きすぎ! ……あー、もう! ちょっと貸しなさい。……ココよ、ココ! キープしときなさいよね? ……ああ、光を導く私ってば輝いてる!」


 そして、相変わらずな芸人魂全開の秋月マキシ。夏野に声をかけようとしたのに夏野の膝元にいるクロにビビッてマキシの担当編集である仏坂ほとけざか大門だいもんの後ろに隠れていた。

 いや、だから癒しのオーラってヒーリング魔法とは違うんだぞ? 言ってもムダだろうけど。

 少し落ち着きを取り戻したかと思えば、いつものお決まりの台詞とポージングを決めていた。

 でも光が当たらないだとか、光を当てていた黒服に文句を言って、しまいには自分で光をセットして戻ってポージングを決めていた。いや、だから何しにきたの?

 夏野の顔がみるみる不機嫌になっていく。隣の円香も少し不機嫌になる。

 そんな二人のオーラに当てられて、映見は泣きそうになって……鈴菜は恍惚な表情をしていた。

 よし、二人とも真っ先に鈴菜をヤレ! 俺が許す。

 

 どうして、マキシは空気が読めないんだろう。作家としての才能は優れているのにな。

 読者の求めるモノを的確に読み取り、相手に与える能力。それが秋月マキシの才能だと思う。

 そして家族思いの優しい女性だと思っている。

 なのに芸人の時は、まったく空気が読めないのが不思議なのである。


「だから、もっと私を輝かせ――って、大門。何で引っ張るのよ!」

「仕事の時間だ! ……お騒がせして申し訳ない。これで失礼する」


 俺がそんな風に思っている間に、マキシは首根っこを大門さんに掴まれて玄関の方へと歩かされていた。

 大門さんは文句を言うマキシにピシャリと言い切ると、俺達の方を向いて謝罪をしてから出て行くのだった。

 そんな引っ張られながらも、マキシは少し嬉しそうだった。

 うーん。もしかしたら大門さんに自分を止めてほしくて、ツッコミを入れてほしくて暴走しているのかも知れない。俺達にすれば、とても迷惑な話だけどな。

 そんな嵐が去ったあと、部屋には爽やかで暖かな風が吹くのだった。


「……お、お邪魔しま、す……クロが怪我をしたって映見から聞いて……」

「桜、悪いわね……わざわざ来てもらって?」


 そこに立っていたのは俺の人間時代のクラスメートであり、俺が頻繁に通う本田書店のオッチャンの娘。本田桜だった。

 緊張した表情で言葉を紡ぐ桜に、優しい微笑みで答える夏野。夏野が優しい対応をする数少ない人物の一人である。

 夏野の表情から、映見と桜を呼んでいたのだろう。残りの二人は計算外だと思う。うん。俺も呼んで欲しくない。


「映見先輩、桜先輩、こんにちは」

「ま、円香ちゃん……こんにちは」

「円香ちゃん、こんにちは」


 夏野の優しい手招きで、その場に座る緊張の面持ちの二人に優しく微笑みながら声をかける円香。

 その笑顔に緊張が和らいだのだろう。少し笑みを見せながら二人も円香に挨拶をするのだった。


「……どうぞ?」


 全員が座った状態になった瞬間、人数分のお茶を用意した鈴菜がキッチンから戻ってきて、ちゃぶ台にお茶を並べ始める。って、何その優秀なスキル。まるで優秀な編集者みたいだぞ、お前?

 もしくは戦場帰りの元エースナンバーなメイドスキルみたいじゃねぇか! ……前半は鈴菜の性癖くらい必要ないけどさ。

 何か悪いもんでも食ったのか? 円香のカレーとか。円香の作るカレーとか。円香の調理するカレーとか。


「……」

『……』


 円香に睨まれましたよ。喋っていないのにさ。兄妹って恐いね。夏野さんクラスの恐さだよね。

 どうしてくれるんだよ、この変態! お前がマトモなせいで睨まれちまったじゃねぇか!

 

 そんな俺の怒りなど気にもせず、鈴菜は全員分のお茶を並べると夏野の隣に座るのだった。

 

「ねぇ、円香……少し確かめたいことがあるのだけれど、は今喋っているのかしら?」

「え? いえ、喋っていませんよ?」

「そう……今、少し話してもらいたいんだけど?」


 夏野は円香に確かめたいと言って、俺が喋っているのかを確認していた。

 その言葉を不思議そうに眺めている映見と桜と鈴菜。

 俺が喋っていないことを円香から聞くと、俺の方を見て話をしてくれと頼んできた。

 どう言うことだ? お前には伝わらないじゃないか。何を確かめたいって言うんだよ。

 俺は疑問に思って夏野を見つめた。だけど夏野の表情には真面目な、本当に確かめたいと言う想いが表われていた。意図するところはわからないが、俺は夏野の言うとおりにしようと思うのだった。


『……とは言っても、いきなり何を話せばいいんだよ?』

「――えっ?」

「――えっ?」

「……ど、どうしたんですか、二人とも?」

「……やっぱり、そう言うことなのね」


 いきなり何を話せばいいのかわからずに疑問の声を発していた俺。だけど、突然映見は驚いた声を上げるとクロを見つめた。そして、桜は驚きの声を上げるとキョロキョロと辺りを見回している。

 そんな二人の行動に驚いて訊ねる鈴菜。

 その様子を眺めて、少し納得したような表情をして言葉を紡いだ夏野。

 そう、か。そう言うことか。

 俺は三人の様子を眺めて夏野が確かめたいことに気づく。

 もちろん二人を呼んだのは、俺が目を覚ます前だったと思う。だけど状況が変わった。だから、来てくれたついでに確認をしたかったのだろう。鈴菜は本当にたまたまなんだろうけどな。

 未だに理解ができていない三人に夏野はすべてを話すのだった。


>8 >8 >8 >8 >8


「……映見と桜には、彼……『春海和人の声』が聞こえているのよね?」

「ど、どう言うことなんですか、先生。私には何も聞こえていませんよ?」


 夏野の言葉に確かな肯定の頷きを返す二人。信じられないと言いたそうな表情で夏野に訊ねる鈴菜。

 確かに鈴菜にとっては信じられないことなのだろう。

 クロだった俺の言葉を理解できていた、夏野と鈴菜にとっては。


 その後。夏野と円香は三人に、夏野の口から俺がクロとして転生してからの話。そして、俺から聞かされた今回の転生の話を聞かせていた。


「……映見は元々、感じていたのだろうけれど。あまりにも現実的な話だとは言えないじゃない? それを言っても信じてもらえるかわからない。余計に辛い思いを抱かせてしまうと思ったの……だから、円香も含めて誰にも言わなかった。それについては謝るわ……ごめんなさいね?」


 夏野は映見と桜。そして円香に対して謝罪する。

 俺の思っていた通り、夏野は言わなかったんじゃなくて、言えなかったのだと感じていた。

 そんな夏野の言葉に首を横に振る三人。きっと、誰もが夏野の立場なら同じことをしていたのだろう。

 たぶん、俺が夏野の立場だったとしても同じことをしていたと思う。

 誰かが苦しむのなら。信じてもらえないのなら。真実だとしても伝えることはできない。

 すべて俺が招いたこと。俺が引き起こした現実だから余計に感じているのかも知れない。

 俺には夏野がいた。鈴菜もいた。だけど。

 作家『姫萩ひめはぎ紅葉もみじ』の兄であり担当編集だった九郎さん。彼がカラスとして転生して、俺達の前に現れた時――。

 九郎さんの頼みで俺達が姫萩紅葉の説得に向かった監獄島での一件。

 あの時、九郎さんは妹に言葉が通じるのかを不安に思っていた。その時に俺は思い出していた。

 俺も夏野に出会うまでは言葉が通じるなんて思っていなかった。

 もう誰とも話せないんだって諦めていた。そんなことがある訳ないって思っていたのかも知れない。

 だから通じ合えない辛さを、俺は理解しているつもりだ。


 転生すらも、現実を受け入れるしかない状況だっただけで、当たり前だなんて思っていない。

 信じてもらえるなんて思っていない。だから夏野がすんなりと信じた時は疑っていた。だけど。

 夏野には俺の声が聞こえていたから。現実を受け入れられたんだと思う。

 でも、聞こえない人間に言っても信じてもらえる確証がない。当たり前だ、聞こえないんだから。

 三人とも俺の事件をキッカケに、何か心境の変化があったと思う。正確には円香と映見には、あった。

 桜にも何か思うところがあると思う。

 それは俺への思いとかではなく、純粋に優しい子だって知っているから。何かがあったのだと思っている。

 突然起きた俺の事件。俺が死んだと言う事実。

 そこから少しずつでも普段の生活を取り戻していた三人。そんな三人の気持ちや想いを、無闇にかき回すことなど夏野には許せなかったのだろう。

 だからこそ、夏野は何も伝えられなかったのだと思う。そして、三人にそれをとがめることはできないのだと思っていたのだった。


「……映見は気づいていたんだね? さっき、声が聞こえた瞬間にクロを見ていたから……」


 桜は隣に座る映見に声をかけた。だけど別に「自分だけ知っていたの?」などと言う意味で聞いた訳ではないのだと思う。

 ただ、親友として確かめたかっただけなのだと思う。

 そんな優しい微笑みに添えられた桜の言葉を聞いて、少しオドオドしながらも言葉を返そうとする映見。

 が、がんばれ、映見! って、キョロキョロしたってカンペなんてないだろ?


「……う、うん。少し色々あったんだ……。だ、だけど、和人くんの声が聞こえていた訳じゃないの……た、ただ、クロが『和人くんなのかな?』って思えていただけ……」


 少しキョロキョロしていた映見だったけど、カンペがないことに気づいて困った顔をしていた。

 いや、ある訳ないよね? だってカンペは自分で作っているんだよね?

 もしかして、マキシの後輩らしく黒服にでも持たせているのか? いや、先輩が全員連れて行っちゃったから、誰も残っていないんだけどな。

 そして落ち着きを取り戻した映見は、桜に自分の言葉で伝えた。


「……そっか……」


 そんな映見の言葉を聞いていた桜は、とても嬉しそうに微笑んで答える。

 初めて話してくれたこと。映見の想いを感じ取れたこと。親友として聞けたこと。

 そんな感情が溢れた、暖かくも優しい微笑み。

 この部屋だけ、この瞬間だけ。季節が隔離されて、桜舞い散る穏やかな小春日和のような室内。

 そんな不思議で。だけど心地よい空間の中で、俺達は二人を眺めていたのだった。

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